12月29日(金) サンビーニャは今日が営業最終日。やっと2006年の仕事がすべて終わる。 2006年はサンビーニャにとってあまり満足のゆく一年ではなかった。音楽を取り巻く状況自体がだんだん悪くなっているように思えるし、ぼくらだけがいくら頑張っても解決しない問題もたくさんあるのだろう。でも来年は、そんな状況に惑わされることなく、もっと落ち着いてじっくり取り組める仕事ができたらと思っている。お正月に、それを出来るための方策をあれこれ考えるつもりです。 2007年もどうぞよろしくお願いいたします。 |
12月28日(木) 世間ではほとんどの会社が今日で御用納めのようだ。ただ、CDショップはお正月もやっているところがほとんど。なので、ぼくらも出来るだけそれに付き合わないといけない。というわけで、年内は明日まで出荷作業。新年も5日は営業するつもりだ。本当は今日あたりから1月8日くらいまで休めればゆっくりできるのだろうけど、この仕事をやっている限り、お正月はあまり長く休むわけにはゆかないようだ。 午後は自宅に戻って最後の解説原稿書き。ぼく自身の担当分はもう書き終えていたのだが、TSシリーズの未出荷分が少しあったので、4本分だけ持ち帰って解説原稿を書くことにした。明日には出荷しないといけないので集中して仕事。気がついたときには、もう夜の12時だ。でも、ここまで書いておけば、明日の朝に見直すだけで入稿できるだろう。 |
12月27日(水) 本来はリスト作成日なのだが、出荷する荷物があまりに多いので、そっちに集中することにした。ブラジル盤だけでも800枚以上入荷しているし、他にも解説付きのアイテムなどがある。合計したら、今週もけっこうな数を出荷することになるのだろう。まあ、年末くらいは少し頑張らないと。 ぼくの方は、今日も午後から外で打ち合わせの連続。ただ途中で少しだけ時間が出来たので、タワー新宿に寄って新譜をチェックした。購入したのは2枚だけだが、けっこう面白そうなものが出ているようだ。そして夜は、再び新宿に戻って、タワー新宿の篠原さんとささやかな忘年会。友人とゆっくりお酒を飲んだのは久しぶりだ。 |
12月26日(火) 朝から事務所に行って、年末調整の資料を揃えるなど、経理仕事に集中。これで年内の経理関係の仕事はだいたい片付いた。また、午後から夕方にかけて、『シャンソン歴史物語』やブラジルからの輸入盤などが入荷。これで年内の入荷は最後になりそうだ。 |
12月25日(月) 午前中に解説原稿を1本書き上げてから外出。午後は打ち合わせの連発だ。忘年会は出来るだけ出ないことに決めたものの、仕事上どうしても会わないといけない人がいるのは仕方がない。おかげで友人たちとの飲み会はあまり出来ない年末になりそうだ。 |
12月24日(日) 朝から自宅作業。ゴリゴリの仏教徒だった父親の影響か、クリスマス・イヴってのが特別な日だと思って過ごしたことは、子供の頃からほとんどない。今日もそんな感じの一日。いつも通り仕事をして、いつも通りに早く寝る。いつもと違うのは、外国からクリスマス・カードのメールがたくさん届いたくらいだ。 |
12月23日(土) 今月に入って丸一日休んだ日はまだない。休みにしようと思っても、いつも何かしらの用事があって、完全休養にはならなかった。でも今日は、午前中にちょこっと仕事しただけで、午後から夜までは自宅でゆっくり過ごすことができた。おかげで、買っただけで聞けていなかったCDも少し減ったし、夜には本も読めた。少しだけリフレッシュ。 深夜にサイトをチェックしていたら、あちこちで今年のベスト・アルバムが発表されていた。ぼくもライターをやっていた時代は毎年発表させていただいたことを懐かしく思ったが、でも最近は、頼まれもしないのにそんなことを考える気にはなかなかなれなくなった。いくら考えても、自分で制作したアルバム以上によく聞いたCDがあるわけではなく、そうなるとベスト10も自社の発売リストも、あまり変わらなくなってしまうからだ。もう少しでいいから、他の会社から出たCDをじっくり聞く余裕が欲しい。ここのところ、毎年この時期になると、そんなことばかりを考えてしまいます。 そう言えば、今日はあの人の誕生日だったことを、いま寝る前に思い出した。 |
12月22日(金) 毎月、月末になると雑用仕事が増えるのだが、年末はなおさらだ。経理関係の仕事も多いし、打ち合わせもあるし、さらに仕事関係の忘年会もある。今日はそんな雑用のフル・コースといった感じの一日。あまり飲まないようにしたのだが、それでも帰宅は夜11時。こんなに遅く帰ってきたのは久しぶりだ。すっかり疲れてしまいました。 |
12月21日(木) リスト作成。12月に入ってからのリストでアナウンスするのは、ほとんど1月発売のもの。今日は2月発売の新譜も紹介している。そんな中で、なんと言っても注目は、待ちに待った<砂漠のブルース>ティナリウェンの新作だ。英ロックの重要レーベル、インデペンディエンテに移籍して再スタートを切った一枚。今回はジャスティン・アダムスのプロデュースで、見違えるほどスケールの大きな作品に仕上げてくれた。ワールドでは久しぶりの極上の新録。2月11日の発売予定です。これからハードなプロモーションを展開しないと。 |
12月20日(水) 『ミュージック・マガジン』の最新号を見ていたら、ベスト10の「ワールド・ミュージック」部門でライスから出たアルバムが4枚も選ばれていた。しかも、中村とうようさんはピシンギーニャの『ブラジル音楽の父』を個人ベスト10の一位に選ばれている。『ブラジル音楽の父』は、ぼくとしてはもちろん自信作だが、そのわりにまったく売れなくて困った一枚でもあった。ブラジル音楽をちゃんと聞いてくれる人はもういなくなっちゃったんじゃないかと落胆していたが、それだけにこうして音楽評論家の皆さんに評価していただいて、励ませられた気分だ。 『ブラジル音楽の父』は、ピシンギーニャの若い頃の録音を中心に集めたアルバム。中でもぼくが力を入れて紹介したのが、1930年代前半のオーケストラ時代の作品だった。特にピシンギーニャがブラジル独自のジャズを目指したグルーポ・ダ・グァルダ・ヴェーリャ名義の録音は、ブラジルでもほとんど未復刻。意識して無視しているのではないかと思えるほど、復刻が進んでいなかっただけに、その代表作をまとめて紹介できたことは意義深かったと思う。 ブラジルではピシンギーニャに関してたくさんの本が書かれているし、生前のインタビューをまとめた本まで発表されている。ぼくはそれらのすべてに目を通したつもりだが、そこで強く印象に残ったのが、「ジャズ」に関する記述が非常に少ないことだ。ピシンギーニャがオス・オイト・バトゥータスを引き連れてパリで公演したのは1922年。ここで彼らは6ヶ月も滞在するうちに、ジャズと出会い、ピシンギーニャはサックスをブラジルに持ち帰る、と、ここまではどの本でも紹介されている。でも、このときピシンギーニャがどんな「ジャズ」を聞いたのかという、一番重要な部分はまったく語られていない。さらにピシンギーニャ、あるいはドンガ(「最初のサンバ」を作ったとされる音楽家)は、そこで出会ったジャズに対する思いが忘れられず、その後も継続してブラジル独自のジャズ(ある種のアフロ・ブラジリアン音楽)を目指すわけだが、それについても、彼らが具体的にどういう音楽を目指したか、なんてことは、インタビューもされていない。これじゃ彼らによるグルーポ・ダ・グァルダ・ヴェーリャ名義の音源が復刻されないのも仕方ないと思うほどだ。 ぼくが『ブラジル音楽の父』で目指したのは、そんなピシンギーニャの、ブラジルにおいても知られていない部分だった。しかもそれは、単にマニアックな探求ではなく、ピシンギーニャの音楽の本質だとも思っている。そういう意味で、先に当社が発売したベネジート・ラセルダとの共演名義の『ショーロの聖典』よりずっと奥深い内容になったと思うのだが、それでも売り上げが『ショーロの聖典』の3分の1にしかならなかったりするので、困ってしまうわけです…。 今回、ぼくが蒲田耕二さんと一緒に『シャンソン歴史物語』に取り組んだのも、ピシンギーニャのアルバムを作ったときの疑問がずっとアタマに残っていたからかもしれない。いまも書いたようにピシンギーニャは1922年にパリで公演したが、これはレクォーナ・キューバン・ボーイズらが活躍したルンバ・バンドのブーム(1930年代)はもちろん、マルチニークのグループが大量にパリにやってくるよりずっと以前のことだ。さらにジョセフィーン・ベイカーらが初公演してフランスにジャズ・ブームが巻き起こったのが1925年だから、それよりも以前。なにしろ「最初のジャズ」とされるODJBの録音は1917年だから、1922年の時点では、まだわずか5年前だ。20年代前半のパリにおいてジャズが溢れていたとはとても思えない。 そんな1922年に、ピシンギーニャはパリでどんなジャズを聞いたのだろう。彼にそんな音楽の存在を教えてくれたのは誰だったのか。それを聞きながら、ピシンギーニャはどんな新しいブラジル音楽を思い浮かべたのだろう…。そんな疑問に対する答えは、もはやピシンギーニャの口から直接聞くことは出来ない。いま出来るのは、『ブラジル音楽の父』に収録した音源を聞きながら想像するだけだ。 ブラジル音楽を聞きはじめて30年。ぼくにとって最後に残された難題がピシンギーニャということになってしまった。 |
12月19日(火) 今日は終日自宅作業。『シャンソン歴史物語』を作るために引っ張り出した本やレコードが仕事部屋に散乱しているので、それらを片付けるのと、さらに次の仕事のための資料を引っ張り出して整理するだけで1日かかってしまった。2006年は結局、自社制作アルバムを3枚しか作れなかったが、2007年はもう少しペースを上げたい。次のアルバムの準備をいまからはじめているのは、そう思うからだ。 |
12月18日(月) 朝のうちに原稿書きなどを終わらせて、午後は打ち合わせ。というか、なんと朝日新聞さんからインタビューを受けてしまった。なんでも来年1月の夕刊のどこかでぼくのことを紹介したいのだとか。会社の宣伝のつもりで引き受けはしたものの、インタビューを受けるというのはなんか不思議な気分です。 夕方には事務所に戻って打ち合わせ。来年のリリース予定やプロモーションについてみんなで話し合った。2006年はサンビーニャにとってあまり良い年ではなかったが、来年はなんとか現状を打破すべく、少し違ったやり方を試してみたいと考えている。とりあえず、来年のはじめには大きな仕事が続きそうだが、これをなんとか良い形で成し遂げないことには…。 オリコンが一個人のジャーナリストを訴える、なんて、とんでもないことが起きているようだ。音楽配信メモを読んで、ビックリさせられた。すでに崩壊しかかっている旧来の業界勢力の最後のあがき、という気もしないでもないが、それにしても出版社ではなく、個人を狙い撃ちなんて、手段があまりに卑劣すぎだ。情けなくなる。 |
12月17日(日) 社員の伊東くんの企画でブッダ・レーベルのインド音楽のシリーズをやることになった。今日はサンプルを聞きながら、シリーズの共通原稿を執筆。インド音楽の幅広さを実感できる、ちょっとユニークなシリーズになったようだ。 インド音楽を聞きはじめたら、他のアルバムも聞きたくなって、夜はインド音楽漬けに。北インドの古典音楽家たちの初アルバムを復刻したシリーズをずいぶん前に入手したのだが、それらを久しぶりにじっくり聞き返してみたら、突然南インドの音楽も聞きたくなって、ボンベイ・シスターズに手が伸びたり…。インド音楽は聞きはじめると本当に止まらなくなる。北に行ったり南に戻ったり…。そして最後を締めくくってくれたのは、やっぱりスブラクシュミの「ミーラー・バジャン」でした。 |
12月16日(土) 『シャンソン歴史物語』のマスタリングをチェック。これでやっとこの仕事は一段落だ。でも、今回わかったのは、フランス歌謡はまだまだ奥が深い、ということ。今後も機会があったら、またその深さをもっと実感したいと思う。 |
12月15日(金) 午前中に雑用仕事を終わらせて、午後はキング・レコードで井上剛さん、北中正和さんと打ち合わせ。ぼくが他のレコード会社の打ち合わせに出るなんて、自分の会社をはじめて以来かもしれない。 |
12月14日(木) 朝起きて仕事を少し。そして午後に打ち合わせを1本しただけで、午後遅い時間からは久しぶりに休ませてもらった。丸一日休養というわけにはゆかないが、今月に入ってから一日も休んでいないこともあって、こうして少しでも体を休められるとありがたい。 そんなわけで、夜は久しぶりに自宅で新しく買ったCDを楽しんだ。すばらしかったのはヨルゴス・ダラーラスとハリス・アレクシーウというギリシャのベテラン2人のそれぞれの新作。ギリシャ盤は高いので、若手歌手たちまではなかなか手が出ないが、この2人はこれまでの作品を全部持っているので、今回も買わないわけにはゆかない。でも、両方とも近年で最高とも思える出来栄えだったので嬉しくなった。特にすばらしいのがダラーラスで、これから毎晩聞きまくることになりそう。本当なら、こういうCDを日本で出せたら良いと思うのだが…。 |
12月13日(水) 蒲田さんから確認原稿(大幅書き足し!)をいただいて、校正作業を経て、無事入稿。あとは週末にマスタリングをやって、アルバムは完成だ。これでなんとかお正月にはお聞きいただけることになりそうです。楽しみにしていてください。 |
12月12日(火) 久しぶりにゆっくり寝たので、今朝は体調が良い。朝のうちに解説原稿を2本脱稿。お昼は銀行送金。午後は会社で雑用仕事を片付けた。夜は自宅に戻って、シャンソンのアルバムの写真などをチェック。オビ原稿なども送って、後はメインの原稿だけだ。明日にはなんとか入稿したいところだが。 |
12月11日(月) 結局、昨晩は徹夜作業になった。今朝9時まで頑張って、やっと終了。今回も約20000字の長文原稿だ。これを蒲田さんにチェックしていただき、訂正を加えてもらわないと。 午後は渋谷に出て、来日している取り引き先のエキスポート・マネージャーと打ち合わせ。レコード店を回りながら、今後のプロモーションなどについて話し合った。帰宅したらドッと疲れが出て、食事も取らずに爆睡。 |
12月10日(日) 一日中自宅にこもって、テープ起こしと原稿のまとめ。 |
12月9日(土) 午前中は税理士さんと打ち合わせ。午後に自宅に戻って、先の蒲田さんとの対談のテープ起こしにやっと手をつけられた。テープは全部で4時間。しかも文献を調べながらだから、なかなか進まない。 |
12月8日(金) 昨晩、母親から電話。急遽、病院に連れて行かないといけなくなった。腰痛がかなり前からヒドく、親しい人にある病院を紹介してもらったのだそうだが、その診察日が今日になったのだそうだ。一人では行けそうもないので、結局朝早く実家に迎えに行って病院へ。しかも、そこで待たされること2時間! 帰りにはすっかり疲れてしまった。 帰宅後は昨日の経理仕事の残り。夜までになんとか終わらせたが、今日はこれで精一杯。なかなか大事な仕事に手をつけられない…。 |
12月7日(木) 自宅にこもって蒲田さんとの対談のテープ起こしをしたかったのだが、会社に持ってゆかないといけないサンプル盤があるというので予定変更。会社に行くついでに、帳簿の整理を済ませてしまうことにした。12月は年末調整もあるので、経理仕事がいつもより多い。しかも10月末にヨーロッパに行った後、先月体調を崩してしまったので、経理仕事は後回しにしていた。そのしわ寄せで、今月は仕事がほぼ2倍。こんな忙しいときに数字とニラメッコなんて、ストレスがたまる一方だ。 |
12月6日(水) 今週のリストのメインはパリのアラブ世界研究所から出たアルジェリア音楽のアルバム『アルジェリア音楽集大成』に決定した。アルジェリア音楽の古典的な録音を集めたもので、いま注目を集めているラシッド・タハの新作『ディワン2』でタハが取り上げている作曲家の作品も収録されている、いわば『ディワン2』の副読本的なアルバムだ。発売予定日は12月24日のクリスマス・イヴ。キリスト教のお祭りの日にイスラーム世界の音楽を聞いてもらうのもいいでしょう。 『ディワン2』は、前作より地味になったと言われているけど、ぼくは今年のワールド・ミュージックを代表するアルバムじゃないか、くらいに高く評価している。ハレドやシェブ・マミなど、いちおうはアルジェリアの音楽伝統を受け継いだライを歌っていた歌手たちが、自分の音楽のモダン化やポップ化ばかりを目指している中、もともとロック歌手だったラシッド・タハだけが自国(あるいはアラブ世界全体)の伝統的な音楽を掘り起こし、こんなアルバムを作ってくれたのだからビックリだ。しかもそれに協力しているのは、これまたロック音楽家のスティーヴ・ヒレッジ。彼らがここまで濃密なアルバムに仕上げてくれたことは、驚き以外の何物でもない。 『アルジェリア音楽集大成』は、そんな彼らに敬意を表しての発売だ。これを機会にアルジェリア音楽、あるいはアラブ音楽の多彩な伝統について関心を持ってくれる人が増えてくれたらありがたい。アラブ音楽の古典録音を含むアルバムは、これからも積極的に発売してゆこうと思っている。 |
12月5日(火) 朝から自宅にこもって、今週発売のアルバムの解説原稿書き。なんとか夕方までに2本仕上げて入稿。 夜は久しぶりに新聞を読む。3日のベネスェーラの選挙では、優勢を伝えられていたチャベスが圧勝。11月にもニカラーグァの選挙でオルテガ将軍が勝っているので、中南米はますます反米勢力が強くなったようだ。ブラジルのルーラも先の選挙で無事勝利したし、これで親米政権と言えるのはごく少数。しかもそんな左翼化した中南米は、今後パスポートなしで行き来できるようになるのだとかで、まるでEUのような共同体を目指しているようにも見える。 そんな中、ブラジルの通貨レアルはここ1年ちょっとで高騰。1ドルが3.50レアルから2.20になった、ということは知られていないのではないだろうか。これまでドルが急騰することはあっても、下落することはなかった国だけに、動揺は隠せない。これじゃ、輸出産業はとんでもない大打撃のはずだ。 ちなみに、共同体の先輩であるEUの通貨ユーロも、当初は100円ちょっとだったのに、いまや155円。もちろんEU以外の国への輸出をメインにしていた産業はズタズタだろう。 そんなレアルやユーロの高騰ぶりを見て、誰もが思い出すのが、細川政権が誕生したときの日本だ。たしか1ドル75円くらいまで急落したと記憶するが、当然自動車など、輸出が多かった会社は大騒ぎになった。結局、細川政権はそれがもとで退陣したわけだが、こんなドルの急落がアメリカの仕業だったことは周知の通りだ。とすると、いまEUや中南米で起こっている通貨の高騰も、アメリカが同じ効果を狙ってやっているとしか考えられない。EUも中南米も、あまり協力してアメリカに反抗するようなことがあると困るわけだ。 ヨーロッパ共同体に続いて中南米共同体が出来てしまったら、アメリカ包囲網がますます進むことになる。そうじゃなくても、言うことを聞いてくれない中国という国もあるわけで、唯一の大国アメリカも、悩み事は多いだろう。各地に共同体があまり出来はじめると、これまではおとなしかったアジアだって、ASEANを中心にまとまって、かつてどこかの国が掲げていた「大東亜共栄圏」を復活させる、なんてことも考えられる。もしもそこに中国が加わったとしたら、アメリカは完全に一人ぼっちだ。 この際、アメリカなんてどうなってもかまわない。そこで問題なのは、そのとき日本はいったいどうなってしまうのだろう、ということだ。いまドルと足並みを揃えて下落している通貨は円のほかにあるのだろうか。それがバロメーターだ。通貨の変動なんて、これまではまったく興味がなかったが、最近はすごく気になるようになった。 実は、こんなユーロやレアルの高騰で一番困っているのは、当社なのでした。ブラジル盤の価格は、ここのところ大幅に上がっている。でも、当社ではお客さんのことを考えて、まだ大幅値上げをしていない。ヨーロッパから輸入しているCDについても同じだ。しかも、利益が少ない上に、売り上げも下がっているのだから、まさに泣きっ面にハチ。この状態がずっと続けば、会社なんて簡単につぶれるだろう。 さあ、どうしたものか。今後、当社のCDが少しくらい値上げされても怒らないでくださいねと、いまのうちにお願いしておいたほうがいいのかもしれない。 |
12月4日(月) |
12月3日(日) 朝、駅の売店にスポーツ新聞を買いに行ったらどれも売り切れていた。きっと浦和レッズのファンが全部買い占めてしまったのだろう。浦和の街は朝もまだ燃えている!? 福岡国際マラソンはだいたい毎年見るようにしている。今日も後半から見た。注目のゲブレセラシエ(エチオピア)は、さすがに強い。他の選手たちとはモノが違う、という感じだ。 ただ、そんな中継を見ていてアタマにきたのが、その編集ぶり。後半35キロを過ぎて先頭グループに日本人がいなくなったせいもあり、こんな大事なところで何度も後続の日本人選手たちの映像に切り替わった。でも、そのとき先頭グループでは、何度も小さなスパートをかけあうなど、実に見ごたえのある駆け引きが行われていたのだ。そんな一番面白い場面を映さず、すでに遅れてしまった日本人選手ばかりを見せられるのだから、イライラさせられる。優勝したゲブレセラシエが38キロ過ぎから飛び出した場面は、さすがにとらえていた。でもそんな鮮やかなスパートが決まったのは、その前に彼が何度も細かいスピードのアップダウンをしかけ、そんなゆさぶりがボディブローのように他の選手にダメージを与えたからであって、一度くらい急にペースを上げたから独走になったわけではない。その過程こそが勝負の醍醐味だということを、毎年テレビ中継している人たちが、どうしてわからなかったのだろうか。 世界最高峰、かつ(トラック・レースも含めて)百戦錬磨のゲブレセラシエによる絶妙の駆け引きを日本で見れる機会なんて、そうはあるわけがない。それを見逃してしまったのだから、フラストレイションがたまる。マラソン中継を見てこんなにイライラさせられたのははじめてだ。 イライラさせられたおかげで、その後の原稿書きの仕事がまったく進まない。ますますフラストレイションがたまります。 |
12月2日(土) |
12月1日(金) |