5月31日(火) 早朝にとうようさんから電話があって、アルセニオの貴重な10インチLP、ご自宅で見つかったのだそうだ。これでひと安心。今晩はゆっくり眠れそうだ。 そんなわけで少し落ち着いた気分になったが、それでも今日は忙しい月末。帳簿を締めないといけないし、支払いもしないといけない。いつもの月末と同様、会社仕事に追われる一日になった。しかも、昨日母親に電話して、レコードを探しに実家に行くと言ってしまったので、行かないといけないことに…。思い出してみれば、ここのところずっと忙しくて、しばらく母の顔を見ていない。きっと母も楽しみにしているだろう。そんな母親の期待を裏切るわけにはゆかないので…。 夕食は母親のところでいただいて、夜は早めに帰宅。せっかく実家に行ったので、古いレコードを数枚持ち帰り、帰宅後ゆっくり聞いてみた。やっぱりCDよりもレコードのほうが寛いで聞ける。 |
5月30日(月) 今日も税務署調査のための準備。午前中から税理士さんに来てもらって、ぼくがつけている帳簿に間違いがないか、細かく調べてもらった。 ただ、そんな仕事は税理士さんにお任せして、ぼくのほうは他の探し物で丸一日費やすことになった。というのも、早朝に中村とうようさんから電話があり、3〜4年前にお貸しいただいたアルセニオ・ロドリゲスの貴重な10インチ・アルバムが見当たらないので、ひょっとしてぼくのところにまだあるのではないか、調べて欲しい、とのこと。ぼくはとっくに返却したつもりでいたが、なにしろずいぶん前の話なので、いつ返却したかまでは覚えていない。そこで、万が一ということもあるので、思いつく限りを調べてみることにした。 ぼくは他の人から借りたものは、いつも違う場所に保管している。だから、自分のものとまじり合うことは基本的にないはずだ。ましてや、いまぼくの自宅にはLPが置かれていないので、他のレコードとまじり合う可能性はゼロに近い。そんな自宅の中で、10インチLPが隠れてしまうような場所といえば、本の部屋と物置くらい。とりあえず、そこを調べてみることにした。本は一部屋を全部占めてしまうくらいあるので、全部引っ張り出して調べはじめると、けっこうタイヘンだ。結局、全部見終わったのは、午後5時。予想したとおり、本棚からレコードは見つからなかった。 これであと可能性があるとしたら、母親の家の物置くらい。ここにLPをまとめて置いてあるので、明日の夜にでも、行って探してみることにしよう。出てくる可能性はすごく低いが…。貴重なアルバムだけに、早く見つかってくれるといいのだが…。 |
5月29日(日)
今日も朝から税務署調査のための資料整理。やっと何がどの箱に入っているのかを把握することができた。明日は税理士さんが来てくれることになっているので、やっと準備完了という感じだ。 午後は大宮に行って買い物。買い逃していた本を少しと、Tシャツなど、夏物の洋服を買った。ブラジルでも夏物のシャツなどはいくつか買ったのだが、日本に持って帰ってきて着るにはちょっとハデなものが多かったので、ブラジルに置いてきてしまった。やっぱりリオは観光地。そこで買うシャツなども、どうしてもツーリストっぽいものになってしまう。 |
5月28日(土)
午前中は自宅で帳簿の整理。そして過去の帳簿や領収書などの資料整理。この忙しいのに、6月6日には税務調査が入ることになっている。別に何を見られてもかまわないが、資料をすぐに出せるようにしておかないと時間がかかるという税理士さんの助言もあって、いまのうちに過去の資料や帳簿を全部出しておくことにした。3年分を調べるとのことだが、それだけでも結構な量だ。広げてみたら、居間がすっかり占領されてしまった…。もうウンザリだ。 午後はウィルソン・モレイラの86年のファースト・アルバムをマスタリング。ぼくがブラジルではじめて作ったアルバムのひとつだが、久しぶりに聞き返してみたら、思った以上にすばらしい内容なのでビックリ。今度ブラジルでCD化されることになったのだが、ついでに日本でも久しぶりに発売したくなってきた。 |
5月27日(金)
今日も時差ボケ。ただ昨日より少し遅く、午前3時に目が覚めた。少しずつ身体が日本時間にアジャストしていっているようだ。ただ、昼間に急に眠たくなったりするのは、今日も同じだったが…。 午前中は金曜日恒例の残務仕事。そして午後には、打ち合わせが2本。夜は自宅で帳簿の整理をはじめた。内容のある仕事はまったく出来なかった一日だが、会社なんてものをやっていたら、こういう日だってある。 |
5月26日(木) いつものことだが、ブラジルから戻ったときの時差ボケはハンパじゃない。昨晩7時に寝たら、今朝は午前1時に目が覚めてしまった。一度目が覚めると、もう眠れない。仕方ないから仕事をはじめて、午前5時過ぎの夜明けを待って近くの公園を散歩。朝食を取ってから、再び仕事。午前中だけで10時間近く働いてしまった! 外国からも戻ったときに一番タイヘンなのが、出先で受け取ったメールのチェックだ。ブラジルでもメールは毎日チェックしていたのだが、それほど時間があるわけではないので、日本にいるときのようにはしっかり読んでいない。返事もほとんど最小限しか書いていない。そんな調子で2週間も外国にいると、帰国した後はそれらのメールをすべてチェックしないといけなくなる。メールをもう一度見直して、返事をしていないところにちゃんと返事をするだけでも、けっこうな仕事だ。午前中は、ほぼそれだけで終ってしまった。 そして午後は事務所で不在中に送られてきた郵便物の整理。いつも通り、サンプル盤がたくさん届いている。送っていただいた会社にはお礼のメールをしないといけないし、そのためには少しくらい聞いておかないといけない。これだけたくさんサンプルがあると、お礼のメールをするだけでもタイヘンだが、かと言って、あまり遅れるのも悪いので、今日はとりあえず聞いたふりをして、全員にお礼メールを送ることにした。 夕方は早めに自宅に戻って、食料の買出し。空っぽだった冷蔵庫に常備品が揃って、やっと少し落ち着いた気分だ。リオで2週間も外食生活を送っていたせいか、今日は食事を作るのがなんとなく新鮮で楽しい。 明日はあまり早起きしないように、今日は少し遅くまで起きているようにしないとと思ったのだが、食事が終ったら、もう限界。夜は8時に就寝。 |
5月25日(水) お昼過ぎに無事成田空港に到着。さすがにビジネス・クラスの旅は快適だ。ゆったりしたシートのおかげで、いつもよりゆっくり寝ることができた。 とは言いながらも、やっぱり疲れていたのだろう。帰り道でお蕎麦屋さんに寄って、早めの夕食を取ったら、もう眠たくなってきた。それから帰宅。そして、たまっている新聞をチェックすることもなく、7時に就寝。ちょっと早いけど、もう起きていられない。 |
5月24日(火) 今回の便はマイアミとダラス経由。その最後のダラスから成田までが、なぜかいきなりビジネス・クラスに変更になった。どうもエコノミー・クラスをオーヴァー・ブッキングしていて、席が足りなくなったということらしい。今回はビジネス・クラスで帰れたが、もしビジネスも満員だったら、ダラスで一泊なんてことになっていたのだろう。ラッキーとアンラッキーは紙一重ということ。リオのガレオーン空港でも理解しがたいトラブルがあったし、アメリカン航空を使うのは今回限りにしたほうが良さそうだ。 |
5月23日(月) 昨日ゆっくりできたおかげで、ずいぶん疲れが取れた。 今日も雨で海水浴は無理。本当は、海水浴なんかできなくていいから、一日くらい海辺でノンビリ過ごしたかったのだが、こうして時間が出来ると、雨が降ったりする。きっと普段の行ないが悪いということなのでしょう。 お昼ご飯はエンリッキ・カゼスとパウローンが一緒。パウローンとは久しぶりの再会だ。ゆっくり焼肉料理のピカーダを食べて、夕方にはエンリッキが空港に送ってくれた。チェックインでちょっとしたトラブルがあったが、夜は無事機上の人に。 |
5月22日(日) 昨晩は10時前にホテルに戻って、すぐに就寝。今日は7時過ぎまで一度も目覚めることなく熟睡した。これほどゆっくり寝たと実感できることは、日本にいてもそうはない。それくらい疲れていたということだろう。 ブラジルに来てはじめての雨。天気が良かったら海水浴でもしようと思っていたが、これじゃ無理だ。そこでエンリッキ・カゼスと一緒に、サックス奏者のウンベルト・アラウージョの家にお昼ご飯をご馳走になりに行くことにした。ウンベルトは今回のアルバムにも参加してもらったが、料理が趣味で、ときどき友人を招いて昼食を作る。今回はぼくたちが招かれることになったわけだ。しかし、さすがに料理好き。ものすごく時間をかけて、凝ったものを作ってくれる。おかげでお昼ご飯なのに、食べはじめたのはやっと午後6時になってから!その前にたっぷりワインを飲んでしまったせいで、食事の後は眠たくなってしまった。 ぼくも料理は好きだが、プロの料理人として仕事をしていた人間だからか、料理に時間をかけることはない。そこが素人さんとの違いだろう。でも、時間をかけないとできない料理もあるのは事実だ。ウンベルトさんが作ってくれた今日の料理がそんな感じ。とても美味しく食べさせてもらった。 それからエンリッキと少し飲んで、夜は早めに帰宅。今日も10時に就寝だ。 |
5月21日(土) 本当は今日が帰国予定日。朝からフルートとヴァイオリンのソロを予定通り録音。午後4時にはスタジオ作業を終えて空港に向かおうとしたのだが、そこであまりに疲れを感じたので、急遽予定を変更。月曜日に帰国することにした。いまの体調では、24時間以上の空の旅はとてもできそうにない。 これまで何度も外国でレコーディングをしてきたが、帰国予定を変更したのは、たぶん今回がはじめてだ。しかも、レコーディングだけでこれほど疲れたことも、ない。はじめての2枚組アルバム。しかも慣れないコンセプト・アルバムだったせいもあるのだろう。仕事量はいつもより圧倒的に多いし、考えないといけないことも多い。編集作業もかなり手間がかかった。とにかく疲れたので、いまはゆっくり眠りたい気分だ。 |
5月20日(金) 今日も朝9時からレコーディング。6時に起きるのがかなりツラくなってきた。朝に会社仕事をしてからスタジオに行くつもりだったが、メールをチェックして返事を書くくらいで精一杯だ。かなり疲れがたまってきたらしい。 でも、セッションは今日も快調だ。朝はバンドリン、午後はパーカッションとファゴットを録音。みんなすばらしいプレイを聞かせてくれた。 このアルバムでバンドリンを演奏してくれたのはブルーノ・リアン。あのデオ・リアンの息子さんだ。本当はお父さんに来てもらっても良かったのだが、今回のレコーディングではできるだけ若手の音楽家と一緒に仕事をしたかったので、息子さんにきてもらうことにした。ブルーノはこれまでもレコーディングを残しているが、いつも父親のプロジェクト。それ以外の仕事をするのは、今回がはじめてだ。それだけに、いつもとは意欲が違う。今日彼が演奏したのはルペルシ・ミランダが残した難曲だが、きっと家でタップリ練習してきてくれたのだろう。1回でほとんど完璧に仕上げてくれた。ぼくが若手の音楽家たちと仕事したかったのは、こういう意欲が欲しかったからだが、彼はそれに応えてくれた。 明日が帰国予定日。でも、まだ昼間にはセッションが残っている。本当は少し休んで疲れを取ってから飛行機に乗りたいところだが、どうもそうもいかないようだ。いつもながら、レコーディングの旅は身体にコタえる。 |
5月19日(木) 今日もリオは晴天。ぼくが来てから一度も雨が降っていない。そのせいか、夜は少し寝苦しく感じるようになった。さらに昨晩、蚊にさされたようで、あまり眠れなかった。ホテルの4階に蚊が飛んでくることはない。きっとエレベーターで運ばれてきたのだろう。蚊が出るようになると雨が降るというのがブラジル北東部では言い伝えなのそうだが、さてリオではどうなのだろう。 今日はフルートのマヨネージとサックスのウンベルト・アラウージョのセッション。ともにすばらしいプレイを楽しませてくれた。マヨネージは、当社でもそのファースト・ソロ・アルバム『銀の笛〜ベネジート・ラセルダ生誕100年』(サンビーニャ TS-25027)を配給しているが、最近登場したフルート奏者ではピアイチのプレイヤーだ。ラセルダを思わせる軽々としたフレージングは、ブラジルのフルート奏者そのもの。こんな優れた音楽家が突然登場するところが、いまのショーロのすばらしさだ。ところで、そんな軽やかでリズミックなフルート演奏のスタイルを最初に築き上げたのが、<ブラジル音楽の父>ピシンギーニャ。今日はマヨネージにそんな大先輩であるピシンギーニャの作品を演奏してもらった。 レコーディングはいよいよ終盤。今日も9時から7時まで録音で、その後編集作業を少し。こうなると、もう他の仕事は何もできない。ホテルに帰ってきたら、すぐ睡魔に襲われた。あと明日と明後日の2日間だ。頑張るしかない。 |
5月18日(水) 今日はエンリッキのクァルテット。10時にスタジオに集まって録音をはじめた。さすがに後半に入って、エンリッキもぼくも疲れている。もっと疲れているのがエンジニアのアレシャンドリくんで、なんでも昨晩はレコーディングの後、遅くまでコンサートのミキサーをやらされたらしく、今日は目を真っ赤にしてやってきた。 こういうときは、難しいことをやろうとしても、うまくゆくわけがない。とにかく堅実に、できることをやっていったほうがいい。そう思って、午前中はじっくりベーシック・トラックの録音に取り組んだ。 午後はいまのブラジルを代表するクラリネット奏者のパウロ・セルジオくんが登場。聞かせどころの曲でソロを演奏してくれた。彼と会うのはずいぶんと久しぶり。思えば88年にブラジルで仕事をしたときには、彼の家に泊めてもらったのだが、その後、彼が忙しくなってしまったこともあり、あまり一緒に仕事をできなかった。 そのパウロがスタジオに入ってくるなり、ぼくに「おめでとう」と言うので、どうしたのかと思ったら、昨年のチン杯でぼくがプロデュースしたモナルコのアルバムが最優秀サンバ・アルバム賞を受賞したときに、彼はその審査員のひとりだったのだそうだ。もちろん、このアルバムに投票してくれたのだそうで、だから大賞を受賞したときには、すごく嬉しかったといってくれた。 エンジニアのアレシャンドリくんが今晩もコンサートがあるとのことなので、今日は4時におしまい。その後は近くのレストランでエンリッキと今後の打ち合わせをした。予定されていた曲のすべてを録音する時間が取れず、どうするべきかという相談だ。優秀な音楽家ばかりを集めた仕事なので、なかなか全員が揃う日が見つからない。結局休みのつもりだった土曜日も朝から録音作業をすることになってしまった。 |
5月17日(火) 今日はブラス・バンドを録音。昨日に続いて忙しいスタジオ作業になった。トランペットとトロンボーン、ボンバルディーノ、クラリネット、フルート、ピッコロ、そしてチューバが一緒に演奏する。普通のショーロならソロの部分だけ別録音することができるが、ブラス・バンドはそうはいかない。いつも通りの一発録音だ。これだけ大勢が一緒に演奏するとなると、セッティングやマイク・チェックにも時間がかかるし、録音も簡単にはできない。それでも思ったより早く終らせることができたのは、ブラジルのショーロのミュージシャンたちが一発録音に慣れているからだ。 思えばぼくがはじめてブラジルでブラス・バンドを録音したのは1991年。当時MCAビクター(現在はユニバーサルに合併)から出た19〜21ユニバーサル・バンドのアルバムのときだった。あのときには、かつてピシンギーニャの楽団に参加していたベテランたちが参加してくれたが、彼らの多くはもうこの世にいない(か、現役を引退している)。そこで今回は若い世代による演奏になったが、それでも当時と同じようにスムーズ録音できたのは、ブラジルの若い世代の音楽家たちが先輩たちから受け継いだ伝統をしっかり守っているからだろう。 いまの若いショーロ音楽家たちは、昔の音楽家たちと同様、驚くほどたくさんの仕事をこなしている。ひとつひとつの仕事のギャラが安いせいもあるのだろうが、演奏することがよほど好きでないと務まらない仕事だ。そうしてセッションを重ねた音楽家たちは、頭で考えるより先に手が動く。ロック音楽家たちのように、スタジオでディスカッションなんてすることはない。さっさとこの仕事を終らせて、次の仕事に向かう。そんな昔の音楽家たちが持っていた職人気質が、まだこの国には残っているということだ。 そんな密度の濃いレコーディングを午前9時から夕方6時までやって、エンジニアと編集作業を終らせてホテルに戻ると、もう何もやる気がしない。今日はビールも飲まないで寝てしまった。さすがにレコーディングも終盤になって、疲れがたまってきたようだ。 |
5月16日(月) いつも通り、朝は早起き。散歩して朝食を済ませてから、スタジオに向かった。今日はラランジェイラ区の別のスタジオで録音。いつもよりも早く9時に集合して、サウンド・チェックをはじめた。 今日はピアノが中心。別のスタジオで録音することになったのは、いつも使っているスタジオにピアノがないからだ。一緒に仕事をしてくれたのは、ブラジルを代表するクラシックの女流ピアニスト、マリア・テレーザ・マデイラ。クラシックの音楽家が参加するくらいだから、このアルバムで一番シリアスな部分かもしれない。 ただ、マリア・テレーザは、いつもはクラシックを演奏していても、ショーロの素養もある。というより、ブラジルではクラシックとポピュラー音楽の垣根が非常に低く、クラシックの音楽家も平気でショーロを演奏してしまうことが多い。こんなことができるのは、世界でもブラジルとキューバくらいだろう。さらにマリア・テレーザはとてもシンパシティックな女性で、録音はすごく和やかに進めることができた。すばらしい出来になったと思う。 夜はホテルの近くの大型CD店で新人女性歌手ロベルタ・サーのライヴを見ることに。ロベルタのデビュー・アルバムを近々ライスで配給することになったので、解説を書くためにインタビューをすることになったからだ。いまのブラジルでもっとも期待できる女性歌手と言ってもいい人なので、ご期待願いたい。しかも、とても美人で、会ってみたら人柄もすばらしかった。ますますファンになってしまいました。 |
5月15日(日) 今日も朝から原稿書き。でも、なかなかはかどらないのは、疲れが出はじめているからだろう。そこで午後は気分転換。ボン・スセッソ区まで足を伸ばして、ギリェルミ・ジ・ブリートの家を訪れることにした。ギリェルミはいま83歳。まだまだ元気だが、さすがに外出はあまりしなくなったらしい。それなら元気を出してもらうために、会いに行こうと思いついた次第だ。電話をしたら、奥方のネーナさんが出て、それなら一緒にお昼を食べましょう、早くいらっしゃい、とのことなので、さっそくタクシーに飛び乗った。 ギリェルミはもともと寡黙な人で、はじめて会った人とはあまりしゃべらない。でも、今日はネーナさんとぼく、それに娘のジアーナさんとその旦那さんだけだ。ネーナさんに日本公演のときの写真を出してもらって、当時の思い出話に花を咲かせた。 ギリェルミが日本にやってきたのは1990年と92年。特に90年のクロコダイルにおける公演は、最後に会場のお客さんによる「詩人の涙」の大合唱があったりして、忘れがたいものになった。そのときの公演の模様はテイクオフからCDで出たことがある。ギリェルミもあのときのツアーは印象深いものだったようで、公演の演出などをやったぼくも忘れてしまったようなことまで覚えていたのにビックリさせられた。 ちなみに、ギリェルミは83歳だが、まだ引退したわけではない。つい最近もエヴァルド・ゴウヴェイア(かつてジャイール・アモリーンと一緒にサンバ・カンソーンの名曲を数多く残した作曲家)と共作で2曲の新作を作ったのだそうだ。帰るまでにもしも時間があったら、それらの曲もじっくり聞かせていただきたいところだ。 夕方はエンリッキ・カゼスと来週のレコーディングの打ち合わせ。アレンジが出来ていなかった1曲のアイディアをまとめて、これでいちおう準備完了となった。今回のアルバムは参加ミュージシャンが数多いし、それぞれの音楽家の良い部分を引き出してあげないといけないから、けっこう気を使う。来週もスムーズに行けばいいのだが…。 夜は久しぶりにコンサート。当社で配給している『ラマルチニーアダス』(サンビーニャ TS-25031)の発売記念コンサートがホテルの近くであるというので、見に行ってきた。このアルバムは、30年代にユーモラスなマルシャなどをたくさん作った大作曲家ラマルチーニ・バボの作品集で、ギタリストのルイス・フェリッピが指揮を取り、ペドロ・ミランダなど3人の若手男性歌手たちが元気な歌声を楽しませてくれた。伴奏ではエンリッキやその兄のベト、さらにオスカール・ボローンなどベテランが協力していたが、公演もCDとまったく同じメンバー。しかも、これがCD以上にリラックスした内容で、ユーモラスな音楽を十分に楽しませてもらった。 特筆すべきはフロントの3人の若手歌手たちの熱のこもったパフォーマンス。ときにコーラスで、ときにソロで、ラマルチーニの音楽の多彩な魅力を縦横人に楽しませる。若い人たちがこんな古い音楽を蘇らせてくれるなんて、本当に嬉しいことだ。 公演の後は、エンリッキたちと近くのアラブ料理屋さんで乾杯。これが意外なほど美味しくて、びっくり。しかも、BGMでかかっていたのは、なんとファイルーズ!だ。 久しぶりにリラックスできた1日の最後をファイルーズの歌声で締めくくれるなんて! ホテルに戻ったのは、午後11時。今日はゆっくり眠れそうだ。 |
5月14日(土) 土曜日。しかも、雲ひとつない晴天だ。まさに海日和。きっと近くのコパカバーナ海岸は人で溢れているに違いない。ぼくも海でゆっくりしたい気持ちに駆られたが、でもレコーディングが休みの今日は、会社仕事の日。朝からホテルで解説原稿書きにいそしむことになった。遊びに来ているわけではないから仕方ないといえば仕方ないのだが、なんとも情けないリオの休日だ。 なんとか午後4時までに2本を脱稿。その後は、打ち合わせを1本。夕方の6時にやっと自由になれたが、それから海に行っても仕方がない。今日も夜はコンサートがあちこちであるはずだが、どれもはじまるのは9時過ぎから。朝早くから仕事をしている身にはちょっとツラい。今日もコンサートはパス。ホテルの近くの古レコード屋さんであまり高価でないLPを10枚ほど買って、飲み屋さんでビールを少し飲んでから、ホテルに戻った。LPはホテルでは聞けないので、夜はいつもの通り、本を読みながらゆっくり。 |
5月13日(金) リオはいま秋。最高気温が30度弱だから、40度を超える夏に比べたらすごしやすい。朝晩は20度くらいまで下がるので、エアコンがなくても寝られる。疲れも少ない。だから1986年から91年まで、ブラジルでコンスタントにレコーディングをしていた頃は、いつもこの時期を選んでブラジルを訪れていた。 実は観光客が少ないこの時期のほうが、面白いコンサートも多かったりもする。それはいまも同じだ。今日は金曜日。リオのあちこちで面白そうなコンサートがあるようだ。ラパではウィルソン・モレイラや、昨日会ったばかりのゼーダ・ヴェーリャ&シルヴェーリオ・ポンチスがライヴをやるらしいし、コパカバーナではエンリッキ・カゼスも参加しているラマルチーニ・バボ作品集の発売記念公演もやっている。カネコーン劇場はエルバ・ラマーリョとドミンギーニョス。ネルソン・サルジェントやイヴォーニ・ララたちの公演もセントロであるようだ。 そんなわけで、今日は夜にも仕事をしないといけないミュージシャンたちのことを考えて、レコーディングは午後4時で終了。ぼくだけスタジオに残って、編集作業をすることにした。日本に帰ってからやってもいい仕事だが、あまり時間がたつとどう編集するつもりだったか忘れてしまう。こういう仕事は早く終らせてしまったほうがいい。 7時過ぎにホテルに戻る。夜は誰かのコンサートに出かけるつもりだったが、スタジオ作業の後に少しビールを飲んだら、すっかりお疲れモード。外に出る気がなくなってしまった。どのコンサートを見たとしても、終るのは11時か12時。もっと遅いものもある。明日はまた朝6時に起きないといけないことを考えると、そんなのに付き合っていたらとても身体が持ちそうもない。夜はコンサートより、ホテルでゆっくり本でも読んで過ごすことにしよう。 |
5月12日(木) いつもより早く5時前に起床。海岸を散歩して朝食を取った後、少し書きものの仕事をして、スタジオに向かった。今日は9時から夕方6時までスタジオ作業。朝のうちにエンリッキとマルセーロ・ゴンサルヴィスのデュエットで1曲録音を済ませて、午後はクラリネット、そしてトランペットとトロンボーンというスケジュールだ。 実はいま作っているのはショーロの2枚組アルバムで、合計27曲も録音することになってい。そうなるとたくさんのソロ奏者が必要になってくるし、世代もまちまちだ。今日来てもらったクラリネット奏者は女性でまだ23歳。一方、トロンボーンのゼー・ダ・ヴェーリャは63歳だ。でも、こうして幅広い世代の音楽家が一緒に仕事をすると、若いもの同士やベテラン同士で演奏するよりも、適度な緊張感があって、ぼくには面白い。とりあえず、今日のところはうまくいったようだ。 トロンボーンのゼー・ダ・ヴェーリャとは久しぶりの再会。そこで仕事を終ってから、近くの飲み屋さんで再会を祝うことにした。彼がピシンギーニャのグループに入って仕事をしたのは、なんと19歳のとき。たぶん、ピシンギーニャと一緒に仕事をした中でいまも現役でやっているのは、彼だけだろう。そんなゼーの話は、とても興味深い。結局8時過ぎまでゼーを引き止めて、話をたっぷり聞かせてもらうことになった。 |
5月11日(水) 朝はいつも通り。ただ、昨日よりもちょっと急いでホテルでの仕事を済ませた。というのも、午前9時半にスタジオ入りして、マイク・セッティングなどの準備をはじめなければいけなかったからだ。ちょうど準備が整った10時半くらいにミュージシャンたちが到着。そこでセッションがスタート。そのまま午後5時くらいまでスタジオ作業が続く。でも、昨日リハーサルしてあったので、作業はスムーズだ。途中で昼食を取る時間もしっかり取ることができた。 シャルレス・ガヴィンから電話があって、良い知らせがひとつ。ここのところしばらく止まっていた復刻プロジェクトだが、あるレーベルから依頼があったのだそうで、近々再開することになるらしい。まだ契約がまとまっていないので公表できないが、もし出来たら、楽しいことになるだろう。さっそく今週中にガヴィンと打ち合わせをして、アイテムの選択に入るつもり。週末は忙しくなりそうだ。 時差ボケのせいもあるのだろうが、今日は午後8時にはもう強烈な睡魔が襲ってきて、困ってしまった。眠たいと感じるときに寝ないと眠れなくなるので、さっさと寝るようにしたが、これじゃ小学生並。コンサートも見に行けない。明日くらいから、もう少し遅くまで起きているようにしたいところだが…。 |
5月10日(火) リオでの生活はもうパターンが完全にできている。宿泊しているホテルもいつもと同じだし、この生活は変わりそうもない。 というわけで、今日も6時に起床。コパカバーナ海岸の波打ち際を端から端まで歩いてから、7時過ぎに朝食。8時から10時まで、メールの返事や原稿書きの準備をしてから、エンリッキの家に向かった。今日の午前中は、ギターのマルセーロ・ゴンサルヴィスとエンリッキのリハーサル。普段はリハなんかしないで、いきなりスタジオに入ってしまうのだが、今回の演奏はいつもと少し違うこともあって、じっくり時間をかけて明日からの録音のベーシックな部分を確認したかった。途中で新しいアイディアも出てきたりと、有意義なリハだったと思う。 午後は、カテーチ通りの飲み屋さんで昼食。実は今日はぼくの誕生日で、それを覚えていてくれたエンリッキくんが、友人たちを集めて昼食会を開いてくれたのだった。昼食と言っても、飲んでいる人がほとんど。ぼくの誕生日で来てくれたのだから、ぼくも付き合わないわけにゆかない。さすがに秋を迎えたリオはさほど暑さを感じないが、それでもビールは十分に美味しい。明日からレコーディングがはじまるので、ぼくは夕方7時頃に帰らせてもらったが、残った人たちはきっとこのまま深夜まで飲むのだろう。月曜日からこんな調子で飲んでいられるリオの人たちが羨ましい。 |
5月9日(月) まる1日の長旅の後、現地時間の月曜日早朝にリオに到着。今回はベト・カゼスくんが空港まで迎えに来てくれた。昨日のダラスまでは快適な旅だったのだが、ダラスとマイアミ、マイアミとリオの間はほとんど満員。特にマイアミとリオの間では酔っ払いのブラジル人たちに囲まれて、ほとんど眠れずに過ごしてしまった。おかげでリオに到着したときには、もう疲労困憊。ベトくんにはすぐにホテルに送ってもらって、とりあえず少し眠らせてもらうこと。 午後2時くらいには起きだして、3時から打ち合わせ。今回のレコーディングは参加ミュージシャンがとても多いのだが、とりあえずスタジオとミュージシャンのブッキングは問題なさそうだ。アレンジもほとんど終っているので、後はリハーサルがうまくゆくかどうかだけ。それが、明日一日はさんで、明後日からはじまる。さあ、忙しくなりそうだ。 |
5月8日(日) 旅行の当日だというのに、出発の直前まで仕事をしているなんて、いつものこととは言え、情けない。今日も直前まで、ライスから来週発売されるマラヴォワのアルバムの解説原稿を執筆。時間いっぱいでなんとか脱稿させることができた。 午後2時に出発。4時ちょっと前にアメリカン航空にチェックイン。そして6時過ぎに出発。ゴールデン・ウィークの最後の日ということで、今日はどの飛行機も非常に空いているようだ。おかげで経由地のダラスまでは5席分を確保して、ゆっくり横になって熟睡。こんなリラックスした飛行機の旅も久しぶり。 |
5月7日(土) 明日から2週間、日本を空けるので、今日はひたすら旅行の準備。まだお腹の調子はホンモノじゃないけど、お粥以外のものも食べられるようになったし、なんとか旅行くらいはできそうだ。 |
5月6日(金) 腹痛は少し回復。まだ食べられるのはお粥くらいだが、下痢は止まったので、外出できるようになった。そこで午後は事務所で雑務処理。銀行で労災などの支払いも済ませる。さすがにまだ体調が戻っていないのか、自宅に戻ったらドッと疲れが出てしまったが…。 夜は静かに自宅で読書。なぜか料理の本が読みたくなって、手当たり次第読み漁った。料理を作るためではなく、料理や食材の世界的な伝播とか広がりに、最近とても関心を持っているからだ。例えばジャガイモは、もともと南米の特産だが、コロンブス以後、ヨーロッパ人が南米から持ち帰り、様々な曲折の後、いまではヨーロッパ人の主食のひとつになった(ヨーロッパで最初にジャガイモを食べたのはアイルランド人だったようだ)。ジャガイモにそんな歴史があったことを知ったのは、つい最近になってからだが、こういうことを知ると、ぼくの場合は音楽と結びつけて考えてみたくなる。そんなジャガイモ音楽論をここで展開する時間はないけど、とにかくそんな歴史物語がもとから好きなのだろう。 |
5月5日(木) 月曜に会社を休ませてもらったので、代わりに今日はみんなで出勤。リスト作成やバック注文の対応をした。ただ、ぼくのほうは、朝からスゴい腹痛。頻繁にトイレに行きたくなるので、とても外出できない。仕方ないから、今日は事務所には行かず、終日自宅で作業をした。薬を飲んだら痛みはやわらいだけど、ものを食べていないから力が出ない。夜はおかゆでも食べられるといいのだが… |
5月4日(水) やるべき仕事はたくさんあるのだが、今日はそれどころではない。朝になってもあまりに肩こりがヒドいので、午前中にマッサージをしてもらうことにした。近くの駅ビルにマッサージ屋さんがオープンしたのを見ていたので、そこに行ってみたのだが、中に入ってみてはじめて知ったのが、働いているのは若い人たちばかりだということ。すごく活気のあるお店で、対応もすばらしく敏速。昨日の銀行とはエラい違いだ。 すぐに店長さんと思われる女性が担当してくれたのだが、ぼくの肩や腰を触って、あまりに固まっているのでビックリ。これじゃ痛いに決まっている、ここまで放っておく人は珍しい、とても1日では揉みほぐせませんと、呆れられてしまった。仕方ないから、今日から3日計画でゆっくり揉みほぐしてもらうことに。ついでに近くのスポーツ・ジムで体操をして、サウナにも入って、とにかく身体のケアに務める一日になった。 夜は音楽評論家の蒲田さんと西川口でイッパイ。いつも通り、楽しい飲み会だった。ただ、マッサージなんて慣れないことをしてもらったせいで、ちょっとアルコールが入ると肩や背中が火照ってくる。これじゃ、あまり飲めないということで、9時頃に早めの散会。 |
5月3日(火) ゴールデン・ウィークだというのに、自宅でゆっくりできる時間がない。昨日に続いて、今日も外で打ち合わせ。資料を揃えるために、ちょっと自宅に戻っただけで、午後からもまた打ち合わせ。音楽とは直接関係のない経理の話ばかりだから、ますます疲れてくる。 夜は早めに自宅に戻ったのだが、きっと疲れが出ているのだろう、強力な肩こりで眠れない。あまり好きじゃないけど、明日あたりはマッサージをしてもらう必要がありそうだ。 |
5月2日(月) 銀行で外国送金。早く行ったつもりだったが、ゴールデン・ウィークで銀行の休みが続くせいで、今日の銀行は大混雑。銀行がこれほど人で溢れているのをはじめて見た。あまりに待ちそうなので、途中で待つのをあきらめ、通帳を預けて郵送してもらうことに。こうも待ち時間が長いと、誰でもイライラする。さんざん待たされた末に、書類が揃っていないから送金できません、なんて断られたお客さんは、まさに怒り心頭。行員を大声で怒鳴りつけていた。 銀行とか役所とか、どうしてこうも簡単に人を待たせるのか。普通の商売だったら、こんなことはありえない。すみませんと口で言うくらいなら、こうならない方法をもっと考えるべきだ。やっぱりぼくは銀行が嫌いです。 帰宅した後は、いま制作中のアルバムのアイディアをもう一度練り直すことに。今月8日からまた外国に出ることになりそうだ。 |
5月1日(日) さあ、今日から5月。今月は外国仕事もある。会社としても売り上げをあげないといけない、ということで、かなり忙しくなりそうだ。 朝は自宅で解説原稿の準備。午後には事務所に行って、明日の外国送金の準備。さすがにゴールデン・ウィーク中ということで、浦和の町も人影が少ない。事務所のあるビルも、どこも仕事をしていないようで、気持ち悪いくらい静かだ。 |