5月31日(木)

 お店に送る新作リストのための原稿を書いた後、月末恒例の支払い。そして帳簿作り…。いつもの月末と同様、慌しい一日だった。特に今日は寝不足もあって、本当に疲れ気味…。今日こそは早く寝るようにしないと…。

 

5月30日(水)

 『オタンティシテ〜ザ・シリフォン・イアーズ』がご好評いただいているスターンズによるギネアのシリフォン音源の再発プロジェクトだが、続いて発売されるのはギター・ヴァーチュオージスというグループのアルバムのようだ。さっそくサンプルが届いたので聞かせてもらったのだが、冒頭の曲がまるでハワイアンのスラック・キー・ギターみたいな演奏だったりして、ビックリ。ギネア音楽というより、爽やかアクースティック・インストルメンタル音楽という感じだ。ちょうどハワイアン・アルバムがたくさん出る時期の発売になるが、これならハワイ好きが間違えて買ってしまっても、楽んでもらえそう。特に山内雄喜さんのファンとかなら、絶対に面白がってくれると思う。そうなるように、ハワイ・コーナーの近くにも置いてもらえるようにお店にお願いしようと考えているのだが、さてそんなことが出来るものかどうか。
 ちなみにナイジェリアのジュジュなどでスティール・ギターが使われるなど、ハワイ音楽とアフリカ音楽は意外に結びつきが深い。その理由はいまだ解明できていないが、これを機会にもう一度考えてみるのも面白そうだ。
 今日も夜は打ち合わせが2本。帰宅が遅くなってしまった。でも、疲れているのになぜか全然眠れない。昨晩もそうだったが、どうも寝る前に仕事のことを考え過ぎると、こうなってしまうようだ。以前はどんな場所でも寝つきがよいのが取り柄だったが、最近はそうもゆかない。これも年のせいなのだろうか。

 

5月29日(火)

 朝早く起きて仕事をスタート。午前中に解説原稿を1本脱稿。午後はブラジルなどの新譜をチェックするなど、リストの準備。そして夜は打ち合わせ。移動時間に本を読みながら気がついたが、そう言えばここのところロクに本も手にする時間もなかった。月末のいまは忙しいから仕方ないが、来月からはもう少し余裕を持って生活したいと思う。

 

5月28日(月)

 さあ、今日は昨日の遅れを取り戻さないと、というわけで、終日自宅作業。解説原稿2本に取り組んだ。夕方から夜にかけては外国の取引先とのメールのやりとりもタップリ。でも、昨日ゆっくりしたせいで、今日は身体がよく動く。

 

5月27日(日)

 昨日はレコード・コンサートで久しぶりに外出したこともあり、休みなしで働いてきた間にたまった疲れがドッと出たようだ。こうなってしまうと、いくら気合を入れようと思っても仕事にならない。午前8時頃までゆっくり寝たのに、まだ寝たりなくて、珍しく午睡。それでも夜9時過ぎには眠たくなってしまったのだから、困ったものだ。でも、久しぶりにゆっくりしたおかげで、少し体調が戻ってきた。

 

5月26日(土)

 今日は久しぶりに休もうかと思ったが、たまった仕事のことを考えるとそうもゆかず、朝早く起きて原稿書き。やるべき仕事を少しでも先に進めた。
 そして午後は、渋谷の国境の南で蒲田耕二さんと北中正和さんと一緒にレコード・コンサート。両先輩とのご一緒なんておこがましい限りだが、今日のテーマは<歴史になったワールド・ミュージック〜1987年前後のパリ、ロンドン経由の音楽を振り返る>とのこと。サリフ・ケイタの『ソロ』、マラヴォワの『ジュ・ウヴェ』、カリの『ラシーヌ』、ハレドの『クッシェ』、3ムスタファズ3の『ショッピング』など、自分の会社から現在発売されているものばかりがかかるとあっては、辞退させていただくわけにはゆかない。結局、当時のことを思い出して、アレコレと話させていただいた。お酒を飲みながらの話だったこともあって、ちょっと余計なことを話し過ぎちゃったかも。
 終了後は近くの居酒屋さんで食事。疲れていたせいか、今日は酔いが回るのが早い。

 

5月25日(金)

 昨日に続いてサンプルをまとめてチェック。CDを聞きながら、同時進行で雑用仕事をこなす、いつも通りの慌しい金曜日だ。さすがに疲れがたまってきたのか、今日は日記を書く気力も湧いてこない。

 

5月24日(木)

 リスト作成。そのために事務所で新しく入ってきたサンプルをまとめ聞きしたが、新録ではやはり決定的に面白いものが見つからなかった。いまにはじまったことではないが、10枚近くを聞いてつまらないものばかりだったりすると、さすがに落ち込んでしまう。夕方は早く帰宅して、今度は自宅にたまっているサンプルもチェック。今日一日で、いったい何枚のCDを聞いたのだろうか。

 

5月23日(水)

 月曜日から書いていたフランコのアルバム『黄金の20周年』の解説原稿を午前中にやっと仕上げることができた。フランコはアフリカの音楽家の中でも、もっとも好きなひとり。そこで今回の原稿はちょっと気合が入ってしまい、10000字以上の長文解説になってしまった。長い文章を書いたって、それでフランコの音楽が広まるわけじゃないし、結局は自己満足にしかならないことはわかっているが、それでも書きたいとほとばしる気持ちを抑えられないときはあるものだ。

 

5月22日(火)

 午前中から午後早い時間にかけては外出して打ち合わせをいくつかこなす。昨日書きかけた原稿を早く完成させたいところだが、そのためには早く打ち合わせを終わらすしかない。午後遅い時間に自宅に戻り、再び解説原稿に没頭。

 

5月21日(月)

 終日、自宅で解説原稿を執筆。まだまだ書き上げないといけない原稿がたくさんある。ただし今日書いているのは、昨日とは違って、意欲を持って取り組める1本。こういうときは長時間パソコンに向かっても、不思議とそれほど疲れを感じない。

 

5月20日(日)

 気持ちの良い天気。まさに洗濯日和だ。たまりにたまった洗濯物を片付け、ついでに布団も干して、スッキリ気分。まあ、ここのところ仕事やプライヴェートでいろいろあって、洗濯したくらいで心まで晴れ晴れということにはならないが。

 ただし仕事を休むわけにはゆかない。洗濯をしながら、朝から短めの解説原稿を3本執筆。すべてが社員から頼まれた仕事だ。いま絶対に書いておきたいという原稿ではないが、会社をやっていると書きたくもないものを書かされる場合も多い。ぼくも機械じゃないから、こういうときには筆が進まない。特にタンゴのアルバムの解説原稿は、書きながらストレスがたまった。これで寿命が1年は縮まったかも、なんて気分。

 夜は再びカナ書き表記について少し考える。今日書いておこうと思ったのは、英語という原語の特殊性だ。
 世界でアルファベットを使っている言語がどれくらいあるのか知らないが、英語というのはその中でももっとも特殊な言語だと思う。何が特殊かって、アルファベットを使っている国の中では、スペルを見ただけでは正確に読むことができない、ほぼ唯一の言葉だからだ。
 ヨーロッパでアルファベットを使う言語は、ポルトガル語、スペイン語、フランス語、イタリア語、そして英語と、5つあるが、そのうちの英語を除く4言語は、それぞれ法則こそ違うものの、それぞれの法則をしっかり覚えさえすれば、必ず読むことができる。法則が一番ややこしいのはフランス語で、ぼくなんかもちょくちょく間違えるが、でもややこしくても法則は法則であって、不規則なわけではない。
 でも英語の場合は、そうではない。このスペルだったらこう読むという規則性は、ほとんど皆無だ。Walkをウォークと読み、Workをワークと読む。ぼくは英語を勉強しはじめた中学1年生の頃、なあんだ、この国の言語はaとoを逆に読むのかと考えた。でも、そんな単純なものじゃないことを、すぐに知った。Learnがラーンで、Studyはスタディ…。おいおい、法則なんてないじゃないか。そんな言語を第一外国語としてまず学校で習うのだから、ぼくらは不幸だ。スペリングには本来法則性があるのだということを知らないうちに、ぼくらは中学校を出てしまう。本来、頭が一番フレッシュな中学時代にこんな特殊な原語を教えるものではない。
 さらに問題は、そんな規則性、法則性という習慣がまったくない人、いわゆる英語をネイティヴに話す人たちが、違う(法則性のある)原語で書かれた綴りを読んだときだ。自分たちの言葉に規則がないのだから、相手の言葉にちゃんとした規則があることに、なかなか気づかない。そこでとんでもなく独りよがりな発音になる。
 で、ここからが問題なのだが、そんなときに、とんでもない発音をされたほうはいったいどうするか、ということだ。間違った発音をされたら、文句を言うだろうか。いや、そうじゃない、こう読むんだよと、訂正するのだろうか。
 ぼくのこれまでの経験では、それが英語での会話の中で起きたことだった場合、まず間違いなく、誰も訂正を求めない。イギリス人に、こう読むんだ!、なんて強く文句を言っている人なんて、見たことがない。
 あれは3年ほど前のウォーメックスだっただろうか。ブラジルの友人にイヴァン(Ivan)さんという人がいて、その人にあるイギリスのレーベルを紹介しようと彼らのいるブースに行ったときのことだ。イギリス人はイヴァンさんの名刺を見て、<アイヴァン>と読んだ。Idolがアイドルだから、Ivanはアイヴァンになってしまっても不思議はない。でも、ぼくはあんまりじゃないかと思った。しかしそのとき、イヴァンさんはぼくの顔をチラリと見ながら、一瞬困った表情をしたものの、否定しなかった。イエス・マイ・ネイム・イズ・アイヴァン…。アイヴァンでもイヴァンでも、覚えてくれたらそれでいいのだ。きっとイヴァンさんは、そう思ったのだろう。
 イヴァンさんはその後、ぼくにしんみり言っていた。どうせそのイギリス人とは、友人になるわけではない、仕事だけの関係なのだから、気にしないさ、と。
 ブラジル人だけじゃない。アフリカ人だってアジア人だって、イギリス人やアメリカ人がムチャクチャな発音をしても、そこでの会話で英語が使われている限り、ほぼ絶対に誰も文句を言わない。わからない相手に言っても仕方ないからだ(それでも文句を言うのはフランス人くらいだろう)。そしてイギリス人のほうも、誰からも文句を言われないから、自分の発音が間違っていたことを気づかない。気づかないまま、彼の名前はアイヴァンだとずっと思い込んで時が過ぎてゆく。
 特殊な言語である英語が世界言語になってしまったところが話をややこしくしている、と、まあそういうことなのだろう。このことは結局、当事者であるイギリス人、あるいはアメリカ人にとっても、あまり良いことのように、ぼくには思えないが。

 <ギニア>という表記も、おそらくはもともと英語圏の人がそう読んだ発音からきているのではないかと思う。たぶん、最初はフランス語の<Guinee>を<ギニー>と発音した人がいて(Tennesseeをテネシーと読むのだから、彼らが普通に読むとそうなる)、その後に<Guinea>も<ギニア>になってしまったのだろう。
 そしてそんな発音に対して、ギネア人たちは文句を言っただろうか。ぼくは誰も文句を言わなかったと思う。イヴァンさんと同じだ。ましてや、それをそのままマネた日本人が<ギニア>と発音したからって、大使館が外務省に文句なんて言うわけない。いいんだ、名前さえ覚えてもらえば。将来親しい友人になるわけではなく、仕事だけの関係だから、という、イヴァンさんの心境と同じなのではないだろうか。
 ぼくとしては、アメリカ人やイギリス人がギニアと発音する以上に、そんな英語を話す人たちが話すムチャクチャな発音をそのままカタカナ表記している外務省のほうが情けなく感じられる。外務省のホームページを見ていると、その表記のほとんどすべては、英語を話す人の発音に準じている。でも、当たり前のことだが、ぼくらは日本人であってアメリカ人ではない。英語なんか話していないのだ。でも、表記はなぜか英語ベッタリ。そこに何の疑問も感じていないところが、この人たちのもっとも情けないところだろう。
 いや、そんな外務省も少しは考えている場合があった。これは蒲田さんから教わったことだが、相手がフランスやドイツなど、いわゆる先進国の場合は、その地名などをできるだけ現地の発音に近づけて表記しようとするのだそうだ。Parisを英語では<パリス>と発音するのに、外務省はちゃんと<パリ>と書く。英語で<バーリン>と発音されても、日本ではちゃんと<ベルリン>だ。そういう相手とのときだけは気を使う。文句を言われるのがイヤなのだろう。でもアフリカやアジアの国なんかは、文句を言ってくる中国や韓国を別にすれば、まったく気にしない。なんかこれって、いまの総理大臣並みに、セコくないだろうか。こんなことを知って、ぼくはますます外務省という存在がイヤになってきた。

 外務省に対する悪口はまだまだ言いたいことがたくさんある。近いうちに続編を書かせてもらうことにしよう。

 

5月19日(土)

 午前中に税理士さんと打ち合わせ。ここでいちおう今月の経理仕事から解放された。ただ土曜日がこうして仕事になってしまうと、ぼくは2週間休みなしになってしまう。あと1週間、身体が持つといいのだが…。

 

5月18日(金)

 終日、事務所で帳簿の整理などの経理仕事。やっと一か月分の帳簿ができあがった。帰宅するときにはもうヘトヘト。日記どころじゃない。

 

5月17日(木)

 昨日に続いて腹痛をこらえながらの仕事。なんとかリスト作成を終わらせて、経理仕事を進める。週末には税理士さんが来るので、それまでには終わらせないと。

 

5月16日(水)

 ここのところ外での打ち合わせがいくつか続いたせいで、外食が多くなってしまった。そのせいだろうか。今日は朝からお腹がキリキリ痛むなど、胃腸の調子がいまひとつ良くない。外で食事をすると、どうしてもお酒が進んでしまう。そして飲みすぎてしまう。それが悪いということはわかっているのだが、普段自宅で質素な食生活を送っていると、どうしても時々ハジけてしまうんですね。もう若くないんだから、気をつけないといけないことはわかっているのだけど。
 そんなわけで、今日はずっと自宅作業。腹痛をこらえながら、明日のリストのための準備を進めた。

 マヌ・ディバンゴが芸歴50周年を迎えるとかで、最近になっていくつかのアルバムが登場したようだ(もちろんヨーロッパでの話)。ぼくのところにもいくつかサンプル盤が送られてきたが、その中でもユニークに思えたのが、彼が映画のサウンドトラックのために作った音源を集めたというアルバム。それも70年代の全盛期録音も含まれるというから、面白そうだ。実はぼくはまだ聞いていないのだが、すでに聞いた社員によると、映画音楽と言ってもライ・クーダーがかつて作っていたようなサウンドトラック・アルバムではなく、ただ映画のためにテーマ・ソングを提供したという感じ。普通のアルバムに収録されている曲とほとんど変わらないのだとか。これで未発表曲ばかりだったら、全盛期音源もあることだし、けっこう貴重な内容かもしれない。マヌを最後に聞いたのは一昨年ウォーマッドのステージで、レコードはとんとご無沙汰。明日サンプルを聞くのが楽しみだ。

 

5月15日(火)

 <ギネア>という表記について、FB/DJさんのサイトで反論が出たこともあり、ぼくの個人アドレスにいくつか問い合わせがあった。正直言って、ぼく自身はそれほど大きな問題だと思っていない。でも、このまま沈黙していると、ぼくが反論できなくて困っていると思う人が出てきてしまうらしく、そうなっても困るので、仕方がないから少しだけ反論させていただくことにした。
 というか、実を言うとFB/DJさんには、すでに私信でメールお送りしている。ここでわざわざ新しい文章を書くのも面倒なので、そのメールを一部書き直して皆さんにもわかりやすい形にして掲載することにしよう。メールをお送りしたのは5月12日と13日のこと。ここではその2本のメールを合体させ、重複部分を削除し、さらに少し書き足して載せることにした(もともとぼく自身が書いたメールなので、ぼくが手を加えても問題ないだろう)。
 ちなみにFB/DJさんがぼくのメールに対してサイトで反論しなかったのは、ぼくが私信なのでこのまま載せないで欲しいとお願いしたからだ。ぼくとしては、こんな些細なことでこれ以上ことを荒立てたくなかった。でも、このページにこうして載せたからには、別に反論していただいてもかまわない。もう隠していても仕方がないですからね。とことん議論しましょう、この際だから。
 そうそう、FB/DJさんだけでなく、<ギニア>とカナ書きされているすべてのもの書きの皆さんからの反論もお待ちしております。先輩である北中さんとか原田さんとか、サイトをお持ちの方はみんな<ギニア>派ですからね。ぼくとしても論争のしがいがあるというものです(笑)。
 以下がそのメールです。

 いまサイトを見ました。どうも<ギネア>の件、ちょっと話が混乱しているみたいですね。私が電話で言うべきことを全部ちゃんと言わなかったせいもあるかもしれませんが、どうも論点がズレちゃったような気がします。
 まず最初に確認しておきたいことがひとつ。もともとこの国の名前は、日本では<ギニア>と書かれていました。現在の外務省のサイトでもそう書かれているように、日本のお役所が決めた表記のようです。それに対して<ギネア>という書き方を最初にしたのは、音楽の分野では中村とうようさんだと思います。ただ、とうようさんの影響力は絶大ですからね。音楽評論家の方々の中にはその後<ギネア>と書く人が他にも出てきました(私はアフリカ音楽の専門ではなかったので、<ギネア>とも<ギニア>とも書く機会がありませんでしたが)。それがいまFB/DJさんたちによって、お役所がこう書くべきだと決めたかつての表記に戻されようとしている。要するに、<ギネア>という表記は最初から異端であって、FB/DJさんが書かれている<ギニア>こそ、お役所のお墨付きをもらった表記だということです。
 私は別に、お役所の表記が常に間違っていると言いたいわけではありません。ただ、FB/DJさんもブログでお嫌いだと書かれている<アメリカ合衆国>なんて表記を定着させてしまったのもまた、同じお役所ですからね。私はそんな人たちが決めた表記は、全然信用していません。必ず疑ってかかります。悪い性格だと思いますが。
 とうようさんがどうして<ギネア>と書かれたかは、直接その理由を聞いたことがないので、知りません。でも私が<ギネア>と書いた理由はすごく単純です。その単純な理由を言うのを忘れていましたね、この間の電話では。私が最初に疑問に思ったのは、スペルが<Guinea>なのに、どうして<ギニア>と読むのか、ということでした。それがどうしても納得できなかった。納得できる説明も聞いたことがなかった。だからスペル通り、すごく素直な気持ちで、<ギネア>と読むようになりました。
 ちなみに私は、現地の人がこの国の名前をどう呼ぶのか、確認したわけではありません。それはこの際、大きな問題ではないと思ったからです。少なくとも外国向けに<Guinea>という表記を決めたのは彼らであり、だとしたら問題はそれをどう読むのか、に絞られるはずです(本国において呼ばれている国名と外国向けのそれが違う例は、例えば<日本>が<Japan>と呼ばれているように、世界中でいくつもあります)。それを私は、スペル通り、とても素直に実直に、<ギネア>と読みました。それだけのことです。
 そんな私にしてみれば、それほど素直に読んだ<ギネア>という表記をどうして批判されるのか、むしろ不思議でなりません。<ギニア>という、スペルからまったく外れたカナ書きのほうが、誰がどう考えても不自然なのではないでしょうか。いまも書いたように、私はこれまでこの不自然かつ不規則なカナ書きの理由をしっかり説明した文章を、一度も読んだことがありません。どうしてこれが<ギニア>と読めるのか。おそらくこんな表記を決めた(あるいは定着させた)のは外務省でしょうが、いったいどういう法則に基づいて読めばこういう表記になるのでしょうか。
 まあ、FB/DJさんの場合は、<ギニア>と書くにあたって、そんな外務省の表記にそのまま追随したのではなく、もっと別の、確固たる理由があるのだと思います。もしも万が一、外務省がそう書いているから<ギニア>と書くべきだと言っている人が世の中にいたとして、その同じ人が<アメリカ合衆国>ではなく<アメリカ合州国>であるべきだ、なんて書いているとしたら、ちょっとおかしいですからね(実は私は、まったく別の理由で<アメリカ合州国>という表記を好きになれません。ただ、ここでは話を無駄にややこしくしたくないので、その理由は書かないことにします)。
 『オタンティシテ』の解説を翻訳してくださった蒲田さんと確認したのも、いま書いたようなことでした。<Guinea>というスペルをどう読んだら<ギニア>になるのか、その理由をしっかり理解できない限りは、(外務省の表記なんか無視して)書かれたスペル通り読むしかないではないか、という点で、意見が一致しました。もしも英語世界の人が書いたものなら、もともと不規則なスペリングをする言語を使う人たちですから、こういう不思議な読み方をしたかもしれません。でもギネア人自身が、<ギニア>と読ませるためにわざわざ<Guinea>と書いたでしょうか。それを、書いたんだ、と納得させられる理由を、私はこれまで聞いたことがない。もしもあるなら、ぜひ知りたいものだと思います。そのことを知るまでは、ただ外務省に追随して<ギニア>と書くようなことはしたくありません。
 ちなみに私は、私の意見が少数派であることを知っています。FB/DJさんの書き方こそ、立派に多数派です。まあ、外務省に意地になって対抗しようなんてのは、世の中でとうようさんと私くらいのものなのでしょう。
 でもワールド・ミュージックのファンの皆さんの中には、外務省なんかより中村とうようさんのほうがずっと巨大な権力を持っていると勘違いしている人も多いから(笑)、私がとうようさんと同じ書き方をすると、私こそが権力に追随していると思われてしまう(笑)。なんか困ったものです、本当に。でもまあ、これが日本のワールド・ミュージックという狭い世界の現実、というか、限界なのでしょう。ご自身でサイトを持つほど熱心なワールド・ミュージックのファンって、<アンチ中村>を自分のアイデンティティにしているような人がほとんどに見えますから(笑)。
 というわけで、私はへそ曲がりを自認しているわけですから、すべての人に私と同じ書き方をしてもらいたいとは思いません。どうぞ、今後とも<ギニア>と書き続けください。私はまったく気にしません。ただ、私の書き方に対して反論なさるときには、私がいまここに書いた意見をちゃんと論破していただければと思います。

 PS 蒲田さんによると、ギネアのフランス語表記による国名<Guinee>の読み方も、やはり<ギネ>(<ギネー>と伸ばして発音することはない)であって、無理して英語式にでも読まない限り、<ギニー>にはならないそうです。やはりモリ・カンテが発音していた通りですね。
 しかし悲しい事実が発覚。そんなギネア人たちも、在日大使館に務めると、日本人たちが<ギニア>と呼ぶものだから、(日本語で話すときには)自分たちも<ギニア>と発音するようになってしまったのだそうです。もちろん彼らがフランス語で話すときにはいまでも<ギネ>。スペルに<i>の音がないのだから当然です。でも日本語では、なぜか<ギニア>。ドン臭い英語訛り(と思われるような発音)を無理強いさせられているわけですね。まあ、外交官なんてのは国家のエリートで、英語も話すだろうし、そういうタイプの人はこれを屈辱だとは感じないかもしれませんが…。いずれにしてもこんな話を聞いて、私はますます<ギニア>なんて書きたくない、<ギネア>と書くべきだと思うようになりました。

 以上がぼくのメールです。
 このように、<ギネア問題>はアメリカ一辺倒である日本の外務省の英語第一主義の弊害のひとつだとぼくは思っている。でも、それはもちろんこの問題だけにとどまらない。他にもアタマにくる表記は、それこそたくさんあるんです。ぼくが当初、<ギニア>という表記だけを大きな問題として取り上げようと思わなかったのは、そのせいだ。それらについてはそのうち考えをまとめて、このページでじっくり書くことにするので、もう少々お待ちくださいね。

 

5月14日(月)

 ぼくのところには毎日たくさんのジャンク・メールが送られてくる。特に週末は量が多くなって、送られてくるメールのほとんどがジャンクだったりすることもあるくらいだ。もちろんそれらのメールはすぐに削除するわけだが、こうも多いと、間違えて友人からのメールも削除してしまうこともある。いや、友人どころか、取引先からのメールまで間違えて削除したこともあったようだ。しかもそういうときに限って重要な案件だったりするものだから、困ってしまう。先週の末にもそんなことがあって、落ち込んでしまった。
 メールは便利だと思うが、こんなことまで起きると、むしろ使わないほうが仕事がスムーズに進むのではないかと思えるときもある。こんなものがなかった時代だって仕事はできた。それにファックスだと、メールのように無駄なことまで書かなかったので、コストだっていまとそれほど変わらなかったかもしれない(紙が無駄に使われるのは問題だったが)。もちろんそうは思っても、ぼくらだけメールでのコミュニケーションをすべてやめるわけにはゆかない。せいぜいできるのは、ジャンク・メールを送る人に対抗して、無駄なメールはできるだけ送らないようにするという程度のことなのだろうが。

 メールで困るのが、特にヨーロッパの取引先がそうなのだが、私信でも平気で他の人に転送してしまうことだ。だから悪口なんて気軽に書けない。それどころか、ある日本の業者さんがオファーしたメールがそのまま転送されてきたことも何度かあった。もちろんそこには条件など、いわば会社の機密事項が書かれている。その業者さんも、ぼくに転送されたことを知っているわけだから、いやな思いをしたことだろう。もちろんぼくは、詳しい内容はできるだけ見ないようにして、すぐに削除したが、それでも見たという事実は変わらない。きっとぼくが外国に送ったメールも、このように転送されていることがあるのだろう。だとしたら、ますます困ったものだ。

 なんでもそうだが、便利なものが発明されると、同時に困ったことも起きる。薬の副作用のようなものだ。薬の使いすぎには注意しないといけないように、便利な発明についても、同じ対処が必要なのかもしれない。使いすぎに注意しましょう、Eメール。これは新しい標語です

 

5月13日(日)

 いま取り組んでいる仕事がひとつあるのだが、それに集中できるのはせいぜい日曜日くらい。そんなわけで今日は夕方まで家に閉じこもって、レコードをあれこれ聞き返して過ごした。まだまだアイディアがまとまるところまではいっていないが、来週くらいにはベーシックな部分だけでも決着をつけたいと思っている。そうしたら、いま何をやっているか、ご報告します。

 そんなことをした夜、ある人と話していて知ったのだが、どうも最近は、会社というものをお金儲けのために興す人も増えてきているのだそうだ。会社を興したら、何が何でも上場できるようにして、そこで株価が上がれば、筆頭株主である創始者は大儲けするという、いわばホリエモン・スタイルだ。一昔前なら、上場なんかして知らない人に株を買われ、そこで総会屋でも使われた日には、会社がとんでもない方向に進んでしまう、なんて心配をする人もいたようだが、いまは会社がとんでもない方向に進もうがどうしようが、株価の差額の儲けだけを期待して会社を興すのだから、何の問題もない。要するに、その会社で何をやりたいか、なんてことはこの際どうでもよくて、会社設立そのものがマネー・ゲームになってしまったということだ。
 こういう話を聞いて、いま頃ビックリしているのはぼくくらいで、きっとほとんどの人がご存知なのだろう。若い人の中にはそれにまったく抵抗を感じない人も多いのかもしれない。でも、それじゃさびしすぎると、ぼくなどはやっぱり思ってしまう。ぼくがこの会社を立ち上げたのは1998年1月だが、それなりに高い志を持って会社をはじめたつもりだ。そのすべてを実現できたとは言いがたいが、少なくとも金儲けだけのために仕事をしたことはなかったし、ましてや上手くいったら会社なんて放り出して株で儲けてやろうなんて、考えたこともなかった。でも、そんなのはもう古典的な考え方なのだろう。こういう話を聞くと、つくづくいやな世の中になったなあと思う。
 国会では国民投票法も可決されて、夏には憲法審査会なんてのも開かれるというし、イラクではまた何十人もの人が爆弾テロで亡くなったらしい。どこかに良いニュースはないものだろうかと思う今日この頃だ。

 なんてことを書きながらいま思い出したが、自分の会社のこと。98年1月の創立と書いたが、ということは、サンビーニャは来年の1月で10周年を迎えることになる。これが良いニュースかどうかは知らないが、少なくともぼくにとっては悪いニュースではない。10周年だからって、パーティを開いて関係者の皆さんに祝ってもらおうなんて気持ちは毛頭ない。それでも区切りの年だから、10周年企画のひとつやふたつはやっても文句を言われないだろう。いや、ひょっとして、この10年間サンビーニャのCDを買ってくださったお客様への感謝の気持ちを表す意味でも、サンビーニャにこんな企画をやって欲しいということを、リクエストしてもらうのもいいかもしれない。もちろんリクエストされたら必ずやるとは約束できない。できることとできないことはある。でも、少なくとも参考にはさせていただきます。もしも何か面白いアイディアがあったら、会社のアドレスにメールしてみてください。まだ時間は半年以上あるので、思いついたときで結構です。
 そんなわけで、今後ともサンビーニャをどうぞよろしくお願いいたします。

 

5月12日(土)

 ここのところ土曜日はできるだけ仕事をしないようにしている。一日くらいゆっくり休まないと、身体が思うように動かなくなるからだ。ぼくもそろそろそんな年齢になってきたらしい。そんなわけで、今日は完全休養日。洗濯や掃除や食料の買い出しを終わらせた後は、自宅でゆっくり過ごし、夜はちょっと外に飲みに行ってきた。たまには一人でゆっくり飲むのも良いものだ。

 アラビア語の勉強は相変わらず少しずつ続けている。やりながらこの言葉がいかに難しいかが、やっとわかってきた。中でも最近困っているのが冠詞をどう発音(カナ書き)するかで、ぼくの悩みのひとつになっている(ちょっと大げさだが)。
 アラビア語をアルファベット表記にしたときに出てくる<EL>が冠詞だが、アラビア語の<E>は、<ア>と<エ>の中間の音。しかも続く<L>はちゃんと発音しないで飲み込んでしまうときがあるらしく(その場合は<ッ>というような発音になる)、ぼくらには<エル>ではなく、<アッ>とか<エッ>という感じに聞こえてしまう。ライスからアルバムを出した<ナワール・エル・ズグビー>を、東芝から出た『NOWアラビア』で<ナワール・アッゾグビー>とカナ書きしているのは、どうもそのせいのようだ(中村とうようさんも『ミュージック・マガジン』の<アルバム・レビュー>で後者のカナ書きを支持されていた)。
 ただ、ここでぼくは思ってしまう。そんなアラブ人たちの発音のクセまでを、日本人であるぼくらはカタカナ書きするべきなのだろうか、と。音を飲み込んでしまうと言われてぼくが真っ先に思い出すのが、キューバ人のスペイン語で、彼らは<L>ではなく、<S>の音をよく飲み込む。例えば<LOS COMPADRES>というグループ名は<ロ・コンパドレ>に近い発音だ。でも、だからと言って<ロ・コンパドレ>と書くべきだと主張する日本人にぼくは出会ったことがない。やはりスペルにある音は全部カナ書きしたほうがいいと多くの人が考えているのだろう。
 ちなみにNHKのアラビア語講座に出演している女性の先生は、ご自身のお名前を<師岡カリーマ・エルサムニー>とカナ書きされている。この方の名前の<エル>は、ナワールの名前の<エル>(あるいは<アッ>)と同じ冠詞のはずで、要するにアラビア語を話す人の間ですら、音を飲み込んだときの発音をそのままカナ書きすべきでないと考えている人がいるということだ。
 アラビア語はまだまだ勉強中なので、今後ぼくの主張が変わる可能性がまったくないとは言い切れない。でも、現時点でのぼくの趣味で言わせてもらえば、<アッゾグビー>なんてツウぶった書き方は正直言って好きになれない。ブラジルのELIS REGINAを<エリス・ヘジーナ>なんて書くのと似て、スカし過ぎだと思うからだ。これを、アラビア語(あるいはブラジル語)を完璧に話せる人が書いているのなら、まだ理解できるが、まるでわかっていない人、あるいは少しくらい勉強した程度の人が書いている場合は、ちょっと知ったかぶりが過ぎるのではないだろうか。少なくともぼくは恥ずかしくて、そういうツウぶった書き方はできない。
 いま<趣味>という言葉を使ったが、カナ書きの基本がわかりやすさにあるのは言うまでもない。普通の人が読んで容易に発音できるカナ書きが理想だ。それに、どんな言語でもリズムは大切なので、日本語的に冒頭にアクセントが置かれないように、そうなりそうな言葉には棒引きを入れて補助をする(この手法は中村とうようさんからもっとも多く学んだ)。その程度で十分、というか、それ以上のことはできるだけしないのが、理想に近いカナ書きだと思う。そしてもうひとつは、元のスペルを尊重すること。これもまた重要だ。例えば<Guinea>と書かれているのをわざわざ<ギニア>とカナ書きするのは、スカしているとまでは言わないが、ぼくには理解できない。元のスペルとは違ったカナ書きをどうしてわざわざするのかと、不思議に思う。しかも音楽ライターがそう書いているだけならともかく、このカナ書きが外務省のサイトなどにおける正式な読み方にもなっているのだから、ますます不思議だ。ここはやはり<ギネア>と、スペル通り実直にカナ書きしたほうが、誰にとってもわかりやすいと思うのだが。
 ちなみに、そういうぼくも<ALIM QASIMOV>という名前を<アリム・ガスモフ>と、スペルとはまったく違う表記で書いたことがある。でも、これはスカしたかったわけではない。このページでも詳しく説明させてもらったように、アゼルバイジャンにおけるアルファベットの表記法が特殊だったせいで、例外と考えていただきたい。
 カナ書き問題は、趣味の問題もあるので、これだけが正しいという結論はなかなか出ない。でも、わかりやすさ、読みやすさを基本にしたい、というぼくの考え方は、多くの方が納得してくれるはずだ。そういうぼくの表記も常に完璧なわけでないし、このサイトを見てもまだまだ間違いは多いが、将来に向けてできるだけそんな理想に近づけてゆきたいと思っている。

 

5月11日(金)

 今週は本格的な仕事はほとんどなし。ひたすら事務的な仕事に明け暮れた。外国の会社との取り引きで困った問題が生じたり、社内でもいろいろあったりと、ストレスがたまる一週間だったが、なんとか無事終わったという感じ。来週はもう少し自分の仕事ができるようにしたいところが、果たしてそう上手くゆくものかどうか…。

 

5月10日(木)

 連休明けの慌しさも落ち着いて、やっと今日あたりから仕事に集中できるようになってきた感じだ。毎週恒例のリスト原稿は午前中に済ませて、午後はサンプル盤をチェック。夕方には各社のサイトを見て、まだもらっていないサンプルもチェックした。さらにたまっていた手紙やメールの返信もなんとか全部すませることができたので、ちょっと落ち着いた気分。
 サイトで新作をチェックする限り、あいかわらず新録アルバムはどれも小粒、というか、ビックリするようなものは少ない。でも、各社から送られてきた今後のリリース予定を見ると、リイシューものでは気合が入った内容のアルバムがいくつか発売されそうだ。ぼく自身も夏に向けて新しいアルバム(複数)の準備をはじめているし、今年のライスはどうも復刻もの中心の一年になってしまいそうな雰囲気。まあ、これはいまにはじまったことではないが、確かに新譜を無理して追いかけるより、過去の音楽をじっくり聞きなおして新たな面白さを見いだそうという時代なのかもしれない。
 そうそう、気合が入った復刻ものといえば、ギネア音楽集大成アルバム『オタンティシテ』は今度の日曜日の発売です。どうぞお見逃しのないように。

 またひとつ、年を取ってしまいました。

 

5月9日(水)

 今日も会社仕事の打ち合わせがいくつか。じっくりリストの原稿に取り組もうと思ったが、打ち合わせの時間がずれたりして、なかなか思ったように進まない。しかも途中で昼間っからビールなんかを飲まされちゃったものだから、午後はさっぱりだった。まあ、どこかのテレビ局のレポーターみたいに、昼間から泥酔して女性の身体に触れるようなことはなかったが。

 新聞を読んでもウンザリする話が多いが、今日も一番ウンザリさせてくれたのはソーリだった。アベが靖国に供え物を送ったそうだが、またコメントしないという立場なのだそうだ。遺族会には良いところを見せたいけど、中国や韓国は刺激したくないという、相変わらずのどっちつかずの態度。でも、こういうセコい小細工ぶりに、この人の人格がよく表れている。慰安婦問題では、日本ではノラリクラリと批判をかわそうとしていたくせに、アメリカに行ったらさっそくブッシュの前で謝ったのだとか。こんな国家元首を持って、本当に恥ずかしい。
 それに比べたら、批判を覚悟で毎回靖国に参拝していた前任者のほうがずっと男らしかった。あれは多分、遺族会を気にしてとかより、靖国問題を理由に日本批判を国策としてやっていた中国や韓国に対してアタマに来ちゃったのではないかと想像しているが、そんな短絡的な行動を無批判で受け入れる気にはなれないものの、それでもいまのソーリのあまりのセコさを目の当たりにすると、<男らしい>なんて言葉を使いたくなる。ブッシュに謝るくらいなら、エルヴィスの曲を歌ったほうがずっと良い。なんだかコイズミさんが無性に懐かしくなる今日この頃です。

 

5月8日(火)

 昨日の日記で、『オタンティシテ』の曲題などについての質問に対してギネア大使館からご返答をいただけなかったと書いたが、蒲田さんから連絡が入り、締め切りを過ぎた今日になって大使館から電話があったのだそうだ。わからなかった曲題のいくつかわかったそうだが、残念ながら原稿を印刷所に入稿してしまった後だったので、手を加えることはできなかった。そこで曲題の意味がわかったものだけ、ここでご紹介することにしたい。

CD1
2. 「愛する女(または、もの)」
5. 「裏切りは罪」
14. 「ギネアの通貨」
15. マリアーマ(女性名)

CD2
2. 「考えすぎは無駄」
6. ナナ(人の名前)
8. 「父の家で」

 また人名のカタカナ表記だが、ギネア大使館によると、「ジャバテ」などDia-の綴りはすべて「ジャ」ではなく「ヤ」と発音するのだそうだ。ただ、蒲田さんもメールで書かれていたが、スペイン語のYo-やLlo-も、地域(あるいは人)によって「ヨ」だったり「ジョ」だったりするのと同様、「ジャ」と「ヤ」の間には微妙な違いしかなく、この場合も無理して全部「ヤ」にしてしまうより、「ジャ」のままでもかまわないのではないかと思う。
 それと、ぼくが気になっていたのがレーベル名。Syliphoneは「シリフォン」と書いたが、フランス語だったら「シリフォンヌ」と発音するのかも、と心配していた。でも、これはどっちでも良いとのこと。まあ、前政権が作ったレーベル名だから、いまのギネア大使館はあまり気にしなかったのかもしれないが。
 そんなわけで、蒲田さんとギネア大使館の皆様、どうもありがとうございました。
 休みが終わると雑用仕事が増える。今日は打ち合わせもあったりして、アタフタと走り回った一日だった。そして夜は、ここ数年の5月8日と同様、テレサ・テンのCDやLPを何枚か聞きながら故人を偲んだ。

 

5月7日(月)

 今日から会社仕事がスタート。ぼく自身は連休中も仕事をしてきたので、あまり変わらないと言えばその通りだが、でも一人でする仕事と会社仕事はちょっと勝手が違う。連休中は忘れていた経理関係の仕事もしなきゃいけないし、それ関係の打ち合わせも入る。その他、ここでは書けないいろいろな問題も勃発する。そんなこんなで、精神的には非常に疲れる連休明けになった。

 昨日原稿を送ってくださった蒲田さんに校正の件でお電話したところ、『オタンティシテ』に収録された曲目に邦題をつけるために、ギネア大使館に翻訳をお願いしてくださっていたのだが、その返事が今日まで送られてこなかったのだそうだ。大使館には親切なところもあれば、不親切極まりないところもある。ギネア大使館は後者だったのか、という話になったのだが、でも今回のこの件は、単にギネア大使館が不親切だったということではないような気もする。
 というのも、『オタンティシテ』はセク・トゥーレ初代大統領の時代の音源。でもご存知のように、83年に彼が失脚した後、ギネアはまったく違う政権になっているからだ。本作は、アルバムのタイトルはもちろん、収録された曲目の中で意味のわかるものを見ているだけでも、セク・トゥーレ時代の政治色が非常に濃いものばかりだが、これじゃ現在のギネア大使館の立場としては、協力しづらかったとしても仕方ないのかもしれない。

 ところでこのアルバムで問題になるのは、セク・トゥーレがどういう理由で、このように音楽を政治のプロパガンダに使おうと思ったのか、ということだ。国民的な音楽を作り上げることで、新しく生まれた国家に一体感を持たせようということを、ぼくの知る限り最初に考え、意識して政策に加えたのは、インドネシアのスカルノ初代大統領だ。彼がクロンチョンを<国民音楽>と呼んだのは1950年代。このクロンチョンを中心に、スカルノは意識して新しい国家インドネシアのポピュラー音楽の誕生を促すような政策を取った。そんな彼が有名なアジア・アフリカ会議をバンドゥンで開いたのは1955年。彼のそんな政策が新しく独立を果たした国々に広まったのはそのときなのだろう。
 もちろんその時点で、ギネアはまだ独立していないから、セク・トゥーレが会議に参加したわけではない。でも、なんからの形で彼はこの手法を学んだ。そして国営レーベルであるシリフォンを発足したのが65年のこと(インドネシアの国営レーベル、ロカナンタは56年の創立)。このアルバムは、そんな時代の音源からスタートする。
 そんなことも含めて、インドネシア音楽の成り立ちを研究したことがあるぼくには、ギネア音楽のこういった初期音源はすごく興味深い。初期のインドネシア音楽と似た魅力が溢れているように感じられるからだ。そのあたりのことをこのアルバムの解説原稿に書こうと一瞬思ったが、アフリカ音楽とはあまりに関係ない話になりすぎるので、断念した。今度別の機会があったら、じっくり掘り下げて書いてみたいと思う。 。

 

5月6日(日)

 ゴールデン・ウィーク最終日は雨。ゴールデン・ウィークでたっぷり遊んだ人も、ここでゆっくり身体を休めなさい、という神様のお告げなのだろう。ただしぼくのほうは、もうすでに仕事モード。昨日でカリプソ・ボックスのほうは一区切りがついたので、今日は心置きなく会社の仕事をはじめた。懸案の編集盤の選曲だ。ゴールデン・ウィーク中にアイディアをまとめ、次の週の後半で実質的な選曲に入るつもりでいたが、カリプソに2日使ってしまったものの、何とか予定通りに進めることができた。今週も、木曜日あたりからはこの仕事に集中したい。
 来週発売の『オタンティシテ』の翻訳原稿を、蒲田耕二さんがしっかり締切日に仕上げてくださった。どうもありがとうございます。これもまた明日からまた頑張って仕事をしよう、という神様からのお告げなのでしょう。

 

5月5日(土)

 今日も10枚組ボックスと格闘。昨日が5枚で、今日が5枚。これでやっと一度ずつだけ聞き終えた。CDを聞きながらだから、解説本のほうはどうしても流し読み程度。でも、今日はこれまでだ。これに掛かりきりになっていたら、自分の仕事が進まなくなる。またどこかで時間を見つけて、じっくり聞きなおし(読みなおし)することにしよう。

 

5月4日(金)

 このゴールデン・ウィークは、自宅でライスの次の編集盤のアイディアを練ることにしていた。実際5月1日からレコードをアレコレ引っ張り出して聞きはじめたのだが、今日はそれを中断。別のアルバムを聞きはじめてしまった。他でもない、しばらく前に入手していた10枚組『ウェスト・インディアン・リズム』。いままで我慢していたが、とうとうその箱を開けてしまった。

 1枚めのCDを聞いて、まず驚かされるのが音の良さ。でも、その理由はすぐにわかった。これはSPではなく、メタル・マスターからの起こしだからだ。解説本にも冒頭でそのことについて触れられている。こんな音、SPから起こしたら、絶対にありえるわけがない。
 60年代の早い時期に復刻されたSP音源には、これくらい音が良いのがあった。それは、メタル・マスターが保存されていた音源からLP化することが多かったからで、だからライスからの復刻盤でも、SPではなく、古いLPから音を取る場合がけっこう多い。でも70年代になって、未復刻音源を売り物にLP化されたものは、総じて音が悪くなった。これは復刻の技術が悪くなったからではなく、メタル・マスターを紛失した音源をSPから起こすという作業がはじまったからだ。その後はCDの時代になっても、ぼくらは基本的に同じ作業を続けている。技術は格段に進歩したが、それでもSPから起こしていきなりこんな音になることは、現在の技術ではありえない。
 今回は熊ファミリーからの発売だが、それでもメタル・マスターを使えたのは、デッカ音源のオフィシャルな持ち主であるユニヴァーサルが協力しているからのようだ。30年代のメタル・マスターがほとんど残っていたなんて、本当に奇跡的。そのことに感謝しないといけないだろう(ただ、せっかく持っていたのに、熊ファミリーに言われるまで調べることもなかったというところが、いかにもメジャー会社らしいが)。

 ちなみに、収録されているのはカリプソばかりではなく、周辺の音源もかなり多い。デッカが38年から40年にかけて行ったすべての音源を集めたのだから、当然と言えば当然だが、ぼくには嬉しいところだ。また、そんな収録された音源もすばらしいけど、それ以上に労作だと思えるのは、かなり分厚い解説本。最初にこのアルバムの作られた成り立ちやカリプソの大まかな歴史が語られ、その後は曲の解説になるのだが、すべての歌詞を収録。さらに途中でさまざまな事象の解説が挟み込まれ、収録されたカリプソニアンの略歴や歌われたテーマ、さらには伴奏する人たちのことまで詳しく書かれた論文があるのには驚かされた。どこの国でも、まず音楽家たちがポピュラー音楽の土台を作り、後から登場した歌手や作曲家たちが独自性を加えてゆく形で発展してゆくもので、<ブラジル音楽の父>ピシンギーニャが一人前の音楽家に成長したところで、若手のノエール・ローザカルメン・ミランダが登場したブラジルなんかもその典型だ。でも、どの国でもまず注目されるのは歌手たちであって、それ以前から土台を作ってきた音楽家たちは二の次になる。カリプソの場合もそういうところがあったと思うが、ここではすっかり解消されて、もっと裾野の広い研究がなされているところが、すばらしい。

 しかしそれにしても、こんなボックス・セットを聞きながらつくづく思うのは、いつの日かライスもメジャー会社と一緒にこんなボックス・セットを作ってみたいということだ。もしこういう大きな仕事に掛かりきりになれるのなら、一年くらい休みなんてなくてもいいとさえ思う。

 

5月3日(木)

 60回目の憲法記念日。改憲論者たちの集会も多かったようだ。ぼく自身は、第9条は日本が世界に誇れる数少ないもののひとつであり、変更するのでなく、逆に世界に広めるべきものだと思っているが、アベ総理だけでなく、民主党のオザワも改憲論者。次の参議院選挙ではこれが争点のひとつになるらしいけど、いったいどんな論争になるのだろう。今年の最大の心配事だ。
 もうひとつ、日本が世界に誇るべき言葉が<もったいない>。先に来日したノーベル平和賞受賞者であるケニアのワンガリ・マータイさんが世界に広めてくださっているそうだが、嬉しい話だ。ぼくの仕事のほうも、新しい音源を作るより、過去の忘れられた音源を大事に復刻するほうが重要になりつつあるが、これも<もったいない>という気持ちの表れなのかもしれない、なんて思ったり…。
 だいたいプロトゥールズなんてものができてから、誰でもスタジオを持てるようになったせいで、いい加減な<新譜>が多くなりすぎている。それに対して、ギネアの国営レーベルであるシリフォンは20年でたった80枚ほどのLPしか作れなかったのだそうだ。でも、それだけに音楽の密度が濃い。毎月大量の<新譜>をサンプルで聞いていると、こういう密度の濃い音楽が忘れ去られることが本当に<もったいない>と思えてくる。そのためにも『オタンティシテ』は頑張ってプロモートしないと。

 

5月2日(水)

 昨日がメイ・デイだったせいで、ヨーロッパでは土曜から火曜までを休みにしてしまった会社も多かったようだ。そして日本では木曜から日曜までお休み。それじゃ今週はまったく交信ができないことになってしまう。おかげで今日は注文を送ったり、質問事項を整理したりと、大慌ての一日。先方の返事を待って、また返事を送ったりと、夜遅くまで交信をすることになった。

 

5月1日(火)

 イギリスから荷物が到着。来週発売の『オタンティシテ』も無事入荷したので、さっそく視聴。思った以上に音がしっかりしていたことに安心させられた。ブックレットもすばらしいし、アフリカ音楽に関心を持つ人だったら絶対に喜んでいただけそうな内容だ。ライスの復刻ものとしては、自社製作の『ジョアン・ジルベルトが愛したサンバ』に続く大プッシュ・アルバム。13日には店頭に並ぶ予定なので、ぜひご注目いただきたい。


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