10月31日(火)

 昨晩は2時過ぎまで眠れなかったのに、今朝は5時に目が覚めた。完全に時差ぼけだ。でも、そんなことは言っていられない。大量にたまっていたメールに返事を書いてから事務所に。毎月恒例の支払いを済ませて、さらに帳簿の整理、という、いつもの月末仕事だ。帰国したすぐ次の日が一ヶ月で一番忙しい日になるなんて、すばらしいスケジュールを思いついたものだと、自分に呆れる。

 

10月30日(月)

 夕方7時に成田に到着。ヘトヘトに疲れて帰国。でも時差ぼけでなかなか眠れない。しかも明日は一ヶ月で一番忙しい末日。果たして仕事をする余力が残っているだろうか。

 

10月29日(日)

 ウォーメックス最終日。ヨーロッパでは毎年、この日から冬時間になる。2年前のエッセン(ドイツ)のウォーメックスでは、1時間遅くなるのを知らなくて、ひとり早起きして朝食を取っていた、なんてことがあったが、もうそんなドジはしない。ただ心配だったのがパリに向かう飛行機のフライト時間で、これだけは変更がないかどうか、事前にチェックした。案の定、時間が少し変更になっていたようで、乗り遅れないように早めに空港へ。そしたらトルコのダブルムーンの人たちも同じ飛行機だったらしく、ここで打ち合わせの続きを少し。

 セビージャ空港からパリのオルリー空港へ。そしてシャルル・ドゥ・ゴール空港へ移動。今回は乗り換え時間がやたらと長い。空港でたっぷり待つことになった。そんなときに見つけたのがドイツのレーベル/ディストリビューターであるインディゴの輸出担当者。彼も待ち時間が長かったらしく、時間つぶしに空港のコーヒーショップで最後の打ち合わせをすることになった。でも、ぼくの経験では、ちゃんとブッキングしての打ち合わせよりも、こういう偶然の会見のほうが仕事が成立する場合が多い。なにしろインディゴは60ものレーベルを配給する大会社。ワールド関係でも15くらいのレーベルを世界配給している。彼によると、日本で配給が決まっていない会社がいくつかあり、探していたとのこと。さっそくサンプルを送ってもらうことにした。どんなアルバムが送られてくるか、楽しみだ。

 夜11時半発の飛行機に乗って成田へ。やっと忙しい一週間が終わった。相変わらず痛い腰が11時間のフライトに耐えられるかどうか不安だが、我慢するしかない。とにかくいまは眠たい。とにかく眠ることにしよう。

 

10月28日(土)

 せっかくセビージャに来たので、朝早くおきて、少しだけ市内観光。と言っても、目的はひとつ。フラメンコの大歌手ニーニャ・デ・ロス・ペイネスの銅像を見るためにアラメイダ通りに行くことだ。ここにはニーニャだけでなく、すぐ近くにマノーロ・カラコールの大きな銅像もある。3年前はここで1時間ほどゆっくり両者の銅像を眺めて、あれこれとフラメンコのことを考えたが、もう一度そんな時間を作りたい気分になった。
 でも、アラメイダ通りに着いてビックリ。二つの銅像があった広場が工事中で、銅像がなくなっていたのだ。近くにいた人に聞いたら、壊されたわけではなく、工事が終わったらまたもとの場所に戻るそうだが、いまはどこにあるのかわからないのだとか。せっかく楽しみにしていたので、ガッカリだ。

 仕方ないので、予定より少し早めにウォーメックスの会場に行くことに。ただし今日はアポイントメントがひとつもないので、ゆったり気分だ。ちょうどオルリー空港で知り合って少し話したフランスのあるレーベルの担当者を見つけたので、一緒に昼食を取ることに。ぼくが空港で話しかけたのは、ウォーメックスではちょっと珍しいくらい若くて可愛らしい女の子だったからだが、でもなんとこの娘さんが、いまフランスで話題になっているデザート・レヴェルのプロモートをしていると知ってビックリ。彼女もぼくが日本でティナリウェンの配給をしていると知って驚いていた。
 でも、食事中はそんな仕事の話はなし。どうせこの女の子とでは仕事の話は成立しない。帰国してボスと相談ということにしかならないだろう。それなら、世間話でもしていたほうがいい。ウォーメックスでは仕事はすぐに決まらない。とりあえず仲良くなることが先決。これが5回やってきたぼくの経験則だ。

 ウォーメックス3日め。ぼくもそうだが、どのレーベルも、この日はあまりミーティングをブックしないで、ゆったりしているようだ。みんなシリアスなミーティングをたくさんこなした後なので、疲れている。そんなときにシリアスな商談をしても仕方がない。コーヒーを飲みながらリラックスして、ワールド・ミュージックの現状などについて話し合った。

 夜はアンディ・モーガンくんの仕切りで、ティナリウェンのプロジェクト・ティームのみんなが集まって会食。ティナリウェンは、メジャー・レコード会社のそれとは違って、各国で小さなディストリビューターが配給しており、ツアーも国によってプロモーターが違う。そういった人たちが一同に集まるなんてことができるのは、ウォーメックスならではだ。それぞれの国でどういうプロモートをしているのかを意見交換できるのは楽しい。ただ、みんな仕事が終わった後なのでちょっと飲みすぎで、あまりまともな話にはならなかったが。

 夜は再びショウ・ケース。ただし、音が悪いのは相変わらず。トルコのアイヌールは小さな劇場だったので音は大丈夫だったが、空調が壊れているのか、あまりに暑いので閉口してしまった。そんなわけで、今日もビールなどを売っているミーティング・ポイントでほとんどの時間を過ごすことに。ただし、みんな疲れているようで、まともな商談話は皆無。

 

10月27日(金)

 ぼくにとってのウォーメックス2日め。今日も昼間のうちは打ち合わせの連続だ。そんな中で楽しかったのが、コバルトのフィリップ・コンラッドさんと再会できたこと。もう仕事の話はすることがなかったが、彼の知り合いのレユニオンの人たちを紹介してくれるというので、一緒に会いに行った。スタンドにいたのは、レーベルの人とプロモートの仕事をしている人がひとり。サンプルをもらったり、音楽状況についていろいろ教えてもらったり、有意義な打ち合わせになった。
 そんな会話の中で驚かされたことがひとつ。プロモーターの人が、来年あたりに<大インド洋フェスティヴァル>という音楽プロジェクトを予定していて、そこでインドネシアやマレイシアの歌手かグループを招きたいのだそうだ。ぼくがインドネシア音楽に詳しいことを知って、それなら協力してくれないかと言ってきたのには、ビックリさせられた。このフェスティヴァルには、マダガスカルはもちろん、レユニオンやモーリシャス、さらにはザンジバルのターラブやインドのコンカニ音楽などもすでに決定しているのだそうだ。そこでさらに足を伸ばして、マレイシアやインドネシアの音楽家も招きたいなんて言ってくれるから、嬉しくなる。もちろん、ぼくにできることならなんでもご協力しますとお答えした。とりあえず、インドネシアのどんな音楽がフェスティヴァルにあうのか考えないといけない。ダイジェスト版のCDRを作ってあげるのもいいだろう。もしもできたら、楽しい音楽フェスティヴァルになりそうだ。ぼくもぜひ見に行きたいと思う。

 昨晩ショウ・ケースをサボってしまったので、今日は早めに会場へ。というのも、今日はBBCアワードの発表の日で、コロンビアのトトー・ラ・モンポシーナが功労者として特別表彰されると聞いていたからだ。トトーと会うのは、横浜のウォーマッドでインタビューさせてもらって以来だから、もう13年ぶり。すっかりおばあさんになっていたが、ステージでは無伴奏で伝承歌を何曲か聞かせてくれて、相変わらずすばらしい歌声だった。

 ただ、ショウ・ケースでゆっくり見たのは、この表彰のところだけ。残りはとても見る気になれなかった。というのも、会場は二つにわかれているのだが、二つステージがあるほうの会場は、音が最悪。さらに、ウォーメックスが地元の若い人たちをターゲットに招聘したと思われるスペインのロック系のバンドあたりがメインになったせいもあって、音楽はほとんどロック系。さらにもうひとつの会場は、こじんまりしていて音もまずまずなのだが、空調が動いていないのか、スゴく暑い。なのに、飲み物の持込が禁止なのだから、ますます困ってしまう。いままでのウォーメックスでも、これほどヒドい状況で音楽を聞かされるのははじめてだ。

 ちなみに会場にいるほとんどは地元の若い人たち。きっと主催者はこんなお客さんをターゲットにしたバンドを選んだのだろう。反対に、ウォーメックスの常連たちは、会場の外のバーの前に集まって、飲み会をやっている。ぼくもそんな飲み会組に加わって、スターンズ・アフリカのロバートさんや、ストーントゥリーのイヴァン・ドゥランくん、元メロディーのベン・オールドフィールドさんたちと一年ぶりの再会を祝うことにした。日本では最近、ほとんど飲み会に参加しないぼくも、外国だとなぜかリラックスできる。

 

10月26日(木)

 昨日のオープニングに参加できなかったので、今日がぼくにとってのウォーメックスの初日だ。当然、商談の約束はたくさん入っている。その多くは以前から取引がある会社で、今後の仕事の確認といった内容がほとんど。メールでもできそうな話ばかりだが、こうして顔を合わせて話し合うと新たな進展もある。詳しい内容についてはここでは書けないが、とりあえず有意義な打ち合わせができた。

 夜は久しぶりにベン・マンデルソンとコリン・バスと再会。アンディ・モーガンくんや久保田麻琴さんも加わって、市内のバールで夕食を取ることにした。庶民的なお店を選んで入ったのだが、これが大正解。10人いたので、15品目ほど頼んで、たっぷりスペインの庶民料理を満喫できた。ほとんどの人は、その後ショウ・ケースを見に会場に戻ったのだが、アンディくんとサンドラさんとぼくは、市内の小さなバールに移動。スペインのワインを楽しむことに。アンディとはティナリウェンの今後の仕事についてじっくり打ち合わせしたいと思っていたが、さっそくそれを果たすことができた。

 

10月25日(水)

 パリからセビージャに移動。お昼過ぎにはオルリー空港に到着した。チェックインする列に並んだらビックリ。同じ便に乗っている人のほとんどがウォーメックスに参加する人たちで、知り合いばかりだったからだ。その中で元メロディーのベン・オールドフィールドさんを見つけたので、チェックイン後、さっそく空港内のバーで再会を祝してワインで乾杯。飛行機の中では、フランスでブラジル音楽をディストリビュートするオウトロ・ブラジルという会社の人と雑談して情報交換。早くもウォーメックスははじまっているという感じだ。

 夕方6時過ぎに予約しておいたホテルに到着。今日はウォーメックスの初日で、会場ではオープニング・セレモニーが開かれているはずだが、重い荷物を持って移動したせいで、すっかり疲労困憊。そこでオープニングはパスして、ホテルでゆっくりすることに決めた。そしたら、携帯にいきなり電話が1本。一昨年ドイツのエッセンでのウォーメックスで知り合ったドイツのサンドラさんからだ。明日からはお互いに忙しくなるから、今晩さっそく会いたいとのこと。彼女もオープニング・セレモニーには行かないというので、晩御飯を一緒に食べることになった。
 サンドラさんは、ワールド・ミュージック・ネットワークから発売されたエトラン・フィナタワの発見者。いまはマネージャーとして、グループを仕切っている。そんなワールド・ミュージック・ネットワークを紹介したのがぼくだったこともあり、お礼がしたいとのことだった。ぼくは彼女にとって、ラッキー・ボーイ(おじさん?)ということなのだろう。そんなわけで、スペインではじめてフォーマルなレストランでフル・コースの食事をすることに。パリでこんな料理を食べたらいくらになるかわからないが、スペインなら気が楽だ。もちろん女性に払わせるわけにはゆかないので、勘定はぼく持ち。でも、すばらしい料理とすばらしいワインのおかげで、楽しいセビージャでの初日になった。

 

10月24日(火)

 パリ最終日。朝はいつも通りに仕事をして、午前中にミーティングを1本。午後は長い取引先であるイビスクース(ハイビスカス)・レコードの事務所を訪ねて新任担当者であるエティアンヌくんに挨拶をすることにした。
 イビスクースは本社がマルチニーク。カリマラヴォワなど、マルチニークやグァドループの音楽を中心にリリースしてきた会社だ。最近は取引が少なくなってしまったが、かつてはカリの『ラシーヌ』シリーズなどをたくさん売らせていただいた。今日訪れたのは、担当者が新任だったので確認すべきことがいくつかあったこともあるが、それ以上に当初からお世話になっているミッシェルさんに挨拶しようと思ったからだ。実は、中村とうようさんが選曲してくださった『カリビアン・ミュージック・ルーツ』でカリの曲を最後に入れることができたのは、このミッシェルさんが社長さんを説得してくれたおかげで、そのお礼をやっとすることができた。

 夕方からは、昨日に続いてDさんとお会いして、夕食。その後はコノノNO.1のコンサートを見に行くことにした。コノノは日本公演を見のがしたので、すごく楽しみにしていたのだが、残念ながら会場の音が最悪。とても最後までは我慢できなかった。でも、その熱演ぶりはなかなかのもの。日本公演を見逃したことがますます残念に思えた。
 公演の後もまた少しDさんと飲んだりして、ホテルに戻ったのは12時近く。寝るのがこんなに遅くなったのは久しぶりだ。それにしても、Dさんはお酒が強い。飲みはじめたら止まらない。ぼくなど、とてもかないません。

 

10月23日(月)

 ウォーメックスに行くせいで、毎年この時期にヨーロッパに滞在しているのだが、それでも朝8時を過ぎてやっと夜が明けてくる生活には簡単にフィットできない。ヨーロッパは今月の末日から冬時間。ここで時計の針を一時間遅らせる。なので、いまが一番夜明けの時間が遅いことになる。
 でもぼくはそんな夜明け時間なんて完全に無視。日本にいるときと同様、6時に起床して、ホテルの近くを30分ほど早足でウォーキングした。そして朝食を取った後、午前中はいつもの通り、パソコンに向かって原稿書き。解説原稿を2本仕上げる。ただ、困ったのはホテルにISDNのケーブルはなく、電話も子機しか使えないので、アナログでメールを送信することもできない。おまけに朝食のパンもいまいちだし、今回のホテルは完全に失敗だ。こんなホテルに100ユーロも払わないといけないなんて、本当にバカげている。

 午後は取引先であるコバルト・レーベルのフィリップ・コンラット社長と会見。ちょうどパリを訪れているDさんと一緒に彼の事務所に向かった。ヨーロッパのワールド・ミュージックのレーベルはどこも少人数の会社だが、コバルトもフィリップを含めて3人だけ。それでレーベルと、アフリコロールというプロモート会社もやっているのだから、タイヘンだ。音楽が本当に好きじゃなきゃ出来ない仕事だろう。
 フィリップから聞けた話は、そのうち別ページを設けて紹介する予定。コバルト・レーベルは10年ほどの歴史があり、アルバムもすでに50枚近く発表しているが、近いうちにその全貌をご紹介できると思う(ただし、現在では廃盤になっているアルバムも多いので、すべてを入荷させるのは不可能だが)。

 Dさんと夕食を取った後、ホテルに戻って明日の仕事の準備。まだ時差ぼけ状態なので、夕方になると眠たくなる。明日は忙しいので、今日は早く休むことにしよう。

 

10月22日(日)

 昨晩は11時に就寝。今朝は3時に起きて、残りの仕事を進めた。とても全部は終わらなかったが、なんとか日本でしかできない仕事だけ終わらせて、6時半に出発。成田空港に向かった。8時半に到着して、さっそくチェックイン。もし空いていたら横になれる席を取ってもらおうと思ったが、こういう日に限って満席だとか。仕方ないので窓側の席を取り、できるだけ寝てゆくことにした。

 疲れていたせいもあって、飛行機では食事時間以外はほとんど熟睡。パリまで12時間近くかかっていたはずだが、アッという間に着いてしまった。

 今回のパリは3日間滞在。もちろん取引先との打ち合わせが目的の中心だ。そこで今回は、セーヌ右岸のマレ地区にホテルを取った。近くのレピュブリック駅が乗換えが便利で今回の目的地のどこに行くにもスムーズだと判断したからだ。ただ、日本で予約したホテルは今回もハズレ。ついているはずのインターネット関係のサーヴィスはまるでないし、部屋も予想した以上に小さい。こんなホテルに100ユーロ近く払わないといけないなんて、バカげているとさえ感じる。そう文句を言おうとフロントに言ったが、これは英語がほとんどできないときた。これで諦めさせるのが戦術なのかもしれない。

 夜8時過ぎからホテルの近くを散策。本格的なモロッコ料理のレストランや、日本ではちょっと見れないほどお洒落な韓国料理のレストランを発見。行ってみたくなった。ただ、今日は寝すぎたせいで食欲がない。ビールをちょっと飲んだくらいで寝るのがちょうど良さそうだ。食べる楽しみは明日に取っておいて、今日はホテルでゆっくりすることにしよう。

 

10月21日(土)

 今日も一日中自宅にこもって、旅行の準備とたまった原稿書き。旅行の前日はいつも慌しいが、今回は特にヒドい。ぼくは仕事で外国に行く場合、午前中はホテルでパソコンに向かって仕事をするのを日常にしているので、日本で仕事を全部片付けようとは最初から思っていない。でも、日本にいるときにしかできない仕事や、資料がたっぷりある自宅でしか書けない原稿だけは終わらせようと思っていた。それが予定通り進まなかったのは、腰痛のせいだ。座っている状態が一番痛い腰痛なんて、今回がはじめて。しかも、こんなに長引くなんて、思ってもみなかった。
 それでも、午後遅い時間には、なんとか最低限の仕事を終わらせて、夕方から旅行のための荷造り。レコーディングがある旅行じゃないので、準備はいつもよりずっとシンプルだったせいで、近くのお寿司屋さんで夕食を取れる余裕ができた。旅行前に冷蔵庫にものを残したくないので、前日はいつも外食になる。それもだいたいお寿司だ。白身や貝をつまみで楽しみながら、ゆっくり日本酒を飲む。そうすると、外国にいても仕事を頑張るぞという気分になる。不思議と気合が入る。今日もそんな感じだった。

 

10月20日(金)

 一日中自宅にこもって旅行の準備と原稿書き。ただ、同じ姿勢でパソコンに向かっていると、どうしても腰に負担がかかる。仕事に集中できない。いまの状態なら、座りっぱなしよりも、外をひたすら歩いているほうが楽だ。

 

10月19日(木)

 再び整体でマッサージをしてもらう。一昨日よりもずいぶん良くなっているのだそうだ。まだ朝起きたときは痛いが、少し体を動かすと痛みは和らぐようになった。

 

10月18日(水)

 昨日のマッサージのおかげでやっとまともに歩けるようになった。午後から事務所に向かって、リスト原稿を作成。なんとか普通に仕事ができた。
 ちなみに今週のメインはマリの若手グループ、バ・シソコの新作。ジミ・ヘンドリックスのようにコラを演奏する、というのが彼らの売りだが、今回の新作もタイトルからしてジミヘンに傾倒している。内容のほうも、前作より面白くなってきた。

 

10月17日(火)

 やっと起き上がれるようになったので、ネットで近くの整体院を調べ、診てもらうことにした。診察してくださった先生によると、ギックリ腰にはなっていないものの、その寸前なのだとか。肩から腰だけでなく、足の筋肉もパンパンに張っていて、その両者から引っ張られるせいで腰が痛んでいるのだそうだ。とても1日ではホグれないほどの張りなのだそうだが、2時間マッサージしてもらったらずいぶん楽になった。
 先生によると、重たいものを持ったからとか、一週間くらいパソコン仕事漬けだったくらいで、ここまでヒドくはなるものではないのだとか。この腰の張り方は、もっともっと年季が入っているのだと言う。日常生活から改善してゆかないといけないということだろう。早い話、余計な仕事なんてしないで、もっと休まないといけないということだ。

 

10月16日(月)

 腰痛が激化。立ち上がることすらキツくなってしまった。解説原稿をなんとか1本だけ仕上げたが、それでもう限界。横になっても、寝返りを打つだけで痛いのだから困ってしまう。これじゃ、ゆっくり眠れない。

 

10月15日(日)

 腰の痛みは昨日よりも少し良くなった。そこで午前中は調べものを少し。午後は蒲田さんと次の編集アルバムのための打ち合わせをやった。内容はまだ秘密だが、蒲田さんにご協力願って、近いうちに独自編集アルバムを作ろうと思っている。今日はまだその方向性が見えてきたくらいだが、面白いものになりそうだ。
 そんな新しい仕事のスタートを祝って、夜は蒲田さんと鶏鍋を肴にビールを楽しむ。

 

10月14日(土)

 相変わらず腰が痛い。朝起き上がるのに10分もかかってしまった。それでも頑張って事務所に行って、午前中は税理士さんとの打ち合わせ。午後は自宅で原稿書きを少し進めた。でも、腰が痛いとどうも落ち着いて仕事ができない。

 

10月13日(金)

 昨晩の続きで、CDやLPの整理。ただ、久しぶりに重たいものを持ったせいなのだろうか、なんだか腰が痛い。

 

10月12日(木)

 午前中は解説原稿書き。なんとか1本を仕上げて、午後は雑務仕事を片付けることにした。月末はヨーロッパに行くので、その前に部屋を少し片付けようと思い、新しい棚を少し買い込んで、夜はLPレコードの整理。やっと部屋が少し片付いた。

 

10月11日(水)

 午前中はポルトガル語で原稿書き。午後は明日のリストのための原稿を日本語で。

 今週のメインは、先に発売した『アゼルバイジャンの魂』(ライス NWR-323)が評判になったアゼルバイジャン出身の男性歌手アリム・ガスモフが独ネットワークに残したもう一枚のアルバムになった。こちらは1997年録音。ちょっと古い音源だが、『魂』を気に入ってくださった方なら絶対に気に入ってもらえるはずだ。アリムさんは、日本ではまだまだ新人歌手。せっかくその魅力を知っていただいたこの時期に続けて発売しないと、すぐに忘れられてしまう。そう思って、ちょっと早いけど2枚めを出すことにした。
 ちなみにこのCDがドイツで発売された1997年の時点でネットワーク盤を日本でディストリビュートしていたのは、メタ・カンパニーさん。その頃に何枚かのネットワーク盤をメタさんの事務所で買ったので、よく覚えている。なので、先に『魂』を『ミュージック・マガジン』でレビューしてくださった深沢美樹さんがその原稿で、アリム・ガスモフのことを知らなかったと書かれていたのを読んで、驚いてしまった。当時、深沢さんはメタ・カンパニーに在籍していたのだが、ネットワークから送られてきたであろうサンプル盤をチェックしなかったのだろうか。その後ネットワークは日本における配給があちこち変わって、一昨年から2年くらいはポップ・ビズさんだった。でも、メタさんからポップ・ビズさんまで、誰もアリム・ガスモフを日本で出そうとはしなかった。結局、ぼくがそのサンプルを聞くまでは、誰も良さがわからなかったということなのだろう。これがワールド・ミュージック業界の現実だと思うと、ちょっと寂しくなります。

 

10月10日(火)

 午前中に会社に行って、雑務的な仕事を済ませ、サイトの直し作業の指示をしてから帰宅。午後は再びポルトガル語で解説原稿書き。

 北朝鮮がいよいよ最後の手段に出てしまった…。

 

10月9日(月)

 昨日と同様、自宅にこもって解説原稿書き。

 

10月8日(日)

 一日中自宅にこもって解説原稿書き。

 

10月7日(土)

 午前中はサンバの解説原稿。午後遅い時間から東京に出て、来日している仏アコル・クロワゼのサイード社長さんたちと軽く打ち合わせ。夜は彼らと浅草で食事。お寿司、楽しんでもらえたようだ。
 午前中はポルトガル語でものを書き、午後は英語を話す。日本語をまったく使わない一日だった。

 

10月6日(金)

 経理仕事など、雑務的な用事を片付けて帰宅。午後遅い時間からは解説原稿に取り組んだ。と言っても、普通の日本語のものではない。ぼくがかつてブラジルで作ってきたサンバのアルバムがブラジルで全部再発されることになり、その解説原稿を書くよう依頼されたからだ。なので、今日書いている原稿は全部ポルトガル語。アルバムは全部で10枚あるので、しばらくはポルトガル語でものを考える時間が多くなりそうだ。

 

10月5日(木)

 実は今週は会社の業務をお休みすることにした。お正月を別にして、当社が会社を休みにしたのははじめて。ただ、今回ばかりはどうしょうもなかった。というのも、業務をやりながらではできない仕事があまりにたまってしまい、このままではいつまでたっても終わらないと判断したからだ。
 休んでまでやりたかったもっとも大きな仕事が、いま皆さんにごらんいただいているサイトの直し。当社のカタログは当初予想された以上に膨大なものになってしまったが、それなのに当社のサイトには検索機能がついていない。これじゃ、いくらなんでも不便だと考えたからだ。しかも、このサイトに当社が扱っているすべてのCDが紹介されているわけではない。そんな問題を解決するには、根本的な作り直ししかない。
 そんな新しいサイトを担当をしているのは伊東くんだ。どんなサイトになるか、楽しみに待っていてください。

 

10月4日(水)

 昨日に続いて渋谷に出向き、<ラマダンの夜>関係で来日している人たちと打ち合わせ。そのうちのひとりが、ファイズ・アリー・ファイズのマネージャーとして来日しているヤセル・ノマンさんだった。ヤセルさんはパキスタン民俗協会の会長さん。当然、英語も話せる。昨日のファイズのインタビューで同席していただいたのだが、そこでの話しぶりを聞いて、パキスタンの伝統的な音楽についての博識ぶりに驚かされた。これはひとつ、ゆっくり話を聞かないといけないと考えたのだ。
 そのヤセルさんとのインタビューについては、そのうちサイトにアップしようと思っているが、お話していて驚かされたことがひとつ。なんと、ヌスラット・ファテ・アリー・ハーンのお父さんであるファテ・アリー・ハーンが存命中に録音を残していたということだ。しかもその音源が現在ではCD化されていると言うから、ますますビックリ。いまぼくらが聞いている<伝統カッワーリー>は、ヌスラットがその父ファテさんと2代かけて作り上げたものだとされているが、ファテさんの録音を聞ければ、ヌスラットが何をしたかをより具体的に知ることができる。この録音、なんとしても聞いてみたいものだ。

 ヤセルさんに確認したことがもうひとつ。それはファイズ・アリー・ファイズの名前の表記だ。中村とうようさんは『ミュージック・マガジン』9月号において<ファイーズ・アリー・ファイーズ>というカナ書きをされていたが、ぼくはどうしてもこれを納得できないでいた。そこでヤセルさんやファイズ本人に聞いて確かめたのだが、そこでわかったのは、やはり予想した通り、表記は<ファイズ>が正しく、<ファイーズ>とはならないということだ。というのも、FAIZという名前のアクセントは、Iではなく、AIという母音二つの位置にある。だから、無理してカタカナにすると<ファィーズ>となるのだろうが、そんな書き方をしても誰もどう読んでいいかわからない。結局<ファイズ>と書き方がわかりやすく、しかも正確な表記となるようだ。

 なんで<ファイーズ>という発音じゃないことを事前に予想できたかというと、こういう二重母音はぼくが普段から接しているポルトガル語など、ラテン系の言葉にもたくさんあるからだ。ポルトガル語の二重母音について話すときにぼくがいつも例に出すのが、CREUSAという名前だ。日本では<クレウーザ>と書かれることが多く、日本盤CDの帯にも<マリア・クレウーザ>という表記をよく目にする。でも、これは完全な間違い。アクセントはUではなく、EUにあるので、無理してカタカナにすると<クレゥーザ>となる。普通に書いたら<クレウザ>だろう。<ウ>の音にアクセントがついて<クレウーザ>と読むことは、絶対にありえない。結局ファイズの名前の読み方も、これと同じだったようだ。

 <マリア・クレウザ>と並んで、長い間間違ったアクセントのまま表記され続けている気の毒な人が<アダルベルト・アルバレス>だ。この二人ほど、間違った表記がまったく直されずにきた人も珍しい。キューバ音楽をかなり詳しく聞いていらっしゃる方のサイトでも、いまだに<アルバーレス>と間違えて書かれているくらいだから…。
 スペイン語に詳しい方はご存知のように、ALVAREZという名前は、REではなく語頭のAにアクセントがある。だから<アルバレス>、あるいは<アールバレス>が正しく、<アルバーレス>という読み方は絶対的に間違えだ。ちなみに同系列の名前であるALVAROも、冒頭にアクセントがつく<アルバロ>であって、<アルバーロ>ではない(<アールバロ>なら正しい)。スペイン語において、語頭の母音にアクセントがある場合、その記号が省略されることが多い。これはそんな省略のせいで起きた勘違いで、スペイン語の固有名詞に日常的に接しているわけではない日本人には仕方ないことだが、それでも間違いはやはり間違いだ。いつまでもそのまま放置していいわけがない。せめてこの欄をお読みになった方は、クレウザさんとアルバレスさんだけでも、これ以上間違った表記をしないようにしましょうね。
 なんて、しょっちゅうカナ書きの間違いをして皆さんにご迷惑をおかけしているぼくがこんなことを書いても、おかしいかもしれないが。

 

10月3日(火)

 午前中は事務所で会計仕事の続き。午後は昨日に続いて<ラマダンの夜>関係のインタビュー・セッションだ。今日はぼく自身がインタビュー会場に出向いて、仕事を仕切ることにした。と言っても、仕切りの仕事は、インタビューがはじまるまでが仕事で、無事スタートしてしまうと、いきなりヒマになる。そこで近くのホテルにダブルムーンやアコル・クロワゼの社長さんたちも滞在しているのを思い出し、彼らと今後の仕事について打ち合わせをすることにした。また、それぞれのレーベルの歴史についても、少しうかがったのだが、それが実に興味深い。そのあたりについては近いうちに別ページで紹介したほうがいいだろう。また、インタビュー終了後は、北中正和さんサラーム海上くんと3人でインド料理屋さんに立ち寄り、少し雑談。ライターの方々とこうしてゆっくりお話しするのは、かなり久しぶりだ。

 

10月2日(月)

 <ラマダンの夜>の東京初日。午前中は雑誌のインタビューも入っていたのだが、その仕事は昌くんにまかせて、ぼくは支払いの残りと経理関係の仕事を進めることにした。これを終わらせないと、他の仕事に手をつけられない。

 そして夜はコンサート。ファイズ・アリー・ファイズカイハン・カルホールという、日本ではほとんど無名の音楽家二人が出演する初日だったが、予想した以上の大盛況。当社がアルバムを配給している2人だけに、とりあえず結果が出て、安心させられた。あとは4日のメルジャン・デデだ。こちらもいっぱいお客さんが来てくれたら、ますます安心させられるのだが。どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

10月1日(日)

 やっと過ごし元気が戻ってきたので、掃除と洗濯と食料の買出し。午後からは、たまっているサンプル盤を聞きながら、やはりたまっていた取引先からのメールにまとめて返信を送った。さらに、今年ももうすぐウォーメックスなのだが、やっと今日になってレジストレーションを終了。夕方からは飛行機やホテルの予約にも手をつけた。こうして決まった予定をスケジュール表に書き込んでいったら、来月もまたかなり忙しくなりそうだ。

 

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