10月31日(日)

 ヨーロッパでは今日から冬時間。いきなり時間が1時間遅くなる。それを知らなかったのはぼくだけだったようで、朝食をとるためにホテルのレストランに行ったら、誰もいなかったのにビックリした。
 ウォーメックスは今日が最終日。今日は英BBC主催のワールド・ミュージック・アワードのノミネートの発表があるので覗いてみた。アフリカではティナリウェン、中東ではメルジャン・デデなど、当社がディストリビュートしているアーティストのアルバムが多くノミネート。それについては嬉しかったが、でもアフリカやヨーロッパなどはともかく、アジアやラテン・アメリカはどうもピンとこない人たちばかり。特にアジアはまだまだ情報が伝わっていないことがよくわかった。ライスUKでアジアの音楽をもっとプロモートしてゆかないといけない。

 ノミネートの発表の後、みんなとお別れして、エッセンからICE(ドイツの新幹線)でケルンへ。本当は今日の便でアムステルダムに行きたかったのだが、満席だったため、明日の便になってしまった。でも、ケルンでの1泊はラッキー。エッセンでは時間がなくてレストランを探せなかったが、ここではじめて美味しいドイツ料理にありつけたからだ。
 そんな楽しい食事の後はタクシーで街を散策。エリトリア出身のタクシーの運転手がとても親切で、ちょうど暇だからと、30ユーロで2時間近くも、街のあちこちを案内してくれた。エチオピア音楽を好きになったときにその周辺の歴史を勉強したぼくには、エリトリアはなじみが深いが、彼によるとドイツではエリトリアという国の名前すら知らない人が多いのだとか。それを日本人のぼくが知っているので嬉しくなったらしい。
 ただ、そんな散策も夜8時まで。3日間の疲れが出たのか、早くも強烈な睡魔が襲ってきた。今日はハロウィンの日曜日。きっと夜はあちこちでパーティがあるのだろう。ケルンをナイト・クルージングできないのは残念だけど、今日はもう寝ることにしよう。

 

10月30日(土)

 今日も朝から打ち合わせの連続。予定されていた打ち合わせは午後2時で終わったので、残りの時間で、まだ回っていなかったスタンドを駆け足で全部回ってみた。さすがに最終日ということで、どこのスタンドでも売り込みに気合が入っている。

 中でも一番熱心だったのが、オーストリアのインディ・レーベルが共同して出していたスタンドだ。若い女性がオーストリア特産らしいホット・カクテルをふるまいながら営業していたのだが、話しはじめてみると、彼女の英語はかなり下手。ぼくよりもヒドい。でも、そんな彼女が、知っている限りのヴォキャブラリーを駆使して必死に営業している。その熱心さ、ウイウイしさに、ぼくは感動してしまった。ウォーメックスの常連たちが失いかけている情熱が彼女にはある。ぼくも見習わないといけない。

 同じように下手くそな英語で話しかけてきたのがブラジル北東部の音楽を紹介しているスタンド。その発音から彼がブラジル人であることがすぐにわかったので、ポルトガル語で話しかけたら、すごく嬉しそうな顔をして抱きついてきた。ぼくもブラジル人だと思われたらしい。
 そこで彼が言っていた言葉で印象に残ったのが<O BRASIL E GRANDE, MAS O MUNDO E PEQUENO>という言葉だ。<ブラジルは大きな国だけど、でも世界は小さい>と言っているわけだが、ぼくは彼がそう言いたい気持ちがすごく良くわかった。というのも、これが彼らがウォーメックスに来ている理由だからだ。
 彼らが作っている北東部音楽のアルバムは、リオやサンパウロではなかなかディストリビュートされない。ブラジルは大きな国だから、地方のインディ・レーベルが全国配給をするなんてのは至難の業だ。そんな彼らにしてみれば、リオやサンパウロで売ることを目指すより、世界配給を目指すほうが可能性がある、ということなのだろう。ワールド・ミュージックというのはそんな音楽の受け皿だということを、ここで改めて確認させられた。

 夕方にはそんなスタンド回りも終わって、ダブルムーンの女性営業担当のセレンさんとビールで乾杯。そこにベン・マンデルソンも加わって、来年はトルコに行くぞという話で早くも盛り上がる。ぼくらの仕事はダブルムーンがコーディネイトしてくれることになりそうだ。

 最終日なので、今日はコンサートをしっかり見ることにした。今年のウォーメックスはあまり面白いステージがなかったとみんなが言っていたが、今日はウイウイしいパフォーマンスがひとつ。パキスタンの若いカッワーリー歌手のステージだ。これがかつてのヌスラットを思わせるような、すばらしい熱演ぶり。きっとはじめてのヨーロッパにおける公演だったのだろう。45分間に自分たちが持っているものをすべて出し切ろうという意欲あふれた歌いぶりが美しかった。
 さらに嬉しくなったのは、彼がヌスラット・ファテ・アリ・ハーンを尊敬し、その遺志を継ごうという気持ちがステージに現れていたことだ。なにしろ最後の曲が「マスト・マスト」。ヌスラットを失ったカッワーリーだが、後継者は着実に育っているようだ。

 ホテルに戻ったのは午前2時。今日は本当に疲れた。

 

10月29日(金)

 今日も前半はすでに取り引きをしている会社との打ち合わせがほとんど。そして午後4時を過ぎた頃にはそういったミーティングを終えて、その後は7時まで、あちこちのスタンドを訪れてサンプルを聞かせてもらった。
 ただ、どうも気になったのが、今年はブッキング・エージェントのほうが多く、新しいレーベルはさほど参加していないことだ。スタンド回りの途中でティナリウェンをマネージングしているジャーナリスト、アンディー・モーガンさんに会ったが、彼によるとティナリウェンも、今年と来年はコンサート活動が中心で、次のアルバムは2006年になるという。CDを売るよりも、コンサートの方が稼げるというのが、いまのヨーロッパの状況らしい。そう言われてみれば、ワールド・ミュージックの大物アーティストたちは誰もここのところ新作を出すペースがグッと落ちている。

 スタンド回りと打ち合わせの連続で、夕食を取ったら疲れがドッと出た。明日もあるので、今日は夜のコンサートをパス。早めにホテルに帰って休むことに。

 

10月28日(木)

 さあ、今日からウォーメックスだ。そう気合が入ったせいか、昨晩は時差ボケでなかなか寝付けなかったのに、今朝は5時に起床。朝食前から準備をはじめた。
 ドイツのエッセンでは一昨年もウォーメックスが開かれている。だから、毎年参加している人は場所とかも良く分かっているのだが、ぼくははじめて。勝手がまったくわからない。会場は街からかなり外れたわかりにくい場所にあって、しかもそこに着いたら、まず登録してパスをもらわないといけないのだが、その場所がわからない。結局、バスで知り合ったニジェール在住の女性(ドイツ人)にいろいろ教わって、なんとか登録を済ませることができた。
 この人(名前はサンドラさん)はとても面白い人で、ニジェールで知り合ったバンドをヨーロッパ・デビューさせたくて、協力してくれるレコード会社を探しに来たのだそうだ。現地のスタジオで録音した音源をイギリスのあるレコード会社(実は当社の取り引き先)に送ったら、あまりに録音技術が低くて使い物にならないと言われたとか。それで今度は新たに録音する資金を出してくれる会社を探しているのだという。確かにニジェールの最新音楽なんて、ヨーロッパのどこの会社を探しても聞くことが出来ないし、珍しいことは間違いない。可能性はなくもないので、ぼくも知っている限りのレコード会社を紹介してあげたが、そのうちのひとつでも交渉がうまくいってくれることを祈りたい。ぼくも現地のスタジオで録音した音源をCDRでもらったので、後でゆっくり聞いてみることにしよう。

 今日はお昼の12時から打ち合わせの連続。そのほとんどが以前から取り引きしている会社だ。普段からメールでしょっちゅうやり取りをしているので、別にいまさら打ち合わせすることもないのだが、それでもたまには会ってゆっくり話をしないと、関係がリフレッシュされない。新しい取り引き先を探すことはもちろん大切だが、それ以上にこれまでの取り引き先とより深い交流を目指すことのほうが大切だ。だから、ぼくがまだ疲れていない初日に彼らと会って、じっくり話すことにした。
 その中でも楽しかったのが、トルコのダブルムーンとの打ち合わせだ。ダブルムーンはいまのトルコの最新スタイルの音楽を作り出している会社で、当社とは昨年のウォーメックスで知り合って取り引きをはじめたのだが、相変わらず力の入った作品を連発していて、日本でもご好評いただいている。彼らとはこれまで以上に綿密なリリース計画を立てたいと思っていたので、今日はそれが出来たのが有益だった。
 さらに、もっと有益だったのが、トルコにおけるレコーディング・スタジオやミュージシャンのことをいろいろ教えてくれたこと。実は近いうちにトルコを訪れてレコーディングをしたいと考えていただけに、ダブルムーンがその協力をしてくれるのはありがたい。
 しかも、彼らが古いSPやLPを入手する方法を知っているというから、ますます嬉しくなった。彼らは当社がミュニール・ヌーレッティンやゼキ・ミュレンも発売していることを当社のホームページで知ってビックリしていたが、そういった古い時代のトルコ音楽のオリジナルSPを一緒に探してくれるというから、嬉しい話だ。来年のサンビーニャはトルコ音楽をますますプッシュすることになるかも。

 これ以外にも従来の取り引き先と打ち合わせをしたのだが、ほとんどが社外秘の話ばかりなので、ここでは書けない。ただひとつ、新作『サブ』(ライス WNR-557)を出したばかりのモリ・カンテにインタビューできたことはご報告しておこう。当社のホームページに別ページを作ってインタビュー記事を載せてもらうつもりなので(たぶん11月上旬にアップ)、詳しくはそちらを読んでいただきたいが、モリ・カンテはとにかくすごく親密的な人で、ぼくを気に入ってくれたのか、伝統的なグリーオのディナーをご馳走するからパリの自宅に遊びにおいで、なんて言ってくれたから、嬉しくなった。

 夜9時からコンサートがスタート。今日はスカ・クバーノやポーランドのブラス・バンド、イタリアのピエトラ・モンテコルヴィーノなどを見た。スカ・クバーノはサンティアーゴ・デ・クーバ出身のリード・ヴォーカルが実にすばらしい歌声。ベニー・モレーを意識した感じの歌い方だったが、それがトボけたスカのビートになぜかマッチしていて、けっこう楽しめた。一方のピエトラさんは、輸入盤で聞いたアルバムはまずまずだったので期待したが、どうもステージではあまりにシャウトしてしまうタイプらしい。ちょっと肩透かしという感じだ。
 そんな公演が終わったのが0時半過ぎ。ホテルに戻ったら、もう1時を回っていた。初日なのに、もうヘトヘトです。

 

10月27日(水)

 朝6時過ぎに自宅を出発。成田空港には8時過ぎに到着した。チェックインをすませて、空港内の銀行を探す。本来なら金曜日にやるはずの支払いを、今日しておくことになったからだ。今回は月末の支払日がちょうど旅行中なので、先に予約振込みをしておこうと思ったのだが、結局その手続きをする暇もなかった。飛行機に乗る直前まで会社の仕事をしているなんて…。

 今回はKLMオランダ航空を利用。成田から、まずアムステルダムへ。その間、11時間50分。さらに別の飛行機に乗り換えて、ケルンへ。この間は1時間ちょっと。さらに電車に乗り換えて、1時間15分後にやっとエッセンに到着。もう現地時間の夜7時半だ。それからタクシーをつかまえて、ホテルに着いたら、もう8時を回っていた。
 ちょうどライスUKを一緒にやっているポール・フィッシャーくんと、英Fルーツのイアン・アンダーソン編集長も同じホテルにチェックインしたところだったので、彼らとロビーで少しだけ談笑。彼らはロンドンから車でやってきたようだが、12時間近くかかったとかで、ポールもイアンもかなり疲れた顔をしている。その後、ポールと一緒に遅い夕食。でも、ちょっとワインを飲んだだけなのに、もう眠たくて仕方がない。さすがに長旅で、ぼくもかなり疲れたようだ。

 明日から忙しい3日間が続く。そう思って、今日は10時前に就寝。

 

10月26日(火)

 旅行前にどうしても終わらせておきたかった打ち合わせがひとつ。それを午前中に済ませて、午後2時に帰宅した。ただ昨晩、ほとんど眠れなかったので、帰宅した後に3時間だけ寝ることに。その後、夕方になって事務所に。月末に日本にいられないので、経理仕事を少し片付けることにした。まだ会社に残っていた昌くんと木曜日のリストの打ち合わせをしてから帰宅。

 

10月25日(月)

 朝からひたすら原稿書きと旅行の準備に集中。日記を書く時間もないほど忙しい一日だった。

 

10月24日(日)

 朝からひたすら原稿書きと調べ物。そして旅行の準備。ただ、夜は早めに切り上げて、買ったままで聞けないでいたCDを楽しむことにした。
 その中で、ギリシャを代表するおふたり、マリネッラとヨルゴス・ダラーラスの共演ライヴは、ゆっくりお酒を飲みながら聞くのに最適な大人の音楽。疲れているときに、こういう音楽は本当にありがたい。一昨日とうようさんと話したとき、とうようさんも気に入ったと言っていたが、確かにソファにもたれてじっくり聞いていたら、目頭がジーンとくるような一枚だ。
 しかし、それにしてもダラーラスの最近の仕事ぶりはスゴい。先のヴァムヴァカーリス作品集もライヴ2枚組だったし、まだ持ってないけどツィツィアーニス作品集のライヴ(こちらは3枚組?)も出ているらしい。しかもテーマの大きな作品ばかり。こんなに働いて大丈夫なのかと思うほどだ。きっと彼は、ギリシャ音楽の歴史を全部自分で総括してやろうと考えているのかもしれない。
 デビューしてもう30年以上。ぼくの聞く限り、ダラーラスのアルバムに駄作は一枚もない。これほど長い期間にわたって、音楽家としての意欲を失わないダラーラスって、本当にスゴい。彼の仕事ぶりを見たら、若いぼくらはもっと働かなくちゃと思えてくるほどだ。

 

10月23日(土)

 まだまだ仕事はたまっているが、週に一度は休もうと決めたので、今日はコンピュータに向かわないことにした。来週の週末はウォーメックスでドイツにいるので、当然休みは取れない。もしも今日休まないと、3週間休みなしという、また以前のようなスケジュールに戻ってしまう。そんなわけで、今日は掃除や洗濯をやりながら、リラックスした一日を過ごした。午前中は天気も良かったので、少しだけ外出して、近くの公園をブラブラ。こんな一日もたまにはいいものだ。

 夕方の地震にはビックリ。先の台風といい、ここのところ天災が多い日本だ。

 

10月22日(金)

 自宅作業の一日。原稿を書くための調べ物をしていたら、中村とうようさんが武蔵浦和に来るという電話があってビックリ。当社の仕事でお借りすることになっていたSPをわざわざ持ってきてくださった。お見えになったのがお昼頃だったので、昼食をスリランカ料理屋さんで一緒に食べながら、ひとしきり雑談。思い出してみれば、とうようさんにお会いするのは本当に久しぶりだ。積もる話(というか、いつもとおり、ぼくが怒られる話ばかりなのだが)もあって、2時間近くがアッという間に過ぎてしまった。
 ここでお知らせ。しばらくお休みしていた中村とうよう印の編集盤シリーズは年末か来春早々に再開される予定です。ファンの皆さんは楽しみにしていてください。

 

10月21日(木)

 昨日の雨が朝のうちは残っていたが、午後からは晴れて、台風一過という感じになった。今日はリスト作成日。いつもとおり事務所に行って、インフォやサンプル盤のチェックに追われる一日だ。
 今週のメインは、なんといっても<ライの王様>ハレドの新作。これが久しぶりにすばらしい内容だったので、サンプル盤を聞いたときには嬉しくなってしまった。一言で言うと伝統回帰のアルバムだが、昔のライのスタイルに戻ったのではなく、ずっとそれ以前のアルジェリア音楽をいまに再構築したような意欲作だ。伴奏はもちろんナマ音が中心。ストリングスも妖艶だし、ハレドの歌声も深みを増したような気がする。これはみんなに喜んでもらえそうな1枚だ。
 ちなみに、都内のCDショップにはフランス盤が入ってきているようだが、当社のはDVD付きで、しかも定価2500円! フランス盤よりも圧倒的にお得であることをお伝えしておきましょう。11月7日に緊急発売されるので、慌ててフランスからの平行輸入盤を買わないようにお願いします。

 

10月20日(水)

 また大型台風の到来。今日には上陸したようで、中国地方や近畿地方では水害の被害が出ているらしい。ニュースで床下浸水とか床上浸水とかいう言葉を聞きながら、つい子供の頃のことを思い出してしまった。
 ぼくが生まれたのは東京都江東区のいわゆる0メートル地帯。しかも川沿いに住んでいたので、ちょっと雨が降ると水があふれて、床下浸水くらいはしょっちゅうあった。だから雨が降ると、父親は慌てて仕事場から帰ってきて、大事なものを水に浸らないところに移しはじめる。雨がやんでも、浸水はすぐには止まらない。かえって水位が上がってくるときもある。だから、そんな夜は落ち着いて眠れなかったのをいまもよく覚えている。
 そんな記憶があると、水害というのは他人ごとではない。つくづく気の毒に思う。実はぼくがいま住んでいるマンションの横にも小さな川が流れているのだが、今日は水位がすごくあがって、いまにも溢れそうになった。そのまま水があふれ出ることはなかったが、心配しながら何度も外を見に行きながら、子供の頃の父親の慌てた表情を思い出してしまった。

 相変わらずウォーメックス関係のメールが多い。中でも嬉しかったのはレバノンのミシェル・エレフテリアーデスからのメールだ。彼は当社で配給しているハニーンのアルバムなどを作ったプロデューサー。実は昨年のウォーメックスで会ったときに、彼と一緒にアルバムをプロデュースしようという話もあったのだが、その後はお互いに忙しくて、連絡が途絶えてしまっていた。彼もそのことは気にしていたようで、今度会ったときにはその話をぜひ具体化させようと言ってきてくれた。もちろんこれは大歓迎だ。彼との再会で面白いアイディアが生まれることを期待したい。

 

10月19日(火)

 ここ1週間ほど、イギリスの取り引き先や友人からくるメールでぼくのことを<日本のニック・ゴールド>と呼ぶ人が増えてきた。理由はわかっている。英『fルーツ』誌に掲載されたライスUKの紹介記事で、ぼくのことをそんな風に紹介していたからだ。その記事はけっこうたくさんの人が読んでいるようで、イギリスだけでなく日本でも、北中正和さんのサイトの日記でそんなことが書かれていた。
 ご存知のように、ニック・ゴールドは英ワールド・サーキットの社長さん。ただ、インディ・レーベルをやっている点はぼくと同じでも、あちらはブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブを大ヒットさせた有名人だ。ぼくなんかとは違ってタイヘンなお金持ち。というより、いまのワールド・ミュージックで成功を収めているプロデューサーは、世界でも彼くらいかもしれない。
 そんな人と比べられても困る、というのが、正直なところだが、でもあまり悪い気はしていない。というのも、ニックはいくらお金持ちでも、どこか憎めない人物だからだ。8月にウォーマッドを見に行ったときに彼にあったが、ビジネスマンという感じは全然なく、音楽の話をしていると嬉しそうにしている普通の音楽ファンという感じ。だいたい、キューバ音楽を大々的に売り出そうとか、ブエナ・ビスタの企画でライ・クーダーを使おうなんてアイディアは、業界の金儲け主義のプロデューサなんかじゃ思い浮かばない。そんな夢みたいな企画が売れてしまったのだから、本当に羨ましい限りだ。

 いま日本でワールド関係のアルバムを配給しているインディ・レーベルはいくつかあるけど、自社制作アルバムを定期的に作っているのは当社くらいだと思う。ニック・ゴールドのように成功できるかどうかわからないけど、これが当社の個性であるのは間違いないし、しつこく続けてゆくしかない。ぼくよりずっと後になってプロデュースをはじめたニック・ゴールドがあれほど成功を収めているのだから。

 先のインドネシア録音は11月あたりからミックスをはじめて、来年の1月には出しはじめるつもりだ。さらに年内には山内さんと新しいアルバムの録音をはじめる予定だし、来年3月にはブラジルでも新録の企画がある。それにインドネシアで一緒に仕事をしたベン・マンデルソンとはまた来年の夏あたりにまったく別の場所で共同プロデュースをするつもり。これからもサンビーニャは忙しそうだ。

 

10月18日(月)

 昨日身体を休めたおかげで、今日は気力充実。朝から解説原稿書きに集中することが出来た。長年原稿書きを仕事にしてきたが、この仕事だけはどうしてもひとりにならないと出来ない。電話が鳴っても仕事が止まってしまう。そこで今日は事務所に行かず、丸一日自宅作業。午後に少し打ち合わせに出たくらいで、ほとんど一日パソコンの前で過ごすことになった。これから月末まではこういう日が多くなるかも。それくらい、書かないといけない原稿がたまっているということなのだけど…。

 ウォーメックスが来週に迫ったことで、今日も外国の業者さんからたくさんのメールを受け取った。午後からはそれらの返事を書いたり、それぞれの会社のホームページをチェックしたり…。それらがすべて終わったのは夜の9時だから、もうヘトヘトだ。ウォーメックスでの打ち合わせの予定はもうビッシリの状態。ご存知のようにウォーメックスでは夜にコンサートがあるのだけど、この調子だと昨年と同様、今年もあくまで営業中心。コンサートまで力が残っていそうもない感じだ。
 それでも楽しみなのが、取り引き先の人たちとの一年ぶりの再会。メールではしょっちゅうやり取りしているのに、なかなか会うことができない彼らとまとめて会えるのだから、ウォーメックスはありがたい。会って直接話をすると、新しいアイディアも生まれたりする。昨年のウォーメックスではティナリウェンの話をまとめることができた。さあて、今年はどんな話が飛び出すか、楽しみだ。

 

10月17日(日)

 今日は原稿書きの仕事を進めるつもりでいたが、朝起きたら疲れが残って感じられたので、思い切って休むことにした。以前だったら無理して仕事をしていたところだが、そんな無理ばかりを繰り返して体調をおかしくしてしまったのが最近のこと。それをここでまた繰り返すわけにはゆかない。
 休むと言っても、仕事をしないだけで、他にもやるべきことはたくさんある。掃除や洗濯だってやらないといけないし、食材の買い付けも今日しかできない。机の横にはインドネシアで買ってきたLPがドサッと並んでいるが、それらも整理しないといけないし…。そんなことをしていたら、もう夕方になってしまった。
 夜は久しぶりにSPを引っ張り出して、アレコレと楽しんだ。疲れたときにはSPの温かく優しい音が一番しっくりくるようだ。お酒を飲みながらSPをかけると、手元が狂って盤を傷つける恐れがあるので、普段はやらないのだが、今日はどうしてもリラックスしたくて、少しだけ飲みながらSPを楽しんだ。こんなに楽しく音楽が聞けたのは、本当に久しぶりだ。

 

10月16日(土)

 朝早く起きて事務所で帳簿整理の続き。午前10時には税理士さんがやってくるので、それまでに完成させないといけない。なんとか終わらせて、税理士さんと打ち合わせを済ませ、会社の雑用を終わらせたら、もう午後3時。せっかくのお休みなのに、結局何もできないで終わってしまった。

 今年もウォーメックスが近づいてきた。ぼくも月末はドイツのエッセンにいるつもりだが、先週あたりから打ち合わせを打診するメールがたくさん届くようになった。ウォーメックスでは夜にライヴもやっているのだが、この調子だと今年もライヴどころではなさそう。新しい取り引き先の獲得に精を出すことになるだろう。今回はライスUKの商品を買ってくれるところも探さないといけないから、ますますタイヘンだ。
 そんなメールの返事を書いていたら、もう深夜。明日も仕事の予定だし、これでしばらくゆっくりした一日は過ごせそうもない。

 

10月15日(金)

 帰国してから2週間、体調が悪かったこともあって、経理仕事を何もしていない。旅行中の支払いの整理もしていないくらいだから、困ったものだ。そこで今日は事務所でひたすら経理仕事を。数字ばかりを長く見続けていたら、途中からアタマが痛くなってきた。
 午後はひとつ打ち合わせを済ませて、久しぶりにエル・スールへ。新着ものを中心に10枚ほど購入。帰りは西川口の居酒屋さんに、これまた久しぶりに寄って、ビールを飲みながら、店主が昨日自分で釣ってきたサバのお刺身(しめたのではなくナマ!)を楽しんだ。ひとりで居酒屋さんに行くなんて、思えば帰国してからはじめて。今月は最近では珍しいくらいお酒を飲んでいない。体調が悪かったのはそのせいじゃないか、なんてバカなことを考えたりするは、体調がよくなってきた証拠でしょう。

 

10月14日(木)
 
 久しぶりに飲んだお酒のせいで、朝は少々二日酔い。でも今日はリスト作成日だ。事務所に行って、サンプル盤などをチェックしつつ、リストを作った。同時進行で、月末に発売されるエンリッキ・カゼスのアルバムのブックレットも校了。

 海外の取り引き先の新譜情報は毎週チェックしているのだが、ここのところ一番張り切っているのが英ラスだ。ティナリウェンや『砂漠のフェスティヴァル』あたりからすばらしいアルバムを連発。来月にはレゲエのリントン・クウェシ・ジョンソンまで出すというから、スゴい。そうそう、<ライの王様>ハレドの新作もラスがインタナショナル配給しているのだが、それも当社で日本配給できることになった。来週にライスから発売されるラシッド・タハの新作も英ラスのリリース。配給する当社も頑張らないといけない。ここへきてイアン・アシュブリッジ社長とメールのやり取りをすることがとみに多くなってきた。

 

10月13日(水)

 病院から新しくもらった薬が効いたのか、昨晩くらいから体調が急に回復してきた。今朝は久しぶりに爽快な目覚め。これでやっと本格的に仕事に取り組めそうだ。
 さっそく朝のうちに解説原稿を1本仕上げて、午後からは経理仕事を少し。午後遅い時間に打ち合わせをひとつ済ませて、夕方にはタワー新宿でアフリカ関係の新譜を買い物。夜はタワー渋谷の小樋山さんと新宿の篠原さん、さらにアトンの小島さんも加わって、食事をしながら最近のワールド状況について、情報を交換し合った。
 昨日までは何をしても身体がダルくなったのに、今日は全然大丈夫。一日でこんなに回復するなんて、信じられないくらいだ。そんなこともあって、夜の食事会では久しぶりにアルコールに手を出した。久しぶりに飲むビールや焼酎は、本当に美味しい。

 

10月12日(火)

 朝から病院へ。金曜日の検査の結果を聞きに行くためだ。病院によると、どうも風邪だけでなく、なにか細菌のようなものが身体に入り込んでいたらしい。身体が異常にダルかったのはそのせいのようだ。ただそれも自然治癒されているようで、風邪もほとんど症状がなくなったし、昨日までよりも格段に体調が良い。病院のほうでも、今日一日無理しなければ大丈夫じゃないかと言われた。

 やらないといけない仕事は山ほどたまっている。明日から気を取り直して頑張るぞ。

 

10月11日(月)

 午後から山内雄喜さんのアルバム『ハワイアン・マスターピーセス』(ライス OSR-706)の発売記念イベントをHMV数寄屋橋店で。ぼくはいつも通り、司会を担当。このアルバムでコーラスを担当してくれた石川優美さんと上原まきさんも参加してもらって、賑やかなミニ・ライヴになった。打ち上げでアルコールを飲まないぼくを見て、みんなビックリ。

 

10月10日(日)

 少し体調が戻ってきた。病院でもらった薬が効いてきたようだ。そこでパソコンに向かって仕事をしようとしたのだが、まだまだそこまでは力が入らない。もう一日ゆっくり休むことにした。

 

10月9日(土)

 終日、自宅で休養。台風がやってくるというので、昨日のうちに食料を買い込み、ひたすら自宅でボケッとして過ごした。

 

10月8日(金)

 あまり体調が悪いので、病院で診てもらうことに。ずっと微熱が続いていて、とにかく身体がダルい。風邪を引いているのは間違いないけど、何かあるといけないので、検査をしてもらった。

 

10月7日(木)

 リスト作成日だけど、体調が昨日よりさらに悪い。とても文章を書いていられる状態ではないので、ブラジル新譜は宮川くんにまかせるなど、ぼくの担当分をみんなに手分けしてやってもらった。

 

10月6日(水)

 昨日とはうって変わって好天。まさに秋晴れという感じで、気持ちの良い一日だった。でも、そんな日に限って、終日自宅にこもっての作業。しかもいくら頑張っても原稿が進まないから、ストレスがたまってしまう。まだ身体の芯に旅行の疲れが残っているのだろう。何をしてもすぐにダルくなる。あまりに肩がこるので、夕方には近くの整体マッサージに行って、身体をほぐしてもらった。本当はマッサージなんて好きじゃないのに。

 今日はエンリッキ・カゼスのアルバムの解説を書こうと思って何度も聞いていたのだが、聞けば聞くほど楽しい内容で、我ながら良いものが出来たと嬉しくなった。なかなか原稿を書けないのは、すっかり聞きほれてしまっているからでもある。
 詳しい内容についてはCDをお聞きになっていただきたいが、何よりも嬉しかったのは、今回は若手の音楽家たちと一緒に仕事できたことだ。エンリッキはぼくと同じ年だから、もう45歳。でも伴奏を手伝ってくれた音楽家の主流は20代か30代で、ぼくらはすっかりベテランの部類に入ってしまった。
 思い出してみれば、ぼくとエンリッキが一緒に仕事をはじめた20年ほど前は、ヴェーリャ・グァルダ・ダ・ポルテーラなど、サンバのベテラン音楽家のアルバムばかりを作っていた。彼らこそホンモノであって、その歌声を元気なうちに録音しておかないと、ブラジル音楽の伝統は終わってしまうとでも考えていたのだろう。でも、サンバはともかく、ショーロの方は、いまもしっかりと伝統が受け継がれている。ぼくらが自分たちよりも若い人たちと一緒に仕事するなんて時代がくるなんて、当時は思ってもみなかったが、それがショーロという音楽のもって生まれた逞しさなのだろう。
 ショーロはサンバと違って、歴史こそ長いが、これまで大きな商業的成功を収めたことがない。でも、それだけに、消耗していない。それこそがショーロの逞しさの秘密だ。ちなみにバブルを終わって会社が設立されたサンビーニャも、商業的な大成功がない点はショーロと同じ。だからぼくらもショーロの逞しさを目指さないといけないのだろう。ショーロの歴史はもう150年。サンビーニャがどこまで続くかわからないが、コツコツとやってゆけば、きっといつか良いことがあるさ、というのが、今日の結論でした。

 

10月5日(火)

 昨日に続いて今日も雨。こういう日に限って外で打ち合わせの予定が入っているからイヤになる。朝早くから外出して、帰宅したのは午後3時前。あちこち歩き回ったせいで、足元はビシャビシャに濡れてしまった。もう原稿書きをする体力は残っていないので、サンプルのチェックを少ししただけで、今日も早く寝ることにした。

 

10月4日(月)

 午前中は自宅で調べ物。午後は外国送金のために銀行へ。夕方は打ち合わせを2本ほど。きっとまだ疲れが残っているのだろう、ちょっと外を動くだけで疲れてしまう。夜は9時に就寝。

 

10月3日(日)

 今日も完全休養。でも、2週間ハードなスタジオ作業をしていたせいか、不思議なくらいまったく音楽を聞く気になれない。仕方がないから読書をしながら過ごす。

 

10月2日(土)

 さすがに旅行の疲れがドッと出てきたので、今日は完全休養。掃除や洗濯をしたりしながら、終日自宅で過ごす。やっと部屋の中が片付いたのでホッとした。

 

10月1日(金)

 昨日は夕方に寝たら、真夜中の12時くらいに目が覚めてしまった。そしたら妙に目がさえてしまって、もう眠れない。本を読んだりして、結局寝たのは午前4時。それでも7時には起きだして、たまっていたメールのチェック。2週間分のメールはさすがに多い。それが終わったら、もう10時になってしまった。
 昨日は支払いや出荷で忙しかったので、リスト作成日を今日に変更した。だから、ブラジルなどから送られてきた情報のチェックをしないといけない。ただし、今週はブラジル盤には目玉が少なく、いつもよりページ数の少なめに。でもメインは当社としては最重要作品のひとつ。10月31日発売予定のエンリッキ・カゼスの新作アルバム『ショーロ・アラウンド・ザ・ワールド』(ライス OSR-707)だ。これはもちろんぼく自身のプロデュース。エンリッキはご存知のように、いまのブラジルを代表するショーロのカヴァキーニョ奏者だが、ぼくらが知り合ったのは1985年で、それからもう20年近くも一緒に仕事をしている。ただ、いままでは二人で一緒に裏方をやってきたのに、今回ははじめて本人のアルバムを作ることになった。というのも、これは普通のショーロのアルバムではなく、エンリッキじゃないとできない作品だからだ。タイトルからもわかるように、世界のさまざまな国で生まれた曲目に取り組んだもの。ほとんどが古い時代の作品だが、そういった作品を取り上げ、ショーロとの接点を探るような試みをしながら、ショーロの深い深いルーツの一端に迫ろうという意欲作なんて、誰にでもできるものではない。ブラジルのショーロ音楽家の中で、こんな企画の意味をわかってくれるのは、エンリッキだけ。そこで今回のアルバムとなったわけだ。
 ちなみにこのアルバムは、1991年に同じくぼくとエンリッキとでプロデュースした19〜21ユニバーサル・バンドのアルバム『ブラス・アラウンド・ザ・ワールド』の続編でもある。あのアルバムは中村とうようさんがエグゼクティヴ・プロデューサー。今回もとうようさんが編集されたアルバムに収録された曲をたくさん取り上げている。かなり面白い作品に仕上がっているはずだ。ファンの皆さんは楽しみにしていてください。

11月のサンビーニャ日記 9月のサンビーニャ日記