9月30日(土)

 久しぶりの完全休養。掃除や洗濯くらいはしようと思ったが、その体力も残っていない。ひたすら寝て過ごした。

 

9月29日(金)

 一月で一番忙しい最終営業日。それでも朝早く起きて解説原稿を1本書き上げてから会社に行った。その後は支払い、帳簿整理など、いつも通りの仕事。税理士さんとの打ち合わせが終わったときには、もうヘトヘトだ。晩御飯を作る体力はもう残っておらず、久しぶりに外でご飯を食べることに…。
 とにかく疲れた1ヶ月でした。

 

9月28日(木)

 リスト作成日。今週のメインは、秋という季節を意識して、ファドのアルバム2枚になった。そのうちのひとつが、アマリア・ロドリゲスの伴奏を長年務めてきたポルトガル・ギターの名手ジャイメ・サントスのソロ・アルバムだ。以前、同じくアマリアの伴奏者だったカルロス・ゴンサルヴェスのアルバムを配給させていただいたことがあったが、ジャイメのアルバムもそれに匹敵するほどすばらしい。秋の夜長に楽しむには、絶好の一枚と言えそうだ。
 アマリアの伴奏は、40年代中ごろのブラジル録音がフェルナンド・フレイタスで、ポルトガルに戻ってから50年代初頭まではラウール・ネリ、その後の北米ツアー(53年?)からジャイメさんが担当するようになったと思っていたのだが、資料によるとジャイメさんはその前からアマリアの伴奏をやっていたのだそうだ。45年頃(ということは初録音の前)、さらに帰国後の初映画(47年)でも伴奏を務めたという知らない話が出てきたのでビックリしてしまった。ファンの方ならご存知のように、初期のアマリアはレコーディングよりも、むしろファド・クラブや劇場での公演、あるいは映画のほうに力を入れていた。レコードにおける伴奏者だけがすべてではない、ということだ。しかし、同時代にラウール・ネリとジャイメ・サントスという二人の名手を仕事によって使い分けていたなんて、さすがにアマリアだ。ひとりに絞らなかったのは、常に緊張感を持って仕事をしたかったからなのだろう。

 午後は南・西アジア言語文化を研究されている村山和之先生と打ち合わせ。もうすぐやってくるファイズ・アリー・ファイズのインタビューで通訳をしていただくことになったので、その前にご挨拶したいと思って連絡したところ、今日会っていただけることになった。さすがにパキスタンに何度も行かれていることもあって、先生はカッワーリーについてよくご存知だ。おかげでこれまで疑問に思っていたことを、いくつか解決することができた。先生は『ミュージック・マガジン』にファイズの同行記を書かれるそうなので、いまネタばらしをするわけにはゆかない。なので、ぼくが何をどう解決したかはここでは書かないが、そのうち誰かの解説原稿でじっくり書いてみたいと思う。

 いよいよ来週は<ラマダンの夜>。いくつかのお店ではそれに合わせて大展開をしていただいているし、インタビューのセッティングもすべて終わった。後はお客さんがちゃんと入ってくれて、すべての出演者たちがすばらしい公演をしてくれることを祈るばかりだ。特に東京での初日は、ファイズ・アリー・ファイズが出演するので重要。こんな機会はメッタにないので、どうぞお見逃しのないようにお願いいたします。

 

9月27日(水)

 週に一度の休みを取れないと、やはり体がダルい。もう若くないということを実感するのがこういうときだが、月末なのでそうも言っていられない。今日も解説原稿を3本執筆。朝6時から夕方まで頑張って、ヘトヘトになりながらなんとか書き終えた。

 午前中に一度事務所に行ったら、ちょうど『クロンチョン歴史物語』の完成品が入荷していた。今回からデジパックの特別仕様になったのだが、背の幅を厚くしたおかげで、36ページのブックレットなのにまだまだ余裕がある。この調子だと、紙をもう少し薄くすれば60ページくらいは大丈夫かもしれない。となると、原稿用紙180枚分くらいの解説を載せることができるはず。新書版の本は250枚前後だと思うが、それに近い分量の原稿を載せられるわけだから、これまでとは違った企画の商品ができるそうだ。最初は本当に本のサイズでそこにCDが入っているスタイルも考えたが、これだとCDショップの店頭ラックには収まらず、展開を渋られてしまう(当社の縦長の2枚組アルバムが苦戦しているのはそのせいだ)。CDのサイズを変えず、それでもブックレットを充実させるには、今回のスタイルしかないのかもしれない。
 あとは、そんな長い解説原稿をいったい誰が書くのか、ということだが…。
 いずれにしても、『クロンチョン歴史物語』は週末には店頭に並びます。手にとってご覧いただけたら幸いです。

 

9月26日(火)

 ヌスラット・ファテ・アリー・ハーンのパーティで長い間演奏してきたラフマット・アリーは、現在ファイズ・アリー・ファイズのハルモニウム奏者を担当。なので今度の来日公演でやってきたらインタビューしてみたいと、一昨日の日記に書いたが、ラフマットさんは現在、老齢のため海外ツアーには参加していないのだそうだ。でも、来日するグループにもラフマット・アリーという人はいるので調べてみたら、同名異人なのだとか。そのことを教えてくれたのは、仏アコル・クロワゼのギリョームさん。知らなかったら、間違えてインタビューしてしまうところだった。

 今日も解説原稿を3本執筆。同時進行で<ラマダンの夜>で来日するアーティストたちのインタビューのセッティングなどを進めた。こういう日に限って、外国からのメールも多い。結局、今日も朝7時から夜10時近くまで仕事。火曜日は週でたった一日のお休みの予定だったのだが…。

 

9月25日(月)

 朝5時に起きて6時から仕事。昨日までに途中まで書いた解説原稿をどんどん仕上げて入稿した。結局終わったのは、午後10時。原稿は6本入稿。それ以外にもメールのやり取りをたくさんして、いくつか調べものをして、夜11時にやっと仕事が終わった。

 仕事の後は夕食をとりながらヌスラットの初期カセットをチェック。疲れているけど、聞かないわけにはゆかない。初期のカセットを数本聞いて確信したことがひとつ。ヌスラットに近い音楽家を世界中に探すとしたら、それはキューバのアルセニオ・ロドリゲス以外ないだろうということだ。いまはその理由を書く余裕はないが、そのうちしっかり文章にしようと思う。今日はとにかく疲れました。おやすみなさい。

 

9月24日(日)

 終日、自宅にこもって解説原稿書き。早く終わらせてスポーツクラブに行こうと思っていたが、とてもそんな時間は取れない。おかげで今日はヌスラットのカセットもお休み。

 

9月23日(土)

 朝5時に起きて、父親のお墓参り。祖父と祖母のお墓にも行ったので、たっぷり2時間近く歩いた。なんとも爽快な気分だ。若い頃はお墓参りなんてほとんどしなかったぼくが、最近はお盆やお彼岸や命日には必ず行っている。ご先祖のことを思うようになったとか、宗教的な気分になったというより、お参りした後のなんとも言えない爽快な気分を知ったからだ。先祖に手を合わせると、体の中にたまった余計なものが全部抜けて出てゆくような気分になる。

 そんなわけで、今日は体調も良い。帰宅した後は原稿書きに打ち込んだ。ご存知のように、当社ではライス以外に、TS番号で解説付きのCDをたくさん発売しているので、月末になると書かないといけない原稿がどうしてもたまってしまう。今月は全部で15本くらい書くのだろうか(もっと多いときもある)。中には日本中で20枚しか売れなかったCDもあるから、そんな解説原稿のすべてをお読みになった方は絶対にいらっしゃらないはずだ。でも、たとえほとんど読まれない原稿でも、一生懸命書かないといけない。いまでは社員たちも解説を書いてくれているが、それでもぼくが書く数は相変わらず多い。けっこうタイヘンな仕事だ。

 夜は昨日に続いてヌスラットのカセット・チェック。今日はEMI音源の続きを聞きながら、オリエンタル・スター盤のCDも整理してみた。このレーベルからは膨大な数のCDが発売されているが、ぼくが持っているのは初期のものだけ。カセットと重複しているので、途中で全部揃えるのをあきらめたようだ。手元にあるのは最初の10枚ほどだが、その中でもっとも番号が若いのが、いわゆるベスト編集盤。「アッラー・フー・アッラー・フー」など、ヌスラットの代表曲がずらりと並んだ、70年代後半か80年代前半あたりのヒット曲集(もちろん地元における)だ。
 そのCDを久しぶりに聞いていて思い出したのが、この頃のヌスラットの録音ではほとんどの曲でマンドリンやギターが入っていたことだ。このベスト版でも、マンドリンは半数ほどの曲のイントロなどで登場し、アクースティック・ギターはほぼ全曲でコードを刻んでいる。実はこのCDを買った頃、ぼくはこんなギター入りのカッワーリーが嫌いで、1回聞いてすぐに棚に収めてしまった。でも、今日久しぶりにそれを聞いたら、すごく面白い。ギターのおかげで、当時のヌスラットの音楽はインドネシアのダンドゥットなどと非常に近い音楽に聞こえるからだ。そしてそんなコードが乗った曲調に、ヌスラットの音楽を語るときに欠かせない重要な鍵が隠されているとも感じるようになった。
 ヌスラットの歌う歌詞は、ご存知のようにいにしえのスーフィー詩人が残した作品だが、そこに節をつけているのはヌスラット自身だ。要するに作曲者はヌスラットということになるのだが、その節にコードが乗ることが想定されていたということは、ヌスラットの音楽はもともと多分に西洋音楽的な要素を持っていたということになる。ヌスラット自身はギターを演奏しなかったようだが、きっとハルモニウムを演奏しながら、コードという概念を磨いていったのだろう。別にヌスラットが洋楽を勉強したと言いたいわけではない。インドの映画音楽を聞いたって、コードをどうつけるかくらいは勉強できる。
 ヌスラットは当初、オリエンタル・スター盤で伴奏しているギタリストをヨーロッパにも連れて行っていた。でも、それは最初の頃だけで、途中から連れてゆかなくなった。それはヨーロッパ人たちがコードを刻むギターを好まないことを知ったからだ。ギターがコードを刻んでしまったら、それは伝統音楽には聞こえない。ヨーロッパ人たちがヌスラットに求めたのは、もっと純粋な伝統音楽だった。そのことを敏感に察したヌスラットは、ヨーロッパでは本国でやる以上に<伝統的>な(と外部の人が思うであろう)スタイルで歌い、演奏することにした。そう、ヌスラットは、ヨーロッパにおいて、意識して<伝統音楽家>を装ったのだ。
 そんなヌスラットにとって、素顔のカッワーリーである現代的なスタイルは、むしろ本国でのほうが試みやすかったのかもしれない。ヌスラットの最後のステージを録音した『スワン・ソング』が、ヨーロッパではなく、本国パキスタンにおける公演だったことをここで思い出した。ベースやドラムスやギターやホーンズが入った『スワン・ソング』におけるヌスラット楽団の演奏に、ぼくらはビックリさせられたが、実はヌスラットにとってあのアルバムでの試みは、ギターが入った現代カッワーリーの試みの延長線上にあるものだったのだろう。当時、コードを想定して作った曲だったからこそ、ベースやギターやホーンズガがいっても自然にアレンジが出来たのだ。かつての試みを楽しんでくれたパキスタンの人たちなら、それをもっと現代化したこんな試みも楽しんでくれると、ヌスラットたちは確信していたのだろう。

 そんなギター入りのカッワーリーを収録したオリエンタル・スター盤のクレディットによると、当時ヌスラットのパーティの音楽の部分を仕切っていたのは、ヌスラットの弟さんであるファルフ・ファテ・アリー・ハーンだったようだ。そして、ご存知のように『スワン・ソング』における現代カッワーリーの試みを具現化したのは、ヌスラットの甥であるラーハット・ファテ・アリー・ハーン。ファルフさんはラーハットのソロ・アルバムでも伴奏を務めているので、きっとラーハットのお父さんなのだろう。だとしたら、こちらもまた、2代に渡ってカッワーリーの現代化に貢献したことになる。
 ちなみにこの時代にハルモニウムを担当していたファラフさんをサポートし、第2ハルモニウム奏者として参加していたのが、今度ファイズ・アリー・ファイズの伴奏者として来日するラフマット・アリーだ。当時のヌスラットのアルバムには、すべてラフマットさんの名前がクレディットされている。その後、ヨーロッパに行ったときにもラフマットさんは参加しているし、もちろん日本にも何度もやってきた。要するにラフマットさんは、ヌスラットたちのカッワーリーの現代化の試みと外国での演奏の両方を、長年に渡って身近で接してきたことになる。
 招聘もとのカンバセーションさんによると、ファイズ・アリー・ファイズは取材のオファーが予想以上にたくさん来ていて、日本滞在中はかなり忙しくなりそうだとのことだが、昨日も書いたように、ぼくはファイズにインタビューするつもりはない。でも、こんな古い時代のヌスラットの音源を聞いていたら、せめて伴奏者のラフマット・アリーさんにはお会いして、当時のヌスラットのパーティの音楽について聞いてみたくなってきた。もちろん、そんなカッワーリーの昔話を取り上げてくれる音楽雑誌があるとは思えないが、それならこのサイトで発表するという手もある。もしもこの欄の読者の皆さんの中で、そんな記事を読んでみたいと思う方がいれば、の話だが…。

 そうそう、誤解して欲しくないことがひとつ。ヌスラットはヨーロッパにおいて<伝統音楽家>を装ったと書いたが、そのことでヌスラットを非難しているわけではないし、無駄な作業だったと言いたいわけでもない。むしろこんな試みは、彼の音楽を大きく成長させたと思う。今度発売される『クロンチョン歴史物語』の解説で、クロンチョンが<伝統的>になったのは、それが国民音楽と呼ばれる時代になってからだと書いた。それ以前は多彩な要素が入り混じり、多分にアメリカ音楽の影響を受けていたクロンチョンが、国民音楽と呼ばれるようになって急にシリアスになった。ヌスラットの音楽もその点は同じだ。外国に出て、パキスタンを代表する音楽家と言われるようになって、ヌスラットはそのスタイルをシェイプアップし、より伝統的なスタイルを再構築した。これはパキスタンでやっていただけでは絶対に達成できなかった境地だ。そんなヨーロッパにおけるヌスラットを代表する作品のひとつが、当社で発売した『ヌスラットよ、永遠に』だと思う。
 でも、ぼくはこのアルバムの解説で、ヌスラットはこのアルバム以外にももっと聞くべき作品がたくさんあると書いた。自分の会社で出した作品だから、これこそ最高だ、これだけを聞きなさいと言いたいところだったが、あえてそんな余計なことを書いたのは、欧米向の伝統路線の完成されたスタイルだけを聞いてそれがヌスラットの本質のすべてだと思って欲しくなかったからだ。パキスタンEMIやオリエンタル・スターのカセットには、ヌスラットの本質を知るための貴重な音源がたくさん収録されている。そんな方向性の集大成と言えるのが『スワン・ソング』だ。こんな道筋もまた大切だと、ぼくは思う。これがあったからこそ、伝統路線のヌスラットもあれほどすばらしいものになったのだ。
 明日からもそんな過去の音源をまたひとつひとつ聞いてゆこう。月末で忙しくなるが、仕事の後の楽しみが出来てよかった。

 

9月22日(金)

 いつも通り、金曜日は雑務仕事が盛りだくさん。でも、今週は帳簿関係の仕事がなかったので、比較的スムーズに終了した。仕事をしながら、最近送られてきたサンプルのいくつかをチェック。ワールド・サーキットのニック・ゴールド社長がキューバで見つけたという貴重なSPをCDRに焼いてくれたので、それも聞いてみた。なかなかユニークな音源だったが、本人の希望でコピーは絶対に不可なのだとか。

 夕方くらいには仕事が片付いたので、前々からやりたかったカセット・テープの整理に手をつけた。と言っても、インドネシア・カセットだけでも3000本以上持っているので、全部のカセットを一日で整理できるわけはない。今日やりたかったのは、パキスタンやインド音楽のカセット。そうなんです。ヌスラット・ファテ・アリー・ハーンのカセットを全部引っ張り出して、久しぶりに年代順に聞いてみようと思ったのだ。
 というわけで、棚の奥のほうから引っ張り出してみてビックリ。全部で80本近くのヌスラット名義のカセットが出てきた。初期と思われるのがEMIで、途中からオリエンタル・スター(あるいは時期が重なったものもあるのだろうか)。もちろん全部は揃っていないが、オリエンタル・スターの最後のほうがイギリスでのライヴなので、ヨーロッパ・デビューした直後くらいまでのカセットのほとんどは持っているようだ。
 今晩聞いたのは、そのうちもっとも初期と思われるEMIのTC−CEMCP−5102という番号の1本(ジャケットにVOL 1と記されている)。これがなかなかに楽しい1本だった。
 この頃のヌスラットのカセットはすべてムジャヒッド・ムバラク(ムバリクと書かれたものもある)・アリー・ハーンという人との共同名義になっている。『ノイズ』5号における関谷元子さんの原稿ではこの人を<いとこ>と紹介されている(オリエンタル・スター盤のCDについている英文解説にもそうある)が、ひょっとしてこの人こそ、ヌスラットのお父さんであるファテさんとともに現代カッワーリーの基礎を築いたと言われるムバラク叔父さんではないだろうか。サイトで調べたところでは、ヌスラットがムバラク叔父さんを含む自身のパーティを結成したのは1965年。レコーディングをはじめたのは70年前後とあるが、そうなるとこのEMI初期音源はヌスラットが亡き父の遺志を継いで、叔父さんとともに現代カッワーリーをさらに発展させようと大きな意欲を持って取り組んでいた時代の録音ということになる。
 こんな時代の音源を聞いてみようと思ったのは、ヌスラットがどのようにして<伝統カッワーリー>を完成させたのか、その道程をすべての音源を聞きながら追いかけてみようと思ったからだ。今日聞けたのは1本だけで、まだまだ先は長いが、その分今後の楽しみは大きい。オリエンタル・スター盤はかなりの数がCDになっているが、EMI音源はどうなのだろう。いずれにしても、没後10周年を迎える来年までには、彼の録音のすべてをじっくり聞きなおしたいと思っている。
 そうそう、いま思い出したが、どこかにヌスラットのカセットの完全ディスコグラフィーなるものは存在するのだろうか。CDのディスコグラフィーは欧米のサイトで調べられるが(編集盤を含めると全部で160枚以上あるのだとか)、カセットのそれはまだ見たことがない。もしも存在しないようなら、日本のファンの皆さんがそれぞれお持ちの情報を持ち寄って、作ってみるのもいいかもしれない。なんて思ってみたが、お付き合い願える方はいらっしゃいますでしょうか?

 

9月21日(木)

 今日はリスト作成日。いつも通り、ブラジル音楽の新譜をサイトでチェックしていたら、ナラ・レオーンのDVDの情報を発見した。もうすぐ発売されるようだ。収録されているのは70年代の音楽番組。ボサ・ノーヴァを中心に歌っているところを見ると、フランスから帰国してすぐの頃の映像だろう。エリス・レジーナの最初のDVDと同じ番組で、フェルナンド・ファーロが監督をしているはずだから、凝った内容になっているに違いない。来月アタマには入荷できると思われるので、ファンの皆さんはお楽しみに。

 そして、とうとう近づいてきた<ラマダンの夜>。出演する5組のうち3組が当社からCDが出ているアーティスト(グループ)、ということもあって、先週から取材してくださる方々の日程調整をしている。そこで意外なほど人気なのがファイズ・アリー・ファイズ。ぼくが煽っているせいもあるのだろうが、それ以上に、久しぶりのカッワーリーに期待する人はやはり多いらしく、ずいぶんたくさんのオファーをいただいている。ヌスラットは何度も日本にやってきたが、彼が生きている間にカッワーリーの魅力のすべてを解明できたわけではない。せっかくファイズのような後継者が登場し、来日までしてくれるのだから、これを機にこの音楽の魅力をもう一度じっくり味わってもらうのも無駄じゃないだろう。そして何よりも、ファイズを通して、ヌスラットの偉業をもう一度思い出してもらいたい。当社がファイズのアルバムだけでなく、ヌスラット本人のアルバム、あるいはその追悼作やスーフィー音楽を集めたアルバムまでを無理して発売したのは、そんな気持ちがあったからだ。来年のヌスラット没後10年には、もっと何かインパクトのあるアルバムを出せたらと思っている。
 いま、ヌスラットの魅力のすべてを解明できたわけではないと書いたが、それは最近になってぼく自身、ヌスラットのすばらしさを改めて感じるようになったからだ。そのキッカケになったのが、<伝統カッワーリー>とぼくらが呼んできた音楽スタイルが、実はヌスラット(とその父と叔父)がクリエイトしたものだったと知ったから。そのことを教えてくれたのは、『ヌスラット・ファテ・アリー・ハーンに捧ぐ』の解説だ。カッワーリーというと、何百年も受け継がれた芸能のように思われがちだが、それがパキスタン全体で親しまれるようになったのは、国家独立の直前のこと。そしてそのときに新しいスタイルを生み出したのが、ヌスラットの父と叔父であり、それを受け継ぎ、さらに発展させたのがヌスラットだったのだそうだ。要するに、ヌスラットの<伝統カッワーリー>は、ヌスラットたちがここ数十年の間にインドの古典音楽などさまざまな音楽の要素を取り入れながらクリエイトしたものであって、それ以前前からあったものではない。そしてそんな新しいカッワーリーをクリエイトしてきたヌスラットだったからこそ、欧米でさまざまな音楽家たちと共演を重ねるなど、さらに新しいカッワーリーを目指したわけだ。要するに、<伝統カッワーリー>と新しいカッワーリーは、別次元のものではなく、つながったひとつの作業だったということだ(このことは当社から出ているヌスラット本人のアルバム解説でも書いたので、詳しくはそちらで読んでいただきたい)。
 今度来日するファイズは、そんなヌスラットを若い頃からずっと尊敬し、常に注視してきたはずだ。だったら、ヌスラットがどのように<伝統カッワーリー>をクリエイトし、さらにそれをどう発展させようとしてきたか、ぼくら以上にしっかり理解しているに違いない。今度ファイズにインタビューする方々には、ぜひそのあたりを詳しく聞いてもらいたいと思う。そうしてこそ、ヌスラットの供養になる。ヌスラットを師と仰ぐファイズも、それを望んでいるに違いない。
 そんなことを言うくらいなら自分でインタビューすればいいじゃないかと思う人もいるかもしれないが、ぼくはあくまで発売元。これ以上インタビューをお願いして、プロモーターさんたちの手をわずらわせるわけにはゆかない。とにかく裏方に徹するのが、ぼくらの仕事だ。そうしてたくさんお客さんが集まって、ファイズがすばらしいライヴを見せてくれて、さらにすばらしいインタビュー記事がたくさん出てくれたら、それに越したことはない。皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。

 

9月20日(水)

 朝5時に起きて解説原稿書きを1本。ちょっと苦しんだが、なんとか午後早い時間に仕上げることができた。午後は明日のリストの準備。それからメールの返事などを書いて、結局仕事が終わったのは夜10時過ぎ。今日も長い一日だった。

 

9月19日(火)

 先週に続いて今週も火曜日をお休みにした。週に一度くらいは休まないと、どうしても体が持たない。特にヒドいのが肩こりだが、こうして一日パソコンに手を触れないだけで、ずいぶん楽になった。

 

9月18日(月)

 今月末に発売されるクロンチョン・アルバムの最終マスタリング。古い音源が多く、状態があまり良くないSPもあったので、ちょっと手間がかかったが、なんとか聞ける形にまとまった。これで30日には確実に店頭に並ぶ。楽しみにしていてください。

 夕方は今週発売の在英アルジェリア人を中心としたグループ、ファンタジーアの解説原稿を校正して入稿。今回は久しぶりにサラーム海上さんに解説をお願いしたのだが、締切日の今日は祭日。社員に校正を頼むわけにはゆかず、自分ですることになった次第。
 そんな原稿で彼が気にしていたのが、表記の問題だ。ぼくが通常書いている表記と違った書き方をしているが、それでもいいのかと心配になったらしい。以前もこの欄で書いたと思うが、ぼくは基本的に他の人が書いた原稿の表記には手を加えない主義だ。自分の表記を勝手に直されたくないと常々言っているぼくが、他人の原稿の表記を勝手に変えてしまったらおかしい。だいたい、社員の原稿ならともかく、他でもご活躍されている方が本人の名のもとに書かれた原稿だ。その表記に責任を持つべきは、ぼくなどではなく、書いた本人。もし間違えていたら、原稿を書かれたご本人が責任を取ればいい。それだけわかっていただければ、当社はどんな表記をされても口出ししません。まあ、当社の場合、あまり妙な表記をする方(ブラジル関係に多い)には、最初から原稿を依頼しませんが。

 

9月17日(日)

 今週はアレコレと細かい用事が重なって、会社関係の雑務仕事がどうしても終わらない。今日も一日、残された雑務仕事に追われてしまった。他にも進めたい仕事は山ほどたまっているのに、まったく手がつけられないもどかしさ。ここのところ毎月一回くらい、こういう状況に陥る。フラストレーションがたまります。

 

9月16日(土)

 朝早く起きて帳簿整理の残りをやっつける。その後、午前中は税理士さんと打ち合わせ。そして午後は自宅に戻って雑務仕事。雑用整理は本来昨日やるべき仕事だったのだが、帳簿に時間がかかりすぎて、今日になってしまった。

 

9月15日(金)

 午前中に来週発売のアルバムのオビ原稿を入稿。午後は事務所でひたすら帳簿整理。他にもやっておきたい仕事はたくさんあったのだが、そこまで手がまわらない。

 帳簿をつけながら取引先各社から送られてきたサンプルCDをチェック。そこで改めて思ったのが、ヨーロッパには個性的なインディ・レーベルが多いことだ。どの会社も規模が小さい。人任せではなく、社長が自ら現場に行って作品を作っている。だから当然、その作品には社長さんの趣味が大きく反映されるのだろう。個性的に感じられるのは、そのせいだ。
 近々、そんな取引先の社長さんたちと、ウォーメックスで久しぶりに会うことになっている。いまさら仕事の話なんて、ほとんどする必要がない。飲み会で終わらせてしまうのももったいないので、ここはひとつ、彼らにインタビューしてみるのも面白いかも。

 

9月14日(木)

 リスト作成日。今週のメインはラシッド・タハの新作に決まった。発売は10月22日の予定。ほぼ世界同時発売だ。おかげさまで前作はご好評いただけたので、今度の作品も期待されている方は多いだろう。店頭に並んだらぜひチェックしてみてください。

 先月末に発売したスダ・ラグナタンのアルバムもご好評いただいているようで、思わぬところで紹介されていた。<サユールイトシロ・エクスプレス>という、無肥料無農薬で野菜を育てられている方のサイトだ。以前から何度か当社のサイトにご注文をいただいており、スダ・ラグナタンのアルバムも発売後すぐにサイトでご購入されたらしい。そしていま仕事しながら聞いてくださっているのだとか。大絶賛の文章、本当にありがたい限りだ。
 音楽雑誌に書かれた立派なCD評もありがたいが、こうして実際に買ってくださった方のお褒めの言葉はそれ以上に励みになる。今回のスダ・ラグナタンのアルバムは、まだ音楽雑誌にCD評が載っていないので、まさに一番乗り。なおさら嬉しかった。
 ちなみに<サユール>とは、インドネシア語で<野菜>のこと。きっとインドネシア音楽もお好きな方なのだろう。農園にはマレイシア人やインド人(タミール系)の人もいるそうで、地方の農園での国際交流なんて、本当にすばらしいと思う。ぼくもこの仕事をやめたら、自然に囲まれたところで暮らしたいと思っているが、すでにそんな理想の道を歩んでいる方がいると思うと羨ましいです。
 サユールイトシロのアドレスは以下の通り。ぜひチェックしてみてください。 
 http://sayur-itoshiro.no-blog.jp/

 

9月13日(水)

 来月の最初の週(10月2日から6日まで)に、会社の業務を休むことに決めた。ぼくらが仕事を休むわけではなく、これまで日常業務に追われてなかなか手をつけられなかった仕事を、この機会にまとめて片付けようと思ったからだ。その中で、まず最初になんとかしなきゃいけないのが、このサイトだ。当社がスタートしてもう9年近く。その間に膨大なカタログを持つようになったが、こうなるとジャンルやアーティスト別に検索できないサイトじゃ役に立たない。せっかくのカタログを無駄にしないためにも、この際だから一気に作り直すことにした。もしもぼくが思うように作り変えられれば、サイトで買い物をしてくださるお客さまに便利なだけでなく、ワールド・ミュージックを研究なさっている方々のためにも貴重な資料になると思う。一気にそこまでできるかどうかはわからないが、どうぞご期待ください。

 というわけで、10月の第1週は、電話での応対ができません。ご不便をおかけすると思いますが、ご了承ください。第2週(10月10日)からは正常営業します。

 

9月12日(火)

 あいにくの雨模様なので洗濯ができない。疲れているので掃除をする気にもならない。そこで今日は自宅のソファに寝転がって、一日中読書をすることに決めた。昨日読みはじめた『アラブが見た十字軍』は、登場人物がたくさん出てくるので、一気に読まないと誰が誰だがわからなくなってしまう。一気に読み通せたのは、休みだったおかげだ。

 

9月11日(月)

 午前中になんとか緊急リストの原稿を書き上げて、午後は打ち合わせを1本。自宅に戻って、残っていた雑務仕事を終わらせた。明日は完全休養日なので、今日はあまり遅くまで仕事をしたくない。夜は食材を買い込んで、自宅でゆっくり過ごすことに。

 あの事件から今日で5年。テレビや新聞ではニューヨークにおける被害者の追悼集会などが大きく取り上げられていた。そんなニュースで登場して、あいかわらずの発言を繰り返しているのがブッシュだ。二つのビルが破壊され、たくさんの人々が亡くなったこの事件で、もっとも得をしたのはビン・ラディンではなく、このブッシュだ。誰もが言うように、もしこの事件がなかったら、この人がその後5年も大統領の職務を続けられることはなかった。しかも彼の強硬手段のおかげで、アル・カイダはもちろん、ヒズボラなども戦闘性を増した。対するイスラエルなんて、とんでもないヒステリックな状況だ。アメリカの歴代大統領には、世界をおかしくしてくれた人がたくさんいたが、これほどまで世界をメチャクチャにしてくれた人はブッシュだけではないか。
 さらに悲しいのは、そんなブッシュの後始末をどうつけていいのか、本人はもちろん、誰にもわからないことだ。たとえアフガニスタンやイラクが滅亡したって、アラブ人たちの憎悪の感情に終わりはない。誰がどう考えたって、アメリカが攻撃を続ければ続けるほど、世界は危うくなる。ここまでくると、アメリカ合衆国が自分で勝手につぶれてくれない限り、決着がつかないのかもしれない。
 そんな9・11関係のニュース番組を見ていたら、しばらく前に『アラブが見た十字軍』という本を買っていたのを思い出した。今晩からそれを読みはじめることに。別にこの本に答えが書かれているわけではないだろうが…。

 

9月10日(日)

 今日も朝からひたすら解説原稿書き。今日もなんとか1本を書き上げる。本当はもう1本くらいは書きたかったのだが、明日の朝に緊急のリスト原稿を書かないといけなくなってしまったので断念。そちらの準備に取り掛かった。忙しいときに限って余計な仕事が舞い込んでくるものだ。

 

9月9日(土)

 予定していたクロンチョン・アルバムのマスタリングを昌くんにまかせて、自宅にこもってひたすら解説原稿書き。TS番号で発売している解説付きシリーズのアルバムのうち、社員が書くことになっていた解説が大幅にたまってしまったので、そのうち5本をぼくが書くことになったからだ。ただ、なかなか思うように進まない。自分で紹介したタイトルなら、紹介した時点ですでに音を聞いているが、そうじゃないタイトルだと、音を聞きはじめるところからスタートするので、どうしても時間がかかってしまう。結局、今日は2本だけ書き上げたところでタイムアウト。この分だと明日も一日原稿書きで終わりそうだ。

 ちなみに今日書いたうち、手間取ってしまったのは『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・マレイシア』の解説原稿。友人のポール・フィッシャーくんが選曲し、解説を書いているのだが、曲順がまったくアット・ランダムで、新たな曲順を考えることにしたからだ。順不同の曲順は<ラフ・ガイド>シリーズの<伝統>かと思っていたが、実はラフ・ガイドだけではない。先月だったか、ライスから発売した『カリブ海の秘境ABCアイランドの音楽』(ライス NWR-326)でも、やはり新しい曲順を提示して解説を書いた。どうもヨーロッパのワールド・ミュージック・ファンは、物事の筋道を立てて考えながら聞くという習慣がないのだろうか。曲順にこだわった選曲の編集盤は、どの国でも非常に少ない。他人が作った編集盤の曲順に口を出すような解説を書くなんて、基本的にはあまりしたくないのだが…。

 

9月8日(金)

 金曜恒例の雑務仕事。月末と月はじめはいつも忙しいので、その後は余計な用事がたんまりたまっている。取引先からのメールの返事を出しただけ、もう午後2時を過ぎてしまった。夕方に事務所に行って、やはりいっぱいたまっている雑用を終わらせようと思ったが、とても全部をやる時間はない。しかも明日と明後日は予定外の解説原稿を執筆することになったので、スケジュールが混乱状態だ。この分だと来週も忙しくなりそうだ。

 

9月7日(木)

 フェスティヴァル・コンダ・ロータが近づいてきた。アラブ〜イスラーム圏の音楽家たちの音楽をナマで聞ける珍しい機会だから、期待されている方も多いことだろう。当社としても、これまで当社がプロモートしてきたトルコのメルジャン・デデを招聘していただけるというありがたい話なので、できるだけご協力させていただいている。パキスタンのファイズ・アリー・ファイズとイランのカイハン・カルホールという、日本ではほとんど知名度がない(売り側としては非常にリスキーな)アーティストのアルバムをわざわざ来日記念盤で発売したのは、招聘元へのお礼のつもりだ。中でもファイズの評判が思った以上に良いので、集客の面でも少しは貢献させていただけるかもしれない。
 実は今回来日する音楽家たちの中でぼくが一番期待しているのもまた、そのファイズ・アリー・ファイズだったりする。メルジャン・デデやグナーワ・ディフュージョンを期待しているファンは多いだろうが、ファイズが最高だと思う人は少ないだろう。でも、ファイズがもしも実力を存分に発揮できる環境を与えられたら(早い話、できるだけ長い時間の出演が可能なら)、メルジャンやグナーワもかなわない。ぼくはそう確信している。それくらい彼のライヴはスゴいからだ。
 ぼくが彼のライヴを見たのは、2年前のウォーメックスでだが、ほとんどの出演者が手抜きのパフォーマンスで終わらせてしまうショウ・ケースにおいて、アンコールにまでこたえて全力投球した歌手を見たのは、ファイズがはじめてだった。しかも後半になって乗ってくると、とんでもない熱唱を楽しませる。エンジンがかかったら、もう止まらない。アンコールなんて、セットを片付ける人たちが横で待っているのを気にもせず、30分近いナンバーを大熱演だ。ぼくはこの日、サバ・ハバス・ムスタファ(元3・ムスタファズ・3)と一緒に見ていたのだが、彼が終演後しみじみと言っていた。<スポンテニアスという言葉があることを久しぶりに思い出したよ>と。ヌスラット・ファテ・アリー・ハーンも絶対に手を抜いたパフォーマンスを見せない人だったが、ファイズもそんな師匠の良いところをしっかり受け継いでいる。ヌスラット以来、久しぶりにカッワーリーの醍醐味を楽しませてくれるに違いない。
 ちなみにファイズがシアター・コクーンに出演するのは、10月2日の初日。東京でのトップ・バッターだ。1回こっきりの公演なので、どうぞお見逃しなく。

 

9月6日(水)

 テレビを見ても夕刊を見ても、男の子が誕生したとそればかり。どこかで一人くらい憎まれ口をたたく奴はいないのかと思うほど<おめでとう>の連発だ。日本に皇室が必要なのかどうかなんて議論は、もうどこかに消え去ってしまったのだろうか。
 そこでふと思ったのが、そんなに世の中に皇室好きが多いのなら、いっそ宮内庁の運営は税金でなく、皇室ファンたちの募金でまかなったらどうかということだ。子供が生まれればお金がかかる。外遊してもお金がかかる。東京のど真ん中のあんなだだっ広い家に住んだら、膨大なお金がかかる。でも、これほど皇室ファンがたくさんいるのなら、お金はいくらでも集められるだろう。皇室がファン・クラブの募金で運営されるのであれば、皇室嫌いの人も少しは気がおさまる。そうすれば、反対意見も封じ込める。一石二鳥だ。今回なんか、テレビ局はどこも視聴率をたんまり稼いだのだから、各社から5000万円くらい、ご祝儀を取ればいい。ファン・クラブの会員にはオフィシャル・グッズを売り出すのもひとつのアイディアだ。いや、いっそのこと、皇室の完全民営化というのはどうだろう。民営化好きの総理が辞めてしまうので、ちょっとタイミングがよくないが。

 総理といえば、今度総理になるとかいう人、昔から大嫌いだったが、最近ますます嫌いになった。ボロさえ出さなければ総理は確実、といういまの状況がそうさせているだろう。靖国には4月に行ったけど公式には言わないとか、村山談話は<(当時の政府の見解としては)その通り>だが踏襲するかどうかは明言しないとか、なんでもハッキリさせないまま先に進めようとする。前任者がよくも悪くも白黒ハッキリさせるのが好きだった人だったから、今度は少し穏やかに、なんて思う人もいるかもしれない。でも、あんな奴にだまされちゃいけないよ。なんでもかんでもウヤムヤのうちに闇の中で進めて行こうという魂胆が丸見えだ。奴がNHKを脅して戦争関係の番組を作り直させた、ということが話題になったことがあったが、あれは本当に番組ディレクターのでっちあげだったのか。奴が総理になる前に、もう一度しっかり調査しなおしたほうが良さそうだ。
 ちなみに、ぼくが自民党で一番期待しているのは河野太郎。石原都知事は<親父よりずっと良い>と言っていたが、ぼくもそう思う。そこでふと思ったのが、麻生とか谷垣の推薦人になっても、彼らはどうせ総理になれないし、それならいっそ、太郎ちゃんの推薦人に鞍替えするというのは、どうだろうか。いわゆる二世三世の議員の中でも、彼ほど気骨と情熱を感じさせる人はいないし、ぼくより若いくらいだから、体力もある。そしてなにより、彼なら総理候補一番手に対して、もっと深い議論を挑むことができるように思うが、どうだろう。だいたい、このままじゃ今回の総裁選、つまらなすぎだ。誰かがもっと頑張ってくれないと。

 

9月5日(火)

 2週間ぶりの休み。久しぶりに目覚ましをかけないで、ゆっくり眠ることができた。でも、午前中にスポーツクラブで汗を流せたくらいで、自宅に戻ってCD整理をはじめたら、たまっているサンプル盤を聞きはじめたり、税理士さんと打ち合わせしたりで、午後はほとんど仕事になってしまった。こんな経営状態では、ゆっくり休もうなんて気分にはなれない。

 ただ、夜は久しぶりにCDをゆっくり聞いた。3ヶ月ほど前に入手したままになっていたニーニャ・デ・ロス・ペイネスのボックス・アルバム(13枚組!)を最初の3枚を、ゆっくり楽しんだ。ニーニャの歌をじっくり聞くのは、自社制作の『カンテ・フラメンコの女王』(ライス SSR-432)を作って以来。でも、久しぶりに聞く彼女の歌声は、やっぱりすばらしい。今日聞いたのは初期録音だが、そこで嬉しかったのはニーニャが古い時代のフラメンコから受け継いだと思われる<ペテネーラス>を、第3集までで4ヴァージョンも聞けたことだ。しかも当社のCDに収録した2ヴァージョンの<ペテネーラス>とはまったく違う録音。他にも、後年はあまり歌わなくかった形式の曲がたくさんあって、初期のニーニャが多彩なレパートリーを持った歌手だったことを改めて確認できた。
 それにしてもニーニャの歌声はぼくに元気を与えてくれる。ここ数日、いろいろあって疲れきっていたが、ニーニャの歌のおかげでもう一度仕事をしてみようという気になってきた。

 

9月4日(月)

 昨日書いた原稿をもう一度見直してから、午前中に入稿。ついでに雑用仕事を少し終わらせて外出。お金が足りなくて遅れていた支払いをすませてから会社に向かった。

 原稿というものは、なにがあっても締め切り前日には書き上げて、一晩ゆっくり寝てからフレッシュな状態で見直して入稿するものだということを教えてくれたのは、中村とうようさん。あれはもう、20年ほど前のことだろうか。その教えは、その後もずっと頭に残っていたが、フリーのライターをやっていた頃は、たくさんの会社からの締め切りに追われ、まったく守れなかった。でも、やっと最近になって、やっとそれができるようになった。自社で使う原稿しか書かなくなったからだが、でも書いている分量を見てみると、ライターだった時代とほとんど変わらない。でも、費やしている時間は確実に半分以下だ(当時と違って、いまは原稿書き以外の仕事もたくさんある)。人間、少しは成長するものなのだろう。

 さあ、明日は2週間ぶりの休みだ。もう体も心も疲れきっている。とにかく、ゆっくり眠りたい。

 

9月3日(日)

 夏休み中に蜂に刺された箇所がまた腫れてきて、昨晩はズキズキ痛んで眠れなかった。足だけじゃなくて、アタマも痛い。これも蜂のせいなのだろうか。一度引いた腫れがもう一度ぶり返すことなんてあるのかと思って調べてみたら、けっこうあるらしく、1ヶ月も腫れが引かないケースだってざらにあると知って、怖くなった。月曜にもう一度病院に行くことにしよう。

 そんなわけで完璧な睡眠不足だが、売り上げが落ち込んでいるいまは、そんなことを言っていられない。多少無理をしてでも仕事は進めないと。今日は来週発売になるエンリッキ・カゼスの初期アルバム2枚の解説原稿を仕上げる日だ。
 エンリッキは今年で芸歴30周年を迎えるのだそうだが、それを記念アルバムとして初期作品を2枚復刻した。もちろんマスタリングをし直したり、ボーナス・トラックを加えたり、いろいろ工夫しての再発売だ。ただし、もう15年も前のアルバム。いまじゃお持ちでない方がほとんどだろう。ショーロ・ファンはぜひ手に取っていただきたい。ぼくが好きになったのは、ウイウイしく演奏が楽しめるファースト・アルバムの方。ショーロのソリストのソロ・アルバムとしては、最高の部類じゃないかと思う。

 

9月2日(土)

 先週やった蒲田さん選曲によるシャンソン・アルバムのマスタリングの続き。朝10時からはじめたので、お昼過ぎにはだいたい片付いた。午後は10月1日に発売になるクロンチョンのアルバムのマスタリング。ただ今日は音源チェックだけをして、残りは昌くんにまかせて帰宅。夕方は、明日書くことになっている解説原稿の下準備。

 クロンチョンのアルバムといえば、5月頃から準備していたのに発売がノビノビになっていた。こんなに遅れたのは、ぼくが書いた解説原稿の分量があまりに多かったからだ。どう切り詰めても35000字にしかならない(最初に書いたときには45000字あった)。でも、従来のケース入りの装丁では20000字くらいが限界。それじゃ新しい装丁を考えるしかないということになり、あれこれ案を練っているうちに、時間がたってしまった。最終的にはなんとか美しいデジパックにまとめることができたが、コストが以前とは比べ物にならないくらいかかってしまい、大幅に値上げせざるを得なくなった。それでも税込み3150円。Jポップの新作アルバムとほぼ同じだ。詳しい原稿と貴重な写真(今回はブックレットにカラーページを入れた)がついて、この価格なら、なんとかお許し願えると思うのだが…。
 ご好評いただいている久しぶりのヌスラットのアルバムだって、まだ100枚ちょっとしか売れていないワールド不況のご時勢で、クロンチョンの古い音源を聞いてくれる人がどれほどいるものかと、心配ではある(実は発売が遅れた最大の原因がそれだ)。自社制作だと、コストをリクープするために普段以上の数を売らないといけないせいで、これまでの復刻シリーズも利益を生み出すまでにいたらなかったアルバムもずいぶんあった。今回のアルバムはそれ以上に厳しいかもしれない。もちろん内容には自信がある。あとは皆さん次第です。お店でごらんになったらぜひチェックしてください。文字通り、社運がかかった仕事です。どうぞお願いします。

 

9月1日(金)

 蒲田耕二さんから『アフリカ音楽の黄金時代〜南部アフリカ篇』(ライス NWR-4006)の翻訳原稿を受け取ったので、朝のうちに校正。蒲田さんと表記について確認を取った後、午後早い時間に入稿した。これまでの2作と同様、今回もすばらしい内容だ。アフリカ音楽ファンの皆さんはどうぞご期待ください。

 忙しい一週間がやっと終わり。午後に税理関係の打ち合わせをやって、すべての仕事が終わってホッとした瞬間、疲れがドッと出た。以前なら、仕事が一段落したときにはどこかに飲みに行くことが多かったのだが、今日はそんな気力も湧いてこない。昨日までは、なんとか1円でも売り上げを伸ばそうと休みも返上して必死に働いてきたが、こうして頑張れるのは気が張っているときだけ。それが抜けてしまうと、どうしょうもなく疲れが出る。もう若くないことを実感するのがこんなときだ。

 ドッと疲れが出たのは、先月に続いて今月も売り上げがまったく延びず、支払いが滞りそうになったせいもある。もちろん、ぼくの給料は今月も来月も出ない(こんなことは日常茶飯事だが)。それでも全然足りなくて、久しぶりに消費者金融なるもののお世話になった。いい年して、こうでもしないと社員の給料を払えないなんて、本当に情けなくなる。最悪の気分。すべてがイヤになってきた。

 

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