11月30日(水)

 今日は支払日。経理仕事で一日つぶれてしまう、ぼくが一番嫌いな日だ。お昼過ぎに銀行支払いを済ませて、その後はひたすら数字とのニラメッコ。夕方にはなんとか終わったが、すっかりアタマがしびれてしまった感じ。

 

11月29日(火)

 昨晩書き上げたテレサ・テンの解説原稿を少し手直しして入稿。午後からは都内に出て、仕事関係のミーティングを2本こなした。ミーティングの内容については、いまのところ秘密だが、来年に向けた面白い企画がはじまりそうな予感。ぜひ実現してくれると良いのだが。

 

11月28日(月)

 月末はいつも慌しい。おまけに週末に熱を出したこともあって、体調はいまいち。こんな状態ではやらなければいけない仕事がなかなか進まず、ますますイライラする。

 そんな中で、午後から夜遅くまでかけて、テレサ・テンのライフ音源の復刻アルバムの解説を11枚分書き上げた。共通原稿の部分はすぐに書けたのだが、それぞれのアルバムについては聞きなおしながら書いたので、けっこう時間がかかった。でも、テレサの歌声だから11枚聞きなおす気になったが、普通の歌手だったら途中で投げ出していたかも。それくらい、いつ聞いても彼女の歌声は耳に優しい。今日もすっかり癒されてしまった。
 ちなみに、ライフ・レコードからは、この11枚のほかに、24枚の復刻CDが発売されたのだとか。今日になって、そんな連絡が届いた。来週あたりにはそのサンプルが送られてくるはずだ。いまから聞くのが楽しみ。

 

11月27日(日)

 昨日ゆっくり休んだおかげで、今朝は爽快な目覚め。熱も下がって、すっかり体調が戻ったようだ。

 洗濯や掃除、食料の買出しを済ませて、午後からはザ・バンドのボックスを楽しむことに。木曜に購入したのだが、これくらい見事な装丁の本がついていると、拾い読みという気分にはならず、今日まで封を切らずにいた。幸い、今日は仕事はなし。そこで、時間をかけてじっくり音を聞きながら、本を読むことに。
 音源のほうは、やっぱり興味深いのは初期音源。たいしてうまくもないバンドがさまざまな試行錯誤を重ね、ボブ・ディランとの地下室での作業で大きく成長するあたりまでは、ワクワクして楽しめる。反対に、ザ・バンドとしてデビューしてからの音源では、オッと思うような未発表曲はあまりなかった。これは、すでにたくさん音源を聞いてしまっているのだから仕方ないのだろう。いつも思うのだが、歴史ものアルバムは、その楽団が完成するまでの時代がポイント。それ以後は、オリジナル・アルバムを聞いている人には、どうしてもダレてしまう。

 病み上がりということもあるので、夜はお粥など消化のよいものを食べて、早めに就寝。さあ、明日からはまた仕事を頑張らないと。

 

11月26日(土)

 終日、自宅で休養。新聞も読まず、テレビも見ず、とにかく身体を休めることに専念する。

 

11月25日(金)

 昨晩の寒気は、風邪の前兆だったのだろうか。朝から熱が出て、メチャクチャ体調が悪い。いちおう午後早い時間までは、メールの返信や細かい仕事をやったのだが、この体調では本格的な仕事までは手をつけられそうもない。仕方ないから、夕方からは自宅で横になって休むことにした。

 今晩はエル・スールで忘年会があったのだが、こんな体調ではとてもお酒は飲めない。残念だけど欠席させていただくことにした。しばらく顔を合わせていなかった友人たちに会えるのを楽しみにしていたのだが。

 

11月24日(木)

 今日はリスト作成日。今週のメインはベリーズのストーントゥリー・レーベルから出たリロイ・ヤングのダブ・ポエット・アルバムに決定した。
 以前も日記に書いたが、ストーントゥリーのイヴァン・ドゥラン社長とは、ウォーメックスですっかり仲良しになったこともあり、今後もより深いお付き合いをさせていただくことにした。実はいま、彼が制作している意欲作アルバムは、来年の当社の目玉商品になる予定だが、その前にまずこのアルバムを、と思ってリリースすることにしたのが、リロイ・ヤングのアルバムだ。
 もちろんダブ・ポエットと言っても、普通にレゲエでやっているわけではない。バックは完全にガリフーナ音楽という、独自のダブ・ポエット作品だ。こんな異色作を作ってしまったところが、イヴァンさんならではだ。ベリーズはポピュラー音楽の宝庫であるカリブ海沿岸に位置しながら、国が誕生してからの歴史が浅いこともあって、まだ確固たる独自の音楽は生み出せていない。でも、その分だけ、独自の音楽を生み出そうという意欲に溢れている。イヴァンさんが、まさにそんな感じの人だ。ガリフーナ音楽なんて、古い音楽を引っ張り出してきたのも、そんな気持ちからなのだろう。ぼくはそんな彼の音楽に対するガムシャラな一生懸命ぶりを、羨ましく思ったりしている。こういう人は、独自の音楽が成熟してしまった国には、もう存在しない。

 午後からは外出。最近は旅行が続いたせいで、経理仕事が遅れてしまっているが、今日はその修正のために、税理士さんとシリアスな打ち合わせをすることにした。それが終わったら、もう夕方。せっかく東京に出たついでに、買い物を少しして帰ったら、9時過ぎになってしまった。疲れたせいか、ちょっと寒気がする。こういう日は無理をしないで、早く休むしかない。

 

11月23日(水)

 勤労感謝の日だが、こうも仕事がたまっていると休むわけにはゆかない。昨日でやっと雑務仕事が終わったので、今日からひたすら原稿書き。遅れていた解説原稿に取り組んだ。原稿書きというのは、毎日やっているとどうってことない仕事だが、少しでも休むとペースがおかしくなってしまう。20年もやっているのに、いまでもそんな調子だから、不思議なものだ。今日は久しぶりの原稿書きだったので、なかなか思ったように進まない。でも、もどかしいとか、言っていられない。とにかく頑張って書く。それだけだ。

 

11月22日(火)

 今日も朝から雑務仕事。パソコンを使ってやる仕事は午前中に終らせて、午後からは一番面倒な役所関係の用件を片付けた。これでやっと雑務仕事のほとんどが終了する。明日からはやっと本格的な仕事を取り組むことができる。
 
 そこで夕方からは、久しぶりに松戸へ。先週、父親の命日だったのに墓参りが出来なかったので、その埋め合わせに今日お参りさせてもらうことにした。その後は、母親の家に行って、こちらでも仏壇にお線香を上げさせてもらうことに。父が亡くなって、もう丸3年(4周忌)になるが、本当にアッという間だ。思い返してみると、ヤクザとの裁判とか、いろいろあった3年間だったが、それらも無事解決してしまうと、その間の苦労は忘れてしまう。父もいまでは安心してくれていることだろう。

 

11月21日(月)

 旅行が続いたせいで、雑務仕事はたっぷりたまっている。そこで今日と明日の2日間で、そういった仕事をできるだけ片付けることにした。本当は書かないといけない原稿も何本かあるのだが、雑用仕事がたくさんたまっているときには、ぼくはどうしても原稿書きに集中できない。これは昔からだ。なので、とにかくたまっている書類の山を、ひとつひとつ片付けてゆく作業に専念。なんとか事務関係の雑用仕事の7割くらいは終らせることができた。

 

11月20日(日)

 今日もお休み。掃除などはいちおう済んでいるので、余計なことを考えず、ゆっくり身体を休めることにした。
 午前中はノンビリ読書。そして午後からは東京国際マラソンをテレビで観戦した。高橋尚子のすばらしい復活ぶり、ぼくもゆっくり楽しませてもらいました。やっぱりQちゃんはモノが違うなと思ったのは、上り坂の手前でのスパートを見たとき。あの場所で、あのタイミングで飛び出すなんて、一緒に走っていた誰もが思わなかったに違いない。長距離をやっていた人が見たら、みんなドッキリだったはずだ。でも、そんな独創的なタイミング感覚を持っているのが、Qちゃんの強みだ。思えばシドニー・オリンピックでのスパートも、まったく意外な場所で、誰もがビックリのタイミングだった。
 なんて、Qちゃんの復活を喜んだら、俺も久しぶりに走ろうという気分になってしまった。最近は旅行が続いたので、ほとんど汗をかいていない。そこで今日はスポーツクラブに行くことに。30分走ってたっぷり汗をかいて、サウナでも汗を流した。当然、その後のビールはすごく美味しい。こんな美味しくビールを飲めたのは、本当に久しぶりだ。

 

11月19日(土)

 ヨーロッパから帰ってきて、たまっていた仕事がやっと片付いたと思ったら、続いてインドネシアに旅行。おかげでここのところ、ゆっくり身体を休める時間がなかった。そこで、今日と明日は仕事をしないことを決意。パソコンも開けず、とにかくゆっくりさせてもらうことにした。と言っても、本当に何もしなかったわけではない。掃除をしたり、洗濯をしたり、食材を買い出したり、けっこう忙しい。でも、一日時間が取れたので、散らかっていた部屋が少しは片付いた。これで少しはスッキリした気分で仕事に取り組めそうだ。

 

11月18日(金)

 午前中は書きもの仕事を少し。午後からは打ち合わせのために外出。結局、3本のミーティングをこなした。そして帰宅は夜10時過ぎ。

 先月、リスボンで友人に頼んで送ってもらった荷物が、やっと今週になって届いた。ずいぶん遅くなってしまったが、これでリスボンで買ったCDとレコード、本などを楽しむことができる。今日はさっそく本のページをめくりながら、CDを少しチェックすることにした。
 今回は古い時代の女性歌手を中心に買ってきたのだが、持っていなかったマリア・テレーザ・デ・ノローニャのCDを3枚も見つけるなど(これで計9枚!)、まずますの収穫。反対に、LPは10枚ちょっとで少なめ。SPはたったの1枚で、これも少ない。やっぱり一番の収穫は、本をたくさん買えたことで、これについてはかなりの収穫だ。今日はその中で、ルイ・ヴィエイラ・ネリ(有名なポルトガル・ギター奏者ラウール・ネリの息子さん)が書いたファドの歴史物語といった趣の本を読みながら、ノローニャを楽しむことにした。ちなみに、いま箱を見直してみたら、ノローニャはなんとビデオも入手している。PALのヴィデオなんて、いまどき変換機を持っている人は少ないだろうけど、早く見てみたい気分だ。ネリさんの本では、ノローニャとアマリア・ロドリゲスが同じ項目で比較して書かれているが、ノローニャがアマリアと比較できる唯一の歌手だったというのは、どうも本当のようだ。

 

11月17日(木)

 今日はリスト原稿の作成日。まだ旅行の疲れは取れていないが、休んでいる場合ではない。とにかく仕事を進めないと。

 今週はダブルムーンの新作やトラーマの新作DVDなど、面白そうな作品が揃ったが、それ以上にぼくの目に止まったのが、ブラジルの女性歌手アパレシーダの録音がはじめてCDで発売されるというニュースだった。
 アパレシーダと言えば、エスコーラ・ジ・サンバの世界では、イヴォーニ・ララに続いて女性としては2番目の女性サンバ・エンレード作家として知られている。もちろんサンバ・エンレードを書いた女性は他にもいたのだろうが、それがカーニヴァルの行進に取り上げられるには、エスコーラ内のコンテストを通過しないといけない。アパレシーダは1968年のカーニヴァルに向けたカプリショーゾス・ジ・ピラーレスのコンテストで優勝。そのエンレードが取り上げられた。
 さらに73年にレコード・デビュー。CIDに3枚、RCA(現在のBMG)に2枚のアルバムを残した。これと『ローダ・ジ・サンバ』という企画ものアルバム2枚に参加したのが、彼女が残した録音のすべてだ。ぼくが彼女の音楽を知ったのは、そのCID時代のアルバム。たぶん3枚めが出た頃だったと思うが、最初に聞いたときには、普通のサンバとは大きく違うアフリカ色の強い音楽性に驚かされたのを覚えている。なんでもアパレシーダは、リオではなく、ミナス州のカシャンブーという町の生まれ。小さい頃からこの土地に伝わる黒人系の音楽を吸収して、それを自分の音楽に取り入れたらしい。そんなアフロ色強い独自の方向性は、RCA時代になるとさらに深まって、当時は日本でも話題になった。
 そんなアパレシーダのCID時代のベスト編集盤がやっと発売されることになったのだから、ファンとしては嬉しい話だ。CID録音は、RCA盤ほどの完成度はないけど、そのユニークな魅力はすでに十分楽しめる。面白いのは、そんな独自のアフロ・サンバなのに、伴奏しているのは、当時普通のサンバのアルバムでも伴奏していたセッション・ミュージシャンたちだったことだ。ジョルジ・ベンの名作『アフリカ・ブラジル』も、同じようなサンバのセッション・ミュージシャンたちが伴奏していると知ったときには驚かされたが、要するに、当時のサンバ音楽家たちはものすごく多彩な音楽性を持っていて、どんな音楽にも対応できたということだ。特にルナやマルサール、エリゼーウ、ドトール、ジェラルド・ボンゴ…といった打楽器奏者。彼らは本当に偉大だった。

 そんなアパレシーダのインフォを読んでいてはじめて知ったのが、彼女が1985年に亡くなっていたということ。実はその85年に、ぼくは偶然リオで彼女に会っているのだが、まさかその直後に亡くなっていたなんて、まったく知らなかった。もう今年で没後20年にもなるのか…。

 

11月16日(水)

 昨日は夜行便で帰国。当初は飛行機の中でゆっくり寝て、帰国したらすぐ仕事、なんて考えていたのだが、疲れてしまって、とてもそれどころではなかった。そこで昨晩は早く寝たのに、今日起きたのはやっと7時半。まだ疲れが取れていない。若い頃ならこんなことはなかったのに…。最近はこんなこと、しょっちゅう書いている気がするが…。

 ただ、いくら疲れていても、仕事は休めない。まずはたっぷりたまったメールの返事。その後、ジャカルタから送れずにたまっていた日記をアップして、さらにジャカルタで書いていたジェニー・ロバートソンの解説原稿を仕上げることにした。いきなり忙しい一日だ。

 イギリスの伝統音楽の解説を書くなんて、もちろん生まれてはじめて。この分野の原稿を書く日がやってくるとすら思ったことがなかった。さすがに専門分野じゃない原稿は時間がかかる。でも同時に、とても勉強になる。これまで買っただけで読んでいなかった本もあれこれ読んだし、棚にしまっていただけのCDもたくさん聞いた。本当なら専門家の方に原稿を頼んでしまったほうが、気が楽だし、より詳しい原稿をもらえるのだろう。それでも自分で書こうと思うのは、こういう機会でもないと自分で勉強することはないと思うからだ。
 もちろん、ぼくが書く原稿は、専門家の方が書くような立派な内容にはならない。自分に引き寄せた、かなり独断的な文章だ。でも、専門家の方が書いたものより、素人が書いているだけ、わかりやすくなっているように思う。専門分野とはほど遠い分野の解説原稿といえば、先にM・S・スブラクシュミの解説を書いたが、あのときもかなり苦労した。ぼくが苦労すると、内容はますます自分に引き寄せたものになる。専門家の方が書くのとは、ますます違ってくる。ぼくは一生懸命書いているつもりだが、世間ではそういう原稿をどう思われているのだろうか。

 今日はその解説原稿を仕上げるだけで精一杯。午後は自宅でゆっくりさせてもらうことにした。そして夜はサッカーの日本代表の試合。一昨日が父の命日だったこともあって、今日は父の霊前にワインを用意して、一緒に観戦した。食事は久しぶりにカンジャだ。インドネシアでヘヴィーな料理ばかりを食べてきた後は、こういうあっさりした料理が嬉しい。
 ブラジルに旅行したことのある人なら、一度くらいはカンジャを食べたことがあると思う。通常、メニューにはスープの一種として扱われている。ご飯を少し入れた、ブラジル風のオジヤだ。鶏肉をオリーブ・オイルでいためて、たまねぎやジャガイモやトマトなどを入れてスープを作り、そこにご飯を入れて出来上がりという、とっても簡単な料理。飲みすぎて胃が疲れたときに食べるには、すばらしく適している。
 その簡単さから、音楽家同士では<カンジャしてくれ>といったスラングも存在する。ライヴなどでの特別参加の意味だ。もちろんギャラなし。簡単にやってくれ、という感じなのだろう。思い出してみれば、ぼくはレコーディングでもずいぶん<カンジャ>をお願いした。ベッチ・カルヴァーリョやゼカ・パゴジーニョなど、ぼくのブラジルでのレコーディングに参加してくれた有名歌手たちは、みんな<カンジャ>。ノー・ギャラでの出演だった。だから、カンジャを食べると、カンジャしていただいた歌手たちの顔が目に浮かぶ。
 あのときは、タダでやってもらったけど、借りを作ったままでよいわけはない。いつかカンジャのお返しをしなきゃと、いつも思っている。当社で発売しているブラジル音楽の復刻盤は、ぼくとしてはそんなブラジル音楽に対する恩返しのつもりだ。これからも<カンジャ>のお返しは、しばらく続くことになるだろう。

 

11月15日(火)

 朝9時に成田に到着。いつも通り、大きなトランクを宅急便で送ってから帰宅。

 今回は比較的ゆっくりしたスケジュールの旅だったはずだが、それでもすごく疲れている。途中で買い物を少し済ませて帰宅したら、もう眠たくなってきた。夕方に宅急便が届くのを待って、洗濯だけを済ませて、早めに就寝。

 

11月14日(月)

 今朝も早起き。午前中はパソコンに向かって、原稿書きの仕事を続けた。でも、不思議と苦にならないのは、バリ島ならともかく、排気ガスがヒドいジャカルタにいると、必要以上はあまり外に出ようという気にならないからだろう。午後からスラバヤ通りのアンティーク街で古いレコードを探してみようとも考えたが、突然雨が降り出したのと、前回行ったときにほとんど収穫がなかったことを思い出したこともあって、中止。昼食の後にホテルのプールで少しだけ読書した以外は、部屋にこもってひたすらCDを聞き、原稿書きに集中した。

 今日の便は23時55分出発。だからまだまだ時間はたっぷりある。そこで夕方は、一昨日に久しぶりに会ったスンダリ・スコチョと一緒にご飯を食べることにした。と言っても、インドネシアで女性を食事に誘ったとき、ほとんどの場合は一人ではやって来ない。今日はお姉さんと妹さんが同行。なんでも、3人で最近、会社を作ったのだそうだ。以前会ったときにはいつも旦那さんが一緒だったが、どうも最近別れてしまったらしい。
 スンダリ・スコチョは、まだ子供の頃にデビュー。当時はオルケス・ビンタン・ジャカルタのリーダーだったブディマン・BJに教わったクロンチョンを主に歌っていたが、同時にファンキーなコミック・ソングも含むポップ・ジャワのアルバムなんかも出していた。実はブディマン自身も、伝統的なクロンチョン音楽家でありながら、ポップ・ソングも書いていて、当時のクロンチョン音楽家というのは、誰も幅広い活動をするものだったようだ。
 でも最近スンダリは、クロンチョンしか歌っていない。彼女自身、クロンチョン専門という意識が強くあるようで、他のジャンルはもう歌いたくない様子だった。
 そんな彼女の意思は、名前にも表れている。子供の頃のカセットではSundari Sukocoとクレディットされていたが、いまではSundari Soekotjoと、古いスペリングで書かれている場合が多いようだ。これはレコード会社の意向ではなく、どうも彼女自身が自分の名前をそう書いているらしい。こんな名前の綴りを見ただけでも、スンダリはここですっかり伝統派になってしまったことがわかる。
 ぼくは、そんなスンダリの変化に、インドネシア音楽のいまの状況を見てしまう。演歌と歌謡曲の境目がなかった時代の日本の音楽が面白かったように、なんでも来いといろんな音楽に挑戦していた時代のインドネシア音楽がすばらしかった。いまではすっかりジャンル分けが進んで、歌手たちは自分の専門分野に埋もれるしかなくなっている。Soekotjoというスペリングはたぶん同様に古いスペリングをずっと使っているWaldjinahの影響なのだろうが、ワルジーナさんの場合は、デビューしたときのスペリングがそのまま残っただけで、古い音楽をやっているというイメージ作りのために古いスペリングにしているわけではない。スンダリの場合は、クロンチョン専門歌手というイメージを深める以外、音楽で生きてゆく道がないと考えているのかもしれない。
 もちろんぼくはクロンチョンが好きだし、スンダリがクロンチョンを歌ってくれることは有難いと思う。でも、クロンチョンのダイナミックな過去の歴史を知っている身としては(詳しくは拙著『インドネシア音楽の本』北沢図書出版)、彼女がクロンチョンに固まってしまうことがクロンチョンの伝統継承に繋がらないことが見えてしまう。
 スンダリは、今年で40歳。10代から歌っているのでベテランのようだが、まだまだ年齢的には若い。なんとか新しい時代のクロンチョンを作って欲しいものだが…。

 そんなスンダリたちとの夕食の後、タクシーに飛び乗って空港へ。ガルーダの夜行便で成田に向かう。デンパサールからジャカルタ経由で成田に向かう便だが、今日も予想通りガラガラだ。真ん中の4席をせしめて、ゆっくり横になって寝ることができた。

 

11月13日(日)

 今日もサリフ・ケイタの新作を聞きながらお目覚め。昨日も朝に聞いたのだが、ハワイアンみたいにはじまる冒頭の曲が気持ちよくて、すっかり朝の一枚になってしまった。

 そんな爽快な目覚めの後は、食事をして、午前中は原稿書き。どこに行くときでもパソコンは持参するので、いちおうは仕事ができる。ただ、原稿書きの仕事の場合、ある程度は進められても、文献やレコードが揃っていない場所では確認作業がまったくできない。今日もそんな感じだ。帰国してからの仕事を少し進めただけ、という感じで終わってしまった。

 今回のジャカルタ訪問の目的は昨日でいちおう終わったのだが、せっかくジャカルタまで来たので、来年の仕事のためのミーティングを少しすることにした。せっかくの日曜日なのに申し訳ないとは思ったが、午後からグマ・ナダ・プルティウィの事務所を訪ねて、ヘンダルミン社長と食事をしながら打ち合わせだ。
 実は来年、グマ・ナダ・プルティウィと共同でレコーディングの仕事をしようという予定があるのだが、そのためにまずしておかないといけなかったのが、制作費の相談だった。お金の話というのは、どうもメールではやりにくい。逆に、ジャカルタを訪れてこうして話をすると、すぐにまとまってしまう。まして今回ぼくは、息子さんの結婚式だけのためのジャカルタを訪問している。ヘンダルミンさんもぼくの提案を拒否しにくい状況だ。恩を売っているみたいで申し訳なかったが、話はぼくの提案通りにまとまってしまった。まあ、10年以上も一緒に仕事しているので、どれくらいの金額が着地点かは、話し合う前からお互いにわかっていたということもあるのだが。

 そんなわけで、いちおう予定された仕事も終わり、夜は久しぶりにリラックス・タイム。ジャカルタに来たときにはよく行くホテルのバーで、少しだけビールを飲んだ。普段は強いお酒も飲むぼくだが、ジャカルタではなぜかビール以上強いお酒を飲もうという気にはならない。周りがムスリムばかりだからだろうか。いずれにしても、ここにいるとぼくはリラックスできる。9時頃にホテルに戻ったら、すぐに寝ることができた。

 

11月12日(土)

 今回のジャカルタ滞在は、レコーディングやリサーチではなく、なんと結婚式に出席するのが目的だった。取り引き先のグマ・ナダ・プルティウィのヘンダルミン社長の長男ジャカウィナタくんがめでたく結婚することになり、ぜひ出席してくれとお願いされたからだ。ヘンダルミンさんには3人のお子さんがいて、長女と次女の結婚式には、偶然ジャカルタ滞在中だったこともあって、出席した。そのことを長男のジャカウィナタくんも覚えていて、だから彼の結婚式だけ出席しないわけにゆかなくなってしまったのだ。ヘンダルミンさんとの付き合いは、ワルジーナさんとの最初のアルバムをプロデュースして以来だから、もう13年になる。当社の取り引き先の中で、ブラジルのムジカゼス(20年!)についで古い。長男の結婚式に出るくらいの付き合いは仕方がない。

 ただ、結婚式と言っても、普通のそれとは違う。グマ・ナダ・プルティウィの次期社長になると思われる長男の結婚式だから、まるで後継者のお披露目パーティだ。グマ・ナダ・プルティウィの専属歌手たちが勢ぞろい。次々とパフォーマンスを楽しませてくれる、完全なコンサート形式。サンバスンダももちろんフル・メンバーで出演。クロンチョンのセットもあって、トト・サルモン、スンダリ・スコチョらが優雅な歌声を楽しませてくれる。しかも、エラい招待者のスピーチなんて皆無。こんな結婚式なら、音楽ファンなら退屈しないで過ごすことができる。

 そんな中でさらに有意義だったのは、サンバスンダのイスメットくんやジュガラ・スタジオのチェピーくんなどと会うことができたことだ。イスメットくんはぼくがわざわざ日本からやってきたことにすごく驚いていた。なんでもサンバスンダは来年ワールド・ツアーを計画しているらしく、その演奏ぶりを見ても、いまはノリにノッている感じだ。
 またチェピーくんは、パーカショニストのエガくんと一緒に昼間ホテルを訪ねてくれたのだが、そこで新しい録音があるから聞いてくれとCDRを持参してくれた。さっそく聞かせてもらったら、これがまるで、ベン・マンデルソン兄貴とぼくがプロデュースした『ジャイポン・マジック』の続編みたいな内容。あのアルバム以上にシャープなパーカッション・サウンドを楽しませてくれるので、嬉しくなってしまった。いまの段階ではまだ完成にはいたっておらず、来年早々にでもぼくがバンドゥンに行って、一緒に仕上げることを約束。ただ、『ジャイポン・マジック』の頃はぼくらのアイディアを具現化するための寄せ集めセッション・バンドだった彼らが、いまでは完全に独自のサウンドを持つグループに進化してくれているのが、嬉しい。まさに、ウソから出たマコトだ。これもきっとサンバスンダの成功が刺激になっているのだろう。

 もうひとつ嬉しかったのが、久しぶりに女性歌手スンダリ・スコチョと会えたことだ。実はもう10年ほど前、ある会社とスンダリのクロンチョン・アルバムを作ろうという話になっていたのだが、その会社の事情でボツになってしまったことがあった。スンダリはその後、グマ・ナダ・プルティウィと契約。アルバムを2枚発表することができたので、まあ結果的には良かったのだが、ぼくとしてはあのときのことをちゃんと謝らないといけないとずっと気になっていた。スンダリは、もう40くらいのはずだが、はじめて聞いた時代の少女時代の面影を残していて、いまも可愛らしい。お子さんも大きくなって、やっと歌手活動に力を入れられるようになったのだそうだ。歌声も相変わらずすばらしいものだった。

 パーティが終わったのは午後10時半。ステージではまだ写真撮影が行われている。ヘンダルミンさんもジャカウィナタくんも、すごく嬉しそうだ。ぼくのほうは、いろいろな人と会って話しているうちにすっかり疲れてしまったので、ここで退散させていただくことに。今日はサタディ・ナイト。若者たちで溢れているジャカルタの中心街を後にして、ホテルに戻った。

 

11月11日(金)

 朝早く起きて、旅行のための荷造り。朝食も取らずに空港に向かう。今日はジャカルタに向かうのだが、ガルーダの直行便は毎日出ていないとかで、なんとデンパサール経由。午前11時出発だが、デンパサールで2時間以上待つとかで、ジャカルタ到着は午後9時近くになるようだ。ジャカルタとは2時間の時差があるから、ちょうど12時間の旅となる。その前に成田空港に行くのに2時間以上かかるから、合計で14時間以上…。

 今年はリオ・デ・ジャネイロとリスボンで2度も荷物が出てこなかったので、今回のデンパサール経由も危険だと判断。手荷物のトランクひとつにまとめて空港に向かった。しかし、ガルーダ航空の空港チェック・イン・カウンターは、特に手荷物の重量や大きさにうるさい。あれはもう10年ほど前だろうか。ワルジーナの来日公演のときに、手荷物で持ち込んだ(ジャカルタでは無事にOKだった)マントースのチェロが、成田では手荷物では持ち込めないと言われて、タイヘンなことになったことがあった。そのときの担当官とは喧嘩になって、2度とガルーダなんか使うものかと捨て台詞を残したことをいまも覚えている。
 そんなイヤなことを思い出しながら空港のチェック・イン・カウンターに着くと、驚いたことになんとその担当官が、いまも同じところで働いているではないか。10年近くたっているのに、向こうもこっちを覚えているようで、驚いた顔をしてこちらを見ている。そして案の定、そいつはぼくのところの寄ってきて、ぼくの手荷物の重量を量り、ストップをかけた。手荷物は7キロまでとの決まりらしいが、ぼくのトランクは14キロある。7キロもオーヴァーだから持ち込めないという。
 ただ、どうもガルーダ航空の状況が、前回と今回とでは違っていたようだ。例のバリ島でのテロ以来、デンパサール行きはいつもガラガラ。これ以上お客さんを減らしたくないという状況なのかもしれない。それと、たぶん別の誰かがぼくの名前から、過去のガルーダ航空を使用した回数でも調べたのだろう。しばらく担当官同士でアレコレ話し合った後、そいつがまたぼくのところにやってきて、(すごく悔しそうな表情で)今回は特別にOKですと言ってくれた。

 そんなわけで、なんとか無事出発。デンパサール空港でたっぷり待たされた末に、やっと夜9時近くにジャカルタに到着した。まだイドゥル・フィトリ(イスラム正月)の看板があちこちに見えるジャカルタは、車の数はいつもより格段に少ない。ヒドいときは2時間もかかるホテルまでの道のりを、たった25分で着いてしまった。

 思ったより早くホテルに着いたので、近くのワルン(ワではなくルにアクセントがあるので、ワルーンと書くべきかも。屋台のこと)でプチュ・レレというナマズみたいな魚を食べることにした。ぼくはこれがけっこう好きで、インドネシアに来るたびに一度は食べる。ただ、ワルンというのはけっして清潔な場所ではない。一度日本の人と一緒に食べに来て、翌日彼が腹痛を起こした(ぼくは大丈夫だった)ことがあって以来、日本人は連れてこないことにした。たぶん、こんなものを食べて喜んでいるのは、ぼくくらいだろう。御代は6000ルピア。日本円にすると70円くらいだろうか。それでこんな美味しいものを食べられるのだから、インドネシアはやっぱり良い国だ。

 

11月10日(木)

 旅行の前日はいつも慌しい。旅行そのものには慣れているので、準備には時間がかからない。カバンにつめる作業なんて、いつも当日だ。そんなことより、旅行の前に仕事を一区切りつけようと思うから、いつも焦ってしまう。今回はウォーメックスの直後ということもあって、せめてウォーメックスの残務仕事だけは終らせてから旅に出ようと思い、今日も朝からサンプルをチェック。メールを送信に時間を費やした。これだけで一日が終わってしまった感じだ。

 そんな自宅作業で息抜きになったのが、昨日買ってきたサリフ・ケイタの新作。サリフのアルバムを聞いて息抜きなんて、これまでの彼の作品ではありえなかったが(当社が配給している名作『ソロ』なんて、正座して聞きたくなるようなシリアスな内容だ)、今回の『ムベンバ』はあまり重苦しくないので、リラックスして聞ける。1回聞いたくらいで名作かどうかはわからないが、少なくとも数多く聞けそうなアルバムであることは間違いなさそうだ。これなら旅行に持っていっても大丈夫だろう。

 

11月9日(水)

 早朝に起床。朝からウォーメックスでもらったサンプル盤をひたすら聞いて、ひたすらメールを送信。午後遅い時間まで、食事も取らないで仕事をした。なんでこんなに慌てているかというと、金曜日からインドネシアに行かないといけないことになったからだ。本当は書かないといけない解説原稿もあるのだが、とりあえず来週回しにするしかない。まずは居間一面に広がったサンプル盤をやっつけないと、落ち着いて生活ができない。
 今日聞いた中で面白いものはいくつかあったが、いまのところ企業秘密。ただ、ひとつだけ、こんなものを注文する業者は絶対にないと思われるアイテムだけ、ちょっと紹介しておこう。それはアフリカの敏腕プロデューサー、イブラヒマ・シラの20周年記念アルバム。2002年にフランスのネクストから出た5枚組で(ネクストは倒産したので、現在は廃盤?)、彼がこれまでプロデュースしてきた作品の中から代表的なアーティストの代表的な作品を収録したものだ。で、何が貴重かって、イブラヒマ・シラへのインタビューが掲載されていること。これがなかなかの読みごたえで、あまりに面白くて、ぼくもできたら彼に会って、じっくり話を聞きたくなった。イブラヒマ・シラの歴史は現代西アフリカ音楽史そのもの。スゴい仕事量に圧倒させられる。

 午後遅い時間から外出して打ち合わせ。途中で本屋さんとCD屋さんに寄って少し買い物もした。今日のお目当ては、ついに復刊した『バラッドの世界〜ブリティッシュ・トラッドの系譜』(茂木健著)とボブ・ディランの自伝。そしてCDのほうは、もちろんサリフ・ケイタの新作。旅行中にじっくり楽しめたらと思う。

 夜はプロマックスの早川さんと食事をしながら打ち合わせ。早川さんと会うのは、9月のティナリウェンの来日公演以来だ。ティナリウェンの公演は、儲かるまでにはゆかなかったけど、なんとかお客さんがたくさん呼ぶことができた。そこで今日は、来年に向けた作戦会議という感じだ。まだ誰を呼ぶとかは秘密だが、いずれにしてもあまりご迷惑をおかけしないように、今度はもっとじっくりプロモーションをしてゆきたいと思う。

 

11月8日(火)

 今日も午前中に細かい雑務仕事を終らせて、午後は打ち合わせ。でも、思ったよりも早く終って、8時には家に戻ることができた。そこで、たまっていた日記をまとめることに。

 文章をまとめながら、思い出したことがひとつあったので書いておこう。当社で発売しているスアド・マシというアーティストの読み方だ。これについては、いつか説明を書かないと、とウォーメックス中あたりに考えていたのだが、忙しさにかまけてこれまで忘れていた。
 当社では彼女の名前をずっと<スアド・マシ>と表記してきた。ところが最新作『メスク・エリル』の解説を書いてくださった松山晋也さんは、解説で<スーアド・マッシ>と書かれている。こうやってふたつ並べると、当社のほうがシンプルだからイイカゲンに、松山さんのほうが凝った書き方なのでしっかり考えて書かれているように見えたのか、わざわざ当社のオビの表記を無視?して、松山さんの表記でこのアルバムを紹介している人がいるようだ。それを見て、ぼくはちょっと困った気分になってしまった。
 ぼくは、自分の表記に対して文句言われたり、直されたりするのが大嫌いな人間だ。先にサンバの本のためにインタビューをされたときも、ぼくのページにおいてはぼくの通常の表記で通させてもらった(当然、他のページで書かれた方々とは違っていた)。編集者に対しては、もしもぼくの表記を変えたいなら、ぼくのページの原稿はボツにして全部削ってしまってもかまわないとも言った。
 そんなぼくだから、他の人の表記に対して、あれこれ文句を言ったり、直させてもらったりはしない。これが当社の基本方針だ。松山さんの表記がそのまま解説で使われたのは、そんな基本方針ゆえだ。でも、これは松山さんの表記が正しいと思ったからではない。オビに表記されている当社のカナ書きには、ぼくは絶対の自信を持っていて、松山さんの表記が当社のそれ以上に良いものだとはいまも思っていない。
 まず第一点。ぼくには<スーアド>と棒引きを入れる理由がどうしても理解できない。というのも日本人は、3文字の言葉なら、まず確実に最初の母音にアクセントを置いて発音するからだ。棒引きなんて入れなくたって、誰でもちゃんと<スーアド>と発音してくれる。これを<スアード>とアクセントの位置を変えて読む日本人なんて、絶対に存在しない。
 例えば、ブラジルのClara Nunesという歌手の苗字は、<ヌ>にアクセントがあるのだが、ぼくはくヌーネス>とは書かず、<ヌネス>と表記する。これも同じ理由だ。わざわざ表記しなくてもそう発音してくれるアクセントなら、置かないほうがスッキリする。
 <マッシ>のほうも、基本的に同じ理由で<マシ>で大丈夫だと思う。ふたつしか母音のないこの名前が、最初の母音以外にアクセントがおかれて、例えば<マシー>と発音される可能性は考えられない。<マシ>と書けば、日本人ならちゃんとマにアクセントを置いて発音する。<マッシ>と書かなくたって、基本的なアクセントの位置はズレることはない。
 なんで、ぼくはシンプルに書こうと思ったのか。それは、ぼくがスアド・マシというすばらしいアーティストを、出来るだけ多くの人に知ってもらいたいと思っているからだ。だから、その名前は、できるだけシンプルに、みんなに覚えやすく表記したいと考えた。妙にいじくって、読みにくくなることで、みんなに名前を覚えてもらえなくなったり、その結果売りにくくなることを恐れたからだ。もし日本人の読み方においてアクセントがずれてしまう場合には、棒引きを入れるのは仕方がない。でも彼女の名前の場合は、幸いそうではなかった。だから、ぼくは手を入れたくなかった。それが当社の<スアド・マシ>という表記の理由だ。ぼくはこれがこの名前のカタカナ表記のもっともあるべき姿だと思っている。
 別に松山さんの表記を批判しているわけではない。ただ、当社がイイカゲンにこんな表記にしているわけでないことだけは、わかってもらいたいと思って一筆した次第。後は皆さんで考えてみてください。

 カタカナ表記について書いたので、ついでにもうひとつ。最近すごく気になっているのが、Gnawaというジャンル名だ。これを<グナワ>と書いているのを見ると、すごくイヤな気分になる。いまも書いたように、このカタカナ表記では、日本人は確実に語頭の<グ>にアクセントを置いて発音する。でも、スペルを良く見ると、Gの後には母音がない。これは<グ>と飲み込んで発音するはずで、そんな音にアクセントがつく可能性は絶対にありえないのだ。でも、この表記では、日本人なら<グ>を飲み込むことなく、しっかり、しかもアクセントを置いて発音してしまう。この落差が、ぼくにはすごく許せないものに感じてしまう。
 中村とうようさんはこれを<グナーワ>と表記する。ぼくは、いまの時点において、これはもっとも間違った発音をさせないための表記だと思う。<グナーワ>という表記に反対している人がいるのも知っている。それは、<ナ>を伸ばして発音するわけではない、というのを反論の根拠においているようだ。たしかに地元の人は、<ナ>はそれほど伸ばさないのだろう。しかし、語頭の<グ>にアクセントを置いて発音するようなことは、それ以上にありえないと思う。<ナ>の後に棒引きを入れたら、どんな日本人でも<グ>にはアクセントを置けない。ぼくは、そのことによって最悪の事態だけは避けられているように思う。ぼくがこの表記をいま一番良いと思うのは、そのせいだ。

 なんでぼくが語頭にアクセントを置いた発音を嫌うのか。それは、いま日本で、レゲエやサルサやレノンといった3文字カタカナ表記がどのように読まれているかをイヤというほど聞いているからだ。特に業界人の中には、本当はどう発音すべきかわかっているのに、わざと日本語的な発音をする人が多い。それが格好良いと思っているバカも数知れない。ぼくはこれが昔から大嫌いなのだが、それはきっと、知らないでそう読んでいる一般の人たちをバカにした態度だと感じられるからだと思う。CDを買ってくださっている人たちをバカにするなんて、本当の業界人であるわけはない。でもそれ以外に、彼らがこんな発音を面白がってする理由がわからない。

 当たり前のことだが、日本語で外国の名前を表記することは不可能だ。それは間違いない。でも、だからと言って、イイカゲンにやっていいわけではない。そして同時に、あまりに厳密にやることで、世間一般から離れてしまうのもよくない。わざわざカナ書きした意味がなくなってしまうからだ。このあたりが難しいところだが、結局はバランス感覚なのだと思う。簡略に、しかももっとも良い方法を探り出す。一番問題なのはどこか、それを考えて、できるだけ良い方法を探し出す。それしか方法はない。ぼくは今後もその方向で当社発売アーティスト名のカナ書きをやってゆきたいと思っている。

 

11月7日(月)

 朝のうちに細かい仕事をやっつけて、午後からは打ち合わせの連続。後回しにしてきた打ち合わせがたくさんあったので、一気に片付けようとしたら、こういうことになってしまった。帰宅したら、もう午後11時。本当に疲れた一日だった。

 

11月6日(日)

 昨日無理して仕事をしたせいで、ますます疲れが出てしまった。当初は午前中にひとつ仕事を仕上げるつもりでいたが、どうしてもそういう気になれない。午後からは打ち合わせが入っているので、せめて午前中だけでもリラックスして過ごすことにした。

 午後からシリアスな打ち合わせが2本。そして夜は浅草でサミーくんという人と打ち合わせ。お寿司屋さんでお酒を飲みながら話を聞いた。
 なんでもサミーくんは、ドイツ/チュニジア混血だとか。5年前にドイツにやってきて、いまは航空会社に働くかたわら、LPやシングルなどを売って稼いでいるという。アフリカ音楽の珍しいレコードをたくさん持っていて、それらをDJに売りながら、さらにレーベルを立ち上げてCD化しようと考えているようだ。最初の2枚のアルバムはすでに発売されていて、日本ではエル・スールで売っている。今日はそのエル・スールの原田さんに紹介されて、ぼくに会いに来たらしい。
 音源のほうは、エル・スールで買っていたので、すでに聞いていた。たしかに貴重な音源が盛りだくさんの興味深い内容だ。ただ、ウォーメックスの後というのが、タイミングが良くない。もう少し落ち着いたときに聞かせてもらえば、配給を即断したかもしれないが、目の前にはウォーメックスでもらったサンプルがドッサリ。とりあえず、これらと一緒に聞いて、それでも面白いと感じたら考えることにするしかない。

 

11月5日(土)

 最近は時差ボケが解消された頃になると、かえって旅の疲れを感じるようになる。これもやっぱり年齢のせいなのだろうか。今日がちょうどそんな感じ。会社こそ休みだが、いろいろやらないといけないことがたまっているのに、どうしても思うように体が動かない。

 そんな中で、久保田麻琴さん関係の仕事を朝のうちに片付ける。まさに疲れた体に鞭打って、という感じだ。でも、なんとか無事チェック完了。この後も細かい直しはあるだろうけど、一息ついた感じだ。

 午後はひたすらメールの送信。ウォーメックスで会った人たち、あるいは今回の旅でお世話になった人たちにお礼のメールを送った。まだサンプルは全部聞けていないが、全部聞いてからメールを送っていたら、ずっと先になってしまう。それじゃ、忘れられてしまうだろう。そう思って、とりあえずお礼だけは早めに言っておくことにした。

 夕方、買い物に出たら、近くのスーパーで天然ブリを見つけたので、夜は久しぶりにブリ料理に決定。少し日本酒も飲んだ。こんな料理を食べると、冬が近づいたことを実感する。

 

11月4日(金)

 やっと時差ボケを解消。やっとゆっくり寝ることができた。

 今日は外国送金の日。今月も10数件を送って、やっと先月の会計を締めることができた。本当ならこれから帳簿の整理に入りたいところなのだが、今日はまだ他にもやらない仕事がたんまり。とりあえず、先月の雑務仕事の続きを片付けることにした。

 夜は再びジョアナ・アメンドエイラの旧作など、ファドのアルバムをしんみりじっくり楽しむ。秋の夜長のこの時期、ファドは本当にフィットする。

 

11月3日(木)

 昨晩は12時に寝たのに、今日も朝4時に起きてしまった。若い頃なら、翌日には時差ボケなんて解消していたのに、最近はどうしても3日くらいかかってしまう。困ったものだ。

 ウォーメックスでもらったサンプルやポルトガルで買ったCDなどは友人たちに頼んで別送してもらったので、まだ手元にない。そこで今日は事務所に郵送されていたサンプル盤をまとめてチェックすることに。本当はサリフ・ケイタの新作やザ・バンドのボックスなど、早く聞いてみたいアルバムも出ているのだが、そんなのを買いに行ってしまったら、サンプル盤を聞く時間がなくなってしまう。とにかく、いまはガマン。2週間分の仕事を先に終らせてしまってからのお楽しみにしよう。

 サンプルの中で嬉しかったのは、ブラジルから届いていたオルランジーヴォの新作。結局エンリッキ・カゼスのプロデュースで作られたようで、リオで何度か見た最近のコンサートを膨らませたようなゴキゲンな内容だ。オルランジーヴォはもう70歳近くのはずだが、声はコンサートで聞く以上に若々しい。久しぶりのアルバムで張り切っているようだ。シロ・モンテイロの「ファヴェーラのブギウギ」なんかも取り上げて、ますますぼくを喜ばせてくれる。古い曲も多く取り上げているのは、自身のルーツを振り返りたかったからだろう。このまま順調にマスタリングなどの作業が終われば、来月あたりにライスから発売することができるかもしれない。どうぞ、お楽しみに。

 せっかくの休みなので、夜はサッカーの天皇杯を見ながら、ゆっくりワインを飲む。テレビはサイレントにしているので、BGMはジョアナ・アメンドエイラからもらった彼女のファースト・アルバムだ。久しぶりにゆっくりした夜を楽しむことができた。

 

11月2日(水)

 朝は3時に起きてしまう。あれだけ疲れていたのにゆっくり眠れないのは時差ボケのせいだ。こういうときは、自然に治るのを待つしかない。

 昨日の続きの返信メールを打ち、リスト原稿を少し書き、さらにウォーメックスの分の日記をアップしてから会社へ。そしたら、今度は机の上には2週間分の伝票などがいっぱいで、またビックリだ。ひとつひとつ整理して、支払いを済ませて、旅行中の出費の伝票を書いてと、経理仕事だけで4時間もかかってしまった。2週間分の残務仕事だから仕方ないが、時差ボケでボケボケの頭に経理仕事はやっぱりツラい。

 さすがに疲れて、食事を作って食べてから8時に就寝。今日はもう何も出来ない。

 

11月1日(火)

 朝9時に無事成田空港に到着。2週間ぶりの日本は快晴だった。

 いつも通り、重たいスーツケースは宅急便で送って、身軽になって東京へ。もうひとつ、ロンドンで預かったものを届けたら、手ぶらになってしまった。そこで気晴らしに少し東京を散策することに。昼ごはんはお蕎麦を食べて、本屋さんに行き、最後は自宅の近くのスポーツクラブのサウナに入った。そして夕食ではお寿司を少し。

 そんな感じでリラックスして自宅に戻り、パソコンをチェックしたら、メールが150本も入っていたのにビックリ。思い出してみれば、ウォーメックスのためにニューキャッスルに行ってからは、パソコンが繋がらなかったせいで、メールをチェックしていなかった。5日分だったら、これくらいたまっていても仕方がない。中には慌てて返事を書かないといけないものもあって、結局、帰国そうそう仕事してしまうことに。

 

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