1月31日(火)

 朝早く起きて、解説原稿を1本脱稿。午後は銀行で支払い。さらに経理の締めの作業という感じで、今日もいつも同様、忙しい一日になった。月末の最終営業日はいつも経理仕事に追われてしまう。ずっと数字ばっかりながめる、ぼくが一番疲れるのが一日だ。

 今日で宮川くんが退社した。2002年1月の入社だから、4年間働いてくれたことになる。最近はブラジル音楽やトラーマ、ミスター・ボンゴ関係のアルバムを担当してもらっていたので、いなくなると困ってしまうが、これからは他の分野で頑張ってゆくそうなので、引き止めるわけにはゆかない。
 宮川くん、お疲れさまでした。

 

1月30日(月)

 休みなく仕事をしているので、そろそろ身体がダルくなってきた。そこで今日は選曲作業を中断。午前中は身体を休ませることにした。ただ、完全休養というわけにはゆかない。明日には仕上げないといけない解説原稿の準備もあるし、もっと大事な明日の支払いの準備もしないといけない。そんなわけで午後から出社して、夕方まで仕事。帰宅した後も、メールのやりとりなどを深夜までやった。というわけで、今日もヘトヘトに疲れた一日。

 

1月29日(日)

 昨日に続いて、朝から選曲作業。だいぶ厳選されてきたが、まだ全体的に何か一味足りないという感じだ。もう少し、音源を調べなおさないといけないのかもしれない。まだしっかり調べていないのがLP音源だが、こういう復刻ものでは50年以上経過していない音源は使えないので、LPで良い音源を見つけても使えない場合がほとんど。だからいつも後回しになってしまうわけだが、今回ばかりは仕方がない。資料とLPとをもう一度じっくり見直すことにしよう。
 ぼくが編集ものアルバムの選曲で悩むことは、いつもだいたい決まっている。内容を取るか、珍しさを取るか…。そのバランスにアタマを悩ませてしまう。復刻盤というと、未発表音源の数は大きなセールス・ポイントになる。でもワールド・ミュージックというあまり知られていない分野のアルバムの場合、ごく一部のマニアばかりではなく、初心者にもわかりやすい内容を目指さないといけない。これが最大のジレンマだ。だから当社のアルバムでは、すでにCD化されていると知りながら入れている曲も多い。ただ、せっかく持っている未発表音源を使わず、CD化されている曲を入れようと、簡単に決まるわけではない。そのことをぼく自身が納得するまでには、それなりに時間がかかってしまう。こんな話、こういうアルバムを選曲したことのある人じゃないとわからないと思うけど。
 そんなこんなで、一日中、音楽を聞きまくった日曜日。おかげで夜は疲れすぎて、アタマがボーッとしてしまった。

 

1月28日(土)

 土曜日なのに朝早く起きて、朝から洗濯と掃除と食料の買出し。そして午後からは、本格的な選曲作業のスタートだ。居間に溢れたレコードを、片っ端から聞いて、盤の状態や内容をチェック。生活空間にモノが溢れているのは困りものだが、今日だけでとりあえず写真のほうはほとんど整理がついたので、不必要だと判断した本は書庫に戻せたし、レコード類もやはり使わないものを半分くらい片付けることができた。さあ、ここからが厳選作業。明日も頑張らないと。

 そんな感じで仕事が思った以上に進んだので、夜はお鍋を作って、ビールを少し。さらに昨日の残りのワインも飲んでしまった。今年の冬は寒そうだから鍋を食べることが多そうだと思って12月に新しい土鍋を買ったのだが、これが最近大活躍。週に2回くらいは使っている。こんな調子で、今年はお鍋がマイ・ブーム。

 

1月27日(金)

 毎週金曜日は雑務整理。旅行から帰ってきたばかりの先週は雑務仕事がたまっていてタイヘンだったが、今週はずいぶん落ち着いてきた。経理仕事は、来週に支払いがあるのでその準備をしたくらいで、その後はぼくが作ったサンバ・アルバムを全部出したいというブラジルの会社にジャケット用の写真を送って、今週の雑務は終了。

 そんなわけで、事務所に行ったのは午後遅くなってから。午前中に取り組んだのは、復刻ものの新作アルバムのために使うと思われるSPやLPの整理だ。さすがに最近は、各国でCD化が進んで、全曲未CD化のアルバムなんてとても作れなくなってきたが、それでも音源に使うのはSPである場合が多いし、まずはそれらの状態をチェックするためにも、引っ張り出しておかないといけない。それと古い写真もこの際だから整理して、すぐに出せるようにしておかないと思って、やっぱり書庫から引っ張り出したものだから、たちまち自宅の居間がモノだらけになってしまった。復刻ものの編集盤を作るときは、いつもこうだ。でも、こういう感じで部屋がモノに溢れた状態になってはじめて、ぼくは仕事のペースがあがる。きっと早く片付けてこの状態を脱したいと思うからだろう。逆にこうならないと、仕事をやろうという気が起きないのだから、困った性格だ。

 夜は自宅でワインを少し。最近は寒いせいか、まったく外に飲みに行かなくなってしまった。

 

1月26日(木)

 リスト作成日。今週のメインは、デビュー作から当社がずっとインドネシア盤で配給してきたスンダ地方の若手グループ、サンバスンダの世界デビュー・アルバム『ラワナズ・クライ(仮題)』(ライス NWR-5002)になった。このアルバムは、これまた当社とは長い付き合いになる元3ムスタファズ3のサバ・ハバス・ムスタファこと、コリン・バスのプロデュース。さすがにプロらしい作りで、内容的にもサンバスンダのこれまでの活動の集大成と言ってもいいだろう。発売は2月19日。アジアの音楽のファンの皆さんは、楽しみにしていていただきたい。

 ちなみに、このアルバムはドイツのネットワーク・レコードからの発売。ネットワーク・レコードは、日本ではこれまで別の会社が配給していたのだが、コリン・バスから当社のことを聞いたのか、先のウォーメックスで向こうから声を掛けられて、配給をお願いされてしまった。ぼくは基本的に、他の会社がコンスタントに配給しているレーベルの人とは、ウォーメックスのような場所でも、会わない。ましてや、配給をお願いされても、まずお断りする。混乱を招きたくないからだ。そこで最初は、きっぱりお断りしようと思ったのだが、サンバスンダを皮切りにこれからもっと東南アジアの音楽に力を入れたいとまで言われてしまったら、引き下がるわけにはゆかなくなってしまった。そういう話なら、ぼくも音源探しの部分でご協力できる。いや、日本でレーベルをやっている中で、そういう協力ができるのは、ぼくくらいしかいないのかもしれない。
 実は、ネットワーク・レコードとは、以前から少しだけ縁がある。というのも、中村とうようさんの選曲/監修で当社が配給させていただいている『アメリカン・ミュージックの原点』(ライス ASR-4301)は、実はネットワーク・レコードの2枚組アルバム・シリーズと同じプレス工場で作られている。当社が、ネットワーク・レコードの装丁をお手本にしてくれとお願いしたからだ。『アメリカン・ミュージックの原点』はドイツでも売られているので、きっと彼らもそれを見て、当社のことが気になったのかもしれない。あの装丁は、他ではほとんど使われていないのだから。
 いずれにしても、引き受けたからには一生懸命プロモートさせていただくつもりだ。今後ネットワーク・レコードのアルバムは、旧作も含めて、少しずつご紹介させていただくことになる。多彩な音楽を紹介しているレーベルなので、どうぞご期待ください。

 

1月25日(水)

 朝早い時間にオルランジーヴォの校正を完了。荷物も午前中に無事入ってきたし、これで週末の発売は問題なさそうだ。日曜日にはどのお店にも並ぶ予定です。ぜひチェックしてみてください。とっても楽しいですよ。

 夜は自宅でじっくり独自編集盤の準備。今年は独自制作盤をたくさん作るとお正月に宣言してしまったので、さっそく編集盤シリーズの第1弾に取り組むことになった。ただし内容は、いまのところ秘密。まあ、バラしても誰かがマネをするとは思ってないけど、もしも途中で気が変わって内容が違っちゃったら恥ずかしいから、まだ言わないほうがいいだろう。でも、昨年末からずっと練り上げている企画なので、きっと面白いものになるはずだ。インドネシアで作ったジャイポンガンのアルバムと同時進行で制作して、ほぼ同時期の発売になるはず。3月上旬あたりの発売ということになるのかな。内容が確定したら、もっと詳しく紹介したいと思っていますので、お楽しみに。

 

1月24日(火)

 昨日の疲労感はまだ残っているけど、そんなことは言っていられない。日曜日にほとんど書き上げていたオルランジーヴォの解説原稿を脱稿。午後は事務所に行って、雑務的な仕事を先に進めた。実はまだ決算書類が全部できていない。これから月末までにはなんとか揃えないといけないので、頑張らないと…。

 先にTSシリーズで配給して好評だったテレサ・テンのライフ時代のオリジナル・アルバム・シリーズの残りのCD(サンプル盤)が香港から届いた。なんと今回は24枚。前回の11枚と合わせて、計35枚のシリーズがこれで完結したことになるのだろう。さっそく内容をチェックして、今週のリストに載せることにするつもりだ。お店の担当者の皆さんにお聞きしたところ、前回の11枚は全部買われたお客さんもいたそうで、だとすると今回の24枚もご期待されているかもしれない。できるだけ早く発売するようにしないと。

 書くのを忘れていたが、いま当社では新春セールをやっています。前回のサマー・セールよりもかなり安い値段がついたものもあって、間違いなくお買い得。すでにたくさんのご注文をいただいているが、まだの人は一度チェックしてみてください。探していたあのアルバムが見つかるかも。

 

1月23日(月)

 いろいろ事情があって、少しばかり運転資金を借り入れようと思って銀行に相談に行ったのだが、あまりにややこしいことを言われて、イヤな気分になった。銀行が中小企業にもお金を貸すことになったと言うのは、事実かもしれない。以前はなかった無担保での貸し出しというのが、各銀行のサイトで紹介されている。でも、それはあくまで一部の優良企業に対してであって、当社はどうもそれに当てはまらないということがわかった。しかも、すごく困ったのが、どこがどうダメなのかをちゃんと教えてくれないところ。延々と3時間も話をして、結局ナンの足しにもならなかったのだから、イヤになる。というわけで、今日は疲労の極致。これ以上、何も綴りたくない…。

 

1月22日(日)

 朝早く起きたら、雪は上がって、すっかり天気になっているので、ひと安心。今日は洗濯をしないといけなかったので、晴れてもらわないと困るところだった。

 朝のうちに食材などを買い込んで、その後はひたすら解説原稿の執筆。来週発売されるオルランジーヴォの解説を今日のうちに書き上げてしまおうと思ったからだ。オルランジーヴォのアルバムは、旅行中もホテルで聞いていたが、今日も何度か聞き返して、軽やかな歌声がますます好きになってしまった。
 以前もこの欄で書いた記憶があるけど、彼はシロ・モンテイロらのサンバ・ジ・ボッサ系の伝統を受け継ぎ、60〜70年代のブラジルで流行ったアメリカの黒人ダンス音楽の要素を取り入れて独自のスタイルを作った人だが、今回のアルバムを聞いて、そんな彼の音楽のルーツがシロの40年代の大ヒット曲「ファヴェーラのブギウギ」だったことがわかったのが収穫だった。オルランジーヴォはこの曲を今回のアルバムでも取り上げ、とても軽妙は歌声を楽しませてくれるが、実はサンバにブギウギをミックスしたこの曲は、シロの作品の中でももっともヒョーキンかつ斬新な異色作。でも、こんなシロの試みは、歴史の中で孤立していたわけではなく、ちゃんとフォロワーを生んでいたことを知れたのが、ぼくは嬉しい。
 そんなオルランジーヴォのアルバムは29日発売。店頭で見かけたら、ぜひチェックしてみてください。

 インドネシア滞在中は毎日インドネシア料理を食べていたせいで、日本に帰ってからは、お刺身やお鍋など、日本の料理ばかりを食べている。そして今日はおでん。大きな土鍋にたくさん作って、日本酒と一緒に楽しんだ。こんなにたくさん作っちゃうと、これから3日くらいおでんばかりになってしまうが、たくさん作らないと美味しくできない料理だから、仕方がない。とりあえず、今日は大満足。明日からが思いやられるが…。

 

1月21日(土)

 朝起きたら、外は銀世界。久しぶりの雪に、子供みたいに興奮してしまった。

 ただ、困ったのが、今日はインドネシアで作った音源を昌くんとマスタリングする予定でいたこと。でもこの雪じゃ、外に出るのもツラい。いちおう事務所のスタジオに行って1曲だけ終わらせたのだが、道に雪が積もってきたので、慌てて帰宅。残りは月曜日ということになってしまった。でも1曲やってみた感じでは、マスタリングしやすいミックスになっていたようで、これなら手間はかからない。残りは昌くんにまかせても大丈夫だろう。

 帰宅後は、たまっているサンプル盤のチェック。新しい取引先が出来たので、サンプル盤の量は以前以上に増えているが、さすがに面白いものも多く、嬉しくなる。と同時に、制作意欲に溢れた作品を聞くと、自分も頑張らないと、という気分になる。いま作っている自社制作盤も含めて、3月あたりからは現在以上に意欲的な作品を発売することができそうだ。

 

1月20日(金)

 今日は一日中、自宅作業。旅行中に後回しになっていた残務仕事を全部終らせるつもりで頑張った。朝8時から夕方7時まで、ずっとパソコンに向かっての仕事だったので、すごく疲れたが、それでも一通り終えることができたので、ひと安心。それに自宅作業だと音楽をかけられるので、今日だけでインドネシアで買ってきたカセットを一通り聞けてしまったのも良かった。思ったより面白いものがたくさんあったこともわかったし…。

 そこで思いついたのが、こうしたカセットも欲しい人がいるのではないかということ。当社では、大手のお店がカセットを取り扱わないのでカセット輸入をストップしていたが、エル・スールの原田さんあたりにお願いすれば、大々的に扱ってくれるかもしれない(実はすでに少しだけ売ってもらっているのだが)。今度、相談してみよう。

 

1月19日(木)

 久しぶりに会社の事務所に。自分の机を見たら、こちらにも経理書類がたくさんたまっていて、ウンザリ。今日はそれらを整理しながら、帳簿をつけて、一部の支払いを済ませるだけの一日。いつもながら、ぼくはこういう経理仕事をしているときが一番疲れる。

 今日はリスト作成の日だったが、そんなわけでぼくは手が回らず、リストは全面的に社員まかせ。でも、ぼくが外国にいるときには彼らだけでリストを作ることが多いので、ぼくが文章を書かなくてもことさら問題はない。さらに今週のメインは、以前この欄で熱烈に紹介したレバノン出身の名女性歌手サバハの50年代録音と思われるアルバム。すでにどんな内容かわかっているので、問題なくリストが作られたようだ。発売は2月26日の予定。解説原稿は、ぼくが自分で書きます。

 ところでサバハと言えば、まず触れておかないといけないのが、名前の読み方。アルファベット表記ではSABAHなのだが、最後のHは、ノドの奥で鳴らすような特別の音で、だから<サバハ>という表記は、正しいとは言えない。でも、じゃあ、どう書けばよいか、どうしても思いつかず、こういうことになってしまった。ちなみにこの歌手が日本で紹介されたのは、中村とうようさんが選曲された『こぶし地帯を行く』(オーディブック)に収録された曲が唯一だと思うが、そこでは<サバーハ>と表記されている。こちらのほうが良いのだろうか…。

 そんな表記を別にすれば、初期のサバハさんの歌声は本当にすばらしく、中でもこのアルバムは、少なくともCDで出ている中では最高にソウルフルだ。いわゆるこぶし系の音楽を好きな人には楽しんでもらえると思う。発売されたら、ぜひチェックしてみてください。 

 

1月18日(水)

 午前9時頃に成田到着。最近、夜行便では眠れないことが多いのだが、今回はそこそこ眠ることができた。税関などを済ませたあとは、いつも通りカバンを宅急便で送って、手ぶらの帰宅。久しぶりにお湯にゆっくり浸かって、日本風のあっさりした食事を取ってから、少し休むことに。

 帰国した日の仕事はいつもだいたい決まっている。まずメールのチェック。そして返事書き。送られてきた荷物のチェックと、そのお礼のメール。そして、たまっている経理書類の整理…。それらが終わると、いつも夜になってしまう。ただ今日は、仕事の後、知り合いの女性!!と近くの居酒屋で軽く飲み会があったので、少しはリラックスできた。ただ、久しぶりのアルコールはやはり効きがよくて、10時過ぎにはもう睡魔が襲ってくる。同席した女性には、あまりにお酒に弱くなっているので、笑われてしまったが…。

 

1月17日(火)

 いよいよインドネシア出張の最終日。やっと日本に帰れる。ただ、飛行機はいつも通りのナイト・フライト。昼間はたっぷり時間があるので、昼間はカセット・ショップを少し回ってみることにした。インドネシアのCDは定期的に輸入している当社だが、カセットはどのお店も置いてくれないので、ほとんど輸入していない。でも、実際はカセットでしか入手できないアルバムも多く、特にダンドゥットや地方音楽ものはカセットのみのリリースがほとんどだ。なので、今日はひさしぶりにそんなカセット漁りをしてみることにした。
 ただ、お店に行ってみてビックリ。なぜかって、驚くほど新作が出ていないからだ。特にヒドいのがダンドゥットのコーナーで、かつての有名歌手たちの過去の録音の編集盤ばかりなのには愕然としてしまった。そんな中でわずかに入手した新進歌手たちのカセットは、ちょっと聞かせてもらったところ、マレイシアのシティ・ヌールハリザに似たのが多い感じ。シティのアルバムはインドネシアでも売れているようで、たくさん並んでいたが、その人気は絶大のようで、ダンドゥットにまで影響を与えているようだ。かつてはダンドゥットがマレイシア音楽に影響を与えて、ザレハ・ハミッドらがダンドゥットを多く取り上げていたが、現在では逆転しているのかもしれない。
 また地方ものでは、スンダ音楽の作品はバンドゥンでも少し買ったが、以前に比べたら新作は多くなっている。デティ・クルニアは、ぼくがインドネシアに行くたびに新作を出してくれていて、今回も新しいものを入手できた。少しだけ聞いたが、歌はますます深まって、良い感じ。彼女が成長していることを知れたのは嬉しかった。またさらに嬉しいのは、15年ほど休止状態だったジャイポンガンの新作が再び作られはじめたこと。ぼくは2本見つけたが、ちょっと聞いた感じでは、ぼくがミックスしたアルバムと同様、若い世代による伴奏のようで、サウンドが以前よりずいぶん新しくなっている。こちらのほうも、今後期待して良さそうだ。
 ジャワものでは、一昨年に脳卒中で倒れてしまって療養中のマントースの最後の仕事と思われるカセットを入手。かつて一緒に働いた友人のひとりとして、これは大事に聞いてあげないといけない。
 また復刻ものでは、50年代に活躍したパダン音楽のオルケス・グマランと、60年代のオルケス・ムラーユ時代に一世を風靡した男性歌手マシャビのアルバムを購入。ともにインドネシアにおける最初のレコード会社であるイラマ社の音源のはずで、誰かがマスターを見つけてくれたのかもしれない。イラマの復刻が進めば、面白いものがたくさんあるはずなので、今後も楽しみだ。

 そんな感じでショッピングを楽しんだ後は、夕方からグマ・ナダ・プルティウィでヘンダルミン社長と2度目の打ち合わせ。前回の打ち合わせで大方の話はまとまったので、今日は彼のスタッフ(娘さんと息子さん)をまじえて、細かい権利関係の確認だけ。なので、話し合いはすぐに終わってしまった。そこでその後は、ヘンダルミンさんと二人だけで夕食。結局ヘンダルミンさんは空港まで送ってくれて、今日は久しぶりにいろいろとお話することができた。

 

1月16日(月)

 ジャカルタは朝から強い雨。おかげでいつも以上に交通渋滞になっているようだ。こんなときは外に出ようという気にならない。疲れていることもあって、今日は一日、ホテルでゆっくり休ませてもらうことにした。

 これまでのぼくは、仕事で外国に出かけるときに、休日をまったく計算に入れたことがなかった。帰国直前までスタジオで作業して、そのまま飛行機に乗るなんてことも日常茶飯事。でも、そんな旅行も若いうちはともかく、いまは後に疲労を残すだけで、かえって回復に時間がかかることが多くなった。そこで今回は、仕事が終わってもすぐに帰国せず、今日一日ゆっくりしてから帰ろうと考えたわけだ。1日余分に時間を取っておけば、スケジュールが多少変わっても対応できるし、そんな余裕があれば、仕事を慌てないで済む。そして、今回のようにたまたま予定通り進んだときには、ホテルでゆっくりすることもできる。

 ホテルも、これまでは安いところばかり泊まっていたが、今回は珍しくヒルトンに泊まることにした。少しくらい贅沢しても、身体のことを思えばもったいないと思わなくなった。インターネットでよく探せば有名なホテルも格安ホテルで泊まる方法が見つかるし、だからこれまでと比べて大した差額が出ない。これくらいの金額でゆっくり身体を休められると思えば、安いもんだ。

 

1月15日(日)

 久しぶりにゆっくり睡眠。起きたらもう10時を回っていた。こんなに遅くまで寝たのは久しぶりだ。遅い朝食を取って、午後からの打ち合わせのための準備を少し。でも、今日は仕事の話じゃないから、気が楽だ。今日会う予定になっているのは、ダンドゥット作曲家のファザール・ダットだが、そのまま彼と一緒に、ベテランのダンドゥット歌手/作曲家ムニフ・バハスアンさんを訪れることにした。

 ファザール・ダットとは先にシンガポールで会っているが、ムニフさんにお会いするのは、ほとんど10年ぶり。『インドネシア音楽の本』(北沢図書出版)の執筆や、オーマガトキから出た『ロード・トゥ・ダンドゥット』の制作ではすっかりお世話になったが、ぼくが会社を設立してからは多忙でなかなかインドネシアを訪ずれることができず、会えないでいた。今回久しぶりにお会いしようと思ったのは、そのムニフさんが昨年脳溢血で倒れ、いまリハビリ中だと、ファザール・ダットから聞いたからだ。
 ただ、すごく心配してお会いしたムニフさんだが、これがまったく元気。手に一部障害が残っているそうだが、お話している姿はまったくお変わりない。今年で70歳を迎えるそうだが、知らない人はとてもそんな年だとは思えないだろう。相変わらず音楽との関わりは深いようで、いまカメリア・マリックの新作の製作を手伝っているのだとか。テレビなどでダンドゥット番組の審査員を務めることもあるらしい。

 そんなムニフさんの家での打ち合わせで話題になったのが、3月にジャカルタで開かれるダンドゥット協会のコンファレンスのことだ。実はこのコンファレンスで、ぼくはスピーチというかセミナーのようなものをやって欲しいと、ロマ・イラマから依頼されているのだが、いまいちぼくがわからないのが、ダンドゥット関係者ばかりが集まるというそんなコンファレンスで、ぼくがどんな話をしたら楽しんでもらえるのかということだ。ぼくは10年ほど前、インドネシアにおいて、ダンドゥットが誕生するまでの歴史を集約した『ロード・トゥ・ダンドゥット』というアルバムを作ったことがある。ロマがそのことを覚えていて、ぼくにスピーチを依頼してきたことまではわかっているのだが、でもダンドゥット関係者たちは、本当にダンドゥットの歴史なんてものに興味を持っているのだろうか。いっそ、ぼくだけでなく、あのアルバムの製作にも協力してくれたムニフさんと2人で話したほうが、面白いのではないだろうか。いずれにしても、3月のコンファレンスの前には、またムニフさんに相談することになりそうだ。

 

1月14日(土)

 昨日はミックスの後、中華料理屋さんで軽く打ち上げをしたので、ベッドにもぐりこんだのは午前2時。なのに、今日は午前6時起きだ。急いでシャワーを浴びて、ジャカルタに戻る準備。チェピーくんとエガくんと朝食を取りながら打ち合わせを済ませながら、汽車の駅に向かうことにした。今日は9時過ぎの汽車に乗って、お昼過ぎにジャカルタに着く予定だ。その後はすぐにグマ・ナダ・プルティウィに向かってヘンダルミン社長と打ち合わせをしないといけない。

 ヘンダルミン社長との打ち合わせは、他でもない、昨日ミックスしたばかりのアルバムの売込みが一番の目的だ。このアルバムは、日本やヨーロッパでも出すつもりだが、同時にインドネシアでもちゃんとプロモートしたいと思っている。そうしないと、演奏した若者たちは地元で活動できなくなってしまうから。それに、今年はジャイポンガン創生から30周年になる記念すべき年。8月くらいには創生者のググム・グンビーラを中心としたイヴェントも計画されているし、ジャイポンガンが地元スンダ地方で久しぶりに大きく盛り上がる可能性がある。そんなときを逃す手はない。
 そんな事情を理解し、ちゃんとプロモーションをしてくれる会社といったら、グマ・ナダ・プルティウィくらいしか存在しない。ここはひとつ、ヘンダルミンさんの伝統音楽に対する熱意に掛けてみようと思って、今日のミーティングをお願いしたわけだ。
 ヘンダルミンさんは忙しそうだったが、たった10分ほど話と音を一緒に聞いただけで、願っていた通り、ぼくの要請を快諾してくれた。まだ細かい条件については話し合わないといけないけど、これでいちおう一安心だ。詳細は後日話し合うことにして、ぼくはとりあえずホテルに向かって、休ませてもらうことにした。今晩はゆっくり眠れそうだ。

 

1月13日(金)

 今日こそ朝からミックス、の予定だったが、欠陥だらけのジュガラ・スタジオ。そんなに簡単にことを運ばせてくれない。DATレコーダーをつなげたら、音がちゃんと出なかったら、それを直そうとしているうちにテレコやミキシング・ボードの機嫌も悪くなったようで、さらに修理をしたり、ケーブルを変えたり…。結局ミックスをはじめられたのは、やっと午後3時を過ぎてから。予定の曲目が終わったのは、午前1時過ぎだった。時間が少なかったこともあって、ますます細かいところまでは手が加えられなかったが、それでもアナログ・ミックスならではのザックリした音には仕上がった。いちおう目的は達成できたと思う。

 ミックスも終わろうという時間になって携帯電話にブラジルから電話。あるインディ・レーベルからで、ぼくがブラジルで作ってきたアルバム(他のレーベルのために作ったものを除く)を全部再発したいという話だった。インドネシアまでわざわざ電話をしてくるくらいだから、本気なのだろう。これまでも特定の一枚を出したいという話はあったが、全部まとめてというのは珍しい。さっそく条件を聞くことにしよう。全部というと、11タイトルになるが、本当にそんなにまとめて発売して大丈夫なのだろうか。

 

1月12日(木)

 朝9時からスタジオ作業。当初はミックスだけのつもりだったが、マルチ・テープで聞かせてもらったら、どうしても追加しないといけない部分があることに気がついたので、急遽メンバーに集まってもらって、レコーディングをすることにした。
 問題はジュガラ・スタジオのテープレコーダーにある。このスタジオは、いまどき珍しい16トラック。ぼくが1986年にはじめてサンバのアルバムを作ったときと同じスタイルのスタジオだ。しかも、そのうち4トラック分が壊れていて、12トラックしか使えないというから、困ってしまう。問題は、トラックが足りないせいで、彼らの音楽でも重要な位置を占めるコーラス(というかお囃子)が1トラックしか録音されていないことだった。それじゃステレオに振れないし、それ以前に迫力がなさ過ぎる。そこで、なんとしてももう1トラック分、そのお囃子を録音することにしたわけだ。
 当然、あまっているトラックはもうないから、まずはいままで録音していたトラックの一部をまとめて、新しいトラックを作らないといけない。プロトゥールズかキューベースを持ってくれば、トラックは無限に使えるので、そんな必要はないのだが、でもそんなものを用意してしまうとより完璧なものを求めて余計なことをしはじめるに違いない。そこで今回はあえて古典的なピンポン作業をすることにした。
 思い出してみれば、あのビートルズがアビーロード・スタジオで録音していたときには、4トラックのテレコを2台つないで録音していた(だから合計でたった8トラック)。当然、すさまじいまでのピンポン作業をしている。それから比べたら、最初から12トラックもあるのは贅沢なくらいだろう。
 そんなわけで、今日はミックスはなし。録音だけで、夜までかけることにした。でも、ぼくとベン・マンデルソンがバンドゥン・ボーイズと呼んだ若者たちは、今日も元気いっぱいだ。文句を言う人は一人もいない。最後までエネルギッシュに録音をこなしてくれた。ここまでやってくれたら、明日のミックスはきっとスムーズなものになるだろう。

 

1月11日(水)

 朝7時に起床。9時過ぎから、昨日やるはずだったミーティング。ホテルにお願いして、チェックアウト時間を午後2時にしてもらい、残りの時間で明日のミックスの準備をすることにした。そして午後遅い時間にガンビル駅から汽車でバンドゥンへ。夕方からは、さっそくバンドゥンのジュガラ・スタジオでチェピーくんと食事をしながらミーティングをした。

 今回バンドゥンにやってきたのは、先にインドネシアを訪れたときにチェピーくんが聞かせてくれた新しいプロジェクトのCDRが面白くて、一緒に仕上げることにしたからだ。バンドのメンバーは、ベン・マンデルソンとぼくが先にプロデュースした『ジャイポン・マジック』(ライス OSR-207)で集めた若者たち。あの仕事以来、彼らはすっかり新しいジャイポンガンのスタイルに目覚めたらしく、頼んでもいないのに新しいアルバムを作ってしまったのだ。しかもそのアルバムを出した後は本格的にコンサート活動もしたいと言う。そこまで言われたら、グループの生みの親であるぼくも黙って見ていられない。微力ながら協力しようということになったわけだ。
 新しいジャイポンガンと言っても、彼らは西洋楽器を入れた編成でやっているわけではない。伝統楽器ばかりを使って新しい音楽を作ろうという試みは、ググム・グンビーラたちが30年前にジャイポンガン創生したときと同じだ。ただ、ググム・グンビーラはロックンロールに出会った衝撃からジャイポンガンを生み出したそうだが、いまの若い人たちは聞いている音楽も違うから、当然違ったフィーリングを持っている。ジャイポンガンは、ブームが過ぎてしまった後はかなり長い間新録がなかったが、そんな時代にも知らない間にこうして新しい人材は育っており、そしてそんな彼らの意欲に火をつけたのが、『ジャイポン・マジック』の録音だったということのようだ。
 そんな彼らだけで作った音のほうは、まだまだ荒っぽくて、完成度という点では低いかもしれない。でも、ぼくは新しい音楽を作り出すことにこれほど意欲的な人たちに、本当に久しぶりに出会った。それが嬉しくて、ぼくはわざわざバンドゥンまでやってきてしまった。
 そんなわけで、ぼくは今回のアルバムを、もっと洗練させようと思っているわけではない。むしろ逆に、若い音楽家たちならではの意欲を、そのまま聞かせるようなアルバムにしたいと思っている。だからプロトゥールズではなく、久しぶりにアナログのままミックスしてみようと思ったわけだ。
 そんなわけで、明日は久しぶりのアナログ・スタジオにおけるミックス作業。ぼくとしてもとても楽しみだ。ちゃんと仕事できるように、夜は早めにホテルで休ませてもらうことにした。

 

1月10日(火)

 昨日はCD棚の整理で疲れ切ってしまったので、メールの返信や旅行の荷造りができなかった。そこで今日は朝4時に起床。大急ぎで荷造りをして、6時半に出発。成田に向かった。今回もガルーダ航空。ただし、以前喧嘩した職員は出てこなかったので、スムーズにチェックイン。電車で読みはじめた本を読みながら、ゆったり気分で飛行機に乗れた。
 ただし、スムーズだったのはそこまで。整備に時間が余計にかかったとかで成田からの出発が1時間以上遅れて、しかも経由地のデンパサールに着いたときは、ジャカルタに向かう乗り継ぎ便が出発してしまっていた(乗り継ぎ便も同じガルーダだったのに)。しかも次の便は乗客が少ないからという理由でキャンセルされ、その次の便に席を用意したという。それじゃ、デンパサール空港で4時間以上も待つことになってしまう。夕食のチケットを用意したからと言われたが、そんなことで許されるはずはない。当然ぼくは当然ガルーダ航空に猛然と抗議。他の会社の便のチケットを買わせたが、そうしてもらえたのはぼくだけだったようだ。ガルーダ航空の職員の対応を見ると、こういうときでも日本人は文句を言わないとタカをくくっている感じ。日本人はナメられている。欧米人相手だったら、対応が違っていただろう。
 そんなわけで、ジャカルタには2時間遅れくらいで到着できたが、抗議ですっかりエネルギーを使い果たして、疲労は極限状態。夜に予定していたミーティングは明日回しにしてもらうことにして、ホテルに着いたら休むことにした。でも、明日の準備があるから、すぐに寝るわけにはゆかない。結局、ベッドにもぐりこんだのは、夜中の2時。日本とは時差が2時間あるから、日本時間で午前4時だ。長い一日だった。

 

1月9日(月)

 昨日に続いて、今日も資料室の整理。CD棚をイジクリ回して、不必要なCDをダンボールに詰め込んだ。今日発見した不必要CDは、やはり200枚ほど。昨日と同様、多くは昔もらったサンプル盤だ。一番多かったのが、ランバーダ時代の模造品で、これも時代の産物だから、誰かが取っておけば後世の研究家のためになるかと思ったりもしたが、大邸宅に住んでいるのならともかく、こんな借家マンション住まいじゃそれも無理。諦めることにした。さらにアフリカものも、あまりに安易な作りのアルバムはどんどん処分。

 せっかく集めたアルバムを捨ててしまうのは心苦しいが、でもそんな作業も、今日はけっこう楽しみながらできた。というのも、資料室に小型のCDプレイヤーを持ち込んで、手当たり次第に聞くことにしたからだ。ずいぶん長い間聞いていなかったCDもたくさんあるので、それらを次々とプレイヤーに乗せた。そんな中で、すっかりハマッてしまったのが、パキスタン(北インド?)のムンニ・ベーガムという女性歌手だ。作業が終わった後も、居間のプレイヤーでもじっくり聞いて、さらに深夜まで楽しんでしまった。女性らしいしっとりした歌声はまさに絶品。日本では紹介されたことはないと思うが、いったいどんな人なのだろう。今度時間ができたら調べてみよう。

 さあ、明日からは今年最初の海外出張。深夜から荷造りをはじめることに。行き先はインドネシアで、アルバム一枚分の仕上げとミックスをやってくる予定だ。しかも今回は久しぶりのアナログ・ミックス。ストリートの匂いたっぷりの音楽なので、その良さを残すには、プロトゥールスなんて使っていられない。ぼくはもともとオートメーションの付いていない旧式のアナログ卓での、一発勝負のようなミックスが大好きで、だから今回はとても楽しみだ。

 

1月8日(日)

 今日と明日は、自宅でCDの整理をやろうと決めていた。CDはいちおう棚に収まっているのだが、そろそろ溢れそうな状態。そこでよく見ると、必要がないものがあまりにも多いので、本当に溢れないうちに、それらを少し処分しておこうと思ったわけだ。今日はとりあえずCD棚の半分くらいを整理したのだが、これだけで200枚以上のCDを処分することになった。そのほとんどは音楽評論家をやっていた時代にレコード会社からもらったサンプル盤だ。必要ないものは、毎年年末にレコード会社に返却していたつもりだが、それでもこれだけ不必要なものが残っていた。いまさら返却されても迷惑だろうし、サンプル盤だから売るわけにもゆかない。もったいないけど、捨てるしかないのだろう。

 

1月7日(土)
 
 午前中は税理士さんと打ち合わせ。午後は自宅に戻って、昨日あまり出来なかった今週の残務仕事。お正月が明けたばかりだというのに、けっこう仕事がたまっている。すごく疲れた一日。

 

1月6日(金)

 英ラスからのメールで、スアド・マシのお母さんが亡くなったことを知った。彼女が12月から久しぶりに故郷に帰ってきたことは、やはりラスから聞いていたが、お子さんが生まれたので里帰りしたのかと思っていた。でも、そうではなく、お母さんの容態が悪かったかららしい。1月からは新作『メスク・エリル』(ライス WRR-588)のプロモーション・ツアーがヨーロッパで予定されているのだが、この分だと延期になってしまうかもしれない。

 

1月5日(木)

 今日が会社の最初の営業日。やっと社員みんなが集まった。

 これまで何度か書いてきたが、当社は12月決算という世にも珍しい会社で、だからお正月明けの最初の仕事はたな卸しということになる。まずこれをやっつけて、それからお正月中にいただいたバック・カタログ・オーダーに対応。すぐにそれらを出荷と、毎年初営業日はけっこう忙しい。お正月は、どのお店も忙しかったようで、バック注文をたくさんいただいた。11月から12月に発売した作品はどれもお店では評判が良いようだ。

 出荷作業をやっている社員たちとは別の部屋で、ぼくのほうは12月分の帳簿整理と、決算書類の準備。土曜日には税理士さんが来ることになっているので、それまでに経理仕事を全部終らせておかないいけないから、こちらも大慌てだ。なんとか片付いたのは、やっと午後8時頃。初日からすっかり遅くなってしまった。

 

1月4日(水)

 今日から実質的な仕事がスタート。そろそろ海外からのメールが早くも届きはじめて、もうまったく日常通り。お正月気分はすっかり抜けてしまった。

 このお正月に一番聞いたのが、昨年末に荻原和也さんからコピーしていただいたオルケストラ・ポプラールのCD。今日もこれを聞きながら、気分良く仕事を進めた。ブラジル北東部レシーフェのカーニヴァルを代表するフレーヴォという音楽を演奏するブラス・バンドのアルバムだが、これがなかなかにすばらしくて、思わず日本でそのまま出したくなってしまったほど(実はもう先方にメールを送って、2月のポルト・ムジカールでの会見をお願いしてしまった)。久保田麻琴さんの言うように、たしかにいまのブラジル北東部には面白い音楽が存在しているようだ。
 ただ、そんなブラジル北東部の音楽の話をするなら、当社が昨年発売したルイス・ゴンザーガの『バイオーンの王様』(ライス BSR-566)を忘れてもらっては困る。いまの北東部の音楽がどれほど面白いのか知らないが、いくらなんでもルイス・ゴンザーガの音楽を超えることは絶対にないと思うからだ。そんなゴンザーガが残した音楽の最高の部分を集めたこのアルバムを、『ミュージック・マガジン』でも『ラティーナ』でも、誰もベスト10に選んでくれていない。これはとても残念なことだ。こんなことで北東部音楽は盛り上がるのだろうかと、心配になってしまう。

 ベスト・アルバムで思い出したことがもうひとつ。やはり非常に残念に思えたのが、当社が大プッシュしたジョアナ・アメンドイエラの新作ライヴ『ライヴ・イン・リスボン』(ライス CNR-583)があまり注目されてなかったことだ。ぼくはこの作品を、新世代ファドの最高のアルバムだと思っているが、この作品をベスト・アルバムに選んでくれたのは、中村とうようさんだけ。他の人はまったく気に入っていただけなかったようだ。他社のアルバムと比べると問題があるので、当社のものを引き合いに出すが、ぼくはスアド・マシなんかより、ジョアナ・アメンドエイラのほうがずっとすばらしい歌手だと思っている。もしもまだ聞いていない人は、いまからでも遅くない、早めにチェックしてみてください。すでに持っている人は、その良さがわかるまで、じっくり繰り返して聞くことをお勧めする。

 

1月3日(火)

 ぼくは例年、1月3日が仕事はじめ。2日の夜には自宅に戻って、まずは今年の大まかな予定を立てる。せっかくだから、そんな今日考えた当社の今年の予定を少しだけ公開してしまおう。選挙公約ではないので、もしも達成できなかくても、大目に見てくださいね。

 まず第1点。昨年は事情があって少なくなってしまったサンビーニャの独自制作盤を、今年は例年以上に多く作ろうと思っている。目標は、復刻モノと新録モノをあわせて、最低でも12タイトル。当然、制作もののすべてを担当しているぼく自身は忙しくなるが、独自制作盤がなくなってしまうと、当社らしさが薄れてしまうし、それじゃ良くないということで、今年は頑張ってみようと思いはじめた。だいたい、プロデュースものや編集盤の仕事をしていないと、音楽をマジメに聞く機会がなくなってしまうのが、困ったところ。そうならないように、今年はスタジオにいる時間を増やしたいと思う。

 そして第2は、外国の取引先レーベルとの仕事をさらに充実させること。長い付き合いになったラス、スターンズ、ワールド・ミュージック・ネットワーク、トラーマ、ダブルムーンなどに加えて、今年はさらにいくつかの大手レーベルの配給をはじめることになりそうな雰囲気。こうなると、ますます注目盤が増えるだろう。でも一方で、リリース点数が多くなると、交通整理というか、スケジューリングが大切になってくる。今年は社員たちと担当を分担して、できるだけスムーズにリリースできるようにしたいところだ。

 そして第3は、自社カタログの整理。これだけたくさんのレーベルのアルバムを配給させていただいていることもあって、当社のカタログはここ2〜3年で飛躍的に大きくなった。そんないま、大切なのは、そんな大きなカタログをしっかり整理したサイトを作り直すことだ。もっと検索しやすくて、もう少し読み物を増やしたサイトを出来たらと考えている。
 なんてことを思うようになったのは、せっかく若い人たちが世界の幅広い音楽に関心を持っても、ワールド・ミュージックの初心者向けガイドなんてものが、しばらく存在していないことに気がついたからだ。ワールド・ミュージックの奥の細道、という感じの専門家向けのサイトは存在する。本も少しはある。でも、やっといま聞き始めたばかりの人のためのものは、本もサイトも、まったく存在しない。
 当社のカタログは、いまやワールド・ミュージックのほとんどのジャンルを網羅するようになった。そんないま、そんな幅広いカタログを検索できるようにしながら、それぞれのジャンルの簡単な歴史などを書き加えたページを作って、初心者向けガイドのサイトにしようと考えたわけだ。それに、買い物をしやすいようにカートも付けたいと思っている。どこまで出来るかどうかわからないが、2006年の前半くらいには、なんらかの形でサイトのグレイドアップをできたらと思っている。

 というわけで、やりたいことは山積み状態。どこまで出来るかわからないが、社員一同、なんとか頑張ってみる所存です。どうぞ、応援よろしくお願いいたします。

 

1月2日(月)

 午前中から親戚などの挨拶回り。これも例年通りだ。ただ違うのは、今日は一滴もアルコールを飲まなかったこと。別にお酒をやめようなんて考えているわけではないが、でもなんとなく、今年は少し量を減らそうと思うようになった。
 年末には、今年はもう少し飲み会に参加できるようにしようと思ったが、でもそういう席であまり多く飲むのは避けようと思っている。若いときのように、たくさん飲んだ翌日もバリバリ仕事ができるということはなくなったし、酔っ払って過ぎてゆく時間がもったいない気分もある。人生の折り返し点を大きく回ってしまったいま、あまり時間を無駄にはしたくない。充実した時間を送りたい。そう思うと、ダラダラとお酒を飲んでいる時間が一番もったいない。
 ちゃんと目的があるときにだけ、美味しいお酒を美味しくいただく。ダラダラとは絶対に飲まない。これが今年の目標です。

 

1月1日(日)

 あけましておめでとうございます!!
 今年もどうぞよろしくお願いいたします!!!

 例年通り、実家で過ごすお正月。午前中にお墓参りなどをすませて、午後はお酒を飲みながらサッカーの天皇杯を観戦するのも例年通りだ。しかも嬉しいことに、今年は我が浦和レッズが優勝。幸先の良いスタートを切ることができた。きっと浦和の街は盛り上がっていることだろう。

 

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