8月31日(水)

 早朝に成田に到着。自宅に少しだけ寄って、そのまま会社へ。今日は月末の支払日だ。いくら疲れていても、支払いを忘れるわけにはゆかない。日本にいなかった一週間にサンプルもたくさん届いていたが、そんなものを聞いているヒマはない。請求書類を整理して、すぐに銀行へ。なんとか2時までに支払い仕事を終らすことができた。

 慌てて支払い仕事を済ませたのは、その足で成田空港に向かって、シンガポールを朝の便で発つことになっているティナリウェンのメンバーをピックアップしないといけないからだ。そのためには、2時半くらいには日暮里に着かないといけない。今日は成田往復ということになる。
 しかし、こうして成田との往復をしてみると、なんでこんな遠いところに空港を作ったのだろうと、改めて思う。世界の首都の空港と比べて、成田は首都圏からやたらと遠すぎる。これがイヤで日本に来なくなる人がいても、不思議じゃないくらいだ。

 5時過ぎにティナリウェンが日本に到着。逆のゲートから出てきた彼らだが、すぐにぼくを見つけてくれて、なんとかピックアップできた。みんなの表情を見ると、とにかく非常に疲れている。理由はわかっている。彼らの多くがシンガポールで時差ぼけを直そうとしなかったからで、だから昨晩は眠っていない。そしてそのまま飛行機に乗ったのだが、機内でゆっくり眠れるわけがない。これじゃ、疲れているのはあたりまえだ。
 シンガポール滞在中、マネージャーのアンディーさんに、ちゃんと夜に寝て朝起きる習慣をつけたほうがいいと何度もお願いしたのだが、いくらアンディーさんが言っても、ダメだったようだ。これほどの時差を経験したのははじめてで、どうするべきかわからなかったのかもしれない。

 そんなわけで、ホテルに着いても、どこかに遊びに行こうという元気のある人はほとんどいない。食事や飲み物を買ってきてあげて、とにかく早めに就寝させることにした。その後、ただひとり時差ぼけを解消しているアンディーさんとともに寿司屋へ。久しぶりに日本の味を満喫してから、帰宅。明日はみんな元気になっていればいいのだが…。

 

8月30日(火)

 旅行代理店のマネージャーといくら話し合ってもラチがあかないと思ったのか、オスマンくん、なんとシンガポールの観光大臣に連絡して、助けを求めたようだ。朝、その大臣自らぼくが泊まっているホテルに現われて、一緒に警察に行こうというので、ビックリしてしまった。しかも、そこで会ったのが、シンガポール警察署長。いきなりトップの人だ。事情を詳しく説明したところ、さっそく署長が旅行代理店に電話をして、マネージャーに出頭命令。支払いはすでに行われていることを確認して、チケットを出してもらうことに成功した。
 後でオスマンくんに聞いたところ、大臣や警察署長には、ぼくがシティ・ヌールハリザをはじめ、マレイ人たちの音楽を長い間にわたって日本に紹介していることを説明したらしく、そんなぼくに対して失礼なことをしてはいけないということで、こんな措置を取ってくれたらしい。ちなみに大臣も署長もマレイ系。中国系だったら、こうも親切にしてくれなかっただろう。ここ数年、マレイシア音楽のプロモートに務めてきたことが、こんなところで役に立つとは思わなかった。

 イシューされたチケットをアンディーさんに届けて、その足でそのまま空港へ。そして夜行便で帰国。長い2日間だった。

 

8月29日(月)

 緊急事態発生。ティナリウェンの成田までの航空券を取り扱った旅行代理店から連絡があり、社員がお金の持ち逃げをしたとかで、今日受け取れるはずだったチケットがイシューされなくなってしまった。もちろん、お金はとっくに支払われているのだから、そんなことは許されない。さっそくオスマンくんに相談し、事態の収拾のために一日中走り回る。

 

8月28日(日)

 今日は今回の旅行で一番仕事の少ない日。完全休養日というわけではないが、海外旅行中でこれほど時間がある日は珍しい。仕事らしい仕事は午前中に海外からのメールの返信をしたのと、会社のリスト原稿をチェックして少し書き加えたくらい。実働2時間。後は、久しぶりに海外での休みを満喫した。
 ただ、休みとは言っても、夜にはウォーマッドに行かないといけないので、どこかを観光するほどの時間はない。こういうときは、動いても無駄に時間を使うだけだ。そこで朝ごはんの後は、ホテルのプールで寝そべりながらゆっくり読書をすることにした。ウォーマッドから用意されたノヴォテルというホテルは、立派なプールがついている。くつろぐにはもってこいだ。でも、さすがにシンガポールの太陽光線は強烈。たった1時間しかいなかったのに、すっかり焼けてしまった。

 その後は、ライフ・レコードのオスマン・アリフィンくんの自宅へ。オスマンくんがぜひ家で食事をしようと言うので、久しぶりに訪れて、奥さんの手作り料理を楽しませてもらった。彼女が用意してくれたのは、ぼくが大好きなフィッシュ・ヘッド・カレーだ。オスマンくんの奥さんも、知り合ってもう13〜4年。何度も家に泊めてもらっているので、ぼくの好きな食べ物は良く覚えてくれている。そして息子のイマンくん。もう今年で12歳になったそうだが、小さいときにはシンガポールに来るとよく一緒に遊んであげたことがあった。そのことをまだ覚えていたらしく、ぼくがやってきたら、田中叔父さん、今日はサッカーをやろうと、飛びついてきた。独り者のぼくには、オスマンくんの温かい家庭はうらやましい。イマンくんはとても素直な子で、彼を見ていると、ぼくも子供が欲しくなってしまう。

 オスマンくんには、今回もいろいろとお世話になってしまった。実はティナリウェンが来日するに当たり、シンガポールから東京までの航空券はオスマンくんの事務所を通してアレンジしてもらったのだが、彼が忙しそうだったので、彼のアシスタントくんに旅行代理店を紹介してもらった。そのせいだったのか、28日には用意されているはずだったチケットを、彼らはいつまでたっても持ってこない。もうお金はとっくに支払われているはずなのに、これはおかしいということで、ぼくはすぐにその代理店に乗り込むことにした。そしたら、案の定、ノラリクラリとした返事をしている。ぼくはここですっかりアタマに来てしまった。
 そこでオスマンくんに相談したのだが、ここでスゴいことが起きた。彼はぼく以上にアタマに来たようで、すぐさま旅行代理店の担当者に電話。次に事務所にも電話。両方とも留守電になっていたことでさらにアタマに来て、なんと警察官の友人に頼んで電話してもらい、10分以内に返信がなかった場合は警察が踏み込むと言ってもらったのだそうだ。もちろん、すぐにコール・バックがあった。そして旅行代理店の担当者は、30分後にはオスマンくんの事務所に平謝りにやってきたらしい。
 もともと彼の事務所にお願いした仕事だから、彼も責任を感じたのかもしれない。でも、それによって、彼はお金を儲けているわけではない。彼がこんなことまでしてくれた理由は、彼とぼくとの友情以外のなにものでもない。最近、ライフ・レコードは新作が少ないこともあって、当社はあまり輸入をしていない。それでも彼は、そんなことはまったく気にしない。たくさん輸入していたときと同じように付き合ってくれる。本当にありがたい友達を持ったと思う。

 そんなオスマンくんの自宅を後にして、夜はウォーマッドの会場へ。昨日は仕事しながらのウォーマッドだったが、今日は完全にフリーだ。久しぶりに野外コンサートをたっぷり満喫させてもらった。
 最初に登場したのは、今回のメイン・ゲストであるティナリウェンだ。今日はサブ・ステージのほうで演奏することになった。ただ、さすがにこの時間だとお客さんは少ない。昨日の50分の1くらいだろうか。でも、それでも集まった人たちは、昨日のステージを見て好きになった人たちだったのだろう。だから、ただ踊ろうとしていた昨日のお客さんとは、質が違う。そんな温かい聴衆のおかげで、グループの演奏そのものは、昨日以上に腰の据わったものになっていた。

 続いて覗いたのが、やはり当社で配給しているアキム・エル・シカメヤのワーク・ショップ。アキムのステージは昨日も少しだけ見たのだが、今朝ホテルでアキム自身に会ってしまい、ワーク・ショップも見ないわけにはゆかなくなってしまった。でも、これが正解。思っていたよりもずっと楽しいステージだった。
 本ステージではバンドを従えて歌う彼だが、今日はギター1本の伴奏で、いつも通りヴァイオリンを弾きながら、トラディショナル曲を中心に楽しませてくれる。アラブ・アンダルース音楽の現代化という、難しい課題に取り組んでいるアキムだが、こうしてその音楽のコアの部分だけを聞かせてもらうと、非常に親しみやすいことがわかった。イタリアのプログレ・ロック(マウロ・パガーニなど)に影響を受けたと思われるバンドでのパフォーマンスも楽しいが、ぼくは今日のようにシンプルなスタイルで歌う彼が好きだ。後半ではアルバムに収録されていたポップなナンバーもこの編成でやってくれて、これもすごく良い感じ。こんなライヴなら、日本のファンも楽しんでくれるかもしれない。12月にはタイのバンコックでライヴをやるというので、その後くらいにでも来日してもらえるといいのだが。

 その後はメイン・ステージに場所を移して、久しぶりのシーラ・マジッド。新しい旦那さんを中心にしたバンドを従えて、女性コーラスまで入った豪華なステージを楽しませてくれた。シーラは元気一杯。レコード以上に力の入った歌声を楽しませてくれる。バックの演奏も、マックやジェニーたちがいた頃と、それほど遜色ない。今日見た中では一番完成されたステージだったかもしれない。
 ただ、ちょっとかわいそうだったのは、せっかく昨年久しぶりの新作を発表しているのに、マレイ人たちが求めているのは、やはり13〜4年前のヒット曲だったことだ。P・ラムリー作品を歌うと拍手が大きい。「シラナン」を歌うと、みんなが合唱する。シーラ自身の歌声は以前以上に成熟しているし、いまでも魅力的なシンガーだと思うが、かつての自分から抜け出すにはまだまだ時間を必要としているようだ。

 そして最後は、再びティナリウェン。今度はワーク・ショップの会場で、アンディー・モーガンさんの解説をまじえながら、伝承ナンバーを中心に楽しませてくれた。こういうときにはベースは入らず、パーカッションも控えめ。ギターを中心に、不思議な音空間を聞かせてくれる。バンド編成でやるときとはまた違った味わいだ。

 そのティナリウェンの後も、ウォーマッドは続いていたが、ひとつ気になることがあったので、次の出演者を見るのはあきらめて、メンバーと一緒にホテルに戻ることにした。気になること、というのは、他でもない、ティナリウェンの音楽のことだ。今日2回のライヴを見て、サウンドの中心にいるイブラヒムの演奏するギター奏法がどうしても不思議で、今日のうちにその秘密を解決したくなってしまったのだ。
 どこが不思議かというと、まずはそのチューニングだ。他のメンバーはレギュラー・チューニングで演奏しているようだが、彼だけは絶対に違う。でも、ブルースにあるようなオープン・チューニングでもないようだ。こんなギター演奏を、ぼくはこれまで見たことがない。
 さっそくイブラヒムの部屋に行って、ギターを演奏してもらった。そしたら、案の上、チューニングを変えている。1〜5弦めは、全部レギュラー・チューニングと一緒だが、6弦めだけ、ミではなくソに変えて演奏しはじめた。そして、その6弦めを、彼はまったく押さえない。開放弦のまま演奏している。これが、いわゆるインド音楽のドローンと同じ効果をかもし出しているようだ。
 彼らの来日公演を見に行く人は、ぜひそんな彼のギター演奏に注目してもらいたい。というのも、ティナリウェンの音楽のボトムの音は、実はベースではなく、イブラヒムが演奏するこの6弦めのドローンにあるからだ。けっしてでしゃばった音ではない。PAを通した音響的には、ボトムは明らかにベースだ。最初聞いたときには、誰でもそう思うだろう。でも、音楽的には違う。さりげなく、すごくさりげなく、彼の演奏するドローンは、バンドの演奏を深いところで支配している。
 イブラヒムはアフリカ音楽には珍しく<王様>じゃないリーダーだと、昨日の日記に書いたが、そんな彼のリーダーシップぶりを象徴しているのが、こんな演奏スタイルと言えるかもしれない。この音は、ティナリウェンの音楽の気持ち良さを凝縮している。ちょっと聞いただけではわからないけど、神経を集中させて聞いてゆけば、必ずそこにたどり着く。日本公演に行こうと思っているファンの皆さんは、ぜひイブラヒムのギターの音に注目してもらいたい。

 

8月27日(土)

 ぼくはどこの国に行っても基本的に早起きだ。朝5時には目が覚めて、さっそく仕事をはじめることにした。今日は昼から夜までスケジュールがビッシリ。だから朝のうちしか、自分の仕事ができない。メールの返信や、今日の仕事の準備をしていたら、アッという間にお昼近くになっていた。

 お昼から、ウォーマッドを見るためにシンガポールを訪れている久保田麻琴さんとミーティング。久保田さんが自分の本を出すとかで、その一部分をぼくがお手伝いすることになったのだが、今日はそのための打ち合わせ、というか、実質的に仕事の初日だ。かつてのアジアでの仕事についてぼくがお手伝いする(原稿を書くわけではない)ことになり、それならシンガポールで会って話し合ったほうが当時のことを思い出すだろうということになって、シンガポールで会うことになった。
 思い出してみれば、久保田さんのアジア・プロジェクトをぼくが取材したのは、もう13〜4年も前のこと。ワールド・ミュージックという言葉が一番華やかに響いていた時代で、ぼくもライターとしてもっとも多くの仕事をこなさせてもらった。久保田プロジェクトの取材は、ジャカルタやシンガポールで何度もやっている。原稿も、あちこちの雑誌にたくさん書かせていただいた。たぶん、ぼくほど当時の久保田さんの仕事について書いたライターはいなかったと思う。
 さらに、もう少し後には、取材ではなく、久保田さんのレコーディングの手伝いまでするようになった。ぼくとしてもブラジルでのプロデュースの仕事に一区切りつけた時期だったので、新しい題材を求めていたのかもしれない。もっとも深く関わったのは、サンディーの『アイルマタ』というアルバムだ。そしてそのアルバムを作り終わった後、ぼくは単身中部ジャワに飛んで、ワルジーナのアルバムを作ることになった。ぼくがアジアでプロデュース活動をするようになったのは、久保田さんのおかげだ。
 そんな当時の原稿を、今回の仕事のために、シンガポールに来てから何本か読み直してみた。そしたら、その書きぶりがいまとまったく違うことに、驚かされてしまった。書いた本人なのに、自分で書いたもののようには思えないくらい、当時ぼくがアジア音楽に関して書いた原稿は、すばらしく出来が良い。この先、何が起きるかわからないようなワクワクした状態で書いているので、いま読めばアテズッポウで書いたこともある。細かい間違いがたくさんある。でも、それでも何にも変えがたい<勢い>がある。あんな原稿は、ぼくはもう二度と書くことができないだろう。
 そんな久保田さんと久しぶりに会って、あれこれ語り合ったわけだが、久保田さん自身は、当時とそんなに変わっていないようだ。最近はブラジル北東部の音楽にすっかりハマッてしまっているようで、アジアの仕事の話をしているのに、何かとブラジルに話が飛ぶ。ブラジルでのプロデュース活動に関しては、ぼくのほうが久保田さんより先輩なので、ブラジルと比較しながら話したほうが面白いと思ったのかもしれない。それにしても、いまの久保田さんはブラジル話、特に北東部の話をしていると、すごくイキイキしている。

 夜はその久保田さんとウォーマッド会場を歩く。今日のメインは、なんと言ってもティナリウェンだ。久保田さんも、今回のウォーマッドでもっとも期待しているのが彼らだと言っていた。そこで一緒にバックステージに行ってメンバーに会わせてくれとせがんだり、写真を撮ったり、その後には公演も熱心に見ていた。
 久保田さんの話に合わせるわけではないが、ティナリウェンのメンバーは、どことなくブラジル北東部の人たちと似ている。リーダーのイブラヒムなんて、レシーフェあたりを歩いていてもおかしくない風貌だ。そして音楽のほうも、ぼくにはどことなく北東部を思い出させられるところがある。
 そんな公演の内容については、このサイトに別のページを設けてリポートするつもりでいるので、そちらで読んでももらうとして、ここではただひとつ、ティナリウェンが昨年見たときとは比べ物にならないほどパワーアップしていることだけは、伝えておくことにしよう。特に若手のメンバーたちの成長ぶりがすばらしい。世界中をツアーして行くことで、すっかり自信を持ったようだ。これなら、日本公演も期待できる。きっとすばらしい公演になるだろう。

 さらに印象に残ったのが、リーダーのイブラヒムが、そんな成長著しい若手たちを束縛することはなく、まったく自由にさせていること。もちろん、ステージでもっともカリスマティックなのはイブラヒムであり、彼がいないティナリウェンは考えられない。でも、それでも彼はでしゃばろうとはしない。大事なところだけ、バンドをしっかり纏め上げているという感じだ。
 アフリカ音楽のバンド・リーダーというと、サニー・アデにしてもユッスー・ンドゥールにしてもサリフ・ケイタにしても、まさにバンドの王様という感じの人ばかり。常に自分を中心におきたがる人が多かったように思う。でも、その中でイブラヒムの、王様のようにはふるまわない。若手に自由を与えるスタンスは、非常に独特に思える。アフリカ音楽の中でティナリウェンの持つ新しさとは、ひょっとしたらそこなのかもしれない。

 明後日はそんなイブラヒムに、単独インタビューする予定だ。今日、公演が終った後にお願いした。通訳はもちろんアンディーさんにやってもらう。そう決めたら、なんだか久しぶりにワクワク気分になってきてしまった。久保田さんとかつてのアジアでの仕事のことを語り合ったせいで、ぼくにも評論家時代のスピリットが少し戻ってきたのかもしれない。

 

8月26日(金)

 朝8時過ぎにティナリウェンのメンバーがシンガポールに到着した。同じホテルに泊まることになっているので、レセプションから電話をもらい、さっそく会いに行った。彼らと会うのは昨年のロンドンでのウォーマッド以来。ほぼ1年ぶりだ。今回はシンガポールでウォーマッドに出演した後に来日、というスケジュール。そこでぼくはシンガポールに先乗りして、いくつかの問題を解決することになっている。
 そんな問題については、ここでは書けない。それより、彼らが元気一杯で到着してくれたこと。昨年以上に自信満々だということだけ、お伝えしておこう。なにしろ、シンガポールのウォーマッドでは、メイン・ゲスト扱い。公演も、一番見やすい時間に行われる。昨年のロンドンでのウォーマッドで<いま世界で最高のライヴ・バンド>と賞賛されたことで、彼らの立場も大きく変わったようだ。
 マネージャーには、音楽ジャーナリストのアンディー・モーガンさんが同行。彼とはティナリウェン以外でもいろいろ交流があるので、久しぶりに会えるのは、嬉しい。それに、ティナリウェンのメンバーは、全員英語ができないので、今回ぼくが直接お話できるのは、アンディーさんと、サウンド・マンのジャジャくん(フランス人)くらいだ。アンディーさんが来てくれて、本当にありがたい。

 ティナリウェンのメンバーは、仕事がなければ、ほとんどホテル周辺から動こうとしない。アンディーさんによると、言葉が通じる国に行っても同じなのだそうだ。メンバーが一緒に行動することもないようで、トランプをやっている人、ホテルの下のショッピング・センターに行く人と、人それぞれ。リーダーのイブラヒムはホテルの部屋にいるのが好きのようで、テレビを見たり、音楽を聞いたりして、リラックスしていた。

 昼間にいろいろ仕事を済ませて、夜はアンディーさんとふたりで中華街で食事。いまのヨーロッパのワールド・ミュージックの状況などを教えてもらった。彼は、専門は西〜北アフリカだが、世界の音楽を幅広く聞いている人。せっかくアジアに来たんだから、インドネシアやマレイシアの音楽を聞いたほうがいいと言って、インドネシアのクロンチョンの不思議な歴史を説明したら、とても関心を持ってくれた。インドネシアあたりにポルトガル・ルーツの音楽があるなんて、ヨーロッパでは(インドネシア人が多く住むオランダを別にして)全然知られていない。アンディーさんには、当社で発売しているアルバムなどのサンプルをまとめて持って帰ってもらって、少しでもヨーロッパで紹介してもらいたいと思う。

 今日はウォーマッドの初日。でも、昼間の雑用で思い切り疲れたこともあって、コンサートには行かず、ホテルで静養することにした。今日出演する重要アーティストは、みんな明日も公演がある。それを見ればいいだろう。明日は昼間から重要な打ち合わせがあるので、今日は10時過ぎに寝ることにした。

 

8月25日(木)

 たった一晩のバンドゥン滞在。今日はジャカルタに戻って、夕方の飛行機でシンガポールに行かないといけない。ジャカルタは交通渋滞がヒドいので、あまり遅くに帰ると、飛行機に乗り遅れる危険がある。エガくんにお願いして、お昼の汽車を予約してもらった。

 今日の朝にできることはただひとつ。ジュガラ・レーベルなど、スンダ地方のほとんどのレーベルのディストリビュートをしているトロピックという会社を訪れて、新作カセットなどを買うことだ。ジャカルタではカセット屋さんに行くヒマはなさそうなので、ここで買っておかないと、今回のインドネシアの旅では収穫ゼロということになってしまう。
 朝9時にチェピーくんと待ち合わせてトロピックに直行。さっそくエサ箱を漁ったら、デティ・クルニアの新作らしきアルバムがあるので、嬉しくなってしまった。前回の旅行でも、デティの見たことのないカセットを見つけたが、そのときには新作かどうか、確信が持てなかった。でも、今回はスンダ音楽シーンに精通しているチェピーくんがそう言うのだから、間違いないだろう。さらにもう1本、これまでに見たことがないディアン・レーベルのデティのアルバムも発見したが、これは5年くらい前にチェピーくんのスタジオで録音したものだそうだ。ぼくはこの時期のデティの録音を聞いたことがない(あまりニュースがないので、歌手をやめてしまったのかと思っていた)。どんな内容かはわからないが、帰ってから聞くのが楽しみだ。
 それにしても、チェピーくんは、スンダ音楽について、本当に詳しい。ぼくなんかが知らない歌手のものを漁って、次々とお勧め品を持ってきてくれる。ジャイポンガンなどは、新作が少なく、リイシュー作品ばかりで、ぼくが買うものは少なかった。でも、それ以外のスンダ音楽はチェピーくんのおかげで、かなり買い揃えることができた。こういったカセットが次のバンドゥンでの仕事に役立ってくれることを願いたい。

 12時の汽車でジャカルタへ。3時過ぎに無事到着して、再びヘンダルミンさんに挨拶するために事務所を尋ねた。そこにはスタジオもあって、ちょうどクロンチョンのベテラン女性歌手のトゥティ・マルヤティがレコーディングをしているのだとか。面白そうだから、スタジオを覗いてみることにした。
 そうしたら、なんともビックリ。彼女がそこで歌っていたのは、日本語の「ブンガワン・ソロ」ではないか! ビックリしているぼくを見て、ヘンダルミンさんはニコニコ笑っている。なんでも、ぼくがバンドゥンから帰ってくるので、日本語の発音をチェックしてもらおうと、わざわざトゥティさんを呼んで、今日レコーディングすることにしたのだそうだ。スタジオには伴奏を務めるアチェップさん(80年代最高のクロンチョン・バンドだったオルケス・ビンタン・ジャカルタのギタリストだった人)もいる。アチェップさんは、かつてビンタン・ジャカルタの同僚だったマントースからぼくのことを聞いていたそうで、とても温かく迎えてくれた。
 それにしても、トゥティさんは相変わらず歌がうまい。アチェップさんの伴奏は、ビンタン・ジャカルタのどの完成度はないが、素朴な味わいがあって、なかなかだ。そんな二人によるクロンチョンを聞くと、すごく安心した気分になる。聞くクロンチョンの優しくまろやかな音色は、ぼくの旅の疲れをすっかり癒してくれた。

 そんなヘンダルミンさんの事務所を後にして、夜8時過ぎの便でシンガポールへ。ここではライフ・レコードのオスマン・アリフィンくんがわざわざ迎えに来てくれていた。そんな彼と一緒に、インド料理屋さんで軽く食事。オスマンくんと会うのは久しぶりなので、話さないといけないことはたくさんある。思えば彼との付き合いももう10年以上。ちょうど知り合った頃に生まれた彼の子供が11歳になったと聞いて、ビックリしてしまった。
 そのオスマンくんにホテルまで送ってもらって、1時過ぎに就寝。さあ、明日はティナリウェンのメンバーもシンガポールにやってくる。いよいよ、本格的な仕事のスタートだ。

 

8月24日(水)

 ジャカルタはやっぱり暑い。でも、日本の夏に比べたら、過ごしやすく感じてしまう。ましてや、今日はもっと高原に位置するスンダ地方の中心都市バンドゥンに行ったので、ますます涼しく感じる。
 お昼にヘンダルミンさんの事務所に行って、ジュガラ・スタジオのチェピーくんと、クンダン奏者のエガくんと待ち合わせ。彼らが車でバンドゥンから迎えに来てくれたおかげで、新しい高速道路を通って、いつも以上にスムーズにバンドゥン入りすることができた。ジャカルタからバンドゥンまで2時間で行けるなんて(交通渋滞がなかった場合だが)、なんとも便利になったものだ。

 バンドゥンに着いたら、さっそくチェピーくんたちと打ち合わせだ。仕事の話なので、内容は詳しく書けないが、彼らとは来年、また一緒に仕事をしようと思っている。でも、インドネシアでの仕事は、メールのやり取りだけでは絶対に準備ができない。やっぱり人間同士、顔をあわせて話し合ったほうが話が通じるというほうが良いのに決まっているわけで、だからこうしてわざわざバンドゥンまでやってきたわけだ。おかげで、仕事の話は2時間ほどで済ませることができた。
 ただ、問題がひとつ。チェピーくんの師匠に当たるググム・グンビーラさんとの会見も予定していたのだが、ググムさんの家を訪れたら、彼はすっかりそれを忘れてジャカルタに行ってしまったのだとか。ググムさんに電話したら、いまからジャカルタに来ないか、なんてことを言っている。いまバンドゥンに着いたばかりなので、それはどう考えても無理だ。仕方ないから、英語がわかる息子さんとサンバスンダのイスメットくんに伝言を残して、帰ることにした。

 でも、そこでイスメットくんに久しぶりに会えたのは、良かった。とても嬉しいニュースを聞けたからだ。なんでも、サンバスンダはいよいよ世界進出を目指すようで、ドイツのネットワークというレーベルに新作を録音したのだそうだ。プロデュースは、サバ・ハバス・ムスタファことコリン・バス。録音は年のはじめに終っていて、ミックスやマスタリングも完了。もうすぐ発売されるというから、嬉しい話だ。ネットワークだと、当社での配給にはならないのでプロモーションは協力できないが、日本でもぜひ売れてくれることを願いたい。

 夜はチェピーくんとエガくん、それに新進女性歌手リカさんもまじえて、スンダ料理の夕食。リカさんには新しいカセットをもらったので、スタジオでちょっとだけ聞かせてもらったら、キュートなコブシ回しが魅力的な、思ったよりずっと良い歌手だった。リカさんは伝統歌謡の大御所エウイス・コマリアさんに教わっているらしく、古典的な曲ではすばらしい歌声を聞かせる。スウィートな歌声が魅力だ。サンバ・スンダやクンダンのエガくんもそうだが、バンドゥンではこのように次々と若い世代が台頭している。そんな世代が今後、インドネシアだけでなく、世界で活躍する日がくるのを楽しみに待ちたいところだ。

 

8月23日(火)

 なんとか目覚めて、予定通り、5時半に出発。成田には7時半に到着し、チェック・インを済ませたら、ちょっと安心できた。シンガポール経由でジャカルタに向かう予定だが、飛行機はそれほど込んでいないそうなので、窓際の席を取り、隣にはできるだけ他の人が座らないようにとワガママなお願いをしてみる。確約はできませんが、と言われたが、乗ってみたら、本当に隣には人が来なかった。ラッキーだ。これなら横になって寝ることができる。離陸したら、すぐに爆睡体勢。食事も取らないで、ひたすら眠った。

 夕方にジャカルタに到着。すぐにホテルに向かう。今日は取引先であるグマ・ナダ・プルティウィ社のヘンダルミン・スシロ社長と、夕食を取りながらの打ち合わせの予定が入っている。夜8時過ぎになって、ヘンダルミンさんは息子さんのジャカウィナタくんと一緒にホテルに迎えにきてくれた。
 なんでもヘンダルミンさんは、忙しい合間を縫って、今日はジョグジャカルタに行き、日帰りしてきたのだそうだ。表情を見ても、かなり疲れている。しかも、その理由というのが、スゴい。インドネシアの独立前後にクロンチョンの最大の大物として活躍した作曲家に故クスビニという人がいるのだが、今日はそのクスビニの未亡人が病気だと聞いたので、お見舞いに行ってきたのだそうだ。ジョグジャに行っても、他に用事は何もない。奥方とは、プルティウィ社から出たクスビニ作品集の作曲家印税を払っているくらいで、さほど面識もない。そんな彼女のお見舞いをするだけのために、忙しい合間を縫ってわざわざジョグジャに行ってしまうのだから、さすがにヘンダルミンさんだ。
 ヘンダルミンさんは、インドネシアのレコード会社の社長さんがほとんどそうであるように、華人だ。でも、クロンチョンがとにかく大好きで、膨大な数のクロンチョン・レコーディングのカタログを持っているいる。有名な「ブンガワン・ソロ」の作者であるグサンさんとも親しく、昨年のグサンさんの誕生日にプレゼントするためにと、分厚い本を出してしまったらしい(ぼくはデザイン作業の途中で見せてもらっただけで、まだ実物は見ていないが)。クスビニは早くに亡くなってしまった人なので、生前に交流があったと思えない。でも、こうしてその遺族とはちゃんと付き合っている。きっと、クロンチョンの重要な音楽家たちのすべてと、そのように接しているのだろう。インドネシアにおいて、クロンチョンはあまりに古い時代の音楽で、カセットを出したって、そうは売れるわけはない(実際、他の会社はクロンチョンのアルバムなんて、もう発売していない)。ヘンダルミンさんがそんなクロンチョンを、ここまで大切にしているのは、他でもない、彼がそれほどこの音楽が好きだからだ。
 そんなヘンダルミンさんと話をしていて思ったのが、ひょっとして、もともとクロンチョンという音楽を支えていた中に、華人たちが多かったのかもしれない、ということだ。かつてはクロンチョンの音楽家にも華人は数多くいた。そんな音楽家たちを、結婚式などのパーティでやとったりしていたのも、華人たちだった可能性は高い。ヘンダルミンさんは、そんなインドネシアの華人の伝統を受け継いだ、数少ない人のひとりなのかもしれない。

 ちなみに、ぼくが作ったワルジーナさんのクロンチョン・アルバム2枚も、インドネシアではヘンダルミンさんの会社から発売されている。もうずいぶん前の録音なので、もうとっくカタログから外れてしまったかと思ったら、まだちゃんとカセットで発売され続けているのだそうで、ありがたい限りだ。ヘンダルミンさんが元気なうちは、インドネシアからクロンチョンのカセットやCDがなくなることはないだろう。

 

8月22日(月)

 明日から海外出張。まだ仕事が残っているので、今日はとびきり忙しい一日になった。
 朝早く起きて、まずはジョアナ・アメンドエイラの解説原稿を脱稿。海外へのメールなど、他の書き物も終らせてから、事務所へ。今度は経理関係の仕事を整理。帰国が30日で、いきなり翌31日が締め日(支払い日)だから、いまからある程度準備をしておかないと、支払いが間に合わなくなってしまう。そして今週のリストの打ち合わせを済ませてから自宅に戻って、今度は旅行の準備。今回の旅行は、一週間と短いけど、細かい打ち合わせ仕事がたくさんあるので、持ちものが多い。シャツとかを現地調達することに決めたので、なんとか手持ちのバッグに収まったが、詰め込むのにかなり苦労した。そして、気がついたら、もう午前3時。明日は5時半に出発の予定なのに、はたして起きられるだろうか。

 

8月21日(日)

 朝から旅行の準備。必要な書類とか資料とか、仕事関係のものをまず揃える。着るものは、今回も現地調達になりそうだ。日本よりも安く買えるから、というのも理由のひとつだが、それ以上に、預けた荷物を何度も紛失されているので、できるだけ全部機内持ち込みしたいからだ。現地に着いて荷物がなかったときのあの脱力感は、もう二度と味わいたくない。 
 午後からは、やはり旅行中の仕事の最終確認のための打ち合わせを3本。今回はある出版社の仕事もやることになっているのだが、そちらもほぼ準備完了だ。長い一日の最後は、沖縄料理店で泡盛を少し。昨日より体調が良くなってきたらしい。

 

8月20日(土)

 朝からひたすら原稿書き。ジョアナ・アメンドエイラの新作ライヴを何度も聞き返しながら、なんとか70パーセントくらいは書き上げることができた。普段だったら、解説原稿は3時間くらいで書き上げるのだが、こうも暑いとなかなか仕事が進まない。というか、今回は、CDをかけるとじっくり聞き込んでしまって、原稿に手がつかない感じ。それくらい、すばらしい内容だということです。

 夕方から、浅草の友人たちとの会合に出席。久しぶりに会う人たちだったので、ゆっくり飲もうと思ったが、疲れているのか、お酒が全然進まない。彼らには申し訳ないけど、早々に引き上げさせてもらうことにした。ちょっと夏ばて気味なのかも。

 

8月19日(金)

 アンディー・パラシオさんに朝から何度か電話して、午前10時頃にやっと話すことができた。ちょうどコンサート会場に出発する直前だったため、10分ほどの会話。残念ながらインタビューというわけにはゆかなかったが、けっこう話は弾んで、今後もメールのやり取りをさせていただくことを了解していただいた。
 なんでもアンディーさんは、これが2度目の来日なのだとか。昨年もなんかの催しに参加するために、来日したらしい。しかも、日本で歌うのはプンタ・ロックではなく、いつも本格的なパランダなのだとか。今回も5人の伴奏メンバーを連れてきて、伝統的なガリフーナ音楽をやっているのだそうだ。そんな貴重な公演が愛知万博だけでしか見ることができないなんて、やっぱり残念。アンディーさんの紹介でベリーズ大使館の人ともコンタクトを取れたし、ぜひ次回は東京のどこかで小さな公演でもできるようにしてもらいたいと思う。
 ちなみにNHKがそんなアンディーさんのステージを収録したそうだが、どの番組で放映されるのか、もちろん本人は知らない。いまベリーズ大使館の人に調べてもらっているので、わかったらこの欄でご紹介することにしたい。

 

8月18日(木)

 昨日に続いて、最小限の仕事をしただけで、午後からは体を休めることに。来週は海外出張もあるし、そこで体調を崩してしまったら仕事に支障をきたすので、いまのうちに休みを取っておくことにした。まあ、休みといっても、自宅にいれば仕事の電話もあるし、取引先からメールも入ってきたりする。あまり休んだ気はしなかったが…。

 ビックリしたことがひとつ。昨日あちこちに電話して捜索しても所在がつかめなかったベリーズの大スター、アンディー・パラシオさんだが、ぼくが探していることをどこかで知ったのか、なんと夜になって、本人自らメールを送ってきた。もう愛知万博入りして、豊田市内のホテルにいるのだそうだ。今日はNHKの番組の収録を終えて、さらに中米パビリオンでも1回公演をしたらしい。明日の午前中にでも連絡をくれというので、とりあえず電話をすると返信しておいた。
 当社で配給した彼のソロ・アルバム『ケイモウン』も、もちろんぼくは大好きだが、それ以上にガリフーナ・オール・スターズ名義の『パランダ』に参加したときの彼のソウルフルな歌声が忘れられない。ベリーズにおいて、ガリフーナ人の音楽を体現した最初のポップ・スターがパラシオさんなのだそうだが、そのあたりの経緯を、せめて電話ででも、詳しく聞いてみたいところだ。もしも何かわかったら、この欄で紹介することにしたい。

 今回のパラシオさんの件もそうだが、日本にいても海外出張中のときも、ぼくは音楽家に会う機会が非常に多い。来週にはシンガポールのWOMADでティナリウェンやシーラ・マジッドに会うし、その前にジャカルタとバンドゥンでも音楽家に会う予定がある。そんなとき、ただ会って挨拶して仕事の話をするだけじゃつまらないので、いっそのこと、ぼく自身がインタビューをして、このホームページに記事を書こうかという気分になってきた。自分でレーベルをやるようになってから、もう音楽ライターじゃないんだから、解説原稿以外は書くべきではない、という気持ちが強かったが、どこかの雑誌ではなく、自分のホームページに書くだけだったら、問題はない。特に当社で配給している歌手やグループのことは、このホームページで読めたほうが便利に決まっている。なによりも、ぼくだけにしかないインタビュー・チャンスを、逃す手はない。
 問題は、そんなページを作る時間がどこにあるか、だが、それは時間を作るしかないだろう。幸い最近はぼくがいなくても、社員だけでリストを作れるようになってきたし、解説原稿も彼らにずいぶん書いてもらっている。その空いた時間を、制作やプロモーションだけでなく、原稿書きに使えるようにすれば、なんとかなるかもしれない。
 まあ、そんなこと、アレコレ考えていても仕方がない。まずはアンディー・パラシオさんから、この企画をはじめてみることにしよう。明日の朝に無事電話に出てくれるといいのだが。

 

8月17日(水)

 必要最小限の仕事を午後早い時間までに終らせて、その後は休ませてもらった。相変わらず肩こりがヒドい。体もかなり疲れているようだ。こうなると、いくら仕事好きのぼくでも仕事にならない。

 

8月16日(火)

 今日になってとんでもないことがわかった。先に当社から本邦初アルバムを配給したアンディ・パラシオを中心としたガリフーナ人のグループが、愛知万博に出演するらしい。というか、そのためにすでに来日しているというから、ビックリしてしまった。知らせてくれたのは、ストーントゥリーのイヴァン社長だ。実は俺も今日まで知らなかったんだ、なんて調子で、申し訳なさそうにメールをくれた。彼のスタッフが送ってくれたパラシオたちの予定表を見ると、18日(木)にNHKの番組出演が予定されている。愛知万博の会場には、その後に移動するらしい。
 もしももっと早い段階で来日がわかっていたら、インタビューをセットしたり(というより、誰よりも先にぼく自身がインタビューしたい)、やれることはあったのだが、すでに日本にいるのに、どこにいるのかわからないとなると、いまのところ手の打ちようがない。今日はもう遅いので、明日あたり、ベリーズ大使館とかに電話してみるしかないだろう。もしもそれでわからなかったら、愛知万博の中米パビリオンか、あるいはNHKか…。所在がわかったとしても、はたして会いに行く時間を取れるかどうかという問題もあるのだが。
 7月にはハビエール・ルイバールも万博出演のために来日した。ひょっとして他にも、当社で配給している歌手やグループがこっそり来日しているのかも。

 

8月15日(月)

 事務所に行かず、終日自宅作業。午前中にすべての雑務仕事を終らせて、やっと午後から解説原稿など本格的な仕事に手をつけることができた。今週中に書き終えたい原稿は全部で4本。できるだけ他の仕事を入れないようにして、良いものが書けるように頑張りたい。

 当社は例年、会社の夏休みはもうけず、社員がひとりずつ順番に夏休みを取っている。CD店が休まないのに、配給会社が休むわけにゆかないからだ。先週の金曜日から明後日まで、まず昌くんが夏休み。月末はぼくが海外出張でいないので、宮川くんと伊東くんは9月に入ってから取ることになった。たった5日間(しかも土曜と日曜を含めて)の夏休みと、ヨーロッパの取引先に比べたら圧倒的に少ない<休暇>で申し訳ないとは思うが、余裕のない会社だからこれ以上はどうにもならない。時間は短いけど、少しでも楽しんできてもらえたらと思う。

 最近の楽しみは、母親の田舎である香川県小豆島から送られてきた冷麦を食べること。今日はジョアナ・アメンドエイラの新作を聞きながら、ミョウガを薬味に、楽しんだ。ぼくが一番夏を感じるのが、この冷麦を食べることで、これがないと、どうも夏が来た気がしない。ジョアナの新作もすばらしいし、冷麦もあいかわらず美味しい。ヨーロッパからのメールも少なく、久しぶりに自宅でゆっくりできた夜だった。

 

8月14日(日)

 朝から雑務仕事をたんまり。夕方までひたすらコンピュータに向かって、会社仕事をこなした。月末にジャカルタ〜シンガポールの出張があり、その後にティナリウェンが来日。だから今月の月末は仕事にならない。それまでにやるべき仕事を片付けておかないといけないからだ。書くことになっている解説原稿もたくさんあるので、来週からはそれに集中したい。世間はお盆休みで、旅行に出ている人も多いようだが、別に羨ましくもなくなってしまった。

 夜はテレビで世界陸上の女子マラソンを観戦。マラソン中継を見ると、いつも自分が走っている気になって熱くなってしまうが、今日もそうだった。ラドクリフは、最初から自分中心のレース運びになったときには、さすがに強い。スタート時の気温が低かったことが、彼女には良かったようだ。気温が5度高かったら、もっと面白いレースになっていただろう。
 それにしても残念だったのは、テレビ中継が日本選手の動向を追っかけすぎで、一番の見所だったはずの、ラドクリフが2位の選手を振り切って独走になる瞬間の場面が映し出されなかったことだ。ラドクリフの独走場面なんて、放送しても視聴率を取れないからだろうが、独走になる瞬間の最後の駆け引きくらいは、じっくり見せて欲しかった。

 実はぼくは中学と高校時代、陸上競技部に所属していて(しかも専門は長距離)、だからマラソンにはすごく親しみを持っている。オリンピックは男女ともいつも見るし、日本での試合も、君原選手や宇佐美選手が活躍した時代から、テレビ中継があれば、だいたい見てきた。いまでもサッカー以上に熱くなるのが、マラソンを見ているときだったりする。
 そういえば、陸上競技をやっていた頃に、すばらしい出来事もあった。ぼくの憧れだった君原選手を育てたのは、新日鉄の高橋コーチという人だが、ぼくは中学時代にその高橋コーチに練習法について手紙を書いたこともあった。そしたら、しばらくして、信じられないほど丁寧なお返事が返ってきた。高橋コーチは、練習メニューを作ってくださっただけでなく、ぼくの家の近くの地図まで調べて、このあたりにクロス・カントリー(ファルトレク)が出来るコースがあるはずだから行ってみなさい、とまで言ってくれたのだ。そのとき、ぼくはまだ1500メートルでやっと5分を切れた程度の中学生。そんな弱い選手にも、高橋コーチが真摯な態度で接してくれたことに、ぼくは本当に感激してしまった。
 その手紙は、いまも家宝として、大事に保管してある。高橋コーチのおかげで、中学3年生の時には地区大会で優勝できたが、そのときの表彰状を紛失してしまったいま、陸上競技をやっていた時代の唯一最大の思い出の品が、この手紙になった。

 

8月13日(土)

 午前中は、雑用の続き。そして午後から、久保田麻琴さんとある仕事のための打ち合わせに出かけた。
 久保田さんとは電話やメールでしょっちゅうやり取りしているが、お互いに忙しくて、お会いするのは本当に久しぶり。ひょっとしたら、会社をはじめてから7年以上、ご無沙汰だったかもしれない。久保田さんと打ち合わせ、なんて書くと、サンビーニャが久保田さんと一緒にレコーディングをしようとしているように思われそうだが、そういうことではない。ぼくが久保田さんの元で一緒にアルバム制作の仕事をしたのは、もう10年以上前のこと。いまさら一緒にものを作ることはないだろう。ただ、そういう話とは違って、今回は久保田さんとしてもこれまでのお仕事を総括するようなプロジェクトのようなので、お手伝いすることにした。内容はいまのところ秘密だが、出来上がったら面白いものになりそうだ。完成が近づいたら、この欄でご報告することにしたい。

 夕方にお墓参りをしようと思ったら、いきなり雨が降ってきてズブ濡れに。ゆっくりお参りもできなかったので、仕切りなおしして、火曜日にまた行くことにした。4年前に亡くなった父親には報告しないといけないことがたくさんある。次はゆっくりお参りしたい。

 

8月12日(金)

 朝から夜まで、ひたすら会社の雑務仕事。いつもの金曜日と同様だ。ただ、せっかくの金曜日だから、夕方には仕事を終えて、どこかで食事でもしようと思ったのだが、外国の取引先とのメールのやり取りが夜9時まで続いてしまい、結局それは出来なかった。まあ、昨日飲んでいるので、今週はガマンするべきなのだろう。

 そんな夜に、サラーム海上さんが送ってくれたトルコ盤のCDRを楽しむ。当社の取引先であるダブルムーンの新作だが、日本での配給権がないアルバムだそうで、ダブルムーンからはサンプル盤をもらえなかった。それをサラームさんにダビングしてもらったのだが、これがなかなかにすばらしい内容。すっかり盛り上がってしまった。さっそくダブルムーンにメールを送って、日本での配給権を取ってもらうようにお願いしたのだが、さて、どうなることか。
 ダブルムーン作品については、好きな人もそうでない人もいるようだが、ぼく自身は、いまのところどっちでもない。というか、ダブルムーン作品はまだまだ完成品ではなく、実験段階を楽しむものだと考えているからだ。そんなダブルムーンにおける実験が、トルコ音楽の本流に刺激を与え、トルコ音楽に新しい方向を生み出してくれたらといつも願っている。そうなったときに、こうした実験はもっと高く評価されることだろう。
 ベテランたちが健在で、なかなか新しい音楽が生まれてこないところは、トルコも世界のほかの国と同様だ。ダブルムーンがそんな壁をぶち破ってくれることを願いたい。そう思うから、ぼくはこの会社の日本配給権を取らせていただいた。

 

8月11日(木)

 入荷が多いときには、一緒にサンプルも送られてくるので、チェックしないといけないアルバムが一気に増える。いまがちょうどそんな感じで、急に聞かないといけないアルバムが増えてしまった。
 タダでCDが聞けるのだから、楽しい仕事だと思われるかもしれないが、実際にやってみると、そうでもない。送られてくるアルバムが全部面白いわけはないし、面白いのはごく一部。つまらないものほうが圧倒的に多いからだ。それらを全部マジメにチェックしていたら、誰でも1ヶ月で音楽が嫌いになると思う。そうならないようにするには、とりあえずは適当に聞くしかない。そうして良いものを探してゆく作業は、けっこうタイヘンだ。

 そんなサンプル盤の中で、今日ぼくが楽しんでしまったのが、コンゴ音楽のニボマの80年代前半の録音だった。コンゴの音楽を昔から聞いている人には良く知られているアビジャン録音の音源だが、これがいま聞いてもけっこう良くて、今日は仕事中、ずっとかけっぱなしにしてしまった。
 80年代前半と言えば、キンシャサではザイコ・ランガ・ランガなど、新世代の台頭で、ストリート色強い音楽に人気が集まった時代だ。でも、アビジャンでは、反対にすごく洗練された、スウィートなコンゴ音楽が作られていた。でも、この甘さにだまされてはいけない。ニボマはもともとヴェルキスが育てた男性歌手。ヴェルキスはフランコ楽団出身のサックス奏者で、70年代後半にはオルケストル・ヴェヴェを率い、師匠であるフランコ楽団を凌ぐほどのすばらしいコンゴ音楽を作り上げていた。ニボマの音楽は、そんなフランコやヴェルキスが作り上げた優雅なコンゴ音楽をさらに洗練させたものとも言える。だからスウィートではあっても、人口甘味料のそれではない。いま聞いても楽しめるのは、そのせいなのだろう。
 なんて、コンゴ音楽ファンならすでにご存知のことをわざわざ書いたのは、実は当時ニボマのアルバムが日本で出た頃、ぼくは彼の甘い歌声が苦手で、せっかく買ったレコードをほとんど聞かなかった記憶があるからだ。当時のぼくはストリートの野生をむき出しにしたキンシャサの音楽が好きで、実はフランコなんかも、あまりに大人っぽくて、ピンと来なかった。そんなぼくの趣味が大きく変わってきたのは、90年代になってからだ。それも、コンゴ音楽をより深く聞くようになったからではなく、むしろフランコたちもお手本をしたと思われる古い時代のキューバ音楽をたくさん聞いたおかげで、混血音楽ならではのまろやかさな味わいがわかるようになってきた。そうして、今度はフランコやヴェルキスが好きになり、いまになってニボマも新鮮に楽しめた。すごく遠回りしたけど、結局は楽しめたのだから良かったのだろう。
 最近は古い時代の音源を聞きながら、最初に聞いたときとは違った新鮮さを感じることが多い。これは新録のアルバムに面白いものが少ないせいもあるだろうが、でも新しい音楽がつまらないと嘆くより、いまは過去の音楽を聞きなおす良い時期なのだと思ったほうがいいのかもしれない。

 仕事の後、夜は新宿に繰り出して、音楽評論家の蒲田耕二さんと、東京電力にお勤めの強力音楽好き、荻原和也さんと、3人で飲み会。ご両人には久しぶりにお会いしたので、場は大いに盛り上がり、いろんな話題が飛び出したが、お二人がファドのマリア・テレーザ・デ・ノローニャをお好きだと知れたのが、嬉しかった。ぼくは彼女のCDを計6枚持っているので、それらをCDRに焼いてお二人にプレゼントすることにしよう。

 

8月10日(水)

 明日の朝に書くはずだった日記を、今日も夜に書いている。今日も話が暗そうなので、朝に書いても変わらないと思ったからだ。

 今日も相変わらず忙しい一日。朝は昨日のメールのやり取りの続きをやって、午後には月末の海外出張の日程作りや、ティナリウェンの取材に関する段取りをしてから、夕方にタワー・レコード新宿店に行って、ワールド担当の篠原さんと今後のプロジェクトについての打ち合わせをした。篠原さんとふたりだけでゆっくりお話をできたのは久しぶりだ。

 なんともメゲることが起きたのが、その後。深夜に自宅に戻り、パソコンを空けてメールをチェックしていたら、プロマックスさんからのメールに、ティナリウェンの来日公演の先週までの前売りの売り上げ枚数が記されていたのだが、それを見て、愕然としてしまった。こんなに売れてないなんて、誰もが信じられないくらい、とんでもなく低い数字だったからだ。たまたま今日お会いした篠原さんと、タワー新宿店だけでティナリウェンの『アマサクル』を何枚売ったか、という話をしていたのだが、現在のところ、公演の前売りは、新宿店一店だけの売り上げ枚数の半分にも満たない。もう愕然なんてもんじゃない。目の前が真っ暗になってしまった。

 前売りが売れない理由は、確かにある。椅子席の少ない、ほぼオール・スタンディングのコンサート。そして当日券も前売り券の値段が同じじゃ、前売りを買う意味は、確かにない。それはそれでわかるのだが、でも、売り切れたら困るから早く前売りを買おうという几帳面かつ熱心な音楽ファンの方もいらっしゃるはずだ。そういう人がある程度はいるとしたら、いくらなんでもこの数字は少なすぎる。
この数字だけを見れば、誰もがどうしょうもないくらいガラガラのコンサートになってしまうと思うだろう。ぼくもそう心配するし、プロマックスの方々も、そろそろそう思いはじめているらしい。いま思えば、昨日の打ち合わせでも、企画を持ち込んだぼくに対する視線が、非常に冷たかった。

 コンサートに行くつもりの方は早く前売りを買ってください、なんてお願いは、本当はしたいけど、できない。でも、アルバムを気に入ってくださった方は、なんとかご都合をつけて、コンサートにいらしてください。いま世界で、これほどエキサイティングなライヴを楽しませてくれるバンドは、そうはない。実際に公演を見たぼくが保障します。いまが旬であるティナリウェンを見逃してしまったら、本当にもったいないですよ。
 どうか、よろしくお願いいたします。

 

8月9日(火)

 今週は珍しく入荷が重なっている。フランスの3社とイギリスの3社。さらにこの後、ポルトガルとトルコからも荷物が入ってくる。先方の夏休み前に出せるものは全部出してもらうことにしたら、全部が同じ時期に入ってきてしまった。おかげで社員のみんなは大忙しだ。ご存知のように、当社の商品は、ほとんどにオビと解説が付いているのだが、それをつけるのは全部手作業。みなさんが想像する以上にタイヘンな仕事だ。そんな作業を黙々とこなす当社の社員は、みんな本当によく頑張ってくれていると思う。

 ぼくのほうは、午前中は解説原稿を書いたり手紙を書いたり。午後は事務所で雑務仕事をこなしながらサンプル盤のチェックをして、夜はティナリウェンを招聘してくださるプロマックスさんの事務所でミーティングだ。それが終って帰宅したら、もう10時。さらにドッサリ届いていた外国からのメールの返事を全部送り終わったら、もう午前1時だ。これから晩御飯を作って食べないといけないから、寝るのはいったい何時になるのだろう。早寝早起きを理想としているぼくだが、ここ1週間ほど、すっかり遅寝早起きになってしまった。夏にこれでは、キツい。今日はもうヘトヘト。これ以上、もう何もできないというくらい疲れてしまった…。

 なんて調子で、夜に疲れた状態で日記を書くと、いつも愚痴ばかりになってしまう。これじゃ読んでいる皆さんも面白くないに違いない。夜に書くからいけないわけで、朝起きたばかりのフレッシュな状態で書けば、少し違うのかも。そうだ、明日からは、モーニング日記にしよう。

 

8月8日(月)

 体調があまり良くないので、予定していた打ち合わせをキャンセル。解説やオビ原稿の校正など、最低限の会社仕事だけをすませて、午後からは休養をとらせてもらった。昨日のマッサージが効いたのか、肩凝りは少し和らい気がするが、体の芯が疲れているらしく、どうにもダルくて仕事にならない。食欲が減退したわけではないので<夏バテ>ではないと思うのだが。

 

8月7日(日)

 暑いせいか、それとも冷房のせいか、ここ数日体調があまり良くない。なにより肩こりがヒドいし、体のフシブシも痛い。今日はあまりにヒドいので、あまり好きではないのだが、マッサージにかかってきた。ぼくの場合は、目が疲れると、肩コリになって、それが腰や足にも降りてくる。どこに行っても冷房がかかっているせいか、夏はコリがヒドいように感じられる。こうなったら、いくらワーカホリックのぼくだって仕事にならない。

 人間、あまりにストレスがたまると、ささいなことでアタマにきたり、冷静な判断を欠いたりするものだ。他でもない、ぼく自身がそういうタイプで、最近はテレビのニュース番組を見ていても、アタマにくると、画面にモノを投げたりすることがある。冷静になってみると、バカなことをしたと思うのだが、その場では感情をどうしても抑えられないから困ってしまう。だから、外にいるときには出来るだけそんな自分を出さないように努力しているのだが、実際は出てしまっているのかどうか、ちょっと心配だ。そう思ったときは、素直に仕事をやすめばいいのだが、それもままならないから、ますます困ってしまう。この日記も、忙しいとか、疲れたとか、そんな話ばかり。本当に申し訳なく思う。やっぱりヨーロッパ人のように、休暇を取るような習慣をぼくも学ばないといけないのかもしれない。高校生以来の夏休み、トライしてみますか。

 

8月6日(土)

 午後に昌くんとスタジオ作業。そして夜は、月末にライスから発売するジョアナ・アメンドエイラの新作ライヴを自宅に持ち帰って、何度も聞き返した。聞けば聞くほどすばらしい内容で、すっかりハマッてしまった感じだ。
 内容については発売されたときに聞いてもらうとして、印象的だったことをひとつ。ライヴだから、途中でジョアナのしゃべりッも少し入るのだが、これがなんとも可愛らしいことだ。堂々とした歌声に対して、しゃべると20歳ちょっとの女の子らしさが出てしまう。歌うときと話すときでは声そのものが全然違う。そのギャップがあまりに大きくて、なんとも可愛らしく思えてしまうのだ。最初の曲が終ったあとで照れくさそうにいう<ありがとう>なんて、世界で一番可愛らしい<ありがとう>だ。
 それにしても、ライヴでこれだけ歌えるのだから、ジョアナは本当にすばらしい。スタジオ録音よりもノビノビしているし、自然な抑揚のついた歌声にも感じられる。こんなすばらしい歌を聞いてしまったら、ぜひ近いうちに日本にやってきて、公演を開いて欲しいと思ってしまう。そんなことになったら、また当社は忙しくなってしまうことだろうが、それも仕方がない。なによりぼく自身が、彼女の公演を、本当に見てみたい。

 ジョアナを聞いていたら、ついファドのほかのアルバムも聞きたくなって、これまで集めてきたSPやLPを片っ端からかけてみた。ファドは、まだまだ語りつくされた音楽ではないし、もちろんぼくが持っているレコードだけでは、そのすべてはわからない。でも、そんな未知の部分がある音楽のほうが、聞いていて楽しい。スリリングだ。10月のポルトガル旅行で、そんな未知の部分が補えるようなレコードに出会えるのが、いまから楽しみ。スリリングな旅になることを期待したい。

 

8月5日(金)

 8月はヨーロッパの取引先の多くが夏休みに入る。特にフランスの会社はほとんど8月いっぱいは夏休み。反対にイギリスでは、当社と一緒で、会社はやっているけど、社員がかわりばんこに休みを取るパターンが多いようだ。それでも、最低2週間は休むようで、1週間も取るのがやっとという日本とは全然違う。何度も書くけど、本当に羨ましい話だ。
 ただ、羨ましがりながらふと思ったのだが、もしもぼくが2週間の休みをもらったとした場合、ヨーロッパ人のように休暇をエンジョイできるのだろうか。思えば、1985年から20年間、仕事以外の目的で海外旅行をしたことがない。国内旅行も同じだ。そんなぼくが、もし休みを取れたからと言って、どこかに観光旅行に出かけるとは思えない。それじゃ、時間があったら何をやりたいかと言えば、思いつくのは、ゆっくりレコードを聞くことくらいだ。でも、これが非常に危険。というのも、もしぼくがゆっくりレコードなんて聞いてしまったら、それが仕事と無関係でいられるとは思えないからだ。最初のうちは、時間があると色々なレコードが聞けて楽しいね、なんて調子でエンジョイしていても、きっと途中から、ただ楽しんでるだけじゃ満足できなくなって、新しい編集盤の選曲でもはじめてしまうのがおちだろう。こういうのを世の中ではワーカホリックというのだろうが、本当に困った性分だ。
 ちなみに、当社では、社員はいちおう夏休みがあるが、ぼく自身は会社がはじまって以来、病気ととき以外、連休なんて取ったことがない。会社をはじめる前もそうだった。思えば、夏休みを最後に取ったのは、高校生のとき。これじゃ休みの過ごし方を知らないのは仕方がない。

 

8月4日(木)

 今日はリスト作成日。今週のメインは、ポルトガルのファドの新世代を代表する歌姫ジョアナ・アメンドエイラの新作ライヴになった。発売は8月28日の予定。夏が終って、秋の夜長に楽しんでもらうための1枚だ。

 思い出してみれば、ジョアナのことを知ったのは一昨年のウォーメックス。スペインでの開催ということでポルトガルのレーベルがいくつか来ていたのだが、そんな彼らにブラジル訛り(リオ訛り)のポルトガル語で話しかけたのがキッカケだった。彼らはきっと、ヘンな日本人がやってきたと、ビックリしたことだろう。そこでもらったのが、ジョアナの前作『ジョアナ・アメンドエイラ』(ライス CNR-540)のサンプルだ。それ以来、そのサンプル盤をくれたレーベル、CNMとは、もう2年間の付き合いになる。
 今年のウォーメックスは、イギリスでの開催だが、その前にパリに行く予定もあるので、ついでにポルトガルに寄ってみようと思っている。CNMの担当者とすっかり仲良しになったおかげで、ぜひ来てくださいと言われたからだ。ためしに、こういうことがしたいというメールを送ったら、なんと中古レコードを置いているお店をたくさん紹介してくれると言うから、大感激だ。もちろんモウラリアなんかも歩いてみたいし、ファド・クラブも訪れてみたい。アマリア・ロドリゲスの伴奏を務めた名ギタリスト、ラウール・ネリがまだ元気なようなので、彼にも会って、当時のファドのことを聞いてみたい。きっとそんなことをしているうちに、念願のファド歴史物語アルバムのアイディアも固まってくるかもしれない。

 外国のレコード会社とワン・ショットの付き合いをしたいと思わないと、ちょっと前の日記にも書いた。それは、長く付き合えば、いろいろ良いことがあることを知っているからだ。もちろん長く付き合うのは、それなりの努力がいる。正直言って、2年間もCNMのアルバムをコンスタントに日本で配給してゆくのは、それなりにタイヘンな仕事だった。でも、そうして築かれた信頼の中からこそ、また新しいものが生まれてゆく。きっとそのうち、CNMから、ぼくのアイディアで生まれたアルバムも登場することだろう。共同作業ということも考えられるかもしれない。それで面白いものができるかどうは、やってみないとわからないが、ぼくはそういった深い付き合い方が好きだ。それが正しい姿だとも思う。そのときの売れ筋ばかりを狙って、目先の収入を追っかけたって、本当に良いものなんか発売できるわけない。

 ちなみに、ライスのカタログには、ワールド・ミュージックのベーシック・アイテムがしっかり揃っている。たった8年弱で、よくこれだけのアイテムを揃えられたと、自分でも思う。これも取引先の各社と、誠意を持って、じっくり付き合ってきたからだ。これからもそんな姿勢を貫いてゆきたい。

 

8月3日(水)

 昨日の朝日新聞の夕刊に、ティナリウェンの来日公演の紹介記事が出た。朝日の担当の方からはお盆頃と聞いていたが、予定より早く載ることになったようだ。実は昨晩は忙しくて夕刊を読む余裕がなく、今日になってそのことを知った。それも、実際に記事を読んでではなく、記事を見てティナリウェンCDの問い合わせをしてきた方々のメールで知ったのだから、困ったものだ。それでも、こうしてすぐに反応してくれる人がいるのは、嬉しい。これからいくつかの新聞で来日情報が出る予定だが、それで普段は音楽雑誌を読まない幅広い人たちにこのバンドのことを知っていただけたら、ありがたい。そして、実際にコンサートに来ていただけたら、もっとありがたい。

 思うところがあって、会社でアラブ音楽のカタログをチェック。レバノンの取引先からいただいたサンプルから、サバという女性歌手のCDを何枚か持ち帰って聞いてみた。最近愛聴している『AN EVENING IN LEBANON』でこの人の歌声を聞いて、すっかり好きになってしまったからだ。サバさんは、以前中村とうようさんが編集されてオーディブックから出たコブシ特集のアルバムにも入っていて、それも最高だった。持ち帰ったCDでも、初期音源と思われるものは全部良く、50年代のレバノンではファイルーズと双璧という感じだ。いつかライスで紹介しないといけない人だろう。
 サバさんのほかにも、『AN EVENING』には他の音源を聞いてみたい歌手が何人かいる。もう少しカタログをじっくり調査して、同時代の音源を聞きあさってみたい。50年代のレバノン音楽は、それくらい魅力的だ。

 

8月2日(火)

 やらないといけない仕事はたくさんあるのだが、アセッても意味がない。丁寧にひとつひとつ片付けてゆくしかない。今日はまず、新しい取引先のサンプルをまとめてチェック。それぞれの会社にメールを送って、どのようにディストリビュートしてゆくべきかを意見交換した。これでほとんど一日が終ってしまった感じだ。
 余程カタログの小さな会社は別にして、ぼくはワン・ショットの付き合いというのは、あまり好きじゃない。長く付き合えば、向こうもわがままを聞いてくれる。逆にワン・ショットの付き合いでは、発売できるものも限られてしまう。例えば今回マラヴォワの『ジュ・ウヴェ』(ライス MSR-581)を日本でのみ復刻することできたが、これもそれ以前からの付き合いがあったからだ。実は今回取り引きをはじめようとしている会社にも、いまは廃盤だが、もし発売されたらみんながアッと驚くような名盤の権利を持っている会社がある。その名盤を発売させてもらうには、その前にこちらが誠意を見せないといけない。そんな長期的な戦略を練りながらメールを打っていると、けっこう時間がかかってしまうものなのだ。

 なんでそんな新しい取り引き先との仕事を先にやったかというと、そうすることで、目の前のサンプルの山を、とりあえず片付けることができるからだ。どうもぼくは、身の回りがすっきりしていないと、仕事をする気にならない。資料が山のようにたまったところで仕事をしていると、そうじゃなくても混乱状態なのに、ますます混乱した気分になる。サンプルの山を片付けて少しスッキリしたところで、明日からは解説原稿書きとか、もっと実質的な仕事に手をつけることにしよう。

 

8月1日(月)

 毎月、最初の銀行営業日は外国送金の日。ただ、今回は先週の金曜日に、催促の厳しい会社だけ先に払ってしまったので、今日はさほど残っていない。銀行に出向かないといけない分(危険地域と指定されているところは念書が必要になるらしい)だけを送金した。
 エジプトからは相変わらず、土曜も日曜も催促のメールが送られてくる。土日に銀行はやっていないのだから、入金されるわけはない。それでもこんなメールを送ってくるくらいだから、きっとこれは入金されるまで毎日続くのだろう。こちらも毎日<もう送金は済ませた>とメールしているし、新たに送金証明書を添付ファイルで送ったりしたのだが、それすらも意味がないみたいだ。エジプト人、恐るべし。

 ご好評いただいている<サマー・セール>だが、先々週のブラジル、先週のアフリカに続いて、今週からトルコ盤がはじまった。これまでと同様、毎日更新して少しずつ放出してゆくことになると思う。お好きな人はチェックを忘れないでください。人気のあるものは、すぐに売り切れてしまいますよ。

 

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