ポルトガルといえば…音楽ファンはファド、読書家はペソアと答えるでしょう。フェルナンド・ペソア(18881935)は、ポルトガル文学を象徴する国民的詩人であり、複数の人格〈ヘテロニム〉を使い分け、自己の分裂や存在の不確かさを詩に描き出しました。その精神性と孤独、夢と現実のあわいを見つめる詩の世界は、ファドの感情表現とも深く響き合います。彼自身もファドを愛し、詩の中でその名をたびたび呼びました。 イタリア・サルデーニャ島イグレージアス出身の音楽家マリアーノ・デイッダ(Mariano Deidda, 1961)は、そんなペソアの詩に30年以上向き合い続けてきた稀有な存在です。イタリアの音楽誌では“歌う詩人(cantapoeta)”とも呼ばれ、文学・ジャズ・カンタウトーレの要素を融合させた創作で知られています。かつては自作詞のシンガー・ソングライターでしたが、アントニオ・タブッキ訳『不穏の書』を読んだ衝撃から、「自分で詞を書く必要はない。すでに偉大な作家が書いている」と気づき、以後、文学と音楽の融合という独自の道を歩み始めました。 彼の創作理念は「言葉に服を着せる(make a dress for words)」という比喩に象徴されます。詩の意味やリズムを損なわず、その言葉の呼吸に寄り添うように音を与える――それがデイッダの音楽の核心です。これまでにペソアをはじめ、グラツィア・デレッダ、チェーザレ・パヴェーゼ、ルイジ・ピランデッロなど、文学史に名を刻む作家の詩やテキストを音楽化し、イタリア国内のみならずリスボンでも頻繁に公演を行っています。リスボン万博(1998年)やユネスコ主催「詩の祭典」(2006年ベイルート)でも高く評価されました。 本作『ファウスト~詩人ペソアへのオマージュ(Faust Fernando Pessoa)』は、彼の長年の探求の集大成です。ペソアが生涯をかけて書き続けた未完の戯曲『ファウスト』を軸に、「夢」「虚構」「存在」をめぐる詩を音楽化。ピアノ、コントラバス、ドラムズ、チェロを交えたジャズ的なアンサンブルに、デイッダの深く静謐な声が溶け込みます。またファドの名歌手カマネー(Caman)と、トランペット奏者ローラン・フィリペ(Laurent Filipe)を迎え、イタリアとポルトガル――ふたつの精神文化が呼応する、美しく緊張感ある作品に仕上がりました。 デイッダは語ります。「ペソアの『ファウスト』を音にすることは、現代人への勇気の呼びかけだ。私たちは神にはなれない。人生と地球を大切にすること、それがペソアの教えだ」と。パンデミックを経て、彼の音楽はより祈りに近い響きを帯びています。 詩と音楽、文学と哲学、そしてファドの魂が交差するヨーロッパ芸術の結晶――ペソアの詩を“聴く”という贅沢を、ぜひこのアルバムで体感してください。
トラックリスト 1. Nulla 2. La Follia 3. Faust 4. Dormi 5. Tutto E Sogno 6. Lasciami Sognare 7. Il Piacere E Nudo 8. Il Canto Delle Tessitrici ft.Camane 9. Solenne Oblio 10. Finge Di Essere 11. La Mia Magia Incantava Le Rose 12. Nei Giardini De Lisbona