レバノンを代表するシンガー・ソングライターであり、ヴィジュアル・アーティストのタニア・サレ(1969年ベイルート生まれ)。1997年のシングル「Ozone」でデビュー以来、アラブ・オルタナティヴ音楽シーンの先駆者として活動し、フォークやジャズを基調にアラブの詩や旋律を現代的に再解釈してきました。弊社が配給した2002年の『タニア・サレ』で日本初お披露目。2011年の『Wehde』をはじめ、2017年の『Intersection』、2021年の『10 A.D.』はいずれもドイツ・レコード批評家賞を受賞。ナターシャ・アトラスやイブラヒム・マールーフとの共演、映画『キャラメル』や『Where Do We Go Now?』への作詞参加など、音楽と映像を横断する活動でも知られます。そして30年以上にわたり社会的・政治的メッセージを発信してきた彼女ですが、2022年、レバノンの経済崩壊や港湾爆発など“一連の不幸な出来事”を背景にパリへ移住しました。 その亡命生活の中から生まれたのが9作目となるアルバム『フラジャイル ~ 壊れもの』です。スーツケースに貼られた「fragile」という表示をモチーフに、故郷を離れた者の心情を寓話的に描き出したこの作品は、彼女のキャリアの中でも最も個人的かつ内省的な響きを持っています。冒頭曲「Ghasseel Dmegh(Brainwash)」は頭の煤を洗い流し、新たな旅路を誓う祈りの歌。「Inta Mashi(You Are Nothing)」は地下鉄での孤独をミニマルな電子音に重ね、最後に「あなたはすべて」と肯定へ転じます。「Marajeeh(Swings)」は宙づりの感覚を寓話化し、「Matrah(Territory)」は自然との対話で人間の居場所の不確かさを示す。「Qul(Say)」は亡命者の声なき声を象徴。いずれもレバノン方言アラビア語で歌われ、脆さと希望を鮮烈に響かせています。 音楽面ではノルウェーの作曲家オイヴィン・クリスティアンセン(yvind Kristiansen)がピアノとプログラミングで全面協力。パレスチナのモハメド・ナジェム(ネイ/クラリネット)、チュニジアのイスレム・ジェマイ(ウード)、ニダル・ジャウイ(カーヌーン)、エリース・グラビ(パーカッション)らが参加し、アラブ伝統音楽と西洋的要素、アクースティックとエレクトロニックが静かに融合します。打ち込みの冷ややかなビートに寄り添うネイの息遣いや、ウードの温もりある響きが、亡命者の孤独と再生への希望を同時に表現しています。 個人の体験を越え、「居場所」と「愛」という普遍的な問いを静かに投げかけ、深い余韻を残す本作。これぞ《グローバル・ミュージック》の呼び名に相応しい素晴らしい内容です。
●日本語解説/帯付き
トラックリスト 1. Ghasseel Dmegh 2. Matrah 3. Inta Mashi 4. Qul 5. Leih 6. Bas 7. Zet El Naghmeh 8. Hashara 9. Marajeeh 10. Ghayr El Sama