10月31日(金)

 今日もやっぱり午前4時に目が覚めた。でも、だんだん夜の睡眠時間は長くなっているので、今朝はそれほどヘンな目覚めではない。ただ、日本は寒いのか、ちょっと風邪気味。今日は一日外に出ないことにしよう。
 というわけで、朝から自宅で怒涛の原稿書き。ユッスーのセネガル録音の復刻盤2枚と、ザラの昨年のアルバム、さらにショーロものやサンバもの、来週ライスから出るトルコ音楽のアルバムなどの解説を一気に書き上げる。どれも以前から何度も聞き返してきたアルバムなので、さほど手間取らない。来週末にはこれらのアルバムも店頭に並んでいるはずなので、どうぞお楽しみに。

 1週間日本を空けたので、昨日から今日にかけて、新しい注文をたくさん送ることに。ブラジルのマリア・リタは相変わらず売れ続けているようで、今週も大量注文。ジョイスの復刻盤も良い調子で売れているようだ。また、タルカンの新作もなくなったので、トルコにも注文を出さないといけなくない。そうそう、アラブ歌謡シリーズのファイルーズも、初回分は今週で売り切れ。なんとか再注文にこぎつけた。マリア・リタが売れることより、こんな地味なシリーズが売れる方が、実は嬉しかったりする。

 月末最終日は出荷が多いので、事務所は大忙し。今月はいろいろあったが、なんとか最終的には予定通りに仕事が進んだ。来月もまた気を引き締めて頑張ろう。

 

10月30日(木)

 昨日は午前2時まで寝られなかったのに、2時間後には目が覚めてしまった。でも、今日は時差ボケなんて言ってられない。リストを作らないといけない日だから。
 WOMEXでもらったサンプルはまだほとんど聞けていないが、帰りの飛行機で聞いた数枚の中で、クリスチャン・ムセのマラビ・レーベルの新作であるバ・シコソのアルバムが気に入ってしまった。ギニアの若手グリオを中心にしたグループのアルバムだが、コラ2台にベースとパーカッションというシンプルな編成(アルバムではアディショナル・ミュージシャンもつく)なのに、すばらしくニュアンスに富んだ、しかも若々しい疾走感溢れる音楽を作ってくれている。先に当社で発売したマリのジャリクンダ・シソコもそうだが、ギニアやマリなど西アフリカの音楽シーンは、まだまだ若手の優秀な音楽家たちを輩出する力を残しているようだ。このアルバムを聞いて、来年はやっぱりクリスチャン・ムセと一緒にマリに行こうかという気になってきた。
 このバ・シソコのアルバムは11月16日にライスから発売する予定なので、どうぞお楽しみに。

 リストの原稿を書いた後に、次のプロジェクトのために少し調べものをしようかと思ったが、疲れてその気力もなく、寝ることに。昼寝をすると、また夜に目が冴えちゃうんだけど…。

 

10月29日(水)

 昨日は12時に寝たのに、今朝は3時に目が覚めてしまった。完全に時差ボケだ。若い頃は、時差12時間のブラジルを往復しても、時差ボケなんかにならなかったのに、いまではこのありさまだ。もう立派に中年だしな…。というわけで、昼間はブラジルから送られてきた新譜のインフォをチェックするくらいで、ほとんど仕事にならず。午後遅い時間にちょっとお昼寝。そしたら、また夜になって目が冴えてしまうことに…。まずいパターンだなあ…。

 

10月28日(火)

 マドリッドからパリまで行って、3時間ほど待たされて飛行機を乗り継ぎ。パリから成田までは11時間半の長旅だ。ぼくは飛行機でも平気で寝れてしまう方だが、この日ばかりは満員だったせいで、話し声がうるさくて眠れない。おかげで本を一冊読み終えてしまった。
 夜7時過ぎに成田空港に到着。自宅に着いたのは、夜10時過ぎ。もうヘトヘトです。

 

10月27日(月)

 セビーリャではWOMEX関係の仕事以外にやりたいことがいくつかあったのだが、結局忙しくてほとんどできなかった。でも、これだけは忘れるわけにゆかない。ニーニャ・デ・ロス・ペイネスの銅像を見に行くことだ。朝早く起きて、タクシーの運転手さんに連れて行ってもらうことにした。
 ニーニャの銅像はアラメーダ・デ・エルクルースという通りにあるのだが、後で地図を見たら、ホテルからそれほどの距離でなかった。とにかくその通りに着いて、感激のご対面。銅像の前には20分ほどいて、日本で編集盤を作ったことなどをご報告。それから献納者とかの名前をチェックしたのだが(アントニオ・マイレーナの名前をそこで発見)、ぼくがあまりジロジロ銅像を見ているので、近所のおばさんが不思議そうな顔をして声をかけてきた。
 さらに、その同じ通りにフラメンコの偉大な男性歌手マノーロ・カラコールの銅像もあるとタクシーの運転手さんから聞いていたので、そっちも見に行くことにした。こちらは公園の真ん中にドンと居座っている。ニーニャのは上半身だけだが、マノーロの方は椅子に座って歌う全身が銅像になっていて、サイズも断然大きい。実はニーニャに続いて、マノーロのアルバムもサンビーニャで出そうと思っていたのだが、ここで銅像に出会って改めてその気になってきた。それくらい、あの男らしい歌声が目の前で聞こえてくるような銅像だ。

 マドリッドまでは、この人の飛行機がどれも満席だというので、アベ(AVE)という特急電車で向かうことにした。飛行機と違って電車なら外の景色も見れるのでその方がいいと思ったのだが、その景色が、ほとんど変化がないのにビックリ。山が多いこともあるのだが、人が住んでいる家はたまにしか見れない。山ひとつ超えたら違った文化があるというスペインの特徴を実感した。

 マドリッドの空港に着いてビックリ。ぼくが乗るはずだった便が、大雨のために欠航になったとか。幸い、時間より2時間ほど早く着いたので、前の便に乗ることが出来たのだが、セビーリャで余計なことをしていたら、日本に帰れなくなるところだった。

 

10月26日(日)

 今日は業界ミーティングの最終日。10時から2時までの4時間だけだが、さすがにスタンドには人がまばらで、店じまいをしている人もいる。お昼は、昨日まで探していたのに会えなかったベン・マンデルソンを見つけたので、一緒に食事をすることに。英グローブスタイルや独ピラーニャにたくさんのプロデュース作品を残してきたベン・マンデルソンだが、ファンの方々はご存知のように、実はスリー・ムスタファズ・スリーのリーダー、ヒジャス・ムスタファと同一人物。この日も、マンデルソンさんはバルカンの生まれじゃなかったっけ?なんて冗談話に花を咲かせる。実はムスタファズ時代のアルバムの一枚は近々当社で再発する予定。そのことを彼に言ったら、とても喜んでいた。
 そして、これもまだトップ・シークレットなのだが、実は来年あたり、ベンとぼくは当社発売の新録アルバムでも一緒に仕事をする予定になっている。きっととんでもない内容になるぞ、これは。具体的なことはまだ言えないけど、ベンが作ってきた音楽がお好きな方はお楽しみに。

 さあて、とうとうセビーリャでの最後の夜。やっぱりアンダルシアに来ているのだから、今晩はフラメンコしかない、というわけで、ロス・ガージョスというタブラオに出向くことに決めた。たまたまホテルの近くで知り合った日本人の女の子が一緒に行きたいというので、同行することに。そしたら、セビーリャに来る時に飛行機で知り合ったフラメンコ踊りを習っている女の子たちにも再会。セビーリャ最後の夜は、なんと若い女の子たちに囲まれてフラメンコを見ることに。普段の行いが良いと、こういうことも起こるんです。
 ただ、どこのタブラオもそうなのだろうけど、お客さんのほとんどは外国人か観光客。親密な雰囲気を期待しても無理がある。ただ、観光客にやたらアピールしようとするリーダーらしき男性歌手はちょっと目障りだったけど、はじめてだったせいか、音楽と踊りに集中していたら、けっこう楽しめてきた。何よりもすばらしかったのは、年配で味わい深い声の歌手がいたこと。この人のシギリーリャスはなかなかのすばらしさだった。ギタリストはふたりいたけど、年上と思われる人の方が手数は少ないのに味があって、ソレアーレスやシギリーリャスでの、まるでウードを弾くようなメランコリックな演奏が印象的だった。最後は全員が舞台に上ってセビリャーナス、アレグリーアス、ブレリーアスと、踊り歌の連発。地元でセビリーリャスを聞けたのは嬉しい。
 フラメンコ・ショーが終わったら、もう11時。女の子たちとは別れて、明日の帰国準備をして寝ることに。

 

10月25日(土)

 最初からミーティングを予定していた人との打ち合わせは昨日までにだいたい終えたので、今日はあちこちのスタンドに顔を出して、新しい取引先探しをすることに。スペインでの開催ということで、スペインやポルトガルの会社も多くスタンドを出していたが、面白かったのがファドの会社で、日本人のぼくがブラジル風のポルトガル語で話すのがよほど面白かったのか、すごく親しくしてくれて、ほかのポルトガルのレーベルのスタンドまで次々と案内してくれることになった。おかげでファド関係だけでも20枚くらいのサンプルをもらうことになったのだが、いくらなんでもサンビーニャでこんなにたくさんのファド・アルバムを出せるわけがない。でも、ひとつの会社でもらって、他はもらわないというわけにはゆかないし…。この中に面白いものがあればよいのだが…。
 
 そんな風にスタンドを回りながら、すごく親しくなったのが、南アフリカのガロ・レーベルの担当者アイヴォールさん。けっこう年配の人だったが、ダーク・シティ・シスターズの復刻CDはないの、と聞いたら、すごく嬉しそうな顔をして、古い音源のことをアレコレ話し始め、結局話が弾みすぎて、最後は一緒にビールを飲んで盛り上がってしまった。酔っ払ったアイヴォールさんが繰り返して言っていたのは、とにかく南アフリカに来い、そしたら何でも聞かせてやる、ということ。これじゃ全然商談になっていないのだが、でもぼくはこういう人が大好きだ。

 WOMEXにはじめてきて改めて思ったのだが、イギリスやフランスあたりからやってくる会社のほとんどが、いわゆるインディ・レーベル。シーンのど真ん中にいるような会社は少ないことだ。そして、その作品も、いかにもインディって感じのものが大多数。なんか堂々としてないものがあまりに多く感じられた。
 こうなると、サンビーニャのカラーに合うものは少なくなる。ダンドゥットならエルフィ・スカエシを、ハワイアンならレナ・マシャードを、マレイシアならシティ・ヌールハリザを出してきたサンビーニャは、どのジャンルでもど真ん中にある一番良いところを聞かせる会社だ。インディ気取りしたスカした作品なんて、当社のカラーではない。
 そんなサンビーニャにとって、イギリスやフランスあたりのインディ会社より、ガロみたいに70年以上の歴史を持つレーベルの方が、ずっと相性が良い。なにしろ南アフリカ音楽のど真ん中でその歴史を築いてきたのがガロなのだから。アイヴォールさんを説得してそれらの音源を出すまでに、あと何回一緒に飲むことになるかわからないが、それでもサンビーニャとしては彼のような人こそ仲良くしてゆかないといけないのだ。

 夜のコンサートは、スペインのラム・デ・フォックとマリのティナリウェンを見る。ラム・デ・フォックは、アオラさんから出ているCDはとても良くて、ぼくも大好きだけど、ライヴでは繊細な部分がちょっと弱々しく感じられたのが残念だった(音響に不備があったせいもあるのだろうが)。一緒に見ていたレバノンのミシェル・エレフテリアーデスは<トゥー・マッチ・インテレクチュアル>と言っていたけど、確かに彼の作るハニーンの音楽の異常なほどの自信満々ぶりと比べると、どこか頼りない。結局、この手のミックス音楽は、難しそうにやったらダメ。堂々とやった方が強いということなのだろう。
 もっと遅い時間にやっていたマダガスカルのバンドを見れなかったのは残念だが、今日も昼間の打ち合わせですっかり体力を使い果たしてしまったので、結局かなり早めに帰宅することに。

 ひとりでタクシーに乗って帰るときに、ふと思い出したのが、今週発売されることになっている『サンバ・エ・イスト』シリーズの2枚のこと。スペイン行きのせいで、今回は制作から営業まで、すべて昌くんにまかせきりになってしまった。無事に出荷できていればいいのだが…。

 

10月24日(金)

 今日も朝から商談の連発。中でも一番大事だったのが、昨日はじめて会ったクリスチャン・ムセとの打ち合わせだ。というのも、彼のレーベルであるマラビのアルバムは、当社が日本で独占発売をさせていただいているので、今後どんなスケジュールで新作が出るのか、確認しておかなければいけなかったのだ。
 レーベル発足からたった2年ほどで8タイトルもアルバムを出しているマラビ・レーベルだが、来年はまずマダガスカル、次にマリでレコーディングの予定があるのだとか。誰を録音するのかまでは教えてもらえなかったが、きっとまたぼくらをビックリさせるような音源が作られることだろう。しかもムセさんは、もしぼくの予定さえつけば、これらの録音に同行してもいい、なんて嬉しいことを言ってくれる。そんな時間が取れるのかどうかわからないが、マリなんて、たしかにムセさんと一緒に行ったら面白いかもしれない。
 そうそう、ムセさんはレコーディング・プロデューサーである以前に、音楽フェスティヴァルの主催者で、フランスのアングレムのフェスティヴァルもこの人が中心になって主催しているのだそうだ。マリはともかく、来年のこのフェスティヴァルにはぼくも顔を出さないといけなくなりそうだ。

 午後は、やはり昨日はじめて会ったレバノンのプロデューサー、ミシェル・エレフテリアーデスとじっくり話し合うことに。この人は、今回のWOMEXで会った中で、最高に面白い人だった。まだ34歳と、ぼくより全然若いのだが、さすがにアラブ音楽とキューバ音楽のミックスなんていうとんでもないことを思いつく人だけあって、考えることすべてがスッ飛んでいる。具体的なことは書けないが、昨日会ったばかりのぼくと一緒に、アジアのマーケットで売れるアルバムを作ろう、なんてことまで言ってくるくらいだから、スゴい。
 ただ、スッ飛んではいても、音楽については、ムチャムチャ詳しい。お父さんがイズミール出身のギリシャ系ということもあって、レンベーティカなどギリシャ音楽には精通しているし、夜のコンサートを一緒に見ていた時には、クラリネット奏者の演奏を聞きながら<これはクレツマーっぽいな>なんてことも言ったりする。もちろんキューバに住んでいたこともあるから、キューバ音楽もよく知っているし、バルカンのジプシー・バンドのアルバムも作っているから、そちら方面もよく知っている。外国人プロデューサーと知り合って、これほど幅広い音楽の話をできたのは、生まれてはじめてだ。彼はきっと今後、世界で注目されるプロデューサーになることだろう。

 夜のコンサートは、当社でアルバムを配給しているモーリタニアのマルーマを見る。まだワールド・デビューしたばかりで、こうした舞台の経験は少ないのだろう。ステージ慣れしていないところがはっきり出ていたが、それでも後半はアルバム以上に熱い歌いぶりで、なかなかに楽しめた。今後、作品を続けて出してゆくうちに、さらに面白くなる人かもしれない。

 そんなマルーマが終わったところで、隣のステージからいきなりデカい音が聞こえてきたと思ったら、ブラジルのナソーン・ズンビ。こりゃ、疲れている時に聞く音楽じゃないと、ぼくはひとり退散することに。

 

10月23日(木)

 朝早く起きて、頭がスッキリしているうちに、インターネットの接続に挑戦。ロンドンではダメだったが、今回は見事につながった。いきなり39本も未読メールがあったのには驚いたが、WOMEXに来ていることを知らせてない取引先もからのものなど、早く返事を書かないといけないメールもあったので、つながって良かった。
 朝ごはんは近くのバーで食べたが、ここでは絞りたてのオレンジ・ジュースが実に美味。昨晩気に入ったハムをサンドイッチにはさんでもらったが、こちらもなかなかだ(またビールが飲みたくなるのは困ったものだけど)。食事をしたら一気に気合が入って、仕事モードに。
 午前11時には、各レコード会社がブースを出している場所に行って、フランスのメロディ社の担当者であるベン・オールドフィールドくんを探す。ベンくんとは、メールではやりとりしていたが、会うのははじめて。でも、会ったらすぐに打ち解けることができた。近くに、やはりメールでずっとやりとりしていたマラヴィ・レコードのクリスチャン・ムセもいて、ここでもまた話し込んでしまう。彼らとは、常に情報交換しているので、ここではじめて得る仕事の情報は少ないのだが、それでも個人的な話をアレコレしていると、時間がアッという間にたってしまう。
 クリスチャン・ムセは、アフリカ音楽に詳しい人には有名なプロデューサー。当社でもエル・コンゴやマルーマ、ベンベヤ・ジャズの新作など、彼の作品を何枚か配給させてもらっているので、ご存知の人もいるだろう。いまはマラヴィという会社をやっているが、プロデュースをはじめたのはもう20年も前。その長いキャリアを語りはじめると、もう止まらない。偶然、夕食の時にも会っただが、ここでも結局話し合うことになって、今日は彼と一緒にいた時間が一番多かった。
 彼の話はあまりに興味深いので、明日正式にインタビューさせてもらうことを約束。ぼくはもう音楽評論家じゃないので、発表できる紙面などないが、このホームページで発表すればいいことだから、問題ない。時間ができたところでまとめるつもりなので、アフリカ音楽ファンの皆さんは楽しみにしていてください。
 ベンやムセとの打ち合わせを終わって会場を歩いていると、知っている人が次々に声をかけてくれる。先にロンドンであったばかりの英スターンズは、スタッフ総出で来ていたし、ワールド・ミュージック・ネットワークもフィル・スタントン社長以下3人できていて、精力的にプロモート活動をしていた。彼らの熱心さは、ぼくも見習わないといけない。
 そう思って、ブースを出していたいくつかのレコード会社を訪れて、交渉を少し。今日だけで、2つか3つの新しいレコード会社と知り合いになり、交渉をはじめることになった。
 また、会場をウロウロしている時に、10年以上前にブラジルで知り合ったアメリカのジャーナリスト、ジェラルド・セリグマンも来ていて、バッタリ会った時にはビックリ。本当に久しぶりの再会だ。彼は、もう10年ほど前だと思うが、英EMIの<ヘミニスフェア>というワールド・ミュージックのシリーズの担当者もしていて、その頃まではいろいろ情報交換していた。彼とはじめて会ったのは、リオ。87年(と彼が言っていた)に、ぼくの引率でマンゲイラの丘に登ったのは、忘れられない思い出なのだそうだ。確かに、日本人に連れられてアメリカの白人(グリンゴ!)がスラムを歩くなんて、いま思えばかなり不思議な出来事だった。ぼくも当時は若かったから、怖いもの知らずだったのだろう。
 夜はコンサートをいくつか。でも、昼間の打ち合わせですっかり疲れて、音楽をじっくり聞く気になれない。結局12時頃にはホテルに帰って寝ることに。ちなみにコンサートは、すっかりスペイン時間で進んでいて、はじまるのが9時過ぎ。終わりは2時半くらいだったみたいだ。明日はもう少し体力を残して、ステージをじっくり楽しめるといいのだが…。

 

10月22日(水)

 マドリッドの空港には10時ころに到着。それからイベリア航空でセビーリャへ。ここではセビーリャにフラメンコを習いに行くという女性ふたり組みと同席になった。ふたりともフラメンコがもちろん大好き。ただ、それは踊りの方で、だから歌手やギタリストのことは、驚くほどまったく知らない。ニーニャ・デ・ロス・ペイネスなんて言っても、ポカンとしていた。
 でも、日本のフラメンコ・ファンは、こういう人たちの方が大多数のようだ。踊りには興味を持つけど、フラメンコのCDは買わない。ハワイアンのフラ・ダンスを習う人はものすごく多いのに、ハワイアンのCDがそれほど売れないのと同じだろう。確かにダンスを習うのに、それほど多くのCDはいらない。基本的な形式が一通り入ったCDを一枚買えば、それで用が足りてしまう。でも、それで終わってしまったら、ちょっともったいない気もするが、どんな分野でも、踊りが目的に人には音楽はあまり重要なものではないのかもしれない。
 セビーリャの空港には午後1時過ぎに到着。そこからタクシーで市街地のホテルへ。友人がロンドンから予約してくれたホテルは、セビーリャの旧市街だったのだが、これが情緒のあるところで、気に入ってしまった。セビーリャでは1992年に万博があって、そのときに新しいホテルも建てられている。でも、旧市街にあるのは、そんなホテルじゃない。フロントにいる人だって英語はまったく出来ないし、宿泊している人はぼくら以外、みんな地元の人たち。でも、みんな愛想が良くて、親切にしてくれる。そのホテルからさらに中の方に入ると、古くて細い道がクネクネ曲がって走っていて、これまた情緒がある。さっそく散歩してみたら、ウィークディの昼間なのに、学生さんらしき人たちがたくさんいて、思ったより人通りが多かった。さっそく人間ウォッチングをはじめたのだが、まず印象に残ったのが、女性たちが先に行ったロンドンなんかより3倍も魅力的だったこと。それも着飾った美しさではなく、素朴なまま美しい。タクシーの運転手も、セビーリャの女性は情が厚くて、スペイン中で最高だと豪語していたが、本当に素敵な人が多かった。残念ながら、女の子と親しくなる時間はなさそうだが、でも見れるだけでも幸せだ。
 夜は近くのバーで<ロマンセーロ・ヒターノ>という料理をつまみながら、ビールを少し。ハムとサーモンに2種類のソースがかかった料理だったが、このハムが抜群に美味しくて、ビールがついつい進んでしまう。今日は自制心を働かせて3杯でやめたけど、明日からはどうなることやら。そうそう、ワインも1杯だけ飲んだけど、これもすごく美味しい。
 とにかくセビーリャは、とてもぼく好みの町のようだ。

 

10月21日(火)

 夕方にスペインに出発ということで、昼間は買い物などで大忙し。いま出発する直前にリスト原稿の一部を書いているが、これも完全には終わりそうもない。いちおうコンピュータは持ってゆくので、現地で原稿を書いてメールで送るつもりでいるのだが、はたしてインターネットが繋がるかどうか。先にロンドンに行ったときは全然だめだったが…。
 もしもちゃんと繋がったら、この日記も2日遅れくらいで更新できると思う。ちなみに、ぼくが今回行くのはスペインのセビーリャ。二ーニャ・デ・ロス・ペイネスの生まれ故郷だ。WOMEXを見れるのも楽しみだが、それよりアンダルシアの町並みや日常の生活に何かを感じて帰ってきたいと思っている。
 面白い話があったら、現地からリポートします。

 午後に成田を出発。エール・フランスでまずパリまで行って、そこからマドリッドに乗り換え。さらにマドリッドから国内線でセビーリャというのが今日の日程だ。成田には少し早めに着いて、いつものお寿司屋さんへ。で、いつも通り、少しお寿司をつまんでからゲートに向かったのだけど、そこでピーター・バラカンさんとバッタリ。バラカンさんもWOMEXに行くとは聞いていたけど、まさか同じ便だとは思わなかった。
 だけど、挨拶もそこそこに、飛行機に乗ったらぼくもバラカンさんも熟睡。バラカンさんもテレビやラジオの番組の録りだめで、かなり疲れていたようだ。ドゴール空港に着いたら、少し元気が回復していたので、トランジット・ルームで今回のWOMEXの見所について、あれこれ情報交換。でも、残念ながらぼくはレコード会社との交渉という仕事があるから、コンサートをまともに見れる時間はなさそうだ。マルーマとか、当社で配給しているアーティストも出演するのに…。
 パリからマドリッドもまた熟睡。よほど疲れているようで、座るとすぐに眠たくなる。

 

10月20日(月)

 月曜日だというのに、インドネシアとラウンダーから荷物が到着。はやくも仕分け作業がはじまる。

 当社のインドネシアやマレイシア盤のアルバムをお買いになった方はご存知のように、当社では多くのアイテムに手製のオビをつけて出荷している。オビ/解説つきのタイトルも多いが、オビだけのものもある。日本ではまだまだマイナーなジャンルだけに、こうでもしないと買う人が困ってしまうと思ってやりはじめたのが6年前だった。
 というのも、当社がインドネシアやマレイシアから輸入盤を取りはじめた6年前は、多くのCDショップで、インドネシアやマレイシアのコーナーすらなかった。それ以前に日本盤として出ていたCDは、ほとんど廃盤で、もともとあったコーナーもなくなってしまっていたのだと思う。そんな状態ではじめたので、とにかくコーナーを作ってもらうところからはじめなければいけなかった。そこで、こんな地道な作業がはじまったわけだが、そのかいあってか、いまではシティ・ヌールハリザなど、アーティストのコーナーも設けてもらえるくらいになった。

 こうして6年仕事をしてみてわかったのは、ワールド・ミュージックのコーナーで、裸のままの輸入盤でも売れるのはブラジルくらい。アジアとかアフリカとかアラブとか、Aではじまるジャンルはそれじゃ全然だめだということだ。これからも、地道は仕事はより幅広いジャンルでやってゆくことになるのだろう。大変だけど、頑張ってやってゆくしかない。

 

10月19日(日)

 もちろん休日返上。朝からひたすら旅行の準備と原稿書き。旅行前はいつもこんな感じで慌しくなってしまう。

 

10月18日(土)

 昨日飲みすぎたせいか、朝はお腹の調子が悪くて困った。薬を飲んだら落ち着いたのだが、結局仕事をはじめられたのは午後遅く。休日返上で解説原稿をたくさん書くつもりでいたが、結局予定の半分も進まなかった。この分だと、明日は日曜だったいうのに、また午前4時起きか。

 来週は火曜日からスペイン出張なので、準備を少し。以前から持っていた『アラブとしてのスペイン』(余部福三著/第三書館)と『アンダルシア風土記』(永川玲ニ著/岩波書店)を読み返す。数日前にこの日記で書いたアマリア・ロドリゲスの伝記に続いて、イベリア半島にしぶとく残るアラブ文化の逞しさを実感させられるような本ばかりを続けて読むことに。ニーニャ・デ・ロス・ペイネスのライス盤を編集して以来、すっかり関心がここに向かっています。

 

10月17日(金)

 当社発売のアルバムのデザイン/アート・ディレクションをやってくれている吉岡修さんの奥様、誠子さんの告別式に行ってきた。誠子さんが亡くなられたのは15日の朝。突然のことで、本当に驚かされた。
 誠子さんとは、吉岡さんのご自宅で打ち合わせをした時に1度と、インドネシアのジャカルタでもう1度お会いしたことがあったが、すごく印象に残っているのは、修さんとご夫婦ともども、インドネシア音楽が本当に大好きだったことだ。あれはジャカルタだったと思うが、ご夫婦と会食する機会があった時に、修さんだけでなく、誠子さんも日本では誰も知らないようなアーティストをすごく詳しく知っていて、専門家のはずのぼくがタジタジになったことがあった。
 ぼくは以前『インドネシア音楽の本』(北沢図書出版)という、いまのところ日本で唯一のインドネシア音楽の専門書を書いたが、でも日本でぼくがこの国の音楽について一番詳しいなんてことは絶対にありえない。ぼくなんかよりインドネシア音楽がお好きで、ずっと深く聞き込んで来たファンの方々はたくさんいる。吉岡誠子さんも、そのひとりだった。ぼくと同じ年だったので、今年44歳のはず。心からご冥福をお祈りします。

 夜は仕事とまったく関係のない女性と会う約束があったので、久しぶりに浅草の<あらまさ>に行く。ここは秋田料理のお店だが、料理が美味しく、オリジナルの日本酒がまたとんでもなく美味しい。東京で最高の居酒屋のひとつだ。ちょっと高いのでしょっちゅうというわけにはゆかないが、若い女性と一緒の時にはときたま顔を出す。おいしい日本酒も、綺麗な女の子と一緒に飲むと、ますます美味しい。ぼくにだって、たまにはこんな日があるんです。

 

10月16日(木)

 今日はリスト作成日。朝からポルトガル語やら英語やらのインフォを読みながら、サンプル盤をアレコレ聞きまくる。でも、こんな時に限ってコンピュータの調子が最悪。リストの原稿がちょうど7割くらい出来上がったところで、急に画面が真っ暗になり、書いていた原稿が全部飛んでしまった。こんなことははじめて。調子が悪いのをだましだまし使ってきたが、いよいよ本格的に修理しないといけなくなった。
 コンピュータは、これまでできなかったような仕事をたくさん可能にしてくれたが、その分、うまく行かない時のストレスは、コンピュータがなかった時代の何倍も大きい。

 そんなストレスを少し忘れさせてくれたのが、朝から繰り返し聞いたフェラ・クティの1971年録音盤『フェラ・クティ&アフリカ70・ウィズ・ジンジャーベイカー/ホワイ・ブラック・マン・デイ・サファー(仮題)』(ライス SAR-532)だ。やっと今週のリストに載せることができた(発売は11月2日予定)。
 1971年といえば、ナイジェリア音楽が大転換をした年。ラゴスのデッカ・スタジオに20分間続けて録音できるテープ・レコーダーが導入され、ナイジェリア音楽が一気にLP片面ノン・ストップの時代に突入したのが、この71年だった。
 ここでナイジェリア音楽は、大きく変わる。サニー・アデがその音楽を一気に成熟させたのがこの年だったことは、先に出たシャナキー盤CDを聞いた人はご存知だろう。フェラのこの71年録音も、まさにそんな大転換の一枚だ。なにしろこれがフェラにとってはじめての長尺ナンバー。アラブ音楽のウム・クルスームを思わせるような、ゆっくりゆっくり盛り上げてやっと歌が登場みたいな曲を、ここではじめて録音できるようになったのだから。アフロ・ビートは3分や5分じゃしまらない。じわじわと盛り上がってこその音楽だが、それをフェラが最初にやったのが、このアルバムだった。
 しかも、歌詞の内容は思い切り政治的。それはタイトルからも想像がつくだろう。当時の発売元ナイジェリアEMIは、あまりに反体制的な内容なので、発売を見合わせたのだとか。こんなところも、フェラがフェラらしくなった最初の1枚と言える部分だろう。
 いまも書いたように、11月2日の発売予定。ファンのみなさんは楽しみにしていてください。

 忙しい仕事が一段落して、夜は久しぶりに、当社でもアルバムを出したことがる奄美出身の女性歌手RIKKIとミーティング。マネージャーの大橋さんと3人で韓国料理を食べながら、来年に計画している新しいプロジェクトの打ち合わせだ。ぼくが彼女のアルバムをプロデュースしたのは、もう5年も前。でも、その時のアルバム『ミス・ユー・アマミ』(ライス ORR-701)はいまでもロング・セラー中だ。このアルバムの後、RIKKIはファイナル・ファンタジーのテーマ・ソングを歌ったり、メジャーからアルバムを出したりと、大活躍だったことは、ファンならご存知だろうが、そんなRIKKIと前作発売5周年を記念して、久しぶりに一緒に仕事をしようということになった。具体的な内容については、いまのところ秘密。もう少し本格的に動き出したら、この日記でご紹介することにしよう。

 

10月15日(水)

 昨日は休みということで、久しぶりにひとりで行きつけの居酒屋さんへ。子供のころから食べ慣れた家庭料理がいっぱいある、ぼくのお気に入りの店だ。ひとり暮らしをしていると、こういう当たり前のものがなかなか食べられない。だから時間ができると、どうしてもこういう店に行ってしまう。でも、大好きな料理があると、ついついお酒も進んでしまうのが困りもの。昨日はめずらしくいっぱい飲んでしまいました。

 というわけで、今朝は少し二日酔い。午前中はボケッとしていた。そんなぼくの目をパッリチ覚ましてくれたのが、午後からドドドッと届いたサンプル盤。これだけレベルの高い作品が、しかもあちこちのレーベルからバラバラに送られてくる日も、珍しい。どれもこれから交渉をはじめる段階なので、具体的なタイトルなどは書けないが、もし輸入できたら、みなさんが喜んでくれるそうなアイテムが目白押しだ。近いうち、話がまとまったら、お知らせしましょう。

 これもまた昨日の話だが、新宿に出たついでに、少しCDのお買い物もした。ちょうど今日届いた『レコード・コレクターズ』最新号に載っていたアルセニオ・ロドリゲスや、はじめてCD化された『フェスティヴァル・イン・ハバナ』などを購入。アルセニオは、ライスでアルバムを出しているので、他社が出したものに関してはノー・コメント。でも後者は商売上関係ないので、キューバ音楽に関心のある人は絶対に買っておくべき名盤だとと、大声でお勧めしちゃおう。セプテート・ナシォナールのリーダー、イグナシオ・ピニェイロを中心とした革命前の録音だが、ナシォナールのシーコ盤と同様、晩年の彼が最後の力を振り絞って残した伝統保存セッションの一枚だ。(クレディットはないが)ピニェイロのルンバ・グループ、ロス・ロンコスが演奏し、歌っている(リード歌手はナシォナールのシーコ盤と同様、カルロス・エンバーレ)。それがCDで聞けるのだから、嬉しいかぎりだ。

 夜は、このアルバムを何度も聞きながら、戸井十月さんの『カストロ 銅像なき権力者』を読む。

 

10月14日(火)

 久しぶりの休日。でも、来週の旅行の準備とかで、ゆっくりCDを聞くような時間は取れなかった。しかも、お昼にはブラジルのグローボ紙の新聞記者と会って、インタビューも受けたり。日本に行くなら、ぜひ田中に会って話を聞いてこいと、上司に言われたのだそうだ。
 ぼくがブラジルでサンバのアルバムをプロデュースしたのは、1986年から91年まで。その後は、99年と2001年に、ビクターの仕事でやはりサンバやショーロのレコーディングを行った。その間、ぼくがリオに行くたびに何度もスタジオを訪れ、インタビューをしてきたのが、ジョルジョンという記者だ。彼は伝統的なサンバやショーロが大好きで、そういったアーティストのコンサートがあると、必ず顔を見せる。そんな彼にとって、日本からわざわざ伝統サンバのレコーディングをしにくるぼくのような外国人は、まさに記事になるべきタイプの人間なのだろう。
 ぼく自身は、ライター時代はたくさんの音楽家たちにインタビューさせてもらってきたくせに、インタビューされるのは大嫌い。相手にちゃんとわかってもらうように話すのは、すごく難しく感じられるからだ。それなら音を聞いてもらって、好きなことを書いてくれ、と言いたくなるが、でもそうは簡単に断れない事情もある。というのも、ぼくの記事が出ることで、サンバやショーロのすばらしい部分が紹介されるのだ。ぼくがもしも断ったら、出なくなる可能性が高い。彼らの音楽のプロモーションのためにも、ぼくは何か話さないわけにはゆかない。

 今回日本にやってきた女性記者がぼくにインタビューしたかったのは、昨年ビクターから発売されたモナルコの『俺のサンバ史』がめでたくブラジルでも発売されることになったからだとか。これがぼくの(ブラジルにおける)最新プロデュース作。彼女の上司ジョルジョンも、久しぶりにぼく関係の記事を作りたくなったのだろう。ブラジルでは、このアルバムの少し後くらいに、モナルコの伝記も発表されるらしい。こちらの方は、友人のエンリッキ・カゼスくんがいま一生懸命書いているところだ。モナルコももう70歳。伝記本が出てもおかしくない年齢になった。

 

10月13日(月)
 
 大嫌いな月曜の祭日。体育の日は10月10日だったはずなのに、いつのまにか13日に変わっていたらしい。たしか10月10日は東京オリンピックの開会式かなんかだったと記憶しているけど、そんな日を祭日にしたこと自体、どうかと思うのに、それを13日に変えないといけない理由はますますわからない。ブラジル人に言わせると、日本はブラジルより祭日が多いのだとか。たしかに無意味な祭日が多いよな。
 ちなみにブラジルでは、サッカーの重要な試合(ワールドカップなど)がある時は臨時休日になる。そんな日は、どうせ出勤しても仕事が手につかないということなのだろう。日本の祭日に比べたら、ずっと理にかなっている。

 というわけで、今日は会社は休み。でも、ぼくの方はいつも通りの自宅作業だ。もう視界がかすれることはなくなったので、朝早く起きて、普通に仕事をこなす。解説原稿を書いたり、サンプルをチェックしたり、来週の旅行のための準備をしたり、アマリア・ロドリゲスの本の続きを読んだり…。アマリアの本はけっこう面白く、刺激的な箇所も多い。おかげで、当社でもアマリア関係のアルバムを出したくなってしまった

 外国の取引先からのメールもいくつか。ハニーンの話題作『アラボ・キューバン』が思った以上の売れ行きで、ちょっとの間在庫切れしていたが、今週には入荷しそうだ。さらに明日には英スターンズと、珍しくラウンダーからの荷物も届く模様。水曜にはいつも通りのブラジル盤もあるから、今週はちょっとした入荷ラッシュになりそうだ。

 

10月12日(日)

 眼の調子はますます上向き。まだすぐに疲れてしまうので、目薬は欠かせないが、視界がかすれることはなくなった。というわけで、今日も休日返上の原稿書き。ただ、あまり根を詰めてコンピュータに向かわないように、関連アルバムを引っ張り出して聞きながら、休み休み仕事をした。

 ブラジルからメールが入り、好評のマリア・リタが大量出荷されたことを知る。いつも通り、水曜入荷の予定だ。これでしばらく在庫は大丈夫だろう。ぼくも遅ればせながらこのアルバムを聞いてみたが、予想された新しめの音ではなく、意外なほどにオーソドックスな作り。歌は、お母さんのエリスに似ていると言えば似ているが、ぼくはあまり好きではない晩年のエリスっぽい節回しも妙に受け継いでいて、エリスっぽいと思った曲はさほど良くない。でも、そうじゃない曲も多いから、まあ安心して聞ける方だろう。そんなことより、オーソドックスなサウンドのアルバムが売れた場合は、息が長い。期待しちゃいましょう。

 昨日に続いて、夜のフリータイムはアマリア・ロドリゲス。久しぶりに『カフェ・ルーゾのアマリア・ロドリゲス』を引っ張り出して聞いたが、やはりアマリアは上手い。これほどリズム感のあるコブシは、世界でもちょっと他にない。CDを聞きながらだと、どうしても本は拾い読みになってしまうが、途中でアマリア自身が<アラブ音楽に親しみを感じる>みたいな発言をしているのを見て、妙に嬉しくなった。アマリアのコブシがアラブっぽいのは、ぼくらは当然気がついていたが、まさか本人もそのことを自覚していたなんて思ってもみなかった。ひょっとしたらニーニャ・デ・ロス・ペイネスも生きていたらこんな発言をしたのかも、なんて思いはじめたり。

 そうそう、いまカフェ・ルーゾを聞きながら思い出したことがひとつ。このアルバムが録音された日のアマリアは、実は声の調子が良くなかったらしく、冒頭でゲホゲホしながら、<今日は録音できないわよ>と録音者に訴えているのも、ちゃんとアルバムに収録されている。でも、そんな不調だと思った日の録音が世紀の名盤になってしまうわけだから、世の中わからないものだ。こんな経緯があったことを知ったのは、ポルトガル語がわかるようになってからだが、それからこのアルバムは大切な教訓レコードになった。調子が悪いと思っても、けっして諦めてはいけないと…。アマリアはそんなアルバムを残してくれた意味でも、ぼくにとって大切な歌手なのだ。

 

10月11日(土)

 朝起きたら眼の調子が少し戻った感じ。お酒も飲まず早く寝たのが良かったのだろうか。こうなると、コンピュータ使用禁止と言われても、休んでいられない。ここ数日の遅れを取り戻すべく、原稿書きとネットのチェックを再開する。
 当然、夜には読書も再開。出たばかりのアマリア・ドロリゲスの伝記本を読みはじめる。まず最初に目が行ったのが、巻末のディスコグラフィ。さっそく持っているレコードやCDを全部引っ張り出して、どれが未入手なのかをチェックしはじめてしまった。おかげでせっかく整理がついた部屋に、またモノが並ぶ。でも、こういう時間が一番楽しい。

 

10月10日(金)

 久しぶりにリラックスした金曜日。特別に新入荷もなく、事務所の方ではこれまでやりたくてもできなかった仕事を整理することに。
 ぼくの方は、相変わらず眼が絶不調。コンピュータの画面を見てはいけないと言われたので、外回り仕事をこなす。ただし、お酒も禁止だから、こっそり飲みに行くわけにも行かず、ストレスは溜まる一方。

 

10月9日(木)

 目の状態は相変わらずだが、リストの締め切り日だから仕方がない。無理して原稿を書くことに。でも、朝から4時間コンピュータに向かっただけで、ドッと疲れてしまった。今日はもう日記も書けない。

 

10月8日(水)

 目の状態が相変わらず良くないので、もう一度病院で検査。でも、とにかく安静にということしか言われなかった。
 メロディーからユッスーの82~83年録音の2枚が入荷。さっそく聞いてみたが、久しぶりに聞く若い頃のユッスーはやっぱり熱い。セネガル盤カセットで聞いていた頃とはずいぶん違った印象を持った。

 

10月7日(火)

 昨日からなぜか目がかすんでしまって、仕事にならないので、病院に行ってきた。目薬をもらって帰ってきたけど、とにかく目を休めないといけないということで、仕事でコンピュータに向かうのはもちろん、読書も禁止。おかげでひたすらCDを聞きながら一日を過ごすことに。時間がなくて聞けなかったCDをたくさん聞けたのは嬉しかったが、目が疲れるのでブックレットの解説を読めないのがツラい。目が使えないというのは、思った以上に落ち着かないものだ。

 事務所には、フランスのメロディーとトルコから荷物が到着。メロディーからはサンプルもたくさん入ったので、明日も聞くものがドッサリありそうだ。また、トルコから荷物が入ったことで、在庫がなくなっていたトルコのババズーラをやっと出荷できることになった。お待たせしました。

 

10月6日(月)

 どんよりと曇った月曜日。今日も体調はあまり良くない。しかもコンピュータの調子もまた最悪で、メールを送信するたびに止まってしまうのだから、イライラの極地だ。たぶん、先にもらったウィルスでダメージを受けたのだろう。

 ポップ・ビズで配給している『HOT WOMEN』というアルバムを仕事の合間にチェック。アメリカからラテン・アメリカ、ヨーロッパ、アラブ、インド、そして最後はハワイ、タヒチなど世界の幅広いジャンルの女性歌手たちのSP音源を、アット・ランダムに並べた内容だが、これがけっこう新鮮な気分で楽しめた。すごく珍しい音源があるとか、最高の名唱を発見したというより、これだけ多彩な国の音楽を一緒くたに聞くということ自体が楽しい。しかも、選曲(特に曲順)はすごく気を使っていて、続けて聞いても不自然さはない。レコードが好きで、音楽を聞きこんできた人の選曲という感じだ。ポップ・ビズさんがやらなかったら、当社で配給したかったのに…。

 こんなアルバムに目が行くのは、実は当社でも世界のさまざまな国の音楽をズラリと並べたアルバムを用意しているからなんです。発売は来年のはじめくらいかな。いまのところ、内容は秘密。どうぞお楽しみに、くらいしか言えないけど…。

 

10月5日(日)

 2日間深夜帰宅だったので、今日は朝から疲れ気味。肩はこるし、目が痛いし、という状態なので、休み休み仕事をすることにした。コンピュータに向かい続けたわけではないのに、どうして目が痛いのだろうか。

 夕方に食事の約束があったので、その前にまた本屋さんへ。今日もスペイン~ポルトガル関係の本をたくさん買い込んだ。ラテン音楽をずっと聞いてきた人間だから、スペインやポルトガル関係の本はもとからたくさん持っているが、最近のロマ・ブーム?でジプシー関係の本がたくさん出たから、まだまだ買うべき本はある。
 ところで、前から不思議に思っているのが、このロマという言葉。なんでも、ジプシーは差別用語だが、ロマはそうではないそうだ。だから、最近の本はみんなタイトルに<ロマ>という言葉がついている。
 でも、本当にそれでいいのだろうか? 本人がどう呼んで欲しい、という話は置いておいて、何よりも思うのは、そんな名称の違いよりも、結局はその言葉を使う人の差別意識に問題があるわけで、<ロマ>だって、使う人が使ったら、立派に差別用語になるのではないか。だって、そうでしょう、ジプシーという言葉だって、最初から差別用語だったわけはない。使ってゆくうちに、差別的なニュアンスを持つようになった。いまの<ロマ>だって、そうならない保障はないだろう。
 これは差別用語だから、こっちを使うべきだ、という話を聞くたびに、すごく小手先の話に思えてしまう。<ロマ>と呼ぶのが正しい、なんてことを人に伝えるよりも、ぼくとしては当社で発売しているニーニャ・デ・ロス・ペイネスの歌に感動してください、と言いたくなる。その方が差別意識の除去には絶対に役に立つはずだ。

 

10月4日(土)

 土曜日だけど、休日返上で昌くんが『サンバ・エ・イスト』シリーズ2枚のマスタリング。ぼくの方は実家に急用ができて、朝からそちらに向かう。今日も帰宅は深夜。もうヘトヘトです。
 
 『サンバ・エ・イスト』と『サンバ・エ・イスト2』は、もう5年か6年前に、当社が制作、ボンバ・レコードが配給で発売されたサンバの編集盤シリーズ。音源は、ぼくが1986年から91年までの間にブラジルで制作したサンバ・アルバム10枚。それらの音を久しぶりに聞いた時に、ふと編集盤を作ってみたくなったので、シンガポールのスタジオでマスタリングした。そうして発売されたら、信じられないくらい好評。たしかタワーレコード渋谷店のワールド・チャートの1位になった週があったと記憶する。
 自分自身でも、編集盤にしてみたら、オリジナル・アルバムとはまた違った面白さを感じたのは事実で、だから発売したわけだけど、これほど売れたのは、やっぱりボンバさんの営業のおかげだろう。
 そしてもうひとつ。このシリーズの2枚でどうしても忘れられないのが、ジャケットのこと。2枚のジャケットに使われた写真は、中村とうようさんが1965年にブラジルに行った際に撮影されたもので、当時『中南米音楽』誌で使われていたのを、ぼくが覚えていて、とうようさんにお願いしてお借りしたのだった。特に女の子がサンバを踊る写真は大好き(これが第1集)で、いまでも当社のこれまでの作品の中でも一番良いジャケットじゃないかと思っている。あのデザインをやってくれたのは、友人の女性デザイナーさん。彼女にも本当にお世話になった。
 今回の久しぶりの再発では、もちろんジャケットはそのまま。ただしマスタリングを直して、さらにその後発見された貴重写真を盛りだくさんに入れたブックレットをつけてお届けする予定だ。しかも、値段は各1900円! 今月末に店頭で見かけた時はよろしくお願いします。

 

10月3日(金)

 朝早く起きて原稿書きを少し。午後は打ち合わせのために渋谷へ。それが思い切り長引いて、帰宅は深夜になってしまった。普段は11時くらいには寝てしまう生活に慣れているせいで、夜12時過ぎると眠たくて仕方がない。

 ただ、行きの途中に池袋で本屋さんに寄って、久しぶりに買い物ができたのが、嬉しかった。今月末にスペインのセビーリャに行く用事ができたので、スペイン関係の本をあちこちチェック。思い出してみれば、つい最近当社でぼく自身が編集したアルバムを出したニーニャ・デ・ロス・ペイネスが生まれたのがセビーリャ。そのセビーリャに偶然行くことになったのだから、今年はなんだかスペインに縁がある。これを機会にスペインのことをいろいろ勉強してみろ、という、神様のお告げなのかもしれない。
 そう思ったら、マノーロ・カラコールのアルバムを全部引っ張り出して聞きたくなったが、結局今日はその時間はなし。

 

 

 

10月2日(木)

 今日は朝からリスト作成。昨日シャルレス・ガヴィンから連絡があり、彼の監修による新しい復刻シリーズの発売が決定したとかで、それを紹介しないといけなくなったから、急に忙しくなった。この新シリーズの話はずいぶん前から聞いていたのだが、やっとアイテムが決まって、仕事が進みはじめたようだ。
 どんなシリーズかは、もちろんトップ・シークレット。まだ書けない。入荷したら、ご紹介しましょう。

 朝から聞きまくっているのは<ラフ・ガイド>シリーズで登場したアーシャー・ボースレーの編集盤。最多録音歌手としてギネス・ブックに載っているラター・マンゲーシュカルの姉だか妹だかがアーシャーだが、ぼくはラターよりもアーシャーの方が昔からずっと好きで、このアルバムもすっかり聞きほれてしまった。
 アーシャーと言われて、まず思い出すのが、10年以上前の横浜インド映画祭で見た1本。タイトルは忘れたが、レイカーというすごく妖艶な女優さんが主演した映画で、アーシャーはその吹き替えをやっていたのだが、この両者があまりにマッチしていたので強く印象に残ってしまった。
 これは後で知ったことだけど、ラターとアーシャーの分担はだいたい決まっていて、主役の清純派の女優さんは子供っぽい声のラターが吹き替え、敵役の妖艶タイプは艶やかな歌声のアーシャーが受け持つ。でも、この時は妖艶タイプのレイカーが主役だったので、アーシャーの独壇場になっていたのだ。
 インド人はどうかわからないけど、ぼくら日本人は、女性ヴォーカルというと、どうしても艶っぽい歌手が好きになる。女優さんも、ぼくは個人的にセクシー系が好み。だから、あれからインドの娯楽映画は何本も見たけど、レイカーさんとアーシャーの組み合わせはいまだに一番印象深い。いやいや、本当にゾクゾクしました。
 そうそう、ラフ・ガイド盤は、すぐに解説を書くので来週末くらいには店頭に並ぶと思うが、冒頭に1956年録音のロックンロールなんてのが入っていたり、けっこうポップで聞きやすい。アーシャーをはじめて聞く人には良い内容だろう。まだの人はぜひこのアルバムで体験してください。

 

10月1日(水)

 毎月1日は外国送金の日。サンビーニャをはじめた頃はブラジルとインドネシアくらいしか取り引きがなかったのに、いまでは10数件の送金があるのだから、エラい違いだ。でも、新しい取引先は、どうしても前払いしてくれというところが多いから、運転資金が足りなくなる。今月も大赤字。結局、自分の貯金を会社に入れることに。社長ってのは、こんなことばかりやってるから、いつまでたってもお金がたまらない。

 午後からはリストの原稿作成。そして夜は、音楽評論家の蒲田耕ニさんとご飯を食べながらミーティングだ。蒲田さんとはメールではしょっちゅうやりとりしているのに、お会いするのは本当に久しぶり。つもる話も多いので、どうしても飲みながら、ということになってしまう。
 蒲田さんは、もちろんぼくにとって大先輩。もともとシャンソンがご専門だったはずだが、いつもフレッシュな感覚をお持ちで、いまではワールド・ミュージックも幅広く聞かれている。ライスのアルバムもほとんど聞かれているので、ご意見を伺うのはとても勉強になる。最近は、ケケレの新作が蒲田さんの愛聴盤なんだとか。ありがたい限りです。

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