3月31日(金)

 大嫌いな支払日。そして今月の最終出荷日。ぼくは経理仕事に、会社は出荷に大忙しの一日だった。しかも朝早くから解説原稿の執筆をして、夕方からは次の自社制作盤の選曲。夜には本当にグッタリ疲れてしまった。

 そんなときに飛び込んできたのが前原退陣のニュース。夕刊を見て知ったが、同世代の党総裁の退陣は、やっぱりさびしい。これで民主党の若返りがなくなってしまうことはないだろうが、何かを期待できる新しい体制がすぐに生まれることもまた、なさそうだ。政治がますますつまらなくなってきた。

 そんな朝日新聞の夕刊で<今月の10枚〜ポピュラー海外編>を見ていたら、先に当社がリリースした『アフリカ音楽の黄金時代〜西アフリカ篇』(ライス NWR-4001)が紹介されていたのでビックリ。選んでくださったのはピーター・バラカンさんでした。どうもありがとうございます!!

 

3月30日(木)

 今日はリスト作成日。そして出荷日でもあるので、サンビーニャは大忙しだ。
 今週のリストのメインは『ジプシー・ギタースクール』(ライス HMR-712)『アフリカ音楽の黄金時代〜コンゴ篇』(ライス NWR-4002)の2枚。ともに2枚組で、前者はジャンゴ・ラインハルトにはじまったジプシー・ギターの歴史を、後者はフランコやタブー・レイらを中心としたコンゴ音楽黄金時代を、振り返る内容だ。ともに内容のほうはもちろん、詳しい解説や貴重な写真を満載したブックレットも見事。4月23日に同時発売されるので、ぜひともチェックしてください。
 さらに来月のはじめには、ブラジルのDJパチーフェの新作も出る。こちらも今週のリストの隠れメイン。お好きな方はお見逃しないように。

 そんなリスト作りと並行して、4月後半から5月にかけてのリリース予定を立てた。ここ数ヶ月は海外出張の連続でなかなか時間が取れなかったが、これから7月まではずっと日本にいる予定で、時間に余裕ができる。自社制作ものを手がける絶好のチャンスだ。今月はピシンギーニャの『ブラジル音楽の父』(ライスBSR-5007)を出したが、次のアルバムもすでに制作に入っていて、来週くらいには公表できる予定。おかげで来月前半はまた解説原稿の執筆などで忙しくなりそうだ。
 でも、経理仕事や雑用に追われているのに比べたら、こういった仕事に追われているほうが、ずっと楽しい。そしてそんなアルバムがもっと売れてくれたら、ますます楽しいのだろうが…。

 

3月29日(水)

 昨日書き上げた原稿を見直して入稿。コンピュータは相変わらず不調で、メール送信した原稿の一部がちゃんと届かなかったり。おかげでお昼過ぎに事務所に行ったのに、ちょっと机を整理しただけで再び自宅に戻って、もう一度原稿を送りなおすことになった。
 さらにアタマに来たのが、自宅の電話を止められてしまったこと。先月の請求書が郵送されなかったのでほうっておいたら、今月いきなり督促状が届いたので、勝手に請求書を送らずにいたくせに失礼な話だと思って無視していた。そしたら、本当に電話を止めやがった。ぼくの自宅付近は新しいマンションがどんどん建っているせいか、郵便の誤配がすごく多い。電話の請求書が届かないことは昨年末にもあった。そのときには、いきなり督促状なんてお客に対して失礼だろう、郵便局にしっかり送るように掛け合うか、それができないのなら書留で送るようにしろと言ったのだが、それもせずにいきなり電話を止めるなんて、ますます失礼な奴らだ。何十年も電話を使っているお客に対して、何様のつもりなのだろう。

 夕方は打ち合わせが2本。さすがに夕食を作る体力は残っていなかったので、近くの居酒屋さんで少し飲みながら食事を取ることに。ひとりでこういうところに来るのは本当に久しぶりだ。お刺身を食べながら日本酒なんてのも、1ヶ月ぶりだろう。電話の件で腹を立てたこともあって、今日はちょっとヤケ酒気味。おかげですっかり飲みすぎてしまった。

 

3月28日(火)

 朝から物書き仕事に集中して、夕方にはなんとか解説原稿を2本脱稿。

 ところが夕方近くなって、コンピュータが大不調。原稿をほぼ書き上げたところだったのは良かったが、それでも修復に2時間もかかって、イライラさせられた。結局直ったのは、夜8時過ぎ。これじゃ、ゆっくりご飯も食べることもできない。
 これまでも同じような不具合が何度も起きているので原因はわかっているし、解決するには新しいパソコンを買うしかないこともわかっているのだが、いろいろ問題もあって、しばらくはこれをだましだまし使うしかない。会社のコンピュータはどれも古いので、一気に新しいものに取り替えたいのだが、そんな経済的余裕もなかなか生まれない。とにかく、もっと頑張って仕事をして、必要なお金くらいは儲けないと…。

 そんなわけで、桜が満開になったらしいけど、花見どころではない。いよいよ月末。明日と明後日は入荷も多いので、頑張ってできるだけ多く出荷することにしよう。

 

3月27日(月)

 今日も朝から解説原稿の執筆。午後に打ち合わせを予定していたが、それをキャンセルして自宅作業を9時過ぎまで続けた。何とか1本を書き上げ、2本めも8合目まで進んだので、これなら明日にはなんとか終えられそうだ。そこで夜は、新しく送られてきたサンプル盤のチェックを少し。

 先月から来てくれているアルバイト君が、今月いっぱいで辞めてしまうことになった。正社員希望だったようだが、当社の状況からしばらくアルバイト待遇が続きそうなので、諦めてしまったようだ。ただ、当社でいま働いている昌くんも伊東くんもアルバイト待遇を数ヶ月経験しており、彼だけをいきなり社員にするわけにはゆかない。当社だけでなく、タワー・レコードだってHMVだって、いきなり社員での登用なんていまはありえない。みんな苦労して社員になっているのです。それがこの業界の状況です。
 というわけで、4月から再びアルバイトが必要になった。体力に自信のあって、火曜から木曜まで週3日間出勤できそうな人がいたら、メールか手紙で連絡をください。前回も書いたけど、電話で問い合わせは厳禁。電話してきた人は絶対に採用しません。

 

3月26日(日)

 昨日、仕事をしなかったので、今日は休めない。朝から解説原稿を執筆。ただ、簡単に書けるような内容じゃないので、今日は準備だけで終わってしまった。こうなるといつも、誰かに頼んでおけば良かった、なんて思いはじめるのだが、いまからではもう遅い。自分で書き上げるしかない。

 

3月25日(土)

 フランスから帰国して1週間、疲れをおして頑張って働いたせいで、今週は少々疲れた。そこで今日は、仕事はいっさいしないと心に決めて、自宅で静養することに。と言っても、CD棚を整理しなおしたり、本棚を片付けたりなど、やらないといけないことはけっこうあって、ノンビリCDを聞いている時間はない。洗濯、掃除、食料の買出しなども、一週間分だとけっこう時間がかかる。そんなこんなで、今日は一日がアッという間に終わってしまった。ポルトガルで買ってきたアナログ盤、すっかりホコリをかぶっています。

 

3月24日(金)

 午前中は自宅で解説原稿。午後は事務所で金曜恒例の残務仕事。夕方は久しぶりに新宿に出て打ち合わせを2本。そして夜は音楽評論家の松山晋也さんとタワー新宿店の篠原さんと一緒に新宿の韓国料理屋さんで食事。

 こうして業界の人間が3人揃うと、いつも話題になるのが、いまの音楽状況の厳しさだ。当社の状況もかなり困ったものだけど、どこも同じなようなものらしく、すごく儲かっていますという話は誰も聞いたことがないようだ。大企業が儲かってきたら、そのうち中小零細企業にも波及するなんて、自民党の政治家がテレビで言っていたが、<そのうち>って、いったいいつのことなのだろう。

 

3月23日(木)

 昨日送られてくるはずだったピシンギーニャの『ブラジル音楽の父』が今日になってやっと届いた。今週は火曜日が祝日だったせいで、工場からの出荷が一日遅れたらしい。そこで今日は大慌ての出荷作業。でもこれでなんとか週末にはお店に並ぶことになりそうだ。
 ところで当社の復刻盤シリーズは、いつも出足がニブい。こんな古い時代の音源が簡単に売れるわけはないとお店の方々が考えるからだろう。その後はコンスタントにバック注文をいただいて、最終的にはそれなりの売り上げになるのだが、そうなるまで膨大な時間がかかるのが問題だ。作りたい作品のアイディアはあっても、なかなか行動に移せないのは、そういった事情があるからで、ぼくの悩みのタネでもある。
 でも、今年はそんな復刻盤も含めて独自制作盤をたくさん出すと宣言してしまったので、さっそく次のアルバムの準備を進めている。内容はまだ秘密だが、世界的にも珍しい音源を収録したユニークな内容になりそうだ。できたらゴールデン・ウィークあたりには発売したいと考えているのだが、そのためにはまた、かなりハードなスケジュールになるだろう。でも、日記に書いてしまったら、やらないわけにはゆかない。こうして自分にプレッシャーをかけているわけです。

 来週の週末にはナポリ歌謡の王様ロベルト・ムローロの全盛期録音を集めた2枚組復刻アルバムが登場する。いま自宅でアルバムを聞き返しながら、その解説原稿の準備を進めているところだ。思えばぼくがイタリア音楽の解説を書くのは今回がはじめて。ましてや超大物のムローロだから、簡単に書いてしまうわけにはゆかない。
 こういうアルバムを出そうと決めたときには、実はいつも専門家の方に解説をお願いしたほうがいいのではないかと思う。でも、そこで常に問題になるのが、当社に十分な原稿料をお支払いする余裕がないことだ。こんな復刻盤を出したって、そうは簡単に売れるわけではない。でも、だから解説を安く書いてください、なんて、自分でもフリーのもの書きをやっていたぼくには、とても頼めない。そこで仕方ないから、ぼく自身が専門家の方が書くのとは違った視点の解説を目指して書くことになるわけだが、はたしてそんな原稿が皆さんの役に立っているのだろうか。最近ではインド古典音楽やスコティッシュ・トラッドの解説を書いたときには、さすがに荷が重いと感じた。きっと今回も悪戦苦闘することだろう。なんとか面白い内容になれば良いのだが…。

 昨日、今日と、大慌ての仕事が続いたので、さすがに疲れがたまってきた。

 

3月22日(水)

 昨日の遅れを取り戻すために今朝は4時に起床。5時から仕事をはじめた。朝のうちに昨日書いた原稿の見直し/書き直しを終わらせて、8時に出社。さらに数本の解説原稿を執筆。それも3時過ぎには終わらせて、今度は外で打ち合わせを1本。夜はそのまま食事に。でも、朝が早かったせいなのだろう、ちょっとだけお酒を飲んだらすぐに酔いが回って、帰宅させてもらうことに。そして午後9時には就寝…。ポルトガルでゲットしたアナログ盤、いったいいつになったら聞けるのだろう…。

 

3月21日(火)

 最近、旅行の疲れは帰国直後でなく、数日後にやってくる。今日がまさにそんな感じだ。昨日もゆっくり寝たのに、朝から体が重く、仕事に集中できない。たまっている解説原稿のうち、2本をいちおう書き上げたが、こういう日に書いた原稿はどうしてもミスが多くなる。明日の朝にもう一度見直してから入稿したほうがいいだろう。

 そんなわけで、午後からは予定を変更して、完全休養。ちょうどやっていたWBCの決勝戦を楽しむことにした。日本代表の試合は前の韓国戦くらいしか見ていないが、今日はさすがに決勝。みんな真剣そのもので、すごくウイウイしい。まるでプロ野球選手がみんな甲子園球児に戻ってしまった感じだ。でも、こういう一発勝負では、実力なんかより、野球に対してどれだけ純粋になれるかが勝負の分かれ目になる。そういう意味で、日本もキューバも、今日はすごく純粋。すばらしく緊張感溢れる試合だ。メジャー・リーグの大スターたちを揃えたアメリカやドミニカやプエルトリコがどこも決勝に残れず、実力的には大きく見劣りするかに見えた日本が優勝したのは、ひょっとしたら日本に甲子園大会という、アメリカにもない野球の伝統があったからかもしれない。
 それにしてもザマーミロと言いたいのは、自分の有利なように組み合わせを決めて、さらに審判まで使って優勝しようとたくらんだアメリカが、決勝戦にいなかったことだ。しかも経済制裁をしているキューバがしっかり決勝に残っていたのだから、アメリカはますます面白くなかったに違いない。ますますザマーミロだ。日本のどこかのチームが大金を使って大砲を集めても優勝できないように、あるいはスペインの首都にあるサッカー・ティームが世界のスターを集めてもまったく振るわないように、大スター集団なんてのは実はモロいものだということが、今回も非常によくわかった。お金をかけさえすれば良いレコードが作れるというわけではないんです、例えばぼくらの仕事に当てはめれば。

 そんなWBCの熱戦ですっかり疲れてしまったのか、夜は白ワインを少し飲んだらもうウトウト状態。夜はポルトガルで買ってきたレコードの続きを楽しもうと思っていたが、それも中止して9時に就寝することにした。明日は朝早く起きて、残った仕事を終わらせないと。

 

3月20日(月)

 昨晩は10時に寝て、今日は5時起床。時差ぼけもなく、昨日に続いて爽快な目覚めだ。今日は一週間ぶりの日本での仕事。と言っても、外国にいても毎朝パソコンに向かって原稿を書いているので、生活そのものはほとんど変わらない。今日も朝から解説原稿書き。午後からは打ち合わせが2本。違うのは、その後夕方に事務所でたまっていた書類やサンプルの整理をしたくらい。

 変わったことと言えば、出張先でもらったサンプルや買ったレコードが山積みになっていること。でも、一週間ほどまともにCDを聞けなかったせいか、いまはどんな音楽でもフレッシュな気分で聞ける。こういうときは、つまらないサンプル盤を聞いても大丈夫。つまらない部分を嘆くより、なんとか面白い部分を探そうという気になる。きっと音楽を楽しみたいという欲求が強まっているのだろう。こんな日は音楽が楽しい。たまには音楽を意識的に聞かない日を作るべきなのかもしれない。

 そんなわけで、昼間にさんざんサンプルを聞いたのに、夜も音楽欲はバリバリ。ポルトガルで買ってきたLPやコンパクト盤をゆっくりと楽しんだ。CDを聞くとどうしても仕事と結びつけてしまうぼくも、アナログ盤だと仕事を忘れられる。だいたい、アナログ盤はジャケットが良い。コンパクト盤でもCDより大きなサイズで、なんか得をした気分だ(ちなみに、コンパクト盤はすべて1ユーロか2ユーロで購入したから、本当に得をした)。アマリアのコンパクト盤では、これまで見たこともない写真がジャケットに使われていて、そられを見ているだけでも幸せな気分になる。彼女の編集盤をもう一度作って、これらの写真を皆さんにお見せできたらよいのだが・・・なんて、また仕事のことを思い出してしまった。

 復刻盤といえば、水曜日あたりにはピシンギーニャの『ブラジル音楽の父』(ライス BSR-5007)の完成品が事務所に届くことになっている。こちらもいまから楽しみだ。週末にはお店に並ぶ予定ですので、ぜひチュックしてください。ジャケットもうまく仕上がったし、内容ももちろん最高です。

 

3月19日(日)

 昨晩は2時に就寝。また時差ぼけで早起きしてしまうかと心配したが、今日は7時まで一度も起きることなくゆっくり眠れた。おかげで快適な目覚め。時差ぼけは早くも解消されたようだ。

 たまっていたメールに返事。さらにパリとリスボンで打ち合わせした取り引き先にお礼のメール。お礼のメールは時間がたつと格好悪いので早めに送るようにしているが、今日が日曜だったおかげでそれが早くできて良かった。

 午後からは食料の買出し。しばらく日本食を食べていないので、今日は久しぶりにたくさんご飯を炊こうという気になった。なので、買ったのはご飯のおかずになるようなものばかり。これらがお酒の肴にもピッタリなのが危ない。その後、何気なくテレビをつけたら、WBCの日本―韓国戦がやっていたので、少しだけテレビ観戦。知らないうちに準決勝まできていたようだ。野球を見るなんて本当に久しぶり。

 夜は一週間分の新聞をチェックしつつ、ポルトガルで買ってきたレコードをじっくり楽しむ。ノローニャと、やはりコンパクト盤で入手したフェルナンド・ファリーニャがすばらしい。こういう音楽を聞きながら飲むお酒も最高だ。でも、こんな時間を持てるのも今日だけ。さあ、また明日から仕事がはじまるぞ。

 

3月18日(土)

 早朝に帰国。11時間ちょっとの旅だったが、やはり疲れた。荷物はいつも通り宅急便で送って、手ぶらで帰宅。夜までガマンして起きていようとかと思ったが、食事をしたら強烈な睡魔が襲ってきて、少しだけ睡眠。

 夕方に宅急便で送った荷物が届いたので、まずは衣服の洗濯。買ってきたLPやコンパクト盤はみんな汚れているので、丁寧に掃除をしながら少しだけ楽しんだ。アマリアのコンパクト盤は6枚。ただし全部知っている曲ばかりだったのに対して、3枚入手したノローニャはどれも見たこともないレーベル。持っているCDには入っていない曲ばかりようだ。これは貴重。何かのときに使えるかも。

 

3月17日(金)

 朝早く起きて空港へ。10時半頃のエール・フランス便に乗って、再び11時間の空の旅だ。パリに来るときは本を1冊読み終えられたのだが、今日は疲れて読書どころではない。食事をしたら、後はひたすら寝るだけ。

 

3月16日(木)

 今回のリスボン訪問は、ジョアナ・アメンドエイラの新しいレーベルの人たちと会うことの他に、ファドなどポルトガルの伝統的な音楽のアルバムを積極的に出している新しいレーベルと打ち合わせをすることにあった。というのも、当社はずっとCNM(コンパニア・ナシォナール・デ・ムジカ)と取り引きしてきたが、同社はファドから撤退。ディストリビューターになってしまったようで、このままだとファドの新作はもう出せなくなってしまうと思ったからだ。そんなレーベルとの打ち合わせを午後早い時間にホテルで。さらに新譜CDを見つけるために、レーベルの人たちと一緒に市内のCDショップを探索。ファドなどはあまり新作が出ているとは言えないが、それでもいくつか収穫があった。

 午後遅い時間にホテルのレストランでやっと昼食。その後、荷物を整理して、夕方5時過ぎに空港へ。また2時間の空の旅だ。今日は再びパリに宿泊。でも明日は早朝の便で日本に帰らないといけないので、今日は市内には向かわず、シャルル・ドゥ・ゴール空港近くのホテルに泊まることにした。パリに着いたら、もう9時過ぎ。ビールを一杯だけ飲んだら強烈な睡魔が襲ってきた。今回の旅は短期間なのに飛行機に乗る回数がやたらと多い。それが疲れさせたのかもしれない。

 

3月15日(水)

 朝はホテルにこもって仕事。明日のリストのための原稿を終わらせた。今回は新しいホテルに泊まったので、インターネットが問題なく繋がるから、仕事がすごくスムーズ。各国から送られてくるインフォに目を通してリスト原稿を書くいつもの作業を、日本にいるときと同じように進めることができた。

 午後はジョアナ・アメンドエイラと彼女のプロモーターさんたちと打ち合わせ。話さなければいけないことは多かったが、とりあえず今後のスケジュールの確認出来ただけでも、リスボンに来たかいがあった。ちなみにジョアナは昨年のライヴ・アルバムもすばらしかったが、早くも次作の準備に入っているようで、7月あたりにはスタジオに入るらしい。今度はオリジナル曲が中心なのだとか。どんな作品になるか、いまから楽しみだ。もちろん日本では当社が配給する。予定通りに行けば9月あたりには発売できるかもしれない。

 そのほか、レコード会社の人たちとも打ち合わせしたのだが、こちらは思ったよりずっと早く終ったので、夜はファド・クラブに行くことにした。ただ、有名なカフェ・ルーゾやア・セヴェーラあたりは、お店の前でメニューを見たら軒並み高くて、ちょっとした料理とワインだけで軽く100ユーロを超えそうな感じ。そんな散財はしたくないので、もっと庶民的なお店を目指して、アルファーマに向かうことにした。こちらは予想したとおり、小さなファド・クラブ。歌手は素人っぽい人ばかりだったけど、雰囲気はすごく良い。77歳になるというジプシー(だと本人が言っていた)の女性歌手が味わい深い歌声を聞かせてくれるなど、かなり楽しむことができた。ワインも手ごろな値段なのに美味しいし、食事もまずまず。ここだったら、リスボンに来るたびに訪れてもいいかもしれない。

 

3月14日(火)

 せっかくのパリ滞在をエンジョイする時間もなく、朝早くシャルル・ドゥ・ゴール空港へ。空路でリスボンに向かった。今度は2時間ちょっとの空の旅。しかもリスボン空港は市街地から近いので、移動に時間がかからないのがいい。

 パリからリスボンに向かってビックリしたのが、気温が全然違うこと。パリは出発時に2度。リスボンは22度になっていた。午後には25度を超えたそうで、Tシャツだけで歩いても汗をかく。タクシー運転手によると、海にはもう人が出ているのだそうだ。春どころか、いきなり初夏がやってきた感じ。

 リスボンでも打ち合わせが何本かあるが、すべて明日以後。そこで今日は市街地に出て、買い物をすることにした。もちろん、ぼくの買い物といったら、CDや本などだ。
 と言っても、リスボンには昨年も来ているので、CDに関しては収穫はあまりなかった。新作のめぼしいものは、まったくなし。買ったのは、古いものを数点のみ。でも本屋さんでは、アマリア・ロドリゲスの伝記本の第2版が出ていたので、それも買った。彼女が生きていたときに初版が出た本だが、今回は亡くなった後のことも少し書き加えられているようだ。また、その後、バイロ・アルトをウロウロしていたら、偶然アナログ盤を売っているお店を2件発見。もちろんロックやジャズなどを中心に売っているお店だが、ファドなども少しあったので、嬉しくなった。ここではLPを5枚と、コンパクト盤を20枚ほどゲット。ファドはコンパクト盤中心のマーケットだったらしく、LPよりもこちらの方が断然たくさん出ている。今日はアマリアはを数点と、大好きなマリア・テレーザ・デ・ノローニャも何枚か入手できたのが嬉しかった。帰ってから聞くのが楽しみだ。

 明日は仕事がたくさんあるので、ファド・ハウスに行くこともなく、10時に就寝。

 

3月13日(月)

 パリ2日めの今日は打ち合わせが3本。パリの中心街を地下鉄やバスを乗り継ぎながら、慌しく動き回る。パリやロンドンではできるだけタクシーを使わないようにしているのだが、おかげで地下鉄マップも完全に頭に入ってきた。地下鉄もバスも、東京ほどややこしくないのがありがたい。

 そんなわけで今日は仕事だけでヘトヘト。ホテルの近くのレストランで食事をしたら、完全に睡眠モードになってしまった。夜10時には就寝。せっかくパリにいるのに、ナイト・クルージングもなしなんて、本当に情けない。

 

3月12日(日)

 今日も早起き。4時には起きて、荷造りをして、空港に向かった。今日の目的地はパリ。朝9時半出発の便なので、家を出たのは5時半。また12時間半の長旅だ。

 早く出る便だったので、到着も早い。パリには午後2時半過ぎに到着。この時間だったらタクシーなんてつかまえなくても市街地に出られる。今日は電車で市街地に出て、北駅で地下鉄に乗り換え。カルティエ・ラタンのホテルに向かった。快晴のパリだが、外に出るとものすごく寒い。空港では摂氏1度だと言っていたが、まるで真冬の寒さだ。ホテルには4時半頃にやっと到着。荷を降ろして、とりあえず近くのカフェでコーヒーを飲む。

 今回の旅は打ち合わせが目的。でも仕事は全部明日からなので、今日はホテルでゆっくりすることにした。寒いし、長旅で疲れたこともあって、遠くに行く気がしない。そこで夕食は近くのレストランで。ホテルから歩いて5分くらいのところに庶民的なレストランを見つけたので、そこに入ってみた。予想した通り、外国人が行くようなところじゃないので、注文を取りに来た女の子はまったく英語が通じない。ぼくはフランス語は大の苦手だが、大昔にコックをやっていたこともあって、メニューくらいなら理解できる。悪戦苦闘しながら、あっさりした魚料理と白ワインを注文。比較的安いお店なのに料理もワインも思った以上においしくて、大満足だ。最近はずっと忙しかったので、こんなにリラックスした夕食はすごく久しぶりな気がする。

 

3月11日(土)

 今日も朝から原稿の執筆。来週発売になるヨルゴス・ダラーラスの新作の解説原稿だ。朝早くからはじめたので、午後には終わらせて会社へ。ピシンギーニャのマスタリングを昌くんにやってもらっていたので、その音をチェック。校正も昨日戻したので、今日音源を送ったら、これで本当にカンパケだ。こちらは3月26日に店頭に並ぶことになるはずなので、ぜひ聞いてみてください。

 実は明日からヨーロッパに出張することになっている。そこで午後は旅行のための荷造り。と言っても、今回はレコーディングがあるわけではないので、いつも旅行に持って行くものがすべて入っているカバンに衣服を入れたら、それでおしまいだ。いつも悩むのが、持って行く本とCDの選択だが、今回は仕事がたくさん詰まっているので、とても落ち着いて本を読んでいる時間はない。なので、荷物はいつもよりずっと少なめ。

 明日もムチャクチャ朝が早い。今日は早く寝るようにしないと。

 

3月10日(金)

 先に入稿したピシンギーニャのブックレットの校正。来週発売になる『黄金時代のアフリカ音楽〜西アフリカ篇』(ライス NWR-4001)の翻訳原稿(今回は蒲田耕二さんが訳してくださった)も校正して一緒に入稿。さらにずいぶん前にインタビューをお手伝いした久保田麻琴さんの本も、今日が最終校正日。という感じで、今日は朝から文章のチェックばかりの一日だ。そのほか、金曜恒例の雑用が少し。でも経理仕事は先週で一段落しているので、珍しく遅くまで仕事をしないで済んだ。

 そこで夜は自宅でサンプル盤のチェックの続き。いくつか面白いものを見つけたので、来週のリストで紹介するアイテムをだいたい決めてしまった。それらのアイテムの詳細な資料を発売元にお願いして、今日の仕事は終わり。夜は久しぶりに(仕事とは関係ない)好きなレコードを少し楽しむ時間を作ることができた。

 

3月9日(木)

 恒例のリスト作成日。朝のうちに原稿を書き上げて、午後は東京に出て、打ち合わせを2本。終わった後に、タワー新宿店で買い物を少し。その後、お店で待ち合わせしていたあるイギリス人ジャーナリストと会って、近くで少し雑談をした。イギリスでライスUKを立ち上げたときに、Fルーツという雑誌にインタビュー記事を書いてくれたのが彼で、今日はそれ以来の再会。なんでもニュージーランドで休暇を過ごした帰りに日本に寄ったので、ぼくに連絡してきたのだそうだ。

 夜は自宅でサンプル盤のチェック。先週から頑張って聞いているので、やっと半分くらいは聞き終えることができた。いつも通り、面白いものもあるけど、つまらないものも多い。誰が聞いても決定的にスゴいと思うような新作アルバムがないという点も、ここのところずっと同じだ。

 

3月8日(水)

 今日も早起き。朝から解説原稿を執筆。今日は珍しくブラジル盤が大量入荷。そのうちのひとつに解説をつけないといけないので、大慌てで原稿を書いた。事務所に行ったら、ブラジル盤はすでに届いていて、こちらも大慌てで出荷中だった。

 今日入ってきたのはシャルレス・ガヴィンが監修したソン・リブリの復刻盤シリーズが中心。シャルレス・ガヴィンは、ご存知のように80年代に登場したチタンスというロック・グループのドラムス奏者で、ブラジルでは大スターだが、ある時期からブラジル音楽の古い音源にハマッて、こうした復刻盤シリーズの監修をしている。実はそんな復刻シリーズのお手伝いをさせていただいていることもあって、ぼくのところには発売の知らせがいち早く入ってくる。ただ、今回のシリーズのラインナップが決定したのは、昨年の9月頃。それからレコード会社の都合で発売が遅れに遅れて、やっと今日に入ってきたのだから、ブラジルらしいとしか言いようがない。でも、発売されて本当に良かった。一時期は、このままボツ企画になるかと思った時期もあったくらいだから、シャルレスもぼくも本当にホッとしました。

 

3月7日(火)

 今日もまた忙しい一日だった。朝は4時に起床。さっそく昨日書き上げた原稿を見直してから入稿。その後は慌てて外出して、東京で打ち合わせを2本。夕方に自宅近くでさらに打ち合わせを1本。そして会社に行って、朝入稿した原稿の校正など…。帰宅したらもう10時過ぎだ。さすがに疲れすぎて、食事をしたらもう何もする気が起きなかった。明日も解説原稿など、細かい仕事がたくさん残っている。また早く起きないと…。こんな生活、いったいいつまで続くのだろうか…。

 

3月6日(月)

 今日も朝からひたすら解説原稿書き。集中して仕事ができたおかげで、夕方にはなんとか完成させることができた。今回も分量は2万字ほど。これだとブックレットはまた24ページだ。ページ数が多くなるほど印刷代は高くなってしまうのだが、それも仕方がない。

 

3月5日(日)

 日曜日なのに今日も早起き。今日こそ、やっと朝から原稿書きに集中できる。ピシンギーニャのアルバムの解説原稿は明日いっぱいくらいまでに書き上げないといけないのだが、ご存知のように、当社の復刻盤シリーズは詳しい解説が売りのひとつ。通常、原稿用紙40枚か50枚分くらいの原稿を書く。それを二日で終わらせないといけないのだからタイヘンだ。そんなわけで、今日はとても日記なんて書いている気分ではない。

 

3月4日(土)

 昨日に続いて、今日もムチャクチャに忙しい一日だった。土曜日なのに起床はなんと朝5時。6時には会社に行って、まずは帳簿整理を終わらせて、午前10時には税理士さんと打ち合わせ。さらにそれが終わったら、慌てて目黒に。午後2時からインドネシア協会の集まりでクロンチョンについて講演をしないといけないことになっていたのだ。もちろん、こんな忙しい中でまともな準備ができるわけがない。仕方ないから10年前に書いた『インドネシア音楽の本』(北沢図書出版)を久しぶりに拾い読みして予習。でも、集中していると不思議と良いアイディアが浮かんでくるものだ。目黒に着く頃には話すこともだいたいまとまってしまった。

 インドネシア協会の集まりと言っても、会員の皆さんがクロンチョンに詳しいわけではない。どちらかというと年配の方が中心で、戦争中にインドネシアにいらした方もおられるようだ。そんなことも考慮して、今日のテーマは、1942年から45年までの日本統治はクロンチョンにどんな影響を与えたか、ということに決めた。ちょうど戦前のクロンチョンのSP音源をかける予定だというので、都合がいい。戦前のクロンチョンには、ハワイアンのスティール・ギターやブラス・セクションが入ったものなどもあるが、そんな編成のクロンチョンは、ジャズなどのアメリカ文化を排除していた日本がインドネシアを統治の時代には姿を消してしまう。ここではじめてクロンチョンの基本編成が誕生し、クロンチョンは独自性を高めた、という話を、実際に当時の音源をかけながらお話しさせていただいた。考えてみれば、あの本を書かせていただいてから、講演なるものをしたのは、今回がはじめて。これは貴重な体験だ。

 そんな講演の後、帰り道に渋谷のエル・スールに寄って、買い物を少し。ただ、帰宅したらもうヘトヘトで、CDを聞く元気はまったく残っていなかった。明日からも忙しいし、今日買ったCDは、いったいいつになったら聞けるのだろうか。

 

3月3日(金)

 ピシンギーニャのアルバムは選曲がほぼ完成。本来なら今日から解説原稿執筆に取り組みたいところだったが、会社仕事がたまっているのでそうもゆかない。午前中に解説の骨子となる部分を箇条書きして、午後は事務所に。ただ左足はほとんど完治して、やっと会社に歩いてゆけるようになったことだけは良かった。

 金曜日は恒例の雑務仕事。明日が税理士さんとの打ち合わせなので、本当は帳簿整理を終わらせておきたいところだったが、細かい仕事があまりにたまっていて、これも無理。結局、伝票を整理しただけで、残りは明日早く起きてやることになってしまった。雑用仕事ばかりで、大事な仕事はどれも全部中途半端。こんな状態が続くとフラストレーションが溜まる一方だ。

 

3月2日(木)

 朝4時に起きて、編集アルバムの音源チェック。必要な音源をDATに収めて、データをチェックした。まだ編集したCDRをじっくり聞いてみないとわからないが、たぶんこれ以上の変更はないだろう。

 左足の痛みは少し治まってきたので、予定通り会社に行くことに。なにしろ今日はリスト作成日。やらないといけないことがたくさんある。今週のリストのメインは、いまぼくが作っているピシンギーニャの『ブラジル音楽の父』(ライス BSR-5007)。それに仏マラビの新作でナタリー・ナティエンベーもライスから発売することにした。ナタリーはレユニオンの女性歌手だが、この新作はかなりスリリング。マロヤはずいぶん現代的な音楽になってきたと感心させられた。ともに3月26日の発売だ。

 で、本題はピシンギーニャだが、当社ではすでにベネジート・ラセルダとの共演録音をぼくが編集し、『ショーロの聖典』(ライス BSR-417)というタイトルで発売している。ただ、これは最高のショーロ・アルバムだと自負するものの、ピシンギーニャのすべてを語れるアルバムかというと、そうではなかった。ラセルダとの共演はサックスを演奏していたピシンギーニャだが、実はもともと彼こそがショーロ史上最高のフルート奏者であり、ラセルダはそのフォロワーと言ってもいい。さらに20年代後半から自身のオーケストラを率いたピシンギーニャは、サンバの黄金期だった30年代においてブラジル最高のアレンジャーになったのだが、そういった初期のフルート奏者としての録音やオーケストラを率いた時代の録音は、日本ではもちろん、ブラジルでもまとまった形で発売されていない。それじゃいけないということで、ぼくがいま一生懸命作っているわけだ。
 実はぼくがこんなアルバムを作ろうと思った一番のキッカケは、実はエンリッキ・カゼスがフェルナンド・モウラとベト・カゼスとの共同名義で発売した『エレトロ・ピシンギーニャ』(ライス RDR-425)が、ごく一部の方々の間で高い評価をいただいたものの、まったく困ったくらいに売れなかったことにある。日本でも売れなかったし、ブラジルでも売れなかった。でも、ここで彼らが取り上げている作品こそ、いま書いたピシンギーニャのオーケストラ時代の作品だったのだ。この時代のピシンギーニャはブラジル音楽の最前線にいた。そして、ぼくに言わせると、この時代のピシンギーニャはすごくポップで、同時に遊び心に溢れていた(言ってみれば、お茶目だった)。エンリッキたちはそれを現代的かつポップなダンス音楽に作り直してみようと思ったのは、そんな時代のピシンギーニャをいまの再現しようと考えたからだ。でも、悲しいかな、そんなピシンギーニャから受け継いだ彼らの遊び心は、日本ではもちろん、ブラジルでもまったく通じなかった。ピシンギーニャがポップだった時代の録音なんて発売されたことがないし、そんな時代があったことすら誰も知らないのだから、仕方ないのだろう。あのアルバムを誉めてくださった評論家の皆さんだって、<楽聖>ピシンギーニャをエレトロ化してしまった勇気を誉めたのであって、エンリッキたちがピシンギーニャの茶目っ気を受け継いであんなことをやったなんて、誰も思わなかったはず。結局、あの作品は多くの人たちにとって、単なる異色作で終わってしまったということだ。
 でも、ぼくはあのアルバムで表現されたピシンギーニャ、そう、知られざるお茶目なピシンギーニャこそ、<ブラジル音楽の父>の本質だと思っている。ぼくが今回の編集アルバムを作ってみようと思ったのは、そのせいだ。そこで今回は、そんな30年前後のオーケストラ作品を数多く収録することにした。もちろん、ショーロ最高のフルート奏者だった初期の名演も入っているし、おまけに最後のほうではラセルダとの共演の秘蔵ライヴ!(47年録音)なんかも収録したが、メインはあくまでオーケストラ作品。30年代に欧米で流行ったルンバとも通じる、野卑でポップなダンス音楽だ。ピシンギーニャといえば名曲「カリニョーゾ」の作者、なんて思っている人が聞いたら、きっとびっくりするような内容だろう。
 いまも書いたように発売は26日。ファンの皆さんは楽しみにしていてください。

 

3月1日(水)

 朝から自宅作業。それが終わってお昼頃、会社に向かおうと思って家を出たのだが、そこで左足首に激痛。まともに歩けなくなってしまった。ブラジル旅行中の最終日にも同じような症状になったのだが、そのときにはすぐに痛みが治まったのに、今日はいくらマッサージしてもまったくダメだ。これじゃどうしようもないので、近くの病院に行くことに。まだどこが悪いのかまだわからないが、たぶんレシーフェで海岸を歩きすぎたせいなのだろう。旅行の疲れは時差ぼけが解消した頃から出はじめるのが最近のパターンだが、これも疲れが原因なのかもしれない。

 そんなわけで、結局会社には行かず、午後からは自宅で療養。できるだけ歩かないで、足を休めることにした。と言っても、仕事を休むわけにはゆかない。会社でやろうと思った仕事は明日に回して、明日やろうと思っていた自社制作盤の選曲を先に進める。ついでに解説原稿も少し執筆。読み終わっていなかった文献。足が痛いせいで外出しようという誘惑にかられることもなく、仕事に集中できたのは、かえって良かったのかもしれない。

 そんな感じで仕事が終わった夜は、旅行で買ってきたブラジル北東部音楽のCDを数枚チェック。昼間の選曲作業では横揺れの音楽ばかりを聞いていたが、夜に聞いた北東部音楽はみんな縦揺れのものばかり。おかげで飽きずに聞くことができた。これは前々から思っていたのだが、キューバ音楽やサンバなど、男女がペアになって踊るダンス音楽は、腰の動きがポイントになるので、どうしても横揺れになる。でも反対に、北東部のフレーヴォなど、カーニヴァルのダンス音楽はひとりで踊るせいで、ビートは縦揺れだ。こんな北東部音楽は、ぼくら外国人にはよりわかりやすいのかもしれない。特にいまのクラブ音楽なんかはみんな縦揺れだから、若い音楽ファンにはサンバよりフレーヴォやマラカトゥーなどのほうが踊りやすいだろう。シンク・オヴ・ワンや久保田麻琴さんが北東部音楽に注目するのも、そんなところに理由があるのかもしれない。
 ぼく自身は当社で発売した『ペルナンブーコ新世代』(ライス TRR-211)のようなロック的な音楽は、実はあまり興味はなく、今回買ってきた伝統的な音楽(それでいて新しい感覚を持つ)のほうがより楽むことができる。そういう意味で、久保田さんが編集された『ノルデスチ・アトミコ』は伝統的な音楽が多かったが、あまりに多様な北東部音楽を一枚のアルバムにぶち込むのは難しいのではないかという印象を持った。やっぱりオリジナル・アルバムをそのままリリースできるようなものがあったら、それに越したことはない。そんなアルバムを発見できるかどうか、これから残りのアルバムをじっくり聞いてゆきたいと思う。

 

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