9月30日(火)

 朝起きたら、まさに秋晴れ。青い空が最高に気持ちよかった。散歩に出たい誘惑に駆られたけど、今日は月末の締め日。支払いとか、帳簿の整理とか、会社仕事が山ほどあるから、そういうわけにはゆかない。昨日到着した荷物を出荷しないといけないので、事務所も大忙しだ。結局、銀行に行った以外は外に出ることもなく、ひたすら事務仕事に追われる。
 という感じで、ヘトヘトになったところで、夜は新宿で打ち合わせ。久しぶりに新宿に出向き、タワー・レコードのベテラン・バイヤーおふたりと合流して、ご飯を食べながらミーティングさせてもらった。ワールド売り場の現状とか、あれこれ情報交換するわけだけど、お客さんがどういうアイテムを求めているのかは、やっぱり現場にいる人しかわからない。だから、おふたりの意見はとても参考になる。

 そのおふたりから聞いたのだが、先週当社から入荷したマリア・リタ(エリス・レジーナの娘)のデビュー作が売れまくっているのだとか。さっそく再注文をいただいたまでは良かったのだが、でもそこで、輸入しているぼく自身がそんな重要作をまだ聞いていないことがバレて、笑われてしまった。
 先週はほかにチェックするものがいっぱいあって、それどころじゃなかったからだが、でもそれ以前に、毎週入ってくるブラジル盤を全部チェックしているかというと、かなり疑わしい。もう入荷してしばらくたつ<オデオン100年>だって、まだ1枚も聞いていなかったりするから困ったものだ。ちなみに、当社でブラジル盤のチェック係りをやっているのは、宮川くん。だから、ぼくなんかより彼の方がずっと最近の動きに詳しい。
 もしもブラジル音楽についてのご質問があったら、ぼくではラチがあかない。宮川くんをご指名ください。

 

9月29日(月)

 月曜日なのに、早くも入荷CDが。今日はイギリスのラスとワールド・ミュージック・ネットワークから荷物が到着。新入荷もあるけど、バック・オーダーもかなり入っているようだ。
 ラスの<エッセンシャル・アフリカ>シリーズとワールド・ミュージック・ネットワークの<ラフ・ガイド>シリーズは、バカ売れすることはないけど、安定して長く売れるアイテムがとても多い。ワールド・ミュージックを最近聞きはじめた若いファンにはちょうど良い感じの入門編アルバムが多いからだろう。古くから聞いているファンには物足りない内容のものもあるかもしれないが、ぼくはこういう若いビギナー向けの商品はいまとても大切だと思う。

 最近つくづく感じるのが、ワールド・ミュージックのファンの世代交代だ。10年ちょっと前のブームの時にバカ売れしたアイテムでも、当社が再発してみると、案外いまでもよく売れたりする。例えばカリの『ラシーヌ』シリーズなんて、ワールド・ミュージック・ファンなら誰でも持っているアイテムだと思ったが、実際はそうではなかったようで、最近になってこのアルバムのウワサを聞きつけた若い世代が多かったということだろう。反対に、10年ちょっと前にせっせとCDを買っていた人たちは、もう卒業してしまったのか、彼ら向けのものをいくら出しても、まったく売れない。
 そういう状況の中で、ますます必要になっているのが、そんな新しいワールド・ミュージック・ファンに向けた情報だ。ぼくらの間では当然知られているような話も、若いファンは全然知らない。たまに取引先の若いバイヤーさんと電話で話すのだが、彼らがあまりにベーシックな知識がないことに愕然とさせられる時がある。でも、ぼくは彼らを責められない。雑誌を見たってワールド・ミュージックの初心者向けの記事なんてどこにも載ってないし、インターネットでは超専門的な<ワールド・ミュージック奥の細道>サイトは見つかっても、やはり初心者向けのサイトをわざわざ作ろうという人は少ないようだ。
 初心者向けの記事なり編集盤なりというのは、簡単そうに見えて、実は専門家に向けたものよりも何倍も難しかったりする。かなり物事をよくわかっている人でないと、良いものができない。そんな手間をかけて、しかもドッカーンと儲かる可能性のほとんどない仕事なんて、誰もやらないということだろう。
 でも、誰もやらないなら、サンビーニャでやるしかないのかもしれない。ぼくはへそ曲がりだから、そんなことを考えたりする。具体的に何が出来るか、いまのところはハッキリわからないけど、来年あたりを目指して何か行動を起こすつもりです。

 

9月28日(日)

 今日も休日返上。朝から最高の天気だったが、散歩したいのを我慢して、ひたすらコンピュータに向かって原稿を書く。朝の5時から夕方まで。日曜日に夜まで仕事したくなかったので、蒙然と仕事をした。
 昼飯時とかに、サンプルを少し試聴。トルコやアラブにも面白いものがあった。それにインターネットでチェックしたら、アフリカ関係にも注目のニュー・リリースが多い。これらもさっそく取引先のいくつかのレーベルに注文。週末くらいには初入荷があるはずなので、来週の日曜には時間を作ってじっくり楽しみたい。
 さすがに今日は疲れて、もう眠い。明日も早いので、そろそろ休むことにします。

 

9月27日(土)

 今日も休日返上。朝から税理士さんがやってきて会社の帳簿チェック。午後からはシキル・アインデ・バリスターが1991年にイギリスで録音した名盤『ニュー・フジ・ガーベッジ』(ライス GSR-604)の解説を書くために、何度もアルバムを聞き返す。バリスターのこの作品、久しぶりに聞いたけど、やっぱりすばらしい内容だ。アパラとかフジとか、ナイジェリアにはパーカッションと歌だけの音楽の伝統があるが、その中でもダントツに優れた1枚じゃないかと思う。

 比較のために、バリスターのナイジェリア盤LPを聞きなおしてみたが、イギリス録音盤とくらべて、演奏のスタイルそのものが大きく変わっているわけではなかった。イギリス録音だからって、アディショナル・メンバーが入っているわけではないから、それも当然だろう。
 で、結局、何が違うのかって、一番の違いはミックスじゃないかと思う。ドラム・セットを中心においた、同時代のロックのアルバムと同じスタイルのミックスが成されている点が、現地盤のフジやアパラとは圧倒的に違う。ミックスくらいで、と思う人もいるかもしれないが、スタジオで演奏する人間にとって、音処理が違うというのは、すごく大きいことなのだ。
 これは想像でしかないが、おそらくは録音中も、ラフではあったはずだが、このようなバランス(パンニングや音処理)が成されていたはずだ。それをヘッド・フォーンで聞きながら彼らは録音したわけだが、その衝撃は大きかったに違いない。ドラムスが中央でドッシリと骨格を成している音処理は、多分ナイジェリアでは聞いたことがないだろう。バリスター自身、同時期の現地録音盤より圧倒的にテンションが高いのは、そのせいもあるはずだ。
 そしてもうひとつ、なんといっても大きかったのは、これが彼らにとってのはじめての外国でのレコーディングだったことだ。なにしろバリスターにとっての、はじめての<世界進出アルバム>。もちろん、サニー・アデのようにメジャー・カンパニーに迎えられての録音ではないが、少なくともフジやアパラ系でヨーロッパのレーベルからアルバムを出した人は、バリスターの前にはいない。どんな分野でもそうだが、最初にやるというのは気持ちが良いものなのだ。そしてそういう時のアルバムが、後世になって名盤と呼ばれることが多い。
 1948年生まれのバリスターは、当時ちょうどいまのぼくと同じ年代。ナイジェリアではすでに大御所と呼ばれる存在だったが、きっとロンドンの空を見ながら、久しぶりに大きな夢を見たのだろう。このアルバムにおける彼の激しい歌いぶりは、同時代の大御所然とした現地盤の歌声と大きく違って、まるで新人歌手のようなウイウイしさが感じられる。ぼくはそこが、好きだ。
 サンビーニャのカタログに、またもう1枚、世界音楽史に残る名盤が加わりました。発売は来週です。まだ聞いたことのない人は、ぜひお買い求めください。

 

9月26日(金)

 出荷に慌しい一日。サンビーニャの出荷日は通常水曜日と木曜日だが、今週はそれだけでは間に合わず、金曜日にまでずれ込んでしまった。
 当社のアルバムをお買い上げいただいている方はご存知だと思うが、当社のカタログにはオビや解説をつけたアイテムが非常に多く、輸入したものをそのまま出荷するような作業に比べたら、ものすごく手間がかかる。アイテムを決めて、リストを作って、営業をして、解説を書いて、印刷して、詰め込んで、出荷するといった作業を、たった3人で会社をやっているのだから、タイヘンだ。

 たぶん10年くらい前なら、こんなに手間をかけなくても輸入盤が売れたのだと思う。いまも、ブラジル音楽のように詳しい方が多い分野では、ハダカのままの輸入盤でもちゃんと売れる。でも、アジア、アフリカ、アラブあたりの音楽のCDを、ブラジル盤と同じように買ってくださるお客さんは、非常に少ない。ベーシックな情報が少ないせいだ。
 だからこそ当社では、各分野のベーシックなアーティストの名盤と呼ばれるものを、できるだけ解説付きで発売している。ワールド・ミュージックのお客さんは、新しいもの好きな方が多いので、その時の売れ筋みたいなものを探して発売した方が、会社としては儲かるのだろうが、ただそれを繰り返していても、新しいファンは育たない。手間はかかるけど、若いファンの人たちに本当に良いアルバムを聞いていただいて、さらに深遠なる世界に進んでもらいたいと、ぼくは思う。そのためにも、ベーシックとなるアルバムには解説やオビをつけて発売しないといけない。
 
 いまも昔も、メジャー会社は、ちょっと売れなくなると、すばらしい内容のアルバムであろうと、すぐに廃盤にする。例えば、ちょっと前に東芝から出たヌスラット・ファテ・アリ・ハーンのラスト・コンサート・ライヴは、あれほど評判になったのに、もう店頭で見かけない。きっと廃盤なのだろう。
 当社では、できるだけそういうことをしたくない。地道でもいいから、良いものはずっと売り続けてゆきたい。効率は非常に悪いが、CDを車なんかを売るのと同じ感覚で売るわけにはゆかない。通常の商売とは違うのだから、当然だ。
 そうそう、そんな当社でも、在庫切れでしばらく出荷できなかった商品がいくつかある。ノエール・ローザやエルフィ・スカエシ、レナ・マシャードなどがそうだ。そういったアイテムを、この秋から冬にかけて、内容をリニューアルさせるなどして、再発売しようと思っている。もしも探しているファンの方がいらっしゃったら、もう少しだけお待ちください。年内にはなんとかなると思います

 

9月25日(木)

 久しぶりの休みと言うことで、昨晩は嬉しさのあまり午前4時までCDを聞いてしまった。おかげで完全に睡眠不足。こんな日に、一番大事な仕事であるリスト作りをやろうというのだから、タイヘンだ。おまけにアラブやトルコのサンプルがドサッと来てしまって、ますます困ったことに。結局、サンプルは週末に聞くということで、決まったアイテムだけのリストを作っておしまいにした。
 昌くんと宮川くんは、トルコ盤とブラジル盤の出荷に集中。月末が近づくと、いつもこんな感じで慌しくなる。

 トルコ盤では、大好評のタルカン新作ババズーラなどが再入荷したが、どれも売れ行きが予想より好調で、もう数が足りなくなってしまった。特にババズーラの方は、ただいま在庫ゼロ。さっそく注文を出さないといけない。
 ババズーラは、トルコの新生レーベル<ダブルムーン>から出たアルバムだが、ぼくもお気に入りだ。なんとも手の込んだベリー・ダンス用音楽のパロディだが、まさかダブルムーンからこんなアルバムが出るとは思わなかった。
 ベリーダンスというのは、ご存知のように豊満なおねえちゃんがセクシーな踊りを見せてくれる例のアレだが、こんなセクシーなおねえちゃんがいるところでただ踊りだけってことはないわけで、きっともっとエッチな場面もあるのだろう。ただ、ブルームーンは、トルコではインテリ相手のレーベル。そんな大衆の娯楽であるのベリーダンスなんて、縁遠いところにいる人たちに違いないし、きっともともとはバカにしていたかもしれない。これまでの作品に感じられたある種のマジメさ(それが清涼感に繋がった)は、そんな大衆と離れたところで音楽をやっているところから来ているのだろう。
 でも、この作品ではそのダブルムーンがベリーダンスに取り組んでしまったのだから、面白い。もちろん、パロディはパロディだが、でもそこにはバカにしている対象へのパロディという感じはなく、どこかに親しみのようなものが感じられる。まさかストレイトに賛美するわけにはゆかないから、パロっている。親しみもストレイトに見せられないから、手の込んだ作品になった、という感じだ。

 インドネシアにはじめて行った時、タクシーの運転手さんに<ダンドゥット・バーに行きたい>と言ったら、スゴく嬉しそうな顔をして、それならもっと面白いところに連れてってやると言われたことがあった。結局、彼が連れて行ってくれたのは、ダンドゥットどころか、音楽もまるで存在しない、単なるエッチな場所。これじゃ、インドネシアまで来た意味がないと、ぼくはまた別のタクシーでダンドゥット・バーに向かった。
 でも、行ってみてはじめて、最初のタクシーの運転手さんが嬉しそうな顔をした理由がわかった。ダンドゥット・バーではダンドゥットの演奏が見れる。お客さんも男女のペアで楽しそうに踊っている。でも、イスラム教中心のインドネシアで、深夜にダンドゥットを踊りに来る女性がいるわけがない。彼女たちは、そうしてお客を探し、男性は女性を探している。男性に気に入った女性が現われたら、どこかにふたりで消えてゆくのだった。
 でも、ぼくはそういう場所が、それほど嫌いじゃない。あまりシツコくおねえちゃんにせがまれると困るけど、場末のダンドゥット・バーのあの独特の雰囲気を知ると、なんだかダンドゥットが少しだけ深く理解できたような気もした。どこがどう理解できたのかは、言葉ではなかなか説明できないけど…。
 もしもトルコに行ったら、場末のベリー・ダンス・ショウを見てみたい。そんなことを考えはじめたところです。

 

9月24日(水)

 7月末にロンドンから帰ってからだから、約2ヶ月ぶりに休みを取らせてもらった。ここのところ疲れがヒドかったのと、身の回りを少し片付けないと精神衛生上良くないと思ったからだ。早い話、CDや本を片付けたり、掃除をしたり、切れた電球を買いに行ったり、そんな当たり前のことをしたかったわけです。
 というわけで、ノンビリした休みではなかったが、それでもものが少し片付いたので、スッキリした。しかも夜には、久しぶりにおすし屋さんに行って、大好きなお刺身をたっぷり。日本酒まで飲んじゃったから、もう満足だ。休みって、こういうことができたんだって、思い出さされた気分。
 こんな日は、CDを聞いていても楽しい。買っただけで封も切ってなかったアルバムを片っ端から聞きながら、つくづく思った。今日ならヘヴィメタ聞いても、イヤにならないかも、というのは冗談だが、毎日聞いているはずの音楽が、たった1日休んだくらいでこれほど楽しく聞けるようになるなんて、思ってもみなかった。
 できたら普通に週2日の休みを取りたいが、いきなりそれは難しいとしても、せめて週一日くらいの休みは確保したい。そうしたら音楽ももっと好きになるかも。

 

9月23日(火)

 祭日だけど、朝から自宅でひたすら原稿書き。朝の6時から夜7時まで、13時間コンピュータに向かって仕事をしたので、最後は目が痛くなってきた。夜には打ち合わせがあったので、帰宅は11時。ヤレヤレという気分だ。
 でも、いくら疲れても今日は気分がいい。というのも、明日が久しぶりの休みだから。そこで、やりたいことをアレコレ考えはじめたら、たくさんありすぎて、とても一日でできることではなくなってしまった。でも、まあいいや、少しでもたまっている用事を片付けられたら。そう思って今日は早く寝ることにしよう。

 

9月22日(月)

 今日も台風の影響で涼しい一日。かなり疲れているので、本当は休みを取ろうと思ったのだが、仕事が終わらないので、一日中書きものに追われる。今日はギリシャからアラブ音楽のアルバムが入荷。フランスからアリオンの荷物も今日届くはず。水曜日にはまたトルコ盤やブラジル盤も入ってくる予定だ。こうなると、サンプル盤もたくさん入ってくるし、次のリリースを決めたり、交渉をしたりと、また忙しくなる。本当はそうなる前に、休みを取っておきたかったのだが…。
 まあ、愚痴を言っても仕方がない。やらないといけない仕事を体力が続く限りやってゆこう。

 

9月21日(日)

 台風の影響で一日中雨。こういう日は、外に出る気はしないし、家にこもって書きもの仕事しているのが一番だ。ちょっと前までの残暑がウソのように寒い一日だけど、夜はゆっくり寝れるし、休みなしだった夏の疲れをとるには、これくらいの気候の方が良い。
 原稿や手紙や企画書を書く合間に、CDをいくつか聞く。そのうちのひとつが、昨日サンプルで送られてきたバランサの新作だ。バランサは日本人のサンバ・グループ。前作、前々作と同様、今回もラティーナの制作で、ディストリビュートもラティーナさんがやっているようだ。
 アルバム制作の仕事をしていると、音を聞いたりクレディットをちょっと見ただけで、いくらくらいお金がかかったか、わかってしまう。だから、それをリクープするためには何枚くらい売らなきゃいけないとか、そのためには渋谷のあのお店に何枚、新宿のあのお店にも何枚イニシャル注文をしてもらわないと困るとか、余計なことまで想像できてしまうから、タイヘンだ。それを知っているだけに、同じグループのアルバムを3枚も作ってしまったラティーナさんの熱心な仕事ぶりには敬意を表してしまう。

 ぼくは音楽評論家じゃないので、他社が出しているアルバムについて、どこが良いとか悪いとか、一切書かない。だから、バランサの音楽についてどうこう言いたくないのだが、それとは別に、彼らの演奏を聞いてつくづく思ったのが、ブラジル音楽を演奏する日本のミュージシャンたちは本当に上手くなったとということだ。
 これは久保田麻琴さんとかにも言ったことだが、もしもいま本格的なブラジル音楽のセッションをやろうと思っても、わざわざブラジルに行く必要はない。日本でもそれに対応できるミュージシャンはたくさんいる。本場に行ってイイカゲンな音楽家に出会ってしまうよりも、ずっとしっかりした演奏ができる人たちが揃っている。
 今回のバランサも、完全に日本での録音だが、きっとわざわざブラジルのミュージシャンにゲスト参加してもらわなくても、日本でやった方が良い音楽ができると思ったからなのだろう。

 思えば、当社でアルバムを作らせてもらったハワイアンの山内雄喜さんもそうだが、日本人でありながら、外国音楽を本場の音楽家以上に深く体現している音楽家は、けっこう多い。これは他の国ではありえないことだ。そしてそのことは、単に日本人が勤勉だとかいう理由ではなく、もっと根本的な何かを意味しているようにも思える。他文化を理解できる力が、ぼくら日本人には備わっているんじゃないかということだ。山内雄喜も、バランサも、なんで他の国でなく、この日本から登場したのかということの意味を、じっくり探ってゆけば、きっといつの日か、新しく日本独自の音楽が生まれてくるかもしれない。
 そんなことを思わせてくれたのが、バランサの新作。
 ラティーナさん、ぼくなんかにサンプル送ってくれて、どうもありがとう。

 

9月20日(土)

 休みを返上して、昌くんと一緒にミキシング作業。早くやりたかった仕事だけど、なかなか時間が取れなくて、やっと今日手をつけることができた。ただ、プロトゥールズの機能をまだ完全に把握してないこともあって、しょっちゅう作業が止まってしまう。一度止まると、音の感覚が変わってしまって、前の曲とまったく違うミックスになってしまう。そこで気を取り直してやろうと思っても、やっぱりダメ。もっと機能をしっかり覚えないと、スムーズな仕事ができないことを反省。
 しかし、こういうスタジオ作業をやっていてますます思うのが、もっと広い事務所を持ちたいということだ。実は、いまの事務所にはぼくのディスクを置く場所もない。だから、書きものは自宅のコンピュータでやらないといけない始末だ。そのため自宅は資料で溢れて、休んでいても仕事気分が抜けない。こんな状態でよい仕事ができるわけがない。
 ミキシングの後は打ち合わせ。その後深夜にヘトヘトになって帰宅した自宅の居間が、仕事のためのCDや本で溢れているいるのを見て、本当にウンザリさせられた。

 

9月19日(金)

 毎月15日から20日あたりには、音楽関係の月刊誌が発売になる。当社のアルバムのレビューを載せてくださっている雑誌もあるので、この時期は楽しみだ。それぞれの雑誌のCD評を読ませていただきながら、喜んだり、反省したり。まあ、アルバム出してから反省しても手遅れなんだけど、将来何かの役に立つかもしれないし…。
 こうしてCDの発売もとの立場で雑誌を読むようになって、読み方がずいぶん変わったと、最近とみに思う。雑誌に原稿を書かせていただいていた時期は、自分の原稿を含めて、全部を満遍なく読んでいた気もするけど、いまはどんな記事が載ってるかより、まず当社のアルバムがどう扱われてるのかを見てしまう。いや、他の記事も読んでいるんですよ、その後で。だけど、なんというか、文字は読んでいるのに、あまりアタマに入らない。すぐに内容も忘れてしまう。
 CDを出す側になると、現場との距離が近くなりすぎて、全体的なことを見渡す気分になれないのかもしれない。良くないことだとは思うけど…。
 
 今日届いた『ミュージック・マガジン』10月号で、ニーニャ・デ・ロス・ペイネスの『カンテ・フラメンコの女王』(ライス SSR-432)が中村とうようさんの<アルバム・レビュー>で10点満点を獲得! 珍しく<アルバム・ピックアップ>でも取り上げられていて、そちらでは先輩の蒲田耕ニさんが原稿を書かれていた。
 もうとっくに書店に並んでいると思うので、チェックしてみてください。

 

9月18日(木)

 リスト作りは結局今朝にずれ込むことに。しかも、いくつかのアイテムについてのコンファームが取れず、いつもより規模が小さくなってしまった。来週はなんとか取り戻したいところだけど、カレンダーを見てビックリ。来週もまた祭日があるんですね。来週は出荷品目も多いのに、こりゃタイヘンだ。
 
 先週、フランスの老舗民俗音楽レーベル、アリオンから送られてきたサンプルの中に、ガーナのパームワイン〜ハイライフの新録ものが1枚あった。さっそく来月あたりに日本でも発売させていただくことにしよう。
 アリオンからはガーナのハイライフのかつての貴重録音を復刻したものが出ており、日本では当社が『ガーナのポピュラー・ミュージック〜パーム・ワイン・ミュージックからハイライフまで』(サンビーニャ TS-4036)というタイトルで配給しているが、そこで選曲/解説をしていたガーナ在住の音楽研究家ジョン・コリンズ先生が、今度サンプルで送られてきた新録アルバムの方では、なんとギタリスト/バンド・マネージャーとして参加しているからビックリだ。バンドの演奏写真に映るコリンズ先生は、サウスポー。ちょっとジミヘンを思い出させる、なかなか格好いいイデタチだ。
 アフリカ音楽に親しんでいる方はご存知のように、ジョン・コリンズはガーナ音楽の大変なコレクターで、SPもたくさん所有。さらに1980年代からはスタジオも作り、現地のバンドをたくさん録音してきた。アリオン盤の『ガーナのポピュラー・ミュージック〜パーム・ワイン・ミュージックからハイライフまで』(サンビーニャ TS-4036)はそのSPコレクションからの選曲であり、やはり当社で配給している『ギターと銃』(ライス SAR-431)は、自身のスタジオでの録音を集めたものだ。
 そんなコリンズの名前を、最近になって頻繁に目にするようになってきたと感じているアフリカ音楽ファンも多いのではないだろうか。やはりコリンズのスタジオで録音され先にアオラから出たパームワインもののアルバムなど、彼の仕事が多くリリースされるようになってきたからだ。アフリカ音楽もひと回りして、その出発点に再び注目が集まる時期になってきた。そうなるとガーナ音楽の重要性は、ますます高まる。コリンズの仕事も高く評価されることだろう。コリンズ先生、あまり小出しにしてないで、これまでの仕事の総集編のようなものを出してくださいね。
 ちなみに、コリンズがガーナに移り住んだのが1955年だそうだから、もう50年近くなる。まさにガーナ音楽に捧げた人生だ。

 

9月17日(水)

 昨日に続いて、今日もなんだか慌しい一日。水曜日はリスト作りに集中したいのだが、雑用が多くて、なかなかそうならない。
 理由はわかっている。今週は月曜日が休みだったからだ。
 最近は連休を多くしようとしているのか、日曜が祭日だと月曜に振り替えるので、月曜休みが多い。でも、月曜日は、その週の仕事をスタートさせる大事な日。そこを休みにしてしまうと、どうも調子が狂ってしまう。だいたい日曜と祭日が重なったって、代休を作らなくちゃいけない理由もわからないし、100歩譲って、どうしても代休を作らないといけないなら、金曜日にした方が絶対に良い。最初に休んでしまうのではなく、月曜日には通常通り仕事をスタートさせて、4日間で一週間分の仕事を終わらせてから金曜に休む。その方が効率が良いに決まっている。
 ちなみに、月曜日は当社の外国へのオーダー日。特にブラジルは、月曜日に送られた注文を金曜日に出荷するというスケジュールになっているで、注文が火曜日になると、あちらの仕事も圧縮されて、どうしてもミスが増える。ブラジル人に言わせると、日本はブラジルよりずっと祝日が多いのだそうだ。休みすぎだよ、なんて、ブラジル人に言われる日がくるとは思わなかったです。

 今日はイギリスの新しい取引先から荷物がひとつ。ただ、来月リリースされるアイテムなので、公表するのはやめておきましょう。歴史的名盤の復活です。

 

9月16日(火)

 連休明けで、事務所には各店からの注文ファックスがドッサリ。いつもは田中昌くんがコンピュータに入力しているのだが、いま昌くんは夏休み中なので、宮川くんが代行している。慣れない仕事なのでタイヘンのようです。

 ぼくの方は朝から銀行送金やら、電話やら、打ち合わせやらで、なかなかコンピュータに向かえない状態。休み明けは原稿を書いたり、サンプルをチェックしたりという作業を落ち着いてできない。天気もいいし、また散歩しながらサニー・アデを聞きたい気分になったが、今日は我慢しよう。事務仕事をできるだけやっつけて、明日のリストの準備をしないといけない。

 なんだか慌しい火曜日です。

 

9月15日(月)
 
 今週末が彼岸の入り。ちょっと早いけど、来週が忙しそうなので、お墓まいりに行ってきた。父が2年前に亡くなり、11月に3回忌法要をやらないといけないので、その日程をお坊さんと相談。
 ずっと好きなことをして生きてきたが、父が亡くなってはじめて、自分が長男だったことを思い出すことに。親孝行したいときには親はなし。いつまでもあると思うな、親とレコード…。

 お墓まいりから早めに帰宅したのだけど、暑い中歩いたせいで疲れたみたいで、全然仕事に身が入らない。部屋の中にサンプル盤とか本とかが散乱していたので、まずそれらを片付けて、新鮮な気分で仕事しようと思って手をつけたら、それが情けない発見の連続で、ますますやる気を失ってしまった。
 CDを片付けはじめた直後に、先週大騒ぎして探していたサンプル盤のひとつが隠れていたのを発見。まあ、これが出てきたくらいまでは良かったが、でもその同じ山から、先にアオラから出たヒュー・トレイシーのシリーズのうち、同じのを2枚ずつ買ってしまったアイテムが3つもあったのにはガッカリ。さらに、その下から出てきたオルターポップ盤のエティオピーク・シリーズのアルバムも、ずいぶん前に輸入盤で買っていたのと同じもの…。
 トレイシー・シリーズもエティオピークも、どれもデザインが似ているから、間違えて何度も買ってしまう。以前ダカール・サウンズのシリーズも同じアイテムを3枚も買ってしまったことがあったが、これも同じ理由だ。とにかく、記憶に頼るからいけないのだ。買い間違えそうなシリーズは、何を持っているかちゃんとチェックしてからお店に行かないといけない。

 

9月14日(日)

 昨日早く寝たので今日は早起き。夜明け前に目が覚めて、雲ひとつない真っ青な夜明け、見てしまいました。すごく美しかった。でも、日曜日だってのに、こんなに早く起きて仕事してる人なんて、いるんでしょうか?

 天気は良いけど、ムシムシしてないので、日陰に入ると涼しい。こういう日は、外に出て散歩したくなる。ただ、懸案の物件探しのために不動産屋という気分にはならず、木陰を選んでトボトボ歩いてみた。耳にはCDウォークマン。持って出たのはキング・サニー・アデの『シンクロ・シリーズ』(ライス ANR-428)だ。名前の通り、天気の良い日に聞くサニー・アデはすごく気持ちいい。CDを通して2回も聞いちゃった。ってことは、2時間以上散歩していたんですね。

 このままナイジェリア音楽の解説原稿だったら良かったのだけど、帰宅して待っていたのは『マダガスカルのギター・ミュージック』(サンビーニャ TS-4047)。でも、こちらもなかなか気持ちの良い音楽だ。
 解説は英『Fルーツ』誌の編集長イアン・アンダーソンが書いている。マダガスカルと言っても首都のアンタナナリヴォから1000キロも離れたトゥレアールというところの音楽だそうで、そこから持ち帰った劣悪なカセットをみんなに聞かせたら非常に好評だったので、なんとか現地のレーベルを探し当て、英スターンズから出してもらうことになったのだそうだ。
 イアン・アンダーソンは、先にロンドンを訪れた際にも会った。ウォーマッドでは毎日会場に早くから訪れ、遅くまで残ってステージを見ていた。ぼくもいちおう紹介してもらって挨拶したのだが、第一印象は、とにかく喋るのが好きな人。ウォーマッドのバックステージにある関係者テントで、いつも話し相手を見つけては話し込んでいた。
 その話し好きぶりがあまりに強力なので、いったい何を話しているのかと近くに行って観察してみたら、話題は完全に音楽のみ。他のことは興味ないんじゃないかと思えるほど、音楽だからけの会話なのに驚いてしまった。しかも、彼の場合、話し合うのではなく、とにかく一方的に話しまくる。さっきのあのステージはこうだった、ああだった、といったことを話しているのだが、まるで機関銃のように超スピードで話すから、相手は口を挟む余地がない。まさに独演会。イギリスのワールド・ミュージック評論の中でもイアン・アンダーソンは重鎮のひとりだが、やはり強烈なキャラクターの持ち主だった。
 そうそう、いま思い出したが、そんなイアンが一瞬だけ、音楽の話題以外のことを話しているのを見た。それは、娘さんがバック・ステージのテントに現れた時。お父さんは目を細めて、娘さんの話を聞いている(イアンが人の話を聞いていたのもこの時だけだ!)。実はイアンの奥さんはマダガスカル人(歌手のタリカ)で、だから娘さんは混血なのだが、とても可愛らしく、不思議な存在感がある。ひょっとして将来歌手デビューするんじゃないかという感じだ。パパもこの娘だけには弱いのだろう。

 で、話がマダガスカルに戻るのだが、イアン・アンダーソンがマダガスカルのそんな辺鄙な場所の音楽まで知っているのは、もちろん奥さんのおかげだ。だから、イギリスではこんな珍しい音楽のCDも発売される。でも、よく考えたらマダガスカルはもともとフランスの植民地。でも、フランス盤のマダガスカルものというと、通俗的な編集盤が多くて、どれを買ってよいやらという感じだ。それに対して、本当に良いレコードはイギリスから出るのも、イアンと奥さんの関係ゆえだろう。日本でも音楽評論家の誰かがインドネシア人の歌手と結婚したら、インドネシア音楽のすばらしいアルバムがたくさん出るようになるのかもしれない。
 というのは冗談だが、最後に宣伝を。実は当社でもイアン・アンダーソンが選曲したインド洋音楽の編集盤を出していることを思い出した。タイトルは『ラフ・ガイド・トゥ・インディアン・オーシャン』(サンビーニャ TS19013)。さすがイアン・アンダーソンという感じのすばらしい内容なので、もし機会があったら、一度耳にしてみてください。

 

9月13日(土)

 今日はサンビーニャはもちろんお休み。でもぼくは朝から原稿書きが続いている。今日だけで3500字ほどの解説原稿を3本書く予定。早く終わったらどこかに飲みに行こうかと思ったけど、どうも無理そうだ。明日はなんとかしたいところだが…。

 雑誌原稿なんてものを書かなくなって(依頼もこなくなって)しばらくなるが、書いている原稿の分量は、当時よりもいまの方が圧倒的に多い。それに、フリーライターだった時代は、音楽を聞いて原稿だけ書いていればOKだったが、いまは会社仕事もあるし、発注やら支払いやら帳簿整理やら、雑用も多い。いま思えばフリーライター時代は楽だった。
 ぼくがフリーの原稿書きだった時は、遅筆で有名で、よく編集者の方々にご迷惑をおかけしていた。当時もいまも、それについては非常に反省しているが、あの頃の遅筆の原因は、いまになってようやくわかってきた。それは、時間がありすぎた、ということだ。
 一本の原稿にかけられる時間は、当時の方が何倍もあった。でも、人間、考える時間がタップリあればあるほど、逆に考えがまとまらないものだ。余計なことをたくさん考えてしまって、手が動かない。いまなんて、考える時間が全然ないから、書けることをサッサと書くしかない。遅筆病を治すには、忙しくするのが一番のようだ(なんて、いま頃気がついても遅いが)。

 やりたくても時間がなくて後回しになっていることはたくさんあるが、中でも一番やりたいのが、好きなレコードをじっくり聞くこと。仕事のためのサンプルに追われて好きなアルバムまで時間が回らないなんて、本当にイヤになる。買っただけで封も切っていないCDが目の前に数十枚。聞けないうちに、その数はますます増えてゆくわけだから、ストレスがたまる。精神衛生上、非常によくない。
 予定変更。やっぱり明日は仕事を早く終えても飲みに行かないで、CDを少しでも聞くようにしよう。その方がストレス解消になりそうだ。

 

9月12日(金)

 昨日がジョアン・ジルベルトの初来日公演の初日だったことを、友人からの電話で知った。忘れていた、というより、最初からほとんど無関心。たとえチケットをタダでもらえても、行かなかったかもしれない。
 最近は、とにかく出不精。コンサートなるものには、しばらく足を運んでいない。バオバブも行けなかったし、ユッスーなんて、場所が遠くて最初から無理という感じ。今年は7月のウォーマッドでまとめてたくさんの人のステージを見れたけど、ひょっとしてあれがなかったら、見たコンサートはゼロだったなんて可能性もありえる…。
 でも、ぼくはもともとコンサートよりもレコードの方が好き。自分でアルバムをプロデュースするようになったのも、そのせいだ。実はサンビーニャの事務所には、一昨年からプロトゥールズなんてものがあって、レコーディングとかミックスとか、いまは自分のスタジオでやっている。自社プレス盤のマスタリングも同じだ。そして、こんな機材が揃ってしまうと、ますます録音された音ばかりを聞くようになる。コンサートから足が遠のいてしまうのはそのせいなのだろう。

 今日はブラジル盤が再び入荷。宮川くんが今週2ラウンドめの出荷作業中だ。いまインヴォイスを整理しながら数えてみたら、結局今週だけで世界各地から計3000枚ほどのCDが入ってきたことになる。さすがにこうなると痛感してしまうのが、いまの事務所では手狭だということ。在庫も増えたし、サンプル盤もたまったし、資料もいっぱいだし、そろそろ引っ越しを考えないといけない時期なのかも。
 どこかに広い場所を安く貸してくれる人はいないかなあ。週末は散歩がてらに、近くの不動産屋を回ってみるか。

 

9月11日(木)

 あの事件から2年をむかえた。アッという間の気もするし、その間にふたつの大きな戦争があったのだから、すごく長い2年間だったような気もする。後世の歴史家たちはこの2年のアメリカの行為を、いったいどう評価するのだろうか。そんなことを考えつつ、新聞を読んだり、テレビを見たり。
 
 そんな9月11日も、サンビーニャはもちろん仕事ずくめ。今日は、英スターンズとオーストラリアのレーベルから荷物が届いた。
 オーストラリアのレーベルというのは、インドネシアのフィールド・レコーディングものを出している会社。今回がはじめての取り引きだ。会社といっても、実はクリストファー・ベイシルという人がひとりでやってるレーベルで、自らフィールド・レコーディングした音源をコツコツとCD化して発売している。
 すばらしい音源。充実した解説と美しい写真をふんだんに使ったブックレットを含めて、どこをとってもすばらしい仕事ぶりだが、さらに驚くべきは、インドネシアと言っても、バリとかジャワとかではなく、他の民俗音楽レーベルが手を出さないようなところまで行って録音していることだ。今回入荷したのは、ロティ島とロンボック島のもの。さらにクリストファーくんからもらったメールによると、今年は西ティムールのどこかへ行って録音する予定だとか。カメラマンと録音技師の3人だけで現地に向かうようだが、この熱意、いったいどこから来ているのだろう。もし会う機会があったら、ぜひ聞いてみたい。
 とりあえず今回入荷した2枚は、今月後半あたりに出荷予定。オビに<ロンボック島>とか<ロティ島>とか書いてるのを見かけたら、チェックしてみてください。

 今日のぼくはひたすら解説書き。もう一息で3本仕上がりそう。とにかく頑張ります。

 

9月10日(水)

 今日はブラジル盤の入荷日。シャルレス・ガヴィン監修のリイシュー・シリーズ<オデオン100年>のアルバムが大量に初入荷してきた。
 このシリーズは、ブラジルにおけるレコード録音100周年を記念して昨年にスタート。もっとも古いレコード会社であるカーザ・エジソンの音源を持つEMIグループが、オデオン時代はもちろん、コパカバーナ、テイプカール、マルクス・ペレイラなど後で買収したレーベルの音源も使ってはじめたシリーズだ。すでに70タイトルが出ており、今回の30タイトルで、いちおう終了となる。そのすべてを監修したのが、ブラジルの人気ロック・バンド、チタンスのリーダー、シャルレス・ガヴィンだ。
 ガヴィンが古い録音の復刻に最初に関わったのは、ブラジル・ワーナーの2イン1シリーズだったと記憶する。以後、<コロンビア・ラリダージ>や<アルキーヴォ・ワーナー><アルキーヴォ・コンチネンタル>、そして<オデオン100年>と、たった数年の間に数多くの復刻シリーズを手掛けてきた。彼のポリシーは、オリジナルLPそのままの形で復刻すること(最初の2イン1シリーズだけはそれができかなった)と、アナログ的な太い音を目指したマスタリングだ。例えば、同じアルバムでも日本プレスのものとガヴィン監修のブラジル盤とでは、いつも音が格段に違う。どっちが良い音かは、趣味の問題もあるのでなんとも言えないが、少なくともオリジナルの音にこだわるコレクターたちがガヴィンのアナログ的なマスタリングを好むのは間違いないだろう。
 ガヴィンのセレクションがぼくの趣味と合致するわけではないが、彼の監修の仕方はいつも大好きだ。ちゃんとポリシーを持った仕事なら、趣味の違いとかでは批判できない。男気のある奴の仕事は、いつもすばらしい。

 ぼくがはじめてガヴィンに会ったのは、もう3年くらい前。リオのイパネマ海岸近くの喫茶店にあらわれたガヴィンは、短パンにTシャツといういでたちで、あまりロック・スターに見えなかった。とにかくレコードが好きな人で、あの店でこのアルバムを見つけたよ、いくらだった、なんて話をする時には目を輝かせる。イギリスあたりの海賊版会社に対する批判も強烈で、ブラジルの富を盗み出して商売していると、すっかりナショナリストしながら怒りまくっていた。
 当初は日本人も、そんな海賊野郎たちの仲間くらいに思っていたらしく、サンパウロのあるレコード店で、店の商品をまるごと買うんじゃないかという勢いで買い物をしていた日本人にケンカを売ったこともあるのだそうだ(後で聞いたら、その日本人は渋谷の某レコード店のHさんだった)。でも、日本人が海賊しているわけでなく、熱心なファンが多い国だと知った後は、ずいぶん印象が変わったらしい(ガヴィンはHさんを<カミカゼ>と呼んでいて、いつもカミカゼによろしく伝えてくれとメールに書いてくる)。
 これはほとんど知られていないことだが、実はそんな出会い以来、ガヴィンがどこかの会社の復刻シリーズを手掛ける時は、必ずぼくにアイテムの相談をしてくる。今度の<オデオン100年>の30タイトル決めるためにも、リストアップをはじめてから10回以上メールの往復をした。
 1980年にロック・バンドでデビューしたガヴィンと、ちょうど同じ頃、ヴェーリャ・グァルダ・ダ・ポルテーラなど伝統サンバのアルバムをブラジルで作っていたぼく。こんなに違うところからスタートしたふたりが20数年後に一緒に仕事しているのは、なんとも不思議だが、ぼくはこういう出会いを大切にしたい。ブラジル音楽を聞く前にロックを聞いていたぼくと、同世代でロック音楽家になったガヴィンとでは、根底で通じ合う部分が多いに違いない。
 ちなみに、ふたりでアルバムの選択を相談している時に、意外にも伝統サンバのアルバムとかは、ガヴィンの方からリクエストしてくる場合が多い。やっぱりネルソン・カヴァキーニョを入れないとマズだろう、なんて、ガヴィンがメールに書いてきた時は、可笑しかった。反対に、ロックっぽいのやソウルものをもっと入れようと言ってるのは、実はぼく。お互いに気を使ってやっていると、こういう逆転現象も起きてしまうのです。

 そうしてアルバム選択の段階から一緒に仕事をしているおかげで、サンビーニャは彼のシリーズをいち早く入荷することができる。<オデオン100年>のCD、週末にはお店に並びます。復刻モノのファンは買い逃さないよう、早めに買いに行ってくださいね。

 

9月9日(火)

 朝からサンプル盤のチェックと原稿書き。そして午後遅い時間からは打ち合わせの連発。けっこう忙しい一日だった。まだまだチェックしないといけないサンプル盤もあるけど、移動の電車の中でもウォークマンで聞いているのに、とても全部は聞き切れない。まさかCDを早回しで聞くわけにもゆかないし…。
 今日サンプルを一生懸命チェックしているのは、水曜日がサンビーニャのリスト作成日だからだ。これがこの会社の一番大事な仕事。ものすごく手間もかかる。水曜日はブラジル盤が大量に入ってくるし、だからサンビーニャは毎週水曜日が一番忙しい。
 リストというのは、取引先のお店に送るインフォメーションのことで、毎週けっこうな分量のCDを紹介した印刷物を各店に送らせてもらっている。そこには<ライス>や<サンビーニャ>から出る新作、ブラジル盤新譜情報、トルコ盤やアラブ盤、アフリカ音楽を中心としたワールド・ミュージック情報、さらにインドネシアやマレイシアの新譜情報など、たくさんの項目がある。お店の人にしかお見せできないのが残念なが、まだホームページにも載っていない新譜がたくさん紹介されてわけだから、どんな雑誌よりも情報が早いし、読む人が読んだら面白いのかもしれない。
 リストでは、サンプルを聞いて紹介するアイテムの他に、インターネットで調べた情報が載るページもある。これも最初は大変だったが、最近はずいぶん慣れてきた。毎週膨大な文章を読むおかげで、英語やポルトガル語なら斜め読みができるようになったくらいだ。

 そんなわけで、明日はムチャクチャ忙しい。当然早起きしないといけないので、今晩は早く寝ることにしよう。

 

9月8日(月)

 今日はインドネシアとイギリスのラスの荷物が到着。サンプルがまたドッサリ入ってきた。特にラスは最近、自社もの以外にイギリスのいくつかのレーベルの輸出の権利も得ているようで、それらの新作も含めると、どうしてもサンプルが多くなる。
 ラスが外国マーケットにおける権利を得たアルバムのひとつが、当社が今月28日で臨時発売するトニー・アレンの『ホーム・クッキング』(ライス WRR-531)だ。イギリスでは昨年に発表された、いまのところの最新盤。それをトニー・アレンの来日に合わせて、記念盤として発売させていただくことにした。
 ちなみに、当社はすでにトニー・アレンのアルバムを他にも2タイトル、日本で配給している。アレンは、アフリカ音楽ファンは当然ご存知のように、フェラ・クティとともにアフロ・ビートを作り上げたドラムス奏者だ。フェラの音楽をお好きな方は、これを機会にぜひ耳にしていただきたい。

 ちなみに、イギリスのラスは、イアン・アシュブリッジという、ぼくと同世代の音楽好きがはじめたレーベル。2年ほど前に南アフリカのレイディスミス・ブラック・マンバーゾで当てて、以来アフリカの音楽を中心に多くのアルバムをリリースしてきた。先にロンドンを訪れた際にイアンとはじめて会ったのだが、なんとラスという会社はイアンと奥さんのジョーのふたりだけやってるのだとか。それでこれだけのアルバムをリリースできるなんて、スゴいことだ。
 ぼくは、こういう小さな会社が大好き。反対に、ひとつのことを決めるのにいちいち会議をしなければいけない大会社は大嫌いだ。社長が圧倒的にエラくて、自身ですべてを決定し、当然その責任もひとりで取るというワンマン会社の方が、全然付き合いやすい。
 実際、当社が取引をしている会社のほとんどが、ワンマン社長が経営する小さな会社。ラスだけでなく、やはりぼくと同世代のフィル・スタントンがやっているワールド・ミュージック・ネットワーク、インドネシアのグマ・ナダ・プルティウィ、マレイシアのスリア・レコードと、みんな超ワンマン社長がやってる会社だ。おかげでこういった会社に何かを打診して、会議で検討させていただきます、なんて結論を待たされたことは一度もない。社長本人の一存で決まるスピーディーなところが大好きだ。

 そんなことを思うのも、ぼくがもともと会議なんてものが大嫌いな人間だからだと思う。何がイヤかって、会議なんかでものを決めると、責任の所在が不確かになることだ。だって、そうでしょう。会議でモメて、結局多数決で何かを決めた時、例えば賛成に回った人間は、その仕事がもし上手く行かなかった時、全員責任取ったりするのだろうか。責任を取る気のない奴だって、多数決では手を上げるでしょう。こんなの、クダラナすぎだと思う。決定を大人数ですると、上手く行かなかった時に結局誰も責任を取らなくなる。ぼくは、失敗した奴が責任を取らないことが、一番嫌いだ。
 ちなみにサンビーニャは、そんなぼくが社長をやっている会社だから、発足以来、会議なんてクダラナいことを、一度もやったことがない。そんなセレモニーがないと仕事ができないような人間も、必要としていない。サンビーニャって、昔の王国みたいな会社なんです。

 

9月7日(日)

 昨日は寝坊してしまったので、今日は早起き。朝5時から来週末に発売になる『ショーロの夕べ〜即興の喜び』(ライス KPR-436)の解説原稿を書きはじめる。昨日に続いて、またショーロのアルバムを聞くはめに。しかも、またまたエンリッキ・カゼスのプロデュースだ。
 タイトルからもわかるように、このアルバムは当社で発売しているロング・セラー作品『ショーロの夕べ』(ライス KPR-910)の続編。最初のアルバムは、ぼくとクアルッピ社のマリオ・ジ・アラターニャの共同プロデュースだったが、あれからもう15年も経ってしまった。今回の続編は、そんな公演に出演した音楽家たちの久しぶりの出会いの記録という作りのようだ(実際は15年前に参加した音楽家のすべてが今回も参加しているわけではないが)。
 ただ、本当のことを言うと、前作『ショーロの夕べ』と今回の『ショーロの夕べ〜即興の喜び』は、内容的にはまったく違う趣向のものだ。なにしろ前作は、由緒あるリオ市民劇場における公演の模様を収録した記念碑的な一枚。一生に二度とないかもしれないヒノキ舞台だから、音楽家たちも3日間、じっくりリハーサルして舞台に望んだ。そんな特別の舞台ならではの緊張感と音楽家たちのやる気溢れる演奏があのアルバムの魅力だったと思う。
 でも今回の『ショーロの夕べ〜即興の喜び』は、同じライヴ・レコーディングでも、場所はリオの小さなホール。しかも、リハーサルもなく、それどころか演奏者には事前に曲目すら知らされず、チューニングだけ合わせて舞台に上がり、後はみんなの知っている曲を好き勝手に即興演奏するという、とんでもない企画だ。副題に<即興の喜び>とついているのはそのせいで、まさにインプロヴィゼーションの連続。こんなに大雑把に作られたショーロ・アルバムというのも、ショーロのレコーディング史上はじめてだろう。
 ただ、レコーディングされるのははじめてでも、ショーロの音楽家たちは普段からこんな即興演奏の集いを自分たちが楽しむためにやっている。<ローダ・ジ・ショーロ>と呼ばれる集まりがそれで、ぼくもリオで何度かそんな集まりを見に行ったことがあった。プロの音楽家たちが、ギャラも出ない単なる楽しみのために演奏するなんて、信じられない話だが、ショーロはそうやって音楽性を深めていったジャンルだということだ。
 ソロを取る順番は目で合図しながら決めてゆく。リハーサルなんてしなくても、大人同士の演奏だから、けっしてぶつかり合うことはない。粋な大人の遊びがこうしてレコードになって聞けることになったのだから、ファンには嬉しい限りだ。
 いま思い出したが、15年前のアルバムを作った後の反省会(というより、実態は打ち上げの飲み会)で、エンリッキたちと、次はもっとリラックスしたライヴ・アルバムを作りたいね、なんて話をしたことがあった。あのアルバムは、すばらしい内容だったが、ショーロ的に見れば、ちょっとヨソユキな内容だったとみんなも感じたのだろう。
 こうして15年前の思いがひとつのアルバムを作り上げたのだから、やはり打ち上げは大切だったというだ。そう言われてみれば、飲み会でアルバムの企画が生まれたこと、ぼくの場合はけっこう多い。これからもしっかり飲まなくちゃ、という気分だ。

 

9月6日(土)

 きっと疲れているのでしょう、早起きしようと思ったのに、目が覚めたら午前10時だった。どうにも身体がダルい。肩はバリバリにこっているし、目も疲れている感じ。毎日長時間パソコンに向かって仕事している毎日だから、こうなっても仕方がないが。
 こんな日はどこかに散歩にでも行きたい気分だったけど、外は夏が戻ってきたみたいに暑いし、結局家にこもって仕事をすることに。今日は土曜日の恒例、今週送られてきたサンプル盤のチェック。ブラジルから送られてきた何枚かを中心に耳を通してみた。
 中でも一番面白かったのは、ショーロのフルート奏者アレシャンドロ・マイオネージのソロ・アルバムだ。ぼくが以前プロデュースしてビクターから発売された『ショーロ1900』にも参加してくれた人がマイオネージで、当時は地元でもやっと名前が知られるようになったばかりの<新人さん>だったが、あれから3年たってはじめてのソロ・アルバムを発表することになった。実は、ぼくに送られてきたのは、マスタリングしたばかりのCDR。たった一度一緒に仕事しただけなのに、発売前の音をわざわざ送ってくれるなんて、嬉しい限りだ(当社がブラジル盤をいち早く入荷できるのは、このように発売前から詳しい情報が入っている場合が多いからなのです)。
 発売前のアルバムなので、あまり詳しいことは書けないが、とにかくすばらしくスウィングしまくるフルート演奏。彼は最近のフルート奏者には珍しく、クラシックっぽさをほとんど感じさせない人で、とにかく奔放に吹きまくる。そんな彼のキャラクターがよく出たアルバムに仕上がった。
 ちなみにプロデュースは、またまたエンリッキ・カゼス。先にビートルズのカヴァー集を出したばかりなのに、もう次のプロデュース作品が登場だ。この人の頑張りぶりもスゴい。
 ショーロのアルバムなんて、ブラジルでもそうはたくさん出るものではない。それだけに、日本では大事に紹介してゆきたいと常々思う。マイオネージのこの作品も、入荷した時にはちゃんとファンの目に触れるように売り出そう。

 

9月5日(金)

 先週発売されたニーニャ・デ・ロス・ペイネスの『カンテ・フラメンコの女王』(ライス SSR-432)は早くも評判になっているようだ。サンプルをお聞きいただいた評論家の方々から感想を聞かせていただいたが、これまでのニーニャのどのアルバムより音が格段に良くなったこと、解説が充実していることなどは、皆さんが口にされていた。
 音に関しては、当社のリイシュー・シリーズのセールス・ポイントのひとつ。これまでのアルバムも好評だった。まあ、新しい技術が日に日に進歩しているのだから、後から発売した方が音が良いのは当然。これからもさらに良くなってゆくことだろう。
 そして解説だけど、今回はたしかにいつもより少し文量が多くなった。原稿用紙で50枚ほど。20000字に及ぶ。こんな長文の解説をつけたアルバムを出す会社は、いま時ほかにないだろう。
 ただ、書いた本人は、それほど力作だとか、気合が入ったものだとは思っていない。原稿というのは不思議なもので、つまらない音楽について書く時は200文字でもなかなか終わらないのに、本当に感銘を受けた音楽については20000字でもすぐに書けてしまう。今回も実質1日半で書き上げてしまった。
 それにしても、ニーニャの歌は何度聞いてもスゴい。フラメンコうんぬんというより、ひとりの歌手としてこれほど魅力的な人は世界にもそうはいない。この歌の魅力をなんとか伝えたくて、20000字もの原稿を書いてしまったわけだが、まだまだその魅力のすべてを書き切れたという実感はないから困ってしまう。また将来、ニーニャの音楽について取り組む機会があるかもしれない。

 9月になってしまったが、サンビーニャでは交代で夏休みを取ることにした。今日から火曜日までが宮川くん。来週金曜日から火曜日までが田中昌くん、という順番だ。この間、いつもより少人数になるので、ご注文の応対などに少し時間がかかることがあるかも。その際は、どうぞご勘弁ください。

 

9月4日(木)
 
 昨日入荷したブラジル盤の中から『ビートルズ・イン・ショーロ 第2集』(サンビーニャTS-24040)を、朝4時に起きて繰り返し聞いている。もちろん解説を書くためだが、聞いているうちに仕事をすっかり忘れて楽しんでしまった。
 昨年出た『ビートルズ・イン・ショーロ』(サンビーニャ TS-24037)を聞いた時のような衝撃は、さすがに2回めだと薄い。でも、よく聞くと、今回の方がずっと手が込んでいる。衝撃度を差し引いて考えたら、こちらの方がレヴェルの高い作品かもしれない。
 というのも、いま思えば前作は、そのままショーロになりそうな曲ばかりが選ばれていた(それでも「ヘルプ」がピシンギーニャ&ベネジート・ラセルダのスタイルで演奏されたのにはビックリしたけど)のに対して、今回は超有名曲集。「イエスタディ」「ミッシェル」なんて、ポール・マッカートニーならではのコード感覚が強く出た、どう考えてもショーロ的なコード進行では演奏できそうもない曲が揃っているからだ。
 でも、さすがにブラジルのショーロ音楽家たちは百戦錬磨。違う手段を考えて、再び驚かせてくれた。
 今回のアルバムの魅力は、なんといっても多彩なリズムだ。「ミッシェル」をハバネーラ(アバネーラ)、「抱きしめたい」をルンドゥーと、ブラジルでも忘れ去られようとしている古いリズムを引っ張り出して、まったく自然に聞かせてくれるところには、感動を覚えた。他にも、ポルカあり、マシーシあり、マラカトゥありと、前作以上に多彩なリズムを駆使。このあたりは、前作以上にワールド・ミュージック・ファンを楽しませてくれそうだ。
 もちろん、無理したと感じさせる曲はひとつもなく、ビートルズのオリジナル録音を聞いてたら自然にこんなリズムを思い出してしまった、という感じの演奏ばかり。そこで思ったのが、ひょっとしてビートルズ作品自体に、こんな多彩なリズムをイメージさせるような何かが潜在していたのではないか、ということだ。そう思ったら、無性にビートルズのアルバムを聞き返したくなってしまった。
 ビートルズのカヴァー集は世界中に山ほどあるけど、そこで大事なのは、それを聞いたことで、ビートルズのこれまで知らなかった一面を発見させてくれるかどうかだと、ぼくは思う。そうか、ビートルズって、こうだったのか、と膝を打たせてくれる新鮮なアプローチ…。そういう意味でこのアルバムはぼくらの想像力を刺激してくれる、なかなかの1枚といえそうだ。
 もちろん、モノがショーロだから、内容は全然小難しいものではなく、イージー・リスニングとしても爽やかに楽しませてくれる。そんなさりげなさも、ぼく好みなんだけど。
 ちなみに、このビートルズ集2枚は、わが友エンリッキ・カゼスのアレンジ。彼にはさっそくメールで感想を知らせてあげることにしよう。

 昨晩の雷で停電になり、せっかく書きあがりかけていたハルナ・イショラの解説データが半分消えてしまった。しかも、気を取り直して書き直そうと思ったら、ほとんど忘れてしまっているのにガッカリ。次々といろんな音楽について原稿を書くので、書いたことはさっさと忘れる習慣がついてしまったようだ。
 昨日とは全然違う内容になるかもしれないけど、とにかく書くしかない。これからはマメにデータ保存することにしよう。

 

9月3日(水)
 
 毎週水曜日はサンビーニャにブラジル盤が入荷する日。今日もたくさんの新作CDが入ってきた。これらを仕分けしてお店に出荷。それがお店に並ぶのは金曜日か土曜日あたりだろう。だから毎週週末にCDショップに行っていただければ、サンビーニャから入荷したウブいブラジル盤を見ることができる。 
 当社に毎週ブラジル盤が入ってくるようになって、もう3〜4年くらいになるが、考えてみれば遠いブラジルで出たばかりの新作がすぐに日本に入ってくるなんて、スゴいことだ。ぼくがブラジル音楽を聞きはじめた25年くらい前は、半年や一年遅れたって、立派に新譜だった。3〜4年前のレコードだって、全然古いとは思えなかった。
 そうそう、いま書きながら思い出したが、当時ぼくはブラジルに日系人のペン・フレンドがいて、彼が都はるみとかの大ファンだったこともあり、ぼくが日本の歌謡曲のレコードを送り、その代わりにブラジル音楽の新作を送ってもらっていた。そうして入手したレコードは、ぼくにとって本当に宝物。大事に大事に聞いた。だって、日本にたった1枚しか入っていないレコードだもんね。本当に嬉しかった。
 いま思えば、よくもまあ、そこまでしてブラジル音楽のレコードを集めたものだと呆れるが、きっとコンスタントに入ってこないからこそ、かえって収集意欲が駆り立てられたのだと思う。反対にいまは、いつも目の前にあって、いつでも聞けるせいか、ブラジル盤のCDはほとんど買わない。無理して買っていた当時の方が圧倒的に楽しかった。
 ちなみに、その時にブラジル盤を送ってくれた日系の人は三浦オズヴァルド昌吉くん。彼の元には都はるみのLPが30枚くらい揃ったはずだが、いまも大事にしてくれているだろうか。

 

9月2日(火)

 最近、仕事が終わって疲れた夜にはザラを聞くことが多い。当社がトルコ盤を配給するようになって、最初に<発見>した若手の逸材が彼女。本邦デビューとなった『いにしえのトルコ歌謡を想って』(ライス UMR-705)は、いきなりの2枚組だったが、そのわりにはよく売れた。
 ザラさんはその最新作を含めて4枚のアルバムを出しているが、ぼくがいま愛聴しているのは、デビュー作と思われる3〜4年前のアルバムだ。最新作では古典楽曲にまで挑戦してるザラだが、このアルバムではまだ民謡っぽい曲が中心。可愛らしい旋律の曲が多く、ザラのまだウイウイしい歌声もあいまって、なんともぼく好みの一枚なのだ。
 さらに気に入っているのが、トルコ民謡を歌ったアルバムのはずなのに、マレイシアあたりの音楽に近いメロディーも出てくるところ。そんなタイプの曲は『いにしえのトルコ歌謡を想って』にも2枚めの方に入っていたが、デビュー作はそんなのばかりだから、なおさら楽しい。
 洗練された型を持つ古典音楽は、逆に言えばどれも似たような曲調になるのに対して、トルコ民謡は、シンプルでもけっこうヴァラエティに富んでいる。そしてなぜか、マレイシアっぽい。ザラがP・ラムリー作品集を作ったら、きっと面白いに違いない。
 トルコとマレイシアの音楽が似ているなんて、まだトルコ人もマレイシア人も知らないはずだ。スリア・レコードのタン社長とかに教えたら、面白がって、シティ・ヌールハリザに歌わせようとするかも。いやいや、その前に、このネタ、ライスの次の自社録音プロジェクトに使えそうだ。

 いま思い出したことがひとつ。こんなすばらしいザラさんのデビュー作、自分では愛聴しておきながら、まだお店には一枚も出していなかったことに、昨晩気がついた。これは大失態。近いうちに注文を出しておかないと。

 

9月1日(月)

 今週末にはマレイシアの女性歌手リザ・ハニムの新作『ク・トゥルスカン』(ライス SRR-312)が発売される。CDは先週に無事到着。白地にちょっと大人っぽくなったリザの姿が映った、アジアのアイドル・ファンには喜んでもらえそうなジャケットだ。
 でも、もっと注目してもらいたいのがその歌声。リザ・ハニムはシティ・ヌールハリザにも負けないほどの歌唱力の持ち主だが、今回のアルバムでは少し抑え目の歌い方。フルに実力を発揮してシャウトしまくられるより、ずっと良い感じだ。リザもすっかりお姉さんになりました。

 思うに、ぼくは昔からシャウトする歌手はあまり好きじゃない。ブラジル音楽を好きになったのはそのせいだと思う。ボサ・ノヴァなんて、シャウトなんてのとは対極の歌い方だもんね。反対にサザン・ソウルとか、ほとんど盛り上がった記憶がない。アジアの歌手もブラジルと似て、あまりシャウトしないし、なんと言うか、簡単に激情したりしないで、感情を一度整理してからユーモアとかをまじえつつ外に出すような大人っぽさが好きだ。

 大人っぽいと言えば、今月はいよいよ<コンゴのブエナ・ビスタ>ケケレの第2弾『コンゴ・ライフ』(ライス SAR-530)が登場する(21日発売予定)。試聴CDRを聞いたけど、これが最高の出来! コンゴのおじいさんたちはすっかりやる気になってしまった感じだ。
 さらにすばらしいのがサウンド・プロダクションで、今回は、いまでは当社が配給しているサリフ・ケイタの名作『ソロ』(ライス SAR-101)で音楽監督を務めたフランソワ・ブレアンがプロデュースを担当。ちゃんとプロデュースされた爽やかサウンドで、前作以上におじいさんたちの艶やかな歌声を引き出してくれている。ブレアンは先にアオラから出たセクーバ・バンビーノの新作でも良い仕事をしてたっけね。
 異文化がぶつかり合って火花を散らした『ソロ』から10年ちょっと。ブレアンもすっかり大人になりました。

 

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